第十九談

 境内には1人の参拝者も見当たらなかった。周囲に響き渡る虫の大合唱を気にも止めず、真昼は急な石段を見上げた。


(行こう)


 意を決して鳥居をくぐると、上着のポケットから勾玉を取り出しアマテラスに呼びかけた。


「アマテラス様、神社に到着しました」


『それでは大きなクスノキまで向かってください。そこでちゃぼ子が待っています』


「分かりました」


 真昼は汗ばむ手で勾玉を握ったまま石段に向かって歩き出した。



 拝殿の脇を抜け、坂道を登り、本殿に到着すると真昼は大きく息を吐き出した。運動不足のツケが思いもよらない形で真昼に圧し掛かる。


 しかし目的地まではもう目と鼻の先である。真昼は周囲の青々とした草木を眺めながらその新鮮な空気を胸いっぱい深呼吸すると、慎重に藪の中へ分け入った。



 広場に出ると真っ先に大きなクスノキが目に飛び込んできた。周りを確認しながらゆっくりと広場の中央まで進み、真昼は再びアマテラスに呼びかけた。


「クスノキの前まで来ました。ちゃぼ子ちゃんはどこですか?」


 アマテラスからの応答は無かった。


 不審に思いながら再びアマテラスに声を掛けようとしたその時、クスノキの裏から何かが飛び出した。不意の出来事に真昼は驚きを隠せなかったが、見覚えのあるその姿に硬直した筋肉はすぐに弛緩していった。


 初めて出会ったときは闇から這い出す得体の知れない化け物に見えたそれは、愛くるしい姿で懸命に真昼の元へと駆け寄ってきた。


「お待たせしました」


 真昼を見上げながらちゃぼ子は言った。すると同時にアマテラスからも声が届いた。


『真昼さん、ちゃぼ子に会えましたか?』


「はい、今会えました」


『それでは行きましょう。入り方は分かりますか?』


「いえ、この前は偶然迷い込んだだけなので」


『ではちゃぼ子に案内させますね』


 真昼はその場にしゃがむと、見上げるちゃぼ子に顔を近づけた。


「お願いしますね」


 不思議そうに顔を傾けたちゃぼ子は、すぐに後ろを向くとクスノキの根元にある祠へと歩いていった。真昼はちゃぼ子を追った。


「ここでロック解除申請を行います、そこに少し立っていてください」


 そう言うと、ちゃぼ子は祠の前の土をついばむような動作をした。真昼はちゃぼ子が示す場所に立つと、足元を気にしながらも大きく動くことなくじっと待った。


「体を曲げずに、真っ直ぐ顔を上に向けてください」


 真昼はちゃぼ子の指示に従った。


「はい、結構です。では行きましょう」


 ちゃぼ子はクスノキの外周に沿ってよちよちと歩き出した。


 ちゃぼ子を追ってクスノキの裏側に回り込むと、前を歩いていたちゃぼ子が足を止め、真昼の方に振り返った。


「ここから船内に入ります。準備はいいですか?」


 ちゃぼ子の言葉に真昼の心は大きな衝撃を受けた。その衝撃は肉体へ伝播すると交感神経を刺激し、真昼の心拍数を急激に高めていった。様々な記憶が津波のように荒れ狂い、真昼は次の一歩を踏み出せずにいた。


『真昼さん大丈夫ですか?』


 アマテラスは心配そうに声を掛けた。


「大丈夫です……行けます」


 真昼は再び深呼吸をした。2回、3回と続けざまに深呼吸をすると、最後に遠い青空を見上げた。


(待っててねももちゃん。必ず連れ帰るから)



 がらんとした薄暗い室内は以前訪れたときと何も変わっていなかった。高鳴る鼓動を感じながら真昼は明かりが差す隣室へと向かった。


「待ってください」


 突然ちゃぼ子に呼び止められ真昼は後ろを振り返った。


「どうしたの?」


「今回の同行について、私はあなたのサポートに徹しなさいとアマテラス様から命令を受けています」


「あ、はい」


「つまり、あなたが望む友人の捜索・救助という件に関しては、私が何かを能動的に行うということはできません。ご理解いただけますか?」


「えっと、つまり、助けたいなら自分で何とかしなさいってこと……ですか?」


『申し訳ありません』


 アマテラスのすまなそうな声が真昼に届いた。


「でも、危なくなったら手は貸してもらえるんですよね?」


 自分で言いながら、この場合、手と言っていいものかと真昼は考えた。


『それはもちろんです』


「それで十分ですよ」


 足元で見上げる小さな同行者に笑顔を投げかけると、真昼は再びドアに向かって歩き出した。


 途中、隣の部屋に人影は確認できなかったが、壁際まで到着した真昼は、念のためにそっと窓をのぞき込んだ。


 やはり小さな室内には誰一人見当たらなかった。無人を確認した真昼はドアを開けると、それでも頻繁に左右を確認しながら慎重に部屋へと入っていった。


(問題はここからか……)


 通路に続くドアを前にして真昼は考え込んだ。


(窓が無いから向こう側の様子も確認できないし……通路に人がいないことを祈るしかないか……でも、もしアイツらがいたら……いやいや、そこまで運は悪くないでしょ)


 ひとしきり思い悩んだ末、結局は行くしかないかと覚悟を決めると、真昼はドアの前へと進んだ。


(まずは前回入らなかった左側の部屋に入ってみよう。それから……)


 ドアが左右に割れ、純白の通路が真昼の視界に広がっていく。


 突き当りのドアの前では紺色の髪をした色白の女性が、呆気にとられたようにこちらを見つめていた。真昼は唖然とした。


「でっ……!」


 奇妙な声を上げながら足元のちゃぼ子を飛び越えると、真昼は最初の部屋へと駆け戻った。


(見つかった!なんで?!)


 真昼はそのまま速力を落とすことなく出口に向かって走り続けた。小部屋を出る際、背後からちゃぼ子が何かを訴えていたが、今の真昼の耳には届くはずも無かった。


 赤い印の付いた壁が目前に迫ると真昼は無意識に両手を目の前にかざした。そして僅かに速度を落とすと、目の前の壁へと飛び込んだ。


「ドンッ」


 鈍い衝突音と共に壁に体当たりした真昼は、衝撃に耐え切れずその場へ倒れ込んだ。


「痛ぁ……」


 驚きと痛みで真っ白になった頭にやや遅れて恐怖心が目を覚ます。


(通れない!どうして?!このままじゃ捕まっちゃう!)


 混乱と恐怖で真昼はパニック状態となった。慌てて立ち上がり壁を叩いてみるが、やはり壁は壁であり、外に繋がっている様子はなかった。


 ワケもわからず周囲を見回す真昼の元へちゃぼ子が駆け寄ってきた。


「ケガはありませんか?」


「ちゃぼ子ちゃん、通れない!壁にぶつかった!」


「封鎖されたようですね」


「封鎖?!閉じ込められちゃったの?!」


「そうですね」


「どうしたらいい?ねぇ、どうしよう!」


 慌てふためく真昼に対し、ちゃぼ子はどこまでも冷静であった。


「そうですね――あの方達に聞いてみましょうか」


 そう言うと、ちゃぼ子は背後を振り返った。


 視線の先でドアが音も無く開き、奥から2人の人物が並んでこちらに向かってくる姿が見える。


 右側の人物は先ほど通路で目が合った人物だとすぐに分かった。


 そして左側の人物についても真昼には見覚えがあった。あの日、遠目に見えた横顔が記憶の深淵から不気味によみがえる。血の惨劇の中心にあって、躊躇ちゅうちょなく人を切り刻む白顔の鬼女。真昼は確信した。


(あの女だ……)


 腰まで届く長い髪は縛ることなくストレートに流れ、大きく胸元が開いた上着は袖に随分ゆとりを持たせた薄いクリーム色をしたセーターのようにも見えた。黒いロングスカートを揺らしながらゆっくりと接近してくるその人物は、髪型や服装こそ異なるものの、その顔立ちはあのとき心に焼き付いた横顔そのものだった。


(じゃぁ、もう1人は脇にいた女?)


 真昼は右側の人物に再び目を向けた。セミロングヘアのその女は鬼女よりも若干背が高く、妙にテカテカした水色のキャミソールと薄い無彩色で描かれたストライプ柄のワイドパンツを身に着けていた。背格好だけ見れば確かに脇にいた女と似通ってはいたが、肝心の顔付きについては記憶が今一つはっきりせず、間違いないという確信は持てなかった。


 鬼女は自身の両手をおもむろに前へ突き出すと、神妙な顔つきで呪詛とも思えるような意味不明の言葉を真昼に投げかけた。


 いまだ混乱が収まらない真昼は、恐怖で顔をひきつらせたまま瀬戸物の人形のように硬直していた。


 すると、キャミソールの女が鬼女に笑いながら話しかけ、手に持っていた黒い板を反対の手で素早く撫で回した。


 その後、板の表面を真昼に向けて突き出すと、鬼女が板に顔を近づけながらゆっくりと話し出した。


[怖がらないで あなたに害はありません]


 突然、板の表面に馴染み深い文字が白く浮き上がる。


(――タブレット?)


 きっとタブレット型コンピュータ上で翻訳ソフトが起動しているのだろうと理解しつつも、今ひとつ飲み込めない日本語を真昼は懸命に咀嚼そしゃくしていた。


(あなたに害はありません?――危害を加えるつもりはないって言ってるのかな?)


 2人は真昼がタブレットの文字を読んでいる姿を確認すると、今度はキャミソールの女がタブレットに向かって話し始めた。


[私はローアです これはクォッタです あなたの名前は何ですか]


 どうやらキャミソールの女は“ローア”という名前で、鬼女は“クォッタ”というらしい。2人は真昼に好奇の目を向けると、相手が名乗ることを待っているようであった。


 しかし、真昼はあまりの恐怖からうまく発声することができなかった。どうにか自分の名を告げようとするのだが、言葉が喉に引っかかり声にならない。


 必死に何かを伝えようとする真昼を見守るかのように、2人は穏やかな面持ちで辛抱強く待ち続けた。



「……真昼」


 ようやく真昼が自分の名を告げると、2人はうれしそうに顔を見合わせた。


「(よかった、喋ってくれましたね。随分怖がっているようなので心配しました)」


「(そりゃ怖いだろ。こんな状況になったら私でも固まるよ。でもさ、このニワトリは何だろう?)」


 2人は何かを話し合っているようだったが、会話の途中でローアはちゃぼ子を指差した。


「(聞いてみましょう)」


「(そうだな。えっと――このニワトリは何なの?)」


 タブレットに表示された文字を見て真昼は肝を潰された。


[この鶏肉は何ですか]


 ちゃぼ子が食料品として見られている。真昼は慌ててちゃぼ子を抱き上げると、食べられてなるものかと一際大きな声で釈明した。


「これはちゃぼ子、私の大事な大事なペットです!」


 ローアはタブレットの画面を自分達に向けると、2人は合点がいった様子で何度もうなずく仕草を見せた。

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