第12話 レアチーズケーキの賭け

 焼き鳥屋から家に帰って来て早々、秋都あきとはシュガーパインの事務所兼控え室に入り、何枚かのA4サイズのコピー用紙とシャープペンシルをリビングに持って来る。


「兄ちゃん? どうした?」


「んふ〜、ちょっとね〜」


 春眞はるまの問いに、秋都は歌でも歌い出しそうな調子で応える。


 秋都はコピー用紙をテーブルに広げ、春眞たちが見守る中、さっそくシャープペンシルを走らす。まずフリーハンドで、はがきを横にした程度の大きさの長方形を書く。そして……、そこで秋都の手は止まった。


「あかんわ……」


 秋都の眉がしかめられ、唇が悔しげに歪んだ。春眞たちは首を傾げる。


「私にはデザインセンスはあれへんわね……」


 一体秋都は何を書こうとしているのか。秋都はすでにデザイン云々を諦めたのか、長方形の中に文字を書き始めた。



・ケーキセット無料クーポン

・本券1枚で3名様まで有効

・有効期限:3月末日

・店の営業時間と定休日

(メインビジュアルはレアチーズケーキを中心に)



 そこまで書くと、秋都はコピー用紙を持ち上げて、目の前に掲げる。


「ん〜、こんなもんかしら〜ぁ?」


「ん? 何や? ケーキセットのクーポン?」


 春眞が横から覗いて訊く。茉夏まなつたちも我も我もと、コピー用紙が正面から見える位置を奪い合う様に覗き込んで来ていた。


「他に書いておかなあかんことってあるかしら〜」


「ちゅうか、何始める気やねん、兄ちゃん」


「これをね〜、アンケートに答えてくれた萩原はぎわらさんにお送りしようと思って〜」


「で、また来てもらおうって?」


「そう。今度は3人揃ってね〜」


「3人って、えっと、萩原さん、門脇さん、垣村さん?」


「そうよ〜、その為だけのクーポンなんだから〜。ま、賭けなんだけど〜」


 秋都は春眞にそう言って、コピー用紙をひらひらと振った。


「ほな、同封する手紙もいるやろ。ええと」


 春眞は手付かずで白いままのコピー用紙を1枚目の前に置くと、秋都が使ったあとテーブルに転がしたままのシャープペンシルを手にした。



 いつも当店をごひいき(ここ漢字で)くださり、誠にありがとうございます。

 先日はアンケートにご回答くださり、感謝申し上げます。

 快適な店舗作りのための参考にさせていただきます。

 抽選の結果、ケーキセットクーポンが当選いたしましたので、お送りさせていただきます。

 3名様までご利用いだだけますので、是非ご友人などをお誘いの上、お越しくださいませ。

 心よりお待ち申し上げております。



「こんなもんかな?」


 テーブルに広げたままのコピー用紙を皆が覗き込み、誰からとも無く頷いた。


「3名様までって言うんは強調するところやからね〜。萩原さんの頭にこの2人が浮かんでくれんとね〜」


「ほな、このクーポンと手紙をボクが作ればええんやね?」


 シュガーパインのもの作り担当の茉夏が、2枚のコピー用紙を持ち上げた。その表情は楽しげだ。茉夏はこういったものを作るのが好きなのである。メニューなどを作成したのも茉夏である。それにあたって、本屋でいくつかの専門書を手に取り、今でも勉強のためか、月刊誌も毎月購入している程だ。


 全て自己流であるが、そのセンスはなかなかものだと春眞も秋都も思っている。


「できるだけ早い方がええから、明日朝いちで作ってくれるかしら〜。家事は私と春眞でやるから〜」


「出力は? センター行く?」


「ううん、ハガキサイズにインクジェットで充分よ〜。」


「了解」


 茉夏は言って敬礼する。


「ところで秋兄、3人集まらせて、どうするってんだ?」


 冬暉ふゆきが訊くと、秋都は「ふふん」と意味あり気な笑顔を浮かべた。


「うちには最終兵器春眞がいるじゃな〜い?」


「はぁ?」


 不穏な響きで名前を出され、春眞はつい眉をしかめた。




 翌朝、茉夏はさっそく事務所兼控え室のパソコン前を陣取り、ケーキセット無料クーポンと同封する手紙の作成に取り掛かる。朝食の準備こそいつもの通りしたものの、住居スペースの掃除や洗濯、シュガーパインの開店準備は春眞と秋都に丸投げの形になった。


「茉夏、どんな感じ?」


「ん〜、大丈夫」


 開店準備前に自分と秋都のスマートフォンを置きに来た春眞に声を掛けられたものの、集中していてまともな受け答えができていない。が、春眞は気にする風も無く店の方に入って行った。




「秋ちゃん春ちゃん! できた!」


 茉夏が完成したクーポンのゲラを手にシュガーパインに飛び込んで来たのは、開店10分前だった。


「まぁ!」


「どれどれ」


 クーポンは下地にクリーム色や黄色を使い、メインビジュアルにデフォルメしたレアチーズケーキのイラスト。飾りや差し色にピンクやオレンジ、ブルーなどのはっきりした色をふんだんに使い、フォントもポップなものでまとめ、女性が好みそうな可愛らしいデザインに仕上がっていた。


 同封する手紙は明朝体でシンプルに。洋封筒の宛名や差出人も既に打ち出され、切手も貼られていた。


「うん、オッケーよ〜。さすが茉夏ね〜」


「可愛いやん」


 春眞と秋都が感心して笑みを浮かべると、茉夏は嬉しそうに破顔した。


「よっしゃ! ほなハガキサイズのマット紙にプリントして、急いで出して来るね!」


「よろしくね〜」


 茉夏はゲラと封筒を持って、事務所に引き返して行った。




 その日、冬暉と夕子が帰って来たのは20時頃だった。シュガーパインは営業中なので、冬暉は裏からひょこっと顔を出し、キッチンに立っていた秋都に声を掛ける。


「ただいま」


「あら、お帰りなさ〜い」


「晩めし作っとっからよ。あ、田渕たぶちの戸籍取って来たで。秋兄のかん当たったっぽい。詳しくは後でな」


「は〜い」


 簡潔に言い残し、冬暉は夕子と居住スペースに入って行った。




 さて、閉店時間が訪れたシュガーパイン。兄弟たちが片付けを済ませ、冬暉が作ったミネストローネのスープパスタをいただき、各々好みのアルコールを手にリビングへ移動して来たのは22時半頃。


戸籍謄本こせきとうほん見せて見せて!」


 赤ワインを手にさっそく冬暉に詰め寄るのは茉夏。冬暉はその勢いにされながら口を付けたばかりのハイボールをテーブルに置き、バッグから役所の封筒を取り出した。


「田渕は本籍地も大阪市やったから、すぐに謄本取れた。びっくりしたで、下がおったんやな」


 受け取った謄本を、茉夏が皆にも見える様にテーブルに広げると、春眞たちも早く確かめたくて覗き込む。見ると、弟もしくは妹が特別養子縁組みに出されている記述があった。


「ほんまにおったんや」


 茉夏が目を丸くして呟く。


「んで、これが垣村かきむらの戸籍謄本」


 言いながら、垣村のものを田渕のものに並べて置いた。


「こっちも本籍地大阪やったから助かった。養子に出された年と女らの年齢見て、垣村やて当たりを付けて取寄せたらビンゴやったってわけや」


 冬暉がやや興奮している様子でまくし立てる。春眞たちは感心した様に「ほ〜」と声を上げた。


「まぁ〜、ほんまにおったのね〜」


「おいおい、秋兄が目星付けたんや無いか」


「そうなんだけど〜」


「じゃあ何? 垣村さんは実のお兄さんを殺したってこと? 嘘やん」


 先程まで皆と一緒に感心していた茉夏が、今度は呆然とした様子で呟く。夕子ゆうこが沈痛な面持ちで小さく頷いた。


「信じたくはあれへんけど、親が子を、子が親を、兄が弟を、なんて話はそれこそいて捨てるほどあるんよ」


「そう……やね。ニュースでも良う見るよ。うん、大丈夫」


 茉夏は覆い被さって来る様な暗い空気を振り払うかの様に、首を左右に振った。


「ただこの場合、垣村さんが田渕を実の兄やて知っとったかどうかは判らへんけど」


「ああ、養子やもんね」


「やな。垣村の養父母が教えとったかどうか。そればっかりは判んねぇよ」


「知らんで殺しとったんやったらこんな酷いことはあれへんし、知ってて殺したんなら、よほどの事情があるってことやね」


「知っとったから、現場に花束を供えたんやって私は思ってるけど〜?」


「ああ、あれ」


 春眞は現場に供えられていた白い花束を思い出した。


「花束の指紋でも取れればはっきりするのに。さすがに鑑識かんしきまでは動かせへんかな〜」


 夕子が悔しげに言い、まるでやけ酒でもあおる様に缶ビールをぐいと傾けた。


「花からも指紋って取れるん?」


「梱包材からならね。花から、ちゅうか葉っぱとかやったら取れるかな。花はどうやったかな」


 茉夏の問いについ夕子が考え込むと、その場をリセットするかの様に秋都がぱんぱんとてのひらを叩き合わせた。


「とりあえず、当初の想像よりややこしい結末になるかもやけど、やることは変わらんわよ〜。朝に茉夏にクーポン作ってもらって、出してもらったからね〜、早ければ明日にも届くんじゃ無いかしら〜、同じ大阪市内だしね〜。萩原さんたちのご来店を待ちましょ〜。その時に解決できるんや無いかしら〜。ね、春眞?」


「だから何で僕!?」


 春眞は警戒してびくりと身体を震わした。


 後は3人の女性がシュガーパインを訪れるのを待つだけである。秋都のせりふを信じるのなら、その時はきっと遠くは無いのだろう。

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