猫と【宵城】

 東洋魔窟2






 屋根から屋根、通路から通路へと飛び移り、大小様々な建物の屋上を風を切って翔けるイツキ


 九龍の街は信じられないほど入り組んでいて、内部はさながら気の向くままに線を引いた迷路のようになっている。

 十数階という高さの建造物が所狭しと立ち並んで、四方を壁に囲まれ陽の光が届かない家や道もある。

 階段を上っていたかと思えばいつの間にやら下っていたり、真っ直ぐ進んだはずなのに同じ広場に出てしまったり。


 慣れてしまえばそんな迷宮もどうってことないが、目的地によっては下道を行くより階上を突っ走って進んだ方が早い事が多々ある。

【東風】から【宵城】へもそうだ。スラムの側から花街の端まで普通に向かえば30分はかかるところ、建物の上を通って行けば10分足らずで到着できる。

 立ち並ぶ違法建築の屋上を駆け抜けるのはもはやイツキにとってはお決まりのコースだった。


 花街が近付き、だんだんとネオンが見えはじめる。あちらこちらから縦横無尽に伸びる、漢字やロゴを各々思い思いに配したキラキラ光る看板。

 その中でもひときわ目立つ大きなサインを掲げる店が【宵城】だ。


 他の建物から完全に独立しており、半ば城のような外見をしている。輝くその姿はまさに‘不夜城’。


 イツキは裏側のマンションから【宵城】の外壁へと飛び移り、手摺や小さな取っ掛かり、配管や室外機等を足がかりにしてテッペン近くまでトントンと素早く天守を登った。


 そして辿り着いた朱塗りの露台。

 軽く足を振って靴についた水を払いながら、目の前の小窓をノックする。


イツキ…お前またここからかよ」


 声と共に窓が開き、着物を着崩したくわえタバコの男──マオが顔を出した。金髪と丸メガネに少し雨の雫が落ちる。


「正面玄関、入りづらいんだもん」


 イツキは肩をすくめて答えた。


【宵城】の1階にある入口はこれでもかというくらいネオンで装飾されていて、女の子達のセクシーなパネルが立ち並び、ロビーは常に客で満杯だ。

 マオはだいたい最上階の自室に居るので、直接そこに来たほうが楽だし早い。───正規ルートでは全く無いうえに、身軽なイツキならではの方法だが。


「まーいいけど。菓子食う?」

「うん。あ、ちなみにアズマの分ってある?」


 中に入れよと顎で示しつつ言うマオイツキが問うと、マオは苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。


「は?ある訳ねぇだろ」


 ある訳なかった。




 イツキは靴を脱いで部屋に上がりフカフカの絨毯に腰をおろす。ラメ入りで虎の形…金運がアップしそうな感じがする。

 虎の毛並みを撫でて楽しみながら出されたお菓子をモグモグ頬張っていると、マオが写真を3枚テーブルの上に置いた。


 2枚は幅のある首輪をつけた太った猫の写真。アズマが言っていた迷子の猫だろう。残る1枚は女性。


はれ?」


 お菓子でいっぱいの口のままのイツキが疑問を投げかければ、マオは眉間にシワを寄せタバコの煙を吐き出しながら答えた。


「猫と、飼い主。アズマから聞いた?」

ねほこほいた」

「行方不明なんだよ、飼い主こいつも」


 マオの話によれば、おとといこの飼い主、つまりマオの店の従業員の女性から、猫が居なくなったと相談を受けた。

 その女性は相当焦った様子だったという。なので、一緒に探してやる事にした。


「だけど、昨日から連絡つかねぇんだわ。今日出勤日なのに店にも来ねぇし」


 指で写真をトントンと叩くマオの声から、怒りは感じ取れなかった。無断欠勤したとて叱責はまず理由を聞いてから…なにかやむを得ない事情によるのかも知れない。

 表情には出さないが‘心配’が先に来ているのだろう。マオが従業員に慕われる訳合いはここにある。


 イツキも写真を見返す。特に黒い問題を抱えたりはしていなさそうな、至って普通の女性。

 だがここは九龍、全てが狂っているような街。表面だけ目にした所で本質的には何もわからないのだ。


 菓子を食べる手を止めて、イツキは写真を手に取り口を開く。


「家とかは?」

「他のヤツに見に行かせたけど、誰も居なかったんだってよ」

「家の場所どこなの」

「新興楼あたり。これ、住所」


 そう言ってマオイツキに走り書きのメモを寄越した。

 新興楼なら遠くはない。路地を通るとややこしいが、屋上うえを走れば5分といったところか。


「別に行かなくたっていいぜイツキ。こうなったらもう猫探しじゃねぇし」

「んー…」


 イツキは少し思案した。

 でも、いつもお菓子の恩がある。


「でも、いつもお菓子の恩があるから」


 思ったらそのまま口に出た。マオがケラケラと笑って頷く。


「あっそ。じゃあ頼むわ」

「うん」


 外を見ると雨が上がっていた。アズマの傘はここに置いていこう、どうせまだ【東風】に山程あるし。

 マオに手を振りイツキは貰った菓子をかじりながらメモに記された住所へと向かう。


 更けていく夜の九龍をやんわりと照らす月明かりが、屋上の水溜りに反射していた。

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