第20話
「スティングだよ。来日した時に縁があって、会えることになったんだ」
「凄いですね! 羨ましいです」
「まあ、この時だけは親に感謝したよ。真奈美ちゃんもスティング好きなんだ」
「はい。ポリス時代からのも全部持っています」
「でも珍しいね。どちらかと言えば、親世代のアーティストなのに」
「颯太さんも、似たようなものじゃないですか」
「そっか」
颯太は目が合ったまま優しくほほ笑むので、どうしていいかわからない。
本棚と颯太に挟まれて動けない真奈美は、追い詰められた動物のようだった。陰になっているとはいえ、熱くなっている顔を見られるのは恥ずかしい。
その狭い空間で体の向きを変え、適当な本を手に取って話題を変えようとした。
「こ、この本。面白うそうですね」
「経済に興味があるの?」
「え?」
タイトルを見るとビジネス書だった。
「あ、え、そ、そうですね」
慌てて本を戻して、何が並んでいるのか見入ることにした。
パソコンに向かい合った颯太の肩が小さく揺れている気がしたが、気付かない振りをすることにした。
本棚にはビジネス書から文芸本、下段には漫画もそろっていた。几帳面な性格なのか、カテゴリーごとに分けてあり、さらに名前順に並べられている。
文芸書の作者の半数以上が、真奈美も好きな作家だった。
「真奈美ちゃん。出来たよ。それとこれ、もしパソコンのアドレスから携帯へと転送させるなら、このフロチャートの通りすれば大丈夫だから」
「ありがとうございます」
受け取った携帯を慣れない指で操作する。でもあまりにも様式が変わってしまっているため、どうしていいか分らない。宙で止まったままの人差し指が、攣りそうになる。
「こっちにおいで」
ソファに移っていた颯太に呼ばれ、吸い寄せられるように隣に腰を下ろした。彼の方が重いからか、真奈美が座るとすこしだけ段差ができた。
「何かの設定をするときは、ここをタップして、あとは選んだらいいだけ。手持ちのパソコンだと思えばいい」
すぐ横には颯太の顔があって、言葉を発するごとに、髪に息がかかり小さく靡く。横目で見ると、思いの他まつ毛が長くて、きめ細かな肌をしていて綺麗だった。
「真奈美ちゃん?」
「あ、はい。大丈夫です」
「そう。あと操作方法で分らないことがあったら、いつでもメールか電話をしてくれればいいから」
「すみません。色々と」
「いいよ。こうして真奈美ちゃんに頼りされるのは嬉しいからね。じゃあ家まで送るから」
「いえ。一人で帰れますから」
「いいよ。万が一ってなったら俺も嫌だし」
颯太の言葉の端々が、神経を麻痺させるような響きを持っている。まるで質の悪い麻薬のようで、常習性を持ちそうだった。
家に送ってもらった真奈美は、直ぐ颯太にお礼のメールをした。颯太から直ぐに返信があった。新しいおもちゃを手に、健吾にもメールを送った。
でも颯太のように直ぐに返信がない。真奈美は母親が用意してくれていた夕食を食べるため、一度ダイニングへと下りた。
三十分くらいして部屋に戻り、携帯を確認した。健吾からの返信があった。
「携帯、替えたんだ。また明日にでも見せて」
それから健吾と何通ものメールのやり取りをした。
中には携帯で撮った写真の添付や、二人で遊びにいく場所を水族館ではなく、動物園はどうかという提案。笙子と雄二のこと。何度もやり取りをするうちに、指も慣れてきて、反応も早くなっていた。
翌日、早速大学で健吾に携帯を見せた。健吾はカメラ機能で面白いものたくさんあるから、ダウンロードするといいよと教えてくれた。
真奈美は健吾に教えてもらったアプリをダウンロードし、彼を撮った。一瞬の事で健吾は驚いていたが、真奈美は直ぐに携帯と向きあったので気付いてはいない。
「健吾に王冠を付けてみたよ」
「ど、どうして王冠なの?」
「だって健吾って、王子様みたいだから」
急にそわそわし始めた健吾が不思議だった。
「だ、誰の?」
予想もしない質問に、言葉が真奈美に染み込んでいくまで時間がかかった。そして意図を何となく理解できた時、真奈美は健吾の顔を正面から見ることはできなかった。
それなのに痛いほど彼の視線が頬をつついてくる。真奈美は携帯を触りながら絞り出すように声を出した。
「わ、私の……かな」
健吾がどんな表情をしたのか、見ることはできなかった。
空が灰色の厚い雲に覆われ、雨と湿気で不快な日々に終わりを告げた頃、兼ねてから計画をしていた動物園に健吾と行く事になった。
空は限りなく青く、太陽が本領発揮と言わんばかり降り注いでいる。
待ち合わせは大学の最寄駅で、そこから二人で移動した。四人で遊びに行った頃から、健吾の服は徐々に雑誌に載っているような服に変わっていき、髪型も以前のように伸ばすことなく、手入れされるようになっていた。
雰囲気も小動物のようなおどおどした感じもかなり改善され、目立たたなくなっていた。いつも俯き加減だった顔は、明日を見るように正面を見ている。なにより吃り気味だった話し方が無くなっていた。だから大学での健吾は目立つようになっていた。
知らない女性に話しかけられることも多い。でも人見知りは元来のもののようだった。
相手に対してそっけない返事になるのは仕方がなかったが、それがクールだと火に油を注ぐようになっていた。
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