続・書かない小説家

エイプリルフール①

 2024/04/01①



 あれは昨晩のことだった。

 先週から妙に興が乗っていた私は、半端になっている原稿を片付けてしまおうと躍起になっていた。

 いい加減、やってしまわないと編集社の偏屈担当者や私の物語を楽しみにしているファン――いるかいないかはともかくとして――に申し訳が立たない。

 そして何より、愛する妻が楽しみにしてくれているのだからやらなければ男が廃る、というものである。

 私は興が乗っているときに限ってはこうしてやる気を出すが、世間一般と比べたら情けないものだ。

 生きるのが早い同級生にいたっては、一人目の子が成人した、などという年齢であるにもかかわらず、私ときたらいまだ自分のやる気のコントロールすらできない。

 おまけに、いつまで経っても子どもで、大人になってできるようになったことといえば家事全般と酒を嗜むようになったくらいである。

 子どものころから凝り性で意地汚い性格は変わらず、それはそのまま偏屈に凝り固まってしまい、時代は令和も六年というのに平成を通り越して昭和のままだ。

 その上、悲観的なくせに呑気だとかいう、もはや偏屈を通り越してただの面倒臭いジジイとなった私に出来ることといえば、文章を書くことだけだった。

 意外なことにそこそこ需要はあるようで、生きる上で困ったことはない。

 と、こういえば、担当に


「奥様が働かれているのに困ったことがないはうそだ。今すぐ謝ってきてください」


 言われたことがある。

 私からすれば妻は好きで働いているだけであるし、自分の趣味――妻は着道楽なのだ――のためだ。

 一般的にそれくらいはなにも妻が働かなくても私が出してやるのが男の甲斐性というものなのだろうし、私もそう思う。

 しかしながら、妻が働きたいというのだから仕方ないではないか。

 その妻の仕事だって、着物教室であったりなんだりと趣味に近いのだから誰かに文句を言われる筋合いなどない。

 そもそもこの令和の時代、不況の波を――

 なんて妻に愚痴を垂れたら


 「まあ、あなたも時代に合わせて成長しているのねえ」


 なんて子ども扱いを受ける始末。


 と、そんなことを思い返しながら昨晩は原稿に勤しんでいた。

 妙なもので、興が乗っているときはこうして頭の中とは別に手が動くのだ。

 言葉選びも文体も、その登場人物の口調も地の文もなにもかも、私の手は脳みそとは別のところでまるで自動書記のように書き続ける。

 キーボードをひたすらに叩き続ける手は何かが宿っているのかもしれないとすら思えてくるから、おもしろい。

 そうして原稿も終わりに近づいていったころ、またふと別のことを思い出す。


「エイプリルフールか……」


 そう、思わず口に出た。

 その時である。

 先述した通り私はいつまで経っても子どもで、いてもたってもいられなくなった。


 どんなうそをついてやろうか。


 その時、にんまりと笑いが漏れるのが自分でもわかった。

 そうと決まれば、原稿なんてやっている場合ではない。


 さて、どんなうそをついてやろう。

 そうして使い古したノートパソコンを閉じると顎に手をあて考える。


 しかし、そういうときに限って何も思いつかんのだ。

 なにせ偏屈で凝り性なものだから、人が不幸になるようなうそはつきたくない。

 こういう冗談にも最低限のモラルとやり方というものがあるだろうと考える。

 あれはだめだ、これはだめだ、と一人でうんうん唸ってはひっくり返るように寝そべった。


 開けっぱなしのドアから見える逆さまの台所は常夜灯に照らされていた。

 そういえば腹が減ったな、と思った。

 暖かくなったとはいえ、暗がりはまだ寒さを演出し、今一人であることを思い出させる。

 

 ただでさえ人の気配だけで集中できない私は、世話好きの妻相手でさえもその集中を途切れさせてしまう。

 なにより、興が乗り始めれば寝食を忘れて書き物に没頭してしまう。

 それの世話をさせるのも忍びないと借りたのがこのオンボロ賃貸物件だった。

 難儀なもので、こうして独りであることを意識すると寂しくなる。


 明日は本宅に帰るか、そのついでに妻におもしろいうそでもついてみよう。

 ああ、帰る前に少しでも入稿してしまわないとな。

 もう少し、書くか。

 せめてキリのいいところまで。

 

 そんなことを考えながら、肌寒さに毛布を取ると、そのまま眠りについてしまった。


 

 そして、ぐっすりと昼過ぎまで寝過ごし、何度も鳴る電話の音で目が覚めた。

 電話の相手は、担当だった。

 珍しい。

 特に緊急でなければすべてメールで済ます男である。

 仕方なしに電話に出ると、担当は慌てた様子で言う。


「先生、メール見ましたか?」

「……見とらん」


 寝ぼけた声で返事をするとなにやらギャーギャーと騒ぎ始めた。

 人混みにいるのかなかなか聞き取れず、ええい面倒臭い、と思いながら、喚く担当をそのままにノートパソコンを開いた。

 未読が一件、今朝の四時。

 これのことか、と開いてみると驚愕した。


『大変申し訳ございません。印刷会社の都合で締切の変更をお願いします。できれば本日の正午までに――』


 ふざけるな!

 そんな急な話があるか!


 そう思ったが長々と続く事情の文章を読めば致し方ないという気持ちも芽生えてくる。

 なにより、この担当、そうとうなやり手であり何度も私は救われた。

 ここで恩を返すというのが筋というものだろう。

 なに、問題ない。

 先週から興が乗って仕方なかったんだ。

 昨晩、しっかりと仕上げて――


 ないじゃないか!

 私はエイプリルフールになんのうそをつくか考えながら寝てしまったではないか!


 そこまで考え、まだ電話越しに何かを言っている担当の声に気がつく。

 スマートフォンに耳をあてるとはっきりと声が聴こえる。


「もしもし?先生、聞こえてますか?あのメールの件――」

「みなまで言うな。任せろ。寝過ごして正午は回ってしまったが夜までには仕上げる」


 そういうと、急ぐべく私は電話を切った。

 電話の向こうで、なにやらまだ騒いでいるが、安心するといい。

 私はやるときはやる男なのだ。

 そう覚悟を決め、ノートパソコンに向かう。

 まだ手にはしっかりと何かが宿っているのを感じながら、まずは一行。

 すると、また電話がかかってくる。

 担当だ。


 ええい、うるさいな。

 やると言っておろうが。


 そうして、私はスマートフォンをサイレントモードにして、毛布に向かって投げた。



 

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