恋は削れる。

空柿 零

削れる女

 失恋はできると阿呆はいう。

 恋は失えると寝言をのたまう。

 そんなの真っ赤な嘘よ。


 失恋をしてから、私の恋はようやく目覚めた。産声をあげたのだ。私自身を焼きつくさんばかりに、私の身も心も焼き焦がしてくる。荒波が岩礁を抉り取るように、私の精神をごっそりと削り続けているのだ──。


 ──二十代後半の恵美えみが恋人と別れてから、もう半年が経とうとしていた。別れた相手は会社の元同僚。交際期間は二年弱。短いといえばそうかもしれない。


 ありきたりな別れ方だった。

 LINEで『話したいことがある』なんて簡素なメッセージを送ってきた。

 いつもそうだ。男の別れの切り出し方は、いつも単調で代り映えがない。

 これではまるでガブリエル=ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』だ。


 話したいことがある──予告から始まる。

 待ち合わせをして謝罪する。別れる経緯を説明。さようなら──刺す。心を抉る。


 別れるつもりなら、好きだなんて最初から言うな。ふざけるな、ふざけるなふざけるな。


 ──恵美にとって半年前に別れた男は三人目だった。いつも振られるのは恵美の方だった。


 最初の男に別れを切り出された時は少しだけ落ち込んだ。

 二人目の男に別れを切り出された時は泣いた。

 三人目の男に別れを切り出されてから、自宅へと戻った。悔しかった。悲しかった。怒りと悲しみで目が沸騰してしまいそうだった。そのとき、私の恋が産声をあげた。はじめてこの世に生を受けた。泣き叫んでいたのは私だった。


 はじめて恋をした時には浮遊感と共に多幸感があった。まだ私の恋に輪郭はなかった。はじめて別れた時も、『ああ、こんなものなのか』と感慨に浸る余裕も意外にあって、自分が図太い人間なのだと思った。


 二人目の男とは五年以上も交際した。高校の時から大学まで。でも、別々の大学に進学して数年が経ち、次第に男の態度がおかしくなり、浮気が発覚した。

 腹が立った。男を言葉の限り罵った。泣いて責め続けた。

 でも、振られたのは私だった。今でも後悔してる。私が振らなくてはいけなかった。別れることを受け入れられない位に私は泣いた。人を本気で好きになることに痛みが伴うことを始めて知った。


 三人目の男と交際するまでに、何人かの男から交際を申し込まれた。でも、断った。その頃からだ。

 私の恋愛観が固定され始めた。月が地球を公転して描き出すような周期的な軌道のようなものが私の精神で形成されていたのだ。

 私の恋が輪郭を持ち始めていた。


 この男は違う。話し方が駄目。趣味が合わない。性格がだらしない。私を平気で捨てる。私を大切にしてくれない。


 私の恋愛観が描く軌道にそぐわない相手とは恋愛することを拒んだ。失敗を避けた。

 私の心の内側で、私の理想が描かれていき、私自身を恋愛からしばらく遠ざけることになった。


 でも、大学を卒業して入社した会社で知り合った同僚の男とは気があった。趣味もあった。私を安易に傷つけたりしない人だった。私の恋が描く理想の内側へと、私の恋愛観が形成した軌道の内側に入り込んできてくれた。


 でも、その恋でさえ駄目だった。何を信じていいのか分からなくなった。三度も振られれば、自分に原因があると考えてしまう。何が原因か。何が駄目だったのか。

 でも答えを知るのは自分を振ろうとする元カレだけ。不条理この上ない悲しみに身が焦げてしまいそうだった。


 せめて私と別れたがる理由くらい知りたかった。でも三人目の男はどれだけ問い質しても、言葉を濁すばかりで何も教えてくれはしない。


 なら、私は何処にどう進めばいい。

 私に非があるなら言って欲しい。

 でないと前に進めない。新しい恋を始めれない……。

 そうして、私の恋は産声をあげた。成人式をとうに終えた大の大人が、自宅の玄関で泣き叫んで崩れ落ちてしまう。心底情けなかった。


 失恋をしても、私の恋は失われない。

 失われることなく私自身を削り続ける。

 恋は死ぬ。死んでなお失われることなく、心を削り、蝕んでくる。


 逃れる術を恋に求めようとする自分が嫌い。

 でも、それ以外に出口なんて見当がつかない。

 だったら、自分探し? 海外留学? 転職して自分を見直す?


 ふざけるなふざけるなふざけるな。


 でも結局、私はマッチングアプリに登録することにした。

 失恋の痛手を癒す答えなんてない。だから、また相手を探す。恋愛を自分に強制する。


 私は今日メッセージを何度か交換した男とデートをすることにした。私が前に進む為には出会いが必要だ。


 でも、また振られたら削られることになる。そしたら、どうすればいいんだろう。

 恐かった。逃げ出したかった。


 愛想笑いをして目の前の男と語り合う。優しい恋をする為ではなく傷つかない恋をする為に、私はイタリアンレストランで男と対面して談笑を続ける。

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