6

    土とミツバチ ⑧

〈6〉


 いち早く充電ランプの価値に気がついたのは、村の飲んだくれたちだった。

 イェリコがこの村を訪れて三日目の夜、ドローンの組み立て作業に興味を示したラ・タオに充電ランプを貸し出したのだ。

 ラ・タオの祖父は飲んだくれだった。花畑から帰るや、夕食も待たずに仲間たちと酒を酌み交わす日々を送っていたという。

 飲んだくれたちは日が落ちて暗くなっても、囲炉裏の小さな火を囲んで飲み続ける。そうしてほろ酔い気分のまま、薄暗さに負けていつの間にか寝入ってしまうのだ。

 ところがラ・タオの持ち帰ったランプの明るさたるや、部屋を昼のように照らすのだ。夜が来たことにも気づかず思う存分酒を酌み交わすことができた、と飲んだくれたちは喜んで吹聴して回ったという。

 そんな飲んだくれたちの話を耳にした女性たちが、機織りや刺繍をするために充電ランプを借りたがった。そして子供たちが、畑仕事も家畜の世話もない夜の間に字の練習をするためにランプをほしがった。

 とはいえ、ノーンが「最盛期」だと言っていた通り、村の人々は忙しかった。陽光のあるうちは老若男女問わず畑に繰り出し、腰に吊した竹の筒に芥子の粘液を集めて回っている。

 芥子の実の高さに手が届かない子には家畜の世話や水汲み、よその村へのお使いなどの仕事がある。

 集会場でドローンを組み立てる暇などないのだ。

 結果として早朝、夜も明けきらぬころから大人たちが朝食の粥を炊いている間に、一家にひとつ充電ランプを手に入れるべく、子供たちがドローンの組み立てを手伝うこととなった。

 もっともイェリコたちが来るまで、子供たちはその時間に集会場に集まり、簡単な長机を作ってラ・タオの父親から文字を習っていたのだという。つまり朝の授業がドローンの組み立て作業になり、長くなった夜に授業が行われるようになったのだ。


 子供たちが初めて集会場を訪れたのは、イェリコが村に着いて五日目の朝だった。

 イェリコはミツバチになって花から花へ飛び回る夢を見ていた。ラ・タオの薬のおかげでうなされることも悪夢を自覚することもなく、平和に安眠をむさぼっていた。

 そんな安らかな眠りは、腹に子供たちが飛び乗る衝撃で破られた。

「え、なに?」と飛び起き、寝袋のせいで起き上がり損ね、炎天下に放り出された芋虫のようにのたうち回る。クスクスと笑い声に囲まれて見回せば、焦点の合わない視界の中で子供たちがわらわらと入り乱れていた。イェリコに突撃した犯人がどの子なのかは、もうわからない。

 目を擦れば、子供たちは部屋の隅に積んでいた段ボール箱を漁っているようだ。イェリコと同じ年頃の子からラ・タオより幼い子まで、年齢はバラバラだ。ラ・タオは、いなかった。

「……なにしてるの?」と尋ねたところで、誰も答えてはくれない。言葉が通じないうえに、子供たちの誰もイェリコの言葉に興味がないのだ。

 子供たちは勝手に段ボール箱からプラスチックのパーツを取り出すと、床に座り込んで「ああでもない」「こうでもない」とてんででたらめにパーツを並べていく。

 戸口から差し込む朝の仄明るさは頼りなく、どことなく青白い。おそらく、家の前ではサイ・サイが焚き火を熾し粥を炊いてくれているのだろう。

 カツカツと鋭い音が響いていた。子供たちが力一杯プラスチック製のパーツをぶち当てながら試行錯誤しているのだ。はまらないパーツすら腕力でねじ込もうとしている。

「待って、それ、壊れる」

 イェリコは慌てて寝袋から這い出し、子供たちの手からパーツを取り上げる。不満そうな顔を見回し、「仕方ないなぁ」と日本語で言ってから、床に座り込む。

 イェリコがひとつのパーツを手に取ると、子供たちは片端から段ボール箱をひっくり返して同じパーツを探し出す。さながら宝探しのような大騒ぎだ。

 騒ぎを聞きつけて、大人たちも集会場を覗きに来た。とはいえ、大人たちは大声ではやし立てるだけで手伝う気はないようだ。

 そうこうしている間に日が昇り、子供たちは充電ランプを手にそれぞれの家へと帰って行くのだ。集会場には寝癖がついた頭のままのイェリコと、中途半端に組まれて放り出されたドローンばかりが残される。もちろん、子供たちが組み立て途中のドローンを完成させに戻ってくることはない。子供たちが投げ出したドローンが、その日イェリコが完成させるべきノルマになるのだ。

 本来ならば、村の誰もがこれまで通りの生活をするだけで手一杯で、新参者の仕事を手伝う暇などありはしない。

 では、どうしてマルグッドはこの村に来たのだろう、とイェリコは考える。電気も水道も引かれておらず、スマートフォンの電波も入らず、山道を何時間も歩かなければ辿り着けない秘境の村だ。この村にあるものといえば、花畑くらいのものだった。

 イェリコは寝袋の傍らに置かれた竹の筒を振り返る。べったりと花の粘液がこびりついた、ラ・タオの筒だ。

 芥子の花だと、ノーンが言っていた。芥子、アヘン、戦争。イェリコが知る芥子という花は決して平和な存在ではない。けれどこの村は、どこからどう見ても平和だった。

「だって、誰もオレを嗤わない……」

 イェリコは作りかけのドローンたちを足で退けて、集会場を出る。

 高床建物のはしごのすぐ前でサイ・サイが粥を炊いている。

「おはよう」と声をかけると、すぐに破顔して大声で返事をしてくれる。

 日本ではともに学んでいた同級生たちも隣人も、生まれたときから一緒に暮らしてきた家族ですら、イェリコに挨拶を返してはくれなくなっていた。笑顔を向けられた記憶も随分と古くなっている。

 イェリコは朝の空気を大きく吸う。ひと呼吸ごとに気温が上がり湿度が下がっていくのを感じる。鼻腔の奥で米の香りと、土と木々の匂いとが混ざり合う。

 サイ・サイと通じもしない雑談を交わしていると、ポリタンクいっぱいに水を汲んだマルグッドが戻ってくる。すぐに日傘を提げたプロイとノーンが手をつないで帰って来た。

 そのうち近隣の住民たちが集まってくる。誰もが笑顔で「おはよう」と挨拶をしてくれるのだ。イェリコも、誰の顔色を窺うこともなく返事ができる。

 マルグッドたちだけではなく、顔も知らない何人もの住民と一緒に大鍋を囲んで朝食を摂る。ひと抱えもある中華鍋で作られた粥は見た目より量が多く、十数人で食してもかなり腹が膨れるのだ。賑やかな朝食を終えると、サイ・サイや近隣住人たちはそれぞれ自分の仕事へ戻っていく。大抵は花畑に出て行くのだ。

 入れ替わるように、ラ・タオが山道を小走りに駆け下りて来た。昨日、イェリコのために集会場に残した竹の筒を取りに来たのだ。赤い刺繍の入った黒い巻きスカートロンジーは前日と同じものに見えた。

「さっきまで」イェリコは大鍋を指して、英語で言う。「みんなで朝ご飯を食べていたんだ。きみも来れば良かったのに」

「モイック?」

「モイック?」とオウム返しにしてから、それが食事を指す言葉なのだと気づいた。「うん」と頷き、木の匙で粥を食べる動作をする。

 ラ・タオは笑って首を振ると、指を束ねて口元へ添えた。彼女をはじめとした村の人たちは、器用に手で粥を食べるのだ。

「みんなそうやって食べるけど、熱くないの?」

 イェリコはそっとラ・タオの指先に触れる。少しかさついているものの、皮膚が硬くなっている様子もない。くすぐったかったのか、ラ・タオは笑いながら手を引っ込めてしまう。

 ラ・タオの顔が曇った。寂しそうにも疲れているようにも見える表情だ。

「朝は」ラ・タオは村の言葉の合間に英語を交えつつ、ゆっくりと話す。「家族のご飯を作らなきゃならないから、朝の勉強にも参加したこと、ないんだ」

 赤ん坊を抱える母親を手伝っているのだろう。忙しい朝に、それでも彼女はこうして集会場に立ち寄ってくれるのだ。それなのにイェリコは言葉に詰まる。ラ・タオをどう元気づけていいのかがわからない。思えば誰かを気遣ったことなどなかった。

 そんなイェリコに、ラ・タオは「気にしてないよ」と明るく笑う。

「字が書けなくても」ラ・タオは竹の筒を腰に吊して、軽く叩く。「収穫はできるし、モイックも作れるし、イェリコとも話せる」

 だから大丈夫、と自らに言い聞かせるように呟いて、ラ・タオは花畑へと駆けていった。

 その背を見送って、イェリコは集会場の薄闇の中へと戻る。散らばったドローンに埋もれるように床に座り込む。

 あれほど賑やかで騒がしかったことが嘘のように静まりかえっていた。

 村の人々はみんな畑に行ってしまったのだ。水牛や豚の声、ときおりネズミがなにかにぶち当たる音がするだけだ。広々とした集会場が途端に寒々しく感ずる。

 奈良の、周囲の子供たちが学校に行ってしまった時間帯の冬を思い出す。

 そんなはずはない、とイェリコは大きく頭を振る。戸口からは乾いた熱気が漂ってくる。そのせいで汗が出て、体が冷えたのだ。イェリコは自らのリュックサックから薄手のセーターを引っ張り出して肩に羽織る。すぐに汗で湿気った。それでもセーターをしまう気にはならなかった。

 故郷の幻影を振り払うために、イェリコはドローンを組み立てる作業へと没頭する。

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