第2話 イケメンのお客さま

 翌朝、冬暉ふゆきは持ち前の肝臓の強さを発揮し、しかし「胃もたれしてやがる」とぼやきながら、朝ごはん前に胃薬を流し込んだ。


 兄弟が揃った朝ごはんの時に昨夜の醜態しゅうたいを告げると、床に頭をり付けんばかりに悶絶もんぜつし、項垂うなだれながらも夕子ゆうこにタクシー代を全額返すと当然のごとく言った。


 出勤する冬暉を見送り、春眞はるま秋都あきとはシュガーパインの開店準備、茉夏まなつは家事に取り掛かる。


「おはようございまーす、こなやベーカリーでーす!」


 9時頃、元気な挨拶を寄越しながら、裏口から白いエプロン姿の男性が入って来た。


 こなやベーカリーは長居ながい公園通りにある人気のパン屋さんで、粉屋こなやさんはこなやベーカリーの店長でありパン職人である。


 シュガーパインでは開店当初から、こなやベーカリーから食事用のパンをおろして貰っている。シュガーパインから近いと言うのも理由だが、何より春眞たちがこなやベーカリーのパンが好きだという事がいちばんだ。


 現在シュガーパインが建つ土地は、元々里中さとなか一家が住まう一戸建てが建っていた。そこに秋都が「カフェをやる」と言い出したので、両親からの融資のもとまるっと建て替えたのだ。シュガーパイン開店前から、里中家はこなやベーカリーを贔屓ひいきにしていたのだった。


 なのでシュガーパインオープンに当たり、「パンをどうするか」の話し合いにおいて、兄弟間でめる様なことは一切無かった。「え? こなやさん以外にどこから仕入れるつもり?」な勢いだった。


「おはようございまーす」


 春眞はサラダや添え付け用のベビーリーフの水切りをしていた手を止めて、裏口に粉屋さんを出迎えに行く。


「お世話になってます」


「こっちこそ毎度ありがとな!」


 春眞は粉屋さんが両手で抱えているばんじゅうを受け取り、傍らの台に置いた。中に入っているパンにほこりなどが掛かったりしない様にと、ふんわり掛けられた白い布をそっとめくると、焼いて間も無いパンの甘くこうばしい香りがふわんと漂った。春眞の心が一瞬で癒されてしまう。


「今朝もええ匂いですね〜、美味しそうです」


「そうやろそうやろ! 今朝も会心の出来やで!」


 ばんじゅうにはバタールが10本、整然と置かれていた。シュガーパインでは食事セットメニューでパンかライスを選べ、パンの場合はカットしたバタールを提供している。もちろん単品での提供もある。ちなみに良く出るのはパンである。


「ところでよ春坊、昨日だか今朝だかに、長居公園で自殺してもたやつがおったらしいなぁ」


「あ、今朝のニュースで見ましたよ。物騒ですよね」


「何もあんなとこ選ばんでもなぁ。縁起が悪いったらありゃせんわ」


「ほな、今日は公園立ち入り禁止とかですかね? あ、でもめっちゃ広いし、現場の周辺だけとか」


「いやぁ、それは判らへんけどよ、されてへんくてもよ、親御さんなんかはガキ遊びに行かせるんは控えるんや無いか?」


「ああ、かも知れませんね」


 そんな世間話を少しして、粉家さんは帰って行った。春眞はバタールのばんじゅうを抱え、店内に戻る。


「パン来たで。今日も美味しそうや」


「粉家ちゃんのパンは毎日美味しいわよね〜。まかないが楽しみ〜」


「残っとったらね」


 お昼の賄いと晩ごはんの主食がパンになるかライスになるかは、その時点での残量による。とは言いながらも余裕を持って仕入れるので、幸い食べられない日は無いのである。




 下ごしらえや掃除が終了して10時、カフェ・シュガーパイン開店である。


 と同時に、ドアが開かれた。


「いらっしゃ、あれ?」


 お迎えの言葉を切ってしまった春眞の視線の先に立っていたのは、冬暉と夕子だった。


「オープン早々悪ぃ、仕事でよ」


「ごめんやで、営業中に」


 刑事である冬暉と夕子が、仕事でシュガーパインに来たと言うことは。


「聞き込み? 聞き込み!?」


 茉夏がわくわくした様子で身を乗り出した。


「そう。この男性なんやけど、見覚えあれへんかなぁ」


 夕子が差し出したタブレットを、春眞と茉夏がのぞき込む。秋都もカウンタから出て来た。


「これCGですか?」


「そう。今朝長居公園で発見された死体のね。CGで作成してん」


 水色一色の背景に、無表情の男性の胸元から上が表示されていた。本物の写真と比較したら若干じゃっかんの作り物感が否めないが、良くできている。


「あ、長居公園て今朝のニュースで見たやつ。確か自殺って」


「あら、そんなんやってたの〜?」


 秋都が目を丸くし、春眞は「うん」と頷いた。


「着替えながらちょろっと見ただけやけどね。で、身元不明って?」


「ああ。まだ不明のままな。身元が判る様なもんは持ってへんかったんやけど、財布にレシートがごっそり入っとってよ、そん中にここのもあってん。今それをしらみ潰しに当たってるとこでさ」


「ん〜……」


 春眞が眉をしかめる。何か引っかかりを感じていた。


「どうしたん? 春眞くん」


「結構なイケメンやと思いまして」


「何、春ちゃん、そういう趣味!?」


「んな訳あるかい」


 茉夏が大げさに驚いたのを、即座に潰す。もちろん茉夏も本気で言ったのでは無いだろう。


「ま、確かにイケメンやんね。でもボク、人の顔覚えるん得意や無いからなぁ」


「僕もこう、薄っすらと思い出す様な思い出さん様な」


 春眞は眉をひそめて唸り出す。


「財布にね、ここのレシートが3枚あってん。しかも3日連続で同じ様な時間に来とった。覚え無いやろか」


「それ、いつ頃の事かしら〜?」


「いちばん古いんで2週間前ですかね」


「こんなイケメンやったら、私も覚えてそうなもんなんやけど〜」


 兄ちゃん、ほんまに営業オネエなんか? ついそう疑ってしまいたくなりそうな台詞だが、今はとりあえす置いておいて。


「何食べてたとか判ります?」


「えっとね」


 夕子がタブレットを操作する。春眞がちらりと画面を見ると、撮影したであろうレシートが表示されていた。


「それぞれドリンクが2杯ずつ。2日目はひとつがチーズケーキのセットやね」


「てことはふたりで来とった……、3日連続、……あっ!」


 目を細めて記憶を探っていた春眞が顔を上げた。


「思い出したかも! 3日連続違う女性と来とった人や無いかな」


「凄い春ちゃん、よう思い出したね。常連さんでも無いのに」


「2日目来はった時に、あ、昨日のお客さんやって流石に思って、でも連れてる女性が前日とちごたんや。似たタイプの女性やったんやけどね。そしたら3日目またちゃう女性連れて来はったから。でも4日目には来おへんかったから忘れとった」


「まさかの3股? どんな女性やったん?」


 夕子の問いに、春眞はまた記憶を巡らす。


「こう、いわゆるバリキャリっちゅうか、そんな雰囲気の女性ばっかり。スーツとかを綺麗にきっちり着込んで、アクセサリも化粧もきっちり」


「……あ、ボクも何となく思い出したかも。結構綺麗な人ばかりやったよね」


「そうそう」


 春眞の言葉で、茉夏も接客していた時の記憶が掘り起こされたのだろう。春眞がうんうんと頷く。


「常連や無いんか。じゃあ名前とかは判らんな」


 冬暉が溜め息を吐き、春眞は申し訳無さそうに頭を掻いた。


「うん、悪いけど」


「いやいや、悪無い悪無い」


 夕子が微笑を浮かべて手を振る。


「ま、他のお店に期待しましょ。他の捜査員も動いとるしねー」


「夕子さん、身元判ったら教えてね!」


 茉夏の表情はきらきらと輝いている。好奇心が刺激されているのだろう。


「ん。帰りに寄らせてもらうね。また晩ご飯食べさせて〜。勿論お代は払うから」


「いつでも食べに来てね〜。進展次第によっては、また帰るん遅うなるんでしょ〜?」


 夕子はシュガーパインが開店してから、仕事が多忙になり帰りが遅くなる時には、里中家に寄って晩ご飯を食べていた。もちろん材料費は支払ってくれている。秋都はいらないと言ったが、払った方が遠慮無く食べに来れるからと夕子が言うので、受け取る事にしたのだ。


「ですねぇ。さて、どう転がるかやな」


 夕子がにやりと口角を上げた。

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