巨頭 ほか

なしごれん

巨頭



 1


自動車が通れるか通れないかくらいの舗装されていない砂利道を歩いていると、右手に白い建物が見えてくる。


私がそこへ続く横断歩道を進んでいると、後ろから声がした。


「昨日のニュース見たかァ」


それは同じクラスの崎野のという男だった。


「あァ見たよ。昨日からずっと、テレビはそれしか映さないからなァ」


信号機が点滅しだし、私たちは足早に校門へ入った。


 新学期が始まってから一か月。私はこの野崎という男から一度も話しかけられたことはなかった。けれど今日、なぜだか私の後ろから、今まで仲の良い友達だったかのように声を掛けられ、それだけを口にして颯爽と下駄箱へ赴いてしまった。私は彼の後姿を眺めながら、昨晩のニュースを思い出した。


 「日本に風船症患者が現れた」


アナウンサーは極めて深刻そうな口調でそう言うと、画面はヘリコプターからの上空の風景に変わった。


 茶色の外観をした十階建てのビルが崩れていた。崩れていたと言っても面影は残っていて、地面は瓦礫まみれで見るも無惨な状況だった。黒煙の舞うそこいらには、ぞろぞろと人が群がり、空き地には救急車や消防車が並んで止まっていた。

そのビルがあった場所に、巨大な男の顔が、プカプカと浮いていたのだ。


「ご覧ください。まさに今、風船症患者がビルを打ち破って姿を現しました」


 上空にいるリポーターの声がした。顔は徐々に膨れ上がっていた。幸い、その町は都市圏から離れた田舎町だったので、ビルの周りは大きな駐車場となっていて、顔がこれ以上大きくなっても被害は少ないように思われた。


「風船症患者は日本では初ですねェ。一昨年のペル―での男性が世界初でしたから、今回は二例目ということになります」


スタジオのアナウンサーの隣に座っていた、髭面の学者らしき男が言った。


風船症は未知の病気だった。一昨年の春。庭の畑で仕事をしていたペルー人の身体に、突如その症状が現れた。


顔が風船のように膨らむのだ。初めはテレビくらいの大きさなのだが、それが一時間で家に収まり切らなくなり、二時間経つとビル一棟を超えるほどの大きさにまでなってしまうのだ。


 ペルー人の男性が風船症を発症したことは、世界中で大きな話題となった。やがて何千人という学者が男性の元へ訪れ、研究や議論がなされたが、原因や治療法など何もわからぬまま、男の顔が縮むことはなかった。顔が大きくなってしまったので、男は自分の家から一歩も動くことができず、WHOと公益法人の援助の下で家族と暮らしていた。「なってしまったものは仕方がない。私はこの身体で自分の生を全うしたい」そう言っていた男性は、発症してからわずか二か月後に死んだ。顔は石のように固くなり、髪は全て抜けていた。顔が大きすぎるため、その場所に放置しておくわけにもいかず、二日後には重機がやってきて、首から上を切断し、顔全体を崩すのには一か月もかかった。ペルーでは盛大に葬式が行われ、全世界で放送されたが、彼の死後風船症の患者が現れることはなく、そのまま二年の月日が経った。


 私はテレビを眺めた。画面では未だ動揺したアナウンサーが、巨大化された男性の顔を恐々と眺めている様子が映し出されていた。不思議なことに、この病気は顔が大きくなるだけで、首から下の四肢は至って普通なのだ。風船のように膨らんだ顔は、動かすと周りの建物や風力に影響をきたすので、発症となればすぐさま周りの建物は取り壊され、身体は厳重に固定されて生活しなければならないのだ。顔の皮膚が伸びるだけでなく、眼球や口腔も広がって、顔は怪獣のように巨大なのに、身体は小さいままなので、見るからにバランスが悪く不気味なのだ。



 私は教室へ入った。ホームルーム前の教室は、やはりそのことで持ちきりのようで、わざわざ家から新聞を持ってきた生徒も見受けられた。私は黒板から二つ前の席の女をちらりと見やった。自席で課題をやっていた彼女は、私に気がつくなり、軽く手を振って目配せをした。


 ホームルームの時間になっても、担任は教室に姿を現さなかった。次第に周りの生徒が不満の声を漏らしだし、職員室へ聞きに行こうと、学級委員が席を立ったところで、集団下校を促す校内放送が流れた。





  2



 次の日は土曜日で、やはりテレビは風船症のことで持ちきりだった。  


 私は駅前で、彼女と待ち合わせをしていた。昨日教室で目配せをしたあの女だ。彼女とは二年から初めて同じクラスになった。声が高く、くりっとした丸い目をしているのに、外国の映画に出てきそうな中世的な顔立ちをしていた。


 私は一年の時から彼女が好きだった。彼女の二つ折りにされたスカートが、いやに挑発的で、いつも友人と話すふりをしては秘かにそれを盗み見ていた。いつの日かそのことで、廊下で男性教諭に叱られている時の彼女の、あの勝気で弱みを見せまいと必死になっている装いの奥に、時折従順な子猫のように甘く上目遣いをする癖があった。私は彼女のその佇まいに、情欲を掻き立てられていたのだった。


 彼女が私の元へやってきた。


「いく?」


とだけ言って、彼女はホテルを目指し歩き始めた。


 私はもろんそのつもりだったのに、一体君は何を言っているんだと呆れて見せてから、彼女の後をついていった。


 部屋に入るなり、彼女はいつものようにバスルームへと向かったが、私は後ろから彼女に抱き着いて、そのままベッドへ押し倒した。


「あんまり乱暴しないでよォ」


彼女は何もかもわかっていたかのように、一枚一枚衣服を脱いでゆき、私の身体に覆いかぶさった。


 ベッドの上の彼女は大女優だった。私がまだぎこちなく、おのれの快楽のためだけに動いてみせても、まるでそれが初めての体験だと言わんばかりに、うっとしとした表情を見せるのだった。私は彼女の胸に顔をうずめた。髪先から芳るシャンプーの、ピオニーの甘い香りと彼女の体臭が、私の動きをより激しくさせた。


 ことが済むと、彼女は静かにバスルームへ消えていった。私はシャワーの流れる音を聞きながら、未だベッドの上で呼吸を整えていた。


「本当にこんなことしていいのかァ」


シャワーを浴び終えた彼女は、バスタオル一枚のまま私に近づいてきた。


「いいの。だってあの人、全然かまってくれないんだもん」


 彼女は二つ上の大学生と付き合っていた。なんでも、その人が初めての彼氏だったらしく、バイトのミスで落ち込んでいたところに付け込んで、無理やり処女を奪われたのだと、以前彼女は語っていた。


「あんなんでも、二人の時はやさしいのよォ。キヨちゃん身体は大丈夫?お金に困ってない?って。決まってことが済んだ後にだけどね」


そう言って口では笑って見せていたが、彼女の表情は硬かった。


「避妊してないんだろォ?そんなやつ早く別れちまいなよ」


「そんなの嫌よ。あたしあの人のこと好きだもん」


 彼女はそれっきり黙ってしまった。彼のことが好きなのに、今の私との関係が終わらないのは、少なからず私という人間に興味があるからではないのかと、彼女の濡れぼそった髪の奥にある、白いうなじを見やりながら私は思った。


「シャンプー変えただろ」


私は話の話題を変えようと、行為中にずっと気になっていた。彼女のフローラルな香りについて話した。


「やっぱわかるゥ?そうなの。今日はいつもより甘い香りの奴にしたのよ」


彼女は顔色を変えて、また私の方へ顔を寄せてきた。


「駅前に小さい公園があるでしょォ?そこに植えられているシャクヤクが、すっごくいい香りなの。この前彼と二人で映画館に行った時に見つけて、あまりに香りがいいから、帰り道にお花屋さんで一輪買ったのよ」


そう言って、彼女はガラス瓶に活けられた、桃色のシャクヤクの写真を見せてきた。


「きれいだね」


「そうでしょォ。高かったんだから」


その後、私は彼女がお腹が空いたからと、ホテル横のレストランでランチを奢らされ、その次は新作が見たいからと映画館にいかされ、私の財布は空になってしまった。


「ちょっとどこ行ってるのよォ。はやくゥ」


コンビニでお金を下ろしながら、私はふと彼女とのこの関係が、一体いつまで続くのだろうかと思った。彼女といる限り、私の貯金は減る一方だし、彼女も彼女で好きな人に、いずれこのことがばれてしまうだろう。そうなると、私は一体何を求めてこんなことを続けているのだろうか。彼女の無邪気な笑顔を遠目で眺めながら、私は残りのお金をポケットに突っ込んだ。




  3



 彼女が風船症になった。


 学校は当分の間休校になり。私は家でひとりテレビを眺めていた。


 画面には巨大化された彼女の顔が映し出されていた。二階建ての屋根に突き出した顔は太陽に照らされ赤くなり、目は閉じていた。


「先週の男性に引き続き今度は女子高生が発症しました。女性の発症はこれまでで初めてです」


 それからの二週間。日本中のいたるところで風船症患者が現れた。年代も性別もバラバラで、決まった土地で流行るわけでもなく、様々な地域で流行した。

風船症患者が出ると、周りの建物は全て壊され、元の家は患者用の施設と化した。大半の患者は人目に付くことを嫌がり、ビニールシートで顔を隠していた。その金額は莫大なもので、政府は国民に義援金の寄付を呼び掛けた。


 彼女の発症から一か月後、ようやく町も落ち着きだし、学校も再開された。


 休校中、私はクラスメイトの女子を代わる代わる抱いていった。その時のクラスメイトは、皆憔悴しきっていて、私が何を求めても、嫌がるそぶりひとつせずに、自ら私によがってきたのだった。



 ある日、私は規制も緩くなったので、彼女のお見舞いにでも行こうと思い立ち、学校を休んで家へ向かった。


 それまで商店が密集していた彼女の家の周りは、建物が取り壊されて空き地になり、巨大化した彼女の頭が突き出た家と、家族が住んでいるプレハブ小屋しかなかった。


 私は警備員に学生証と本人との写真を提示し、厳重な検査を終えようやく中へ入れてもらった。


 彼女は顔を隠していなかった。両目は開いていて、顔色もテレビで見るよりもずっと良かった。私は彼女の両親に挨拶し、彼女のいる部屋へと案内された。


「本当にありがとうございます。キヨちゃん友達少ないから、来てくれたのは担任の石井先生とあなただけなのよ」


「男の人が来ませんでしたか?」


私は連日のメディアの取材で、幾分疲れた表情をしている彼女の母親にそう聞いた。


「いえ、男性はあなたが初めですよ」


「そうですか」


重そうな白いドアの前で母親は


「キヨちゃん。学校のひとが来てくれたわよ」


と言って、扉を開けた。 


そこには、何本もの管が繋がれた、彼女の身体があった。


「よォ」


私は軽くそう言って、ガラスケースに横たわっている、彼女の身体を眺めた。

首から上は外に出ているので、部屋には彼女の身体しか見えなかった。全身に管が付けられていたが、どうやら声は聞こえているようで、私が声をかけると、左手を軽く上げた。


「久しぶりだなァ。元気にしてたかァ?」


そう声をかけると、彼女は右手に持ったペンで、文字を書き始めた。

風船病患者は、巨大化した口を動かしてはいけないので、会話は全て筆談で行わなければならないのだ。


《 まあまあ 》


と、彼女は言った。


「そうかァ。学校は二週間前に再開して、今は普通に授業もやってるよ。昨日はホームルームで文化祭の出し物を決めたんだ」


そこから私は、学校が始まってからの二週間の出来事を彼女に聞かせた。担任がすでに来ているので、もうすでに聞いた話かもしれなかったが、彼女は手を動かさずに黙って私の話を聞いていた。


「そういえば彼氏はまだきてないのかァ?」


部屋に入ってから十分が経ったとき、私は彼女に聞いた。


《 きてない 》


「そうなのかァ。彼女が大変な目に合ってるのに来ないんて、アイツはどうしようもないクズだなァ」


《 もう こない 》


「なんで来てくれないんだ?」


彼女はその問いに答えなかった。手はぴたりと止まり、動かなかった。


 それにしても、なんて異質な部屋なのだろうか。私は真っ白な部屋中を見渡した。彼女と私はガラスケースで仕切られており、周りには何やら難しいことが書かれたホワイトボートや、書類などが積まれていた。

その奥に、木目調の小さな台があって、桃色のシャクヤクが入ったガラス瓶が置かれていた。


「これ、前に言っていたピオニーだろ?」


 私は小台に近づいて、鼻を近づけた。シャクヤクらしい甘くすっきりとした香りが、私の鼻先で踊った。


「やっぱりこの香り、懐かしいよ。なんだか子供の時から好きだったみたいだ」


《 そう 》


 ガラス瓶に活けられたシャクヤクは、僅かに水が入っており、きっと家族が毎日取り換えを行っているのだろうと思われた。けれど彼女の巨大化した頭では、室内にあるこのシャクヤクを見ることはできないだろうと、私は思った。


その時、ドアの外から母親の声がした。


母親は男性と話をしていた。それも一人ではなく複数人だ。どうやら彼女の元にテレビの取材が来ているらしい。


「大変だよなァ、こう何べんも取材に来られると。こっちは静かに話がしたいって言うのに」


 風船病の患者が増えても、彼女の元へ取材に訪れる記者は後を絶たなかった。それは彼女が、風船病患者の中では珍しく、顔をシートで隠さないからだった。

事実、私の住む都市に風船病の患者は数人いるのだが、皆シートを顔で覆っているので、何もしていない彼女に取材が集まってくるのは、当然のことだったのである。


「他の患者はみんなシートで顔を覆うだろォ?どうして顔を隠さないんだ?」


彼女が顔を隠さないのは、生徒の間でも話題になっていた。私たちの学校と彼女の家はそれほど遠くなく、登校中や下校中、学校の外からでも、彼女の顔は確認できるのだった。


《 みえるから 》


「まぁそうだよなァ。一日中シートを被っていたら目を閉じてるのと同じだしなァ。その高さなら町中が一望できるだろォ?」


《 うん 》


母親と記者が部屋に入ってきた。カメラは私を写し、彼女との関係を聞かれたが、私は「クラスメイトです」とだけ言って、帰り支度を始めた。


「また来るから」


私は彼女の返答を聞く前に部屋を後にした。





  4



 それから一か月後、彼女は自殺した。持っていたペンを首に突き刺し、流れ出た血が気管を詰まらせて、窒息した。


 彼女と会ってからのこと、私はより一層、クラスメイトの体を求めるようになった。掲示板で相手を募り、放課後は決まって駅前のホテルで待ち合わせをした。終いには学校にも行かなくなり、親のいない家に女を連れ込んでは、一日中胸の中で抱いていた。


ある日、私の元に紙袋が届いた。


「それなぁに?」


ソファに寝転がっていた女が、私に近づいてきた。


「わからんなァ。何か頼んだ覚えもないし」


私が紙袋を開けると、桃色のシャクヤクのブーケが出てきた。


「わぁきれい。誰から貰ったの?」


女は私の肩に顎を乗せ、身を寄らせてきたが、私はブーケと一緒に入っていた、一枚の写真を手で隠し


「前の女からの贈り物だろ」


と言った。


「なにそれェ。わたしより大切なコ?」


「ううん。君が一番だよ」


そう言って、私は身を寄せる女の口に己の舌を持っていった。




 女が帰った後、私は束ねられた桃色のシャクヤクをベランダに持ってきた。


 私の家は駅から近い築二十年の十階建てマンションで、部屋は七階の突き当りだったから、ベランダのスペースが他より少し広かった。


 そういえば、ブーケと一緒に写真が入っていたなと、私はポケットをまさぐって写真を取り出した。


 それは以前、映画館に行った時に、彼女と撮った写真だった。

よくこんなもの取っておいていたなァと、私はベランダの策に腰かけて、まじまじ眺めていると、後ろに何か書いてあることに気が付いた。私は裏側の文字を読もうと、柵から身を乗り出した。



《 みえるから 》



私の視界の遠くに、解体されている巨頭が映っていた。


私は勢いよくシャクヤクをちぎった。一本、また一本と、バラバラになった花びらが、夕方の風に舞った。風に乗ったピオニーの香りが、遠くの巨頭をぼやけさせた。



 

 彼女の死後、風船症の患者は減っていった。二か月前までは五十人いた患者が、一か月後には半分になり、次の月には十人にまで減った。


そして彼女が死んでから三か月後、世界に風船症はなくなった。



おわり

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