第10話 スイーツへの拘り

 春眞はるまたちがその背中を見つめる中、女性は長居ながい公園を抜けた。春眞は早口でささやく。


「兄ちゃん、茉夏、僕抜けるわ」


「あら」


「なんで? こんな楽しいのに」


 茉夏まなつの言葉は少しどうかと思ってしまうが、春眞は平静のまま続ける。


「人数多かったら目立つやろ。また後で話聞かして」


 すると秋都あきとが「そうね」と頷く。


「またあとでね〜」


「春ちゃんの分までやったるからね!」


 茉夏が意気込み、春眞は「はは」と苦笑を浮かべながら秋都たちと別れる。女性は長居公園を出てすぐの、長居駅への階段を降りて行き、秋都たちはその背を追い掛けた。




 女性は真っ直ぐ長居駅に向かった。ICカードで改札を通ってしまったので、秋都たちもPiTaPaピタパを使って後を追う。


 ホームに降りると、タイミング良く千里中央せんりちゅうおう行きの車両が滑り込んで来た。女性が乗り込み、続けて秋都たちが乗ると、あまり間を置かず扉が閉まり、出発した。


 女性は車両の端の方の席に掛け、さっそく膝に置いた大きな黒いビジネスバッグからタブレットを取り出している。平日の昼間だからか空いている電車だったので、秋都たちは女性に気取られない位置、かなり離れて空いている席に並んで掛けた。それでも充分女性の姿が良く見える。見失う心配は少なそうだ。


「……ねぇ秋ちゃん、言い出しっぺのボクが言うんも何やけど、こうして後を付けて、それだけであの女性の身元って判るんやろか」


「どうかしらねぇ〜。とりあえずお家に帰るまで付けるかどうかかしら〜」


「今、えーと……2時やんね?」


 茉夏が腕時計を見る。秋都も覗き込むと、14時をほんのわずか過ぎたところだった。


「あの人が会社員やったとしたら、これから仕事に戻って、お家に帰るんて、早ようても6時とか7時とか……大変や無い?」


「そうねぇ〜」


 それは女性が世間一般的な企業に勤めている場合の話だ。スーツという格好、そしてビジネスバッグからして、その確率は高いと思う。だとしたら終業時間は17時や18時。これからだとまだ3、4時間ある。茉夏はせっかちと言うほどでは無いが、その時間を待つのにはなかなか辛いものがあるだろう。茉夏の表情が一気にげんなりとしたものになった。


「ボク……、耐えられるやろか」


「まぁ、無理する必要は無いわよねぇ〜。茉夏の気が済むまでやりましょ」


「そんなアバウトでええん?」


「ええんよ。春眞とも別れてもたしね〜」


「それもそうやね」


 茉夏の表情が明るさを取り戻した。



 秋都たちと別れた春眞は、ぶらぶらと家に向かう。どこかでお茶でも飲もうかとも思ったが、なんとなく少しばかり気疲れしてしまい、帰ってゆっくりすることにする。


 そのまま住居エリアの玄関に向かい掛けたが、ふと思い立ってシュガーパインに回ってみることにした。


 建物沿いに道路をぐるりと回り、シュガーパインの表に出ると、ドアの前に女性がひとりたたずんでいた。店に用事だろうか。春眞は声を掛けた。


「どうかされましたか?」


 女性はゆるりと春眞を見る。淡いグレイのコートにイエローオーカーを基調にしたタータンチェックのストール、カーキのロングスカートに黒のロングブーツを身に付けていた。髪は肩のラインに合わせた前下がりヘアで、大人っぽいイメージもあるが、その表情は学生にも見える。そしてその瞬間、春眞の片眉がぴくりと上がった。


「あ、お店の人ですか?」


 柔らかな、警戒心を感じさせない声だった。


「はい、そうですが」


 微かな動揺を気取られない様に、平静を努める。


「今日、お休みなんですか?」


「はい。毎週水曜日にお休みをいただいております。申し訳ありません」


 そう言いながら、春眞は頭を下げた。


「知り合いから、ここのレアチーズケーキが美味しいて聞いて。前来た時には知らんかったしお腹もいっぱいやったから食べ損ねてもて。私、クリームチーズ大好きやから、食べてみたいなって」


「あ、でしたら、昨日作った分でよろしければ、お分けしましょうか? 今日中に食べていただけるんでしたら大丈夫ですよ」


 昨日お店で出した分なのだが、数切れ残っていた。今日のおやつにする予定で、タッパーに密閉して家の冷蔵庫に入れてある。品質などに問題は無い。


「ええんですか?」


「はい。すぐにご用意しますんで、どうぞお入りください」


 春眞はキィケースを出し、ドアを開けて「どうぞ」と女性を促した。まだ陽があるので店内にはそれなりの明るさがあるが、春眞は電気を灯けた。


「持って来ますんで、座ってお待ちくださいね」


 女性にテーブル席の椅子を勧め、座ったことを確認したら、春眞は急いで上の住居エリアに上がる。冷蔵庫を開けてタッパーを出すと、そのまま下に降りた。


 シュガーパインではスイーツのテイクアウトをしていて、専用のケーキボックスも準備している。春眞は2カットが入るいちばん小さなボックスを出した。素早く組み立てると、タッパーから丁寧にケーキを取り出し、ボックスに納める。中で動かない様に厚紙で支えを作り、保冷剤も添えた。


「はい、お待たせしました」


 女性の元に持って行くと、女性は立ち上がって頭を下げた。


「ありがとうございます。おいくらですか?」


「今回はいただけません。言うてしまえば売れ残りですから」


「いえ、そんなわけには」


 女性は慌て、ブラウンのショルダーバッグから財布を出した。


「いえ、ほんまに。今日は定休日ですし、いただけないんですよ。その代わり、お気に召してくれはったら、また食べに来てください。その方が嬉しいです」


 春眞が言って笑みを浮かべると、女性は恐縮しながら、おずおずとケーキボックスを受け取った。


「ほんまにありがとうございます。また絶対に来ます」


 女性は言い何度もぺこぺこと頭を下げながら、駅の方向に向かって歩いて行った。


 女性の姿が見えなくなって、春眞はようやく首を傾げる。女性と向き合った時に片眉が上がってしまった原因。それは女性に見覚えがあったからだった。


 以前にお客さまとして来られたことがある様な口振りだったので、見覚えがあっても不思議では無い。しかし春眞が感じた引っかかりはそんな軽いものでは無かった。


 最近のお客さまの中で、覚えている顔を頭の中で巡らせる。それはご常連のお客さまを含めても多くは無く、そして全て今の女性とは合致しなかった。


 春眞はすっきりしない頭を傾け、うなりながらシュガーパインの電気を消してドアを施錠せじょうし、玄関へと向かう。門扉を開け、玄関のドアをくぐる。スニーカーを脱ぎ、そのままリビングへ。


 喉が渇いていたが、キッチンには行かずジャケットを着たままソファに掛ける。その時テーブルに出されていた白い用紙が目に付いた。何気なく手にすると、それはシュガーパインのアンケート用紙だった。萩原薫はぎわらかおるに書いてもらったものだ。


「……あっ!」


 思い出した。田渕たぶちとシュガーパインに来た3人目の女性だった。コーヒーだったか紅茶だったかラテだったかは忘れたが、その時にはドリンクしか注文していなかった。


 その時はネイビーのスーツで身を包んでおり、今日の服装とはあまりにもイメージが違ったので、すぐには判らなかったのだ。


 名前ぐらい聞いておけばと悔やまれたが、あのシーンで不自然無く名前を訪ねるスキルが春眞には無かった。


 もしあの女性が掲示板に書き込んだひとりであるならば、レアチーズケーキを教えた知り合いは、もしかしたら薫かも知れない。となると、田渕を殺害したという本懐ほんかいを遂げたと思われる今でも、連絡を取り合っていると言うことか。もちろん先ほどの女性が犯人のひとりだと言う確証はまだ無いのだが。


 それにしても、あの女性も詐欺さぎったかも知れないのに、それでもレアチーズケーキのために良い思い出のあるはずも無いシュガーパインを訪れるとは。つくづく女性と言う生き物の食への、もしくはスイーツへのこだわりと執着に驚くばかりだ。


 途端に落ち着かなくなっていた。ソファに掛けながらもそわそわして足をせわしなく動かしてしまう。とりあえずかわいたのどうるおそう。冷蔵庫を開け、ミネラルウオーターのペットボトルを取り出し、食器棚から出したグラスに注ぐと、一気に飲み干した。


 そのお陰か少し落ち着いた。大きく息を吐く。2杯目をグラスに注ぐ。今度はゆっくりと喉に流し込んで行く。


 グラスに半分ほど残ったミネラルウオーターを手にリビングに戻り、壁に掛けてある時計を見ると、15時半だった。秋都たちはまだ尾行を続けているのだろうか。冬暉たちもまだ仕事中だ。連絡が無いので、17時には上がり、18時までには帰って来るだろう。


 とりあえず皆が帰って来るまで、春眞がやるべき事は……晩ごはんの支度かな。一応どうするか秋都にお伺いを立てようか。春眞はジャケットのポケットからスマートフォンを取り出した。

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