28 ごめんね

 ようやく芹沢くんの部屋に帰って来られた私たちは、部屋の中に入っても言葉少ななままで、いつも二人が寛ぐふわふわのラグの上へ並んで座った。


「芹沢くん?」


 私は落ち込んでいる様子の芹沢くんが、そんな打ちひしがれた表情になっている理由がわからなかった。


 これでもう、彼を悩ませていた出来事はすべて解決しているはずなのに。まだ……何かあるのかな。


「水無瀬さん……びっくりした。まさか、あの場所に水無瀬さんが、来ていると思わなくて。本当に、驚き過ぎて思考がフリーズした」


 芹沢くんははーっと、大きく息をついた。


 あまりに思いも寄らなかった事態に対して、とても回転の早い芹沢コンピュータのCPUが処理が追い付かずに固まっただけだったみたい。


「ふふっ……まだ、驚いてる? あの……勝手に跡を付けちゃって、ごめんなさい。芹沢くん……最近変だったから。どうしても、気になっちゃって」


 私が許しを得るために両手を合わせて芹沢くんの端正な顔を上目遣いにして見れば、ようやく微笑んでくれてホッと安心出来た。


「うん。大丈夫。俺も実は、二回くらいやった事があるから。これで、お互い同罪ってことにしよう」


「……え? 芹沢くんが、私を? な、なんで?」


 そういえば。久しぶりに弟の銀河と渋谷で会っていた時、あの後銀河を元彼だと疑われて否定したりで、うやむやになってたけど……確かに、あの時。なんでここに芹沢くんが居るんだろって私も思っていた。


 芹沢くんはその理由を言い難そうにして、右手で口を隠しつつ言った。


「どうしても、気になったんだ。俺と会ってない時に、水無瀬さんは何をしてるのか。誰と会ってるのか。危険な目に遭わないかとか……それだけ、俺が水無瀬さんのこと、好きだってこと。ごめん。こういうの、気持ち悪い……?」


「ううん! 全然!」


 即答した私は恥ずかしそうにする態度それすらも尊い芹沢くんに抱き付いて、久しぶりに彼の匂いを肺いっぱいに吸った。


 推しが私のことを大好きだという、この世に稀に見る奇跡。


 何よりも、大事にしたい。


 別に彼になら跡を付けられたとしても、特に困ることなんてない。変な人から跡をつけられるのは確かに嫌だけど、私の中では芹沢くんだというならすべて別。お腹一杯でも、お菓子は別なのだ。


 彼だけが、私の世界で一人だけの特別。


「あの……かっちゃんのスマホ、どうするの?」


 そういえば、このところ芹沢くんを苦しめる元凶となっていた私の画像は、今も彼のポケットに入っているはずだった。


「最近は……データって、記憶媒体が多少の損傷をしている程度なら、取り出せるみたいなんだ。だから、徹底的にあれは破壊する。そこは責任持って俺がちゃんとするから、大丈夫だよ」


 かっちゃんも現代人の必須アイテムであるスマホを失って大変だろうけど、それもこれもあの人の自業自得だ。私は彼に同情する気は、一切ない。


「あの……私の写真、見たの?」


 私はおそるおそる、それを聞いた。


 以前図らずもかっちゃんの話をしてしまった時、芹沢くんはそういうところを想像してしまったというだけで、強い嫉妬の気持ちを見せていた。


 そんな場面を実際に見てしまった彼は、一体どう思ったんだろう。


「多分。俺に送信されたものは水無瀬さんが思うような、そういうものではなかったよ……あちらも一応は配慮したのか。必要な画像の修正は、ちゃんとされていた。だが、元画像がどんなものであるかというのは、俺にわかるようになっていた」


 芹沢くんが、どんな気持ちでその画像を見たのかを思えば……私はもう、彼の胸に顔を当てて謝るしかなかった。


「芹沢くん……本当に、ごめんなさい。苦しめて、ごめんなさい」


「謝らないで。水無瀬さんは、何も悪くない。俺はこんなことは、水無瀬さんには一切知らせずに自分が全部、自力で解決したかった。力足らずで、本当にごめん」


 彼の言葉に驚いた私が芹沢くんの顔を見ると、本当に辛そうで悲しそうだった。推しの悲しみは、私の悲しみ。胸が痛い。


 けど……ああ。これで、何もかも理解出来た。


 芹沢くんは私があの場所に来たから、驚いていた訳じゃない。この事件そのものを、私には一切知られたくはなかったんだ。


 自分の元カノのことを私が知れば、傷付くだろう。元彼のかっちゃんが私にリベンジポルノを仕掛けていることを知れば、傷付くだろう。


 だから、私を傷付くようなことすべてから、守りたかったんだ。本当に優しい人だから。


 そう思って、私にはすべてを隠したままにしたかったのに。出来なかったから、そのことが彼にはとてもショックだったんだ。


「ねえ……芹沢くん。私。そんなに弱くないよ。多少傷付いても、すぐに立ち直るよ……けど、芹沢くんが悲しいのは私も嫌だから。私も同じように、思ってるのかな」


 私がそう言うと顔を伏せていた芹沢くんは顔を上げて、泣きそうだった。


「水無瀬さん。けど俺は、あんな酷いことが起こったことを絶対に知られたくなかった。何もなくそのまま、俺の隣で幸せなままで、笑っていて居て欲しかった」


「私。十分、幸せだよ。芹沢くんに愛されてるって、もう一生分の幸運を使ってるもん」


「じゃあ、この後は俺の幸運をあげるよ。俺は水無瀬さんが居たら、それだけで良いから」


 私は多分この時に、芹沢くんの唇に初めて自分からキスをした。


 何故かって? 私たちがそういう雰囲気になったら、いつもスマートな動きを見せる芹沢くんは私の意図なんて全部お見通しで、すぐに事を先へ先へと進めてしまうからだ。


 けど、今回は私が彼への愛を伝えたかったので、綺麗なラインを描く頬を両手で掴んで、深いキスを仕掛けた。


 芹沢くんはこちらのしたいことを察してくれたのか自分は動かずに、私のされるがままだった。


 口中で混ざりあう唾液と、絡み合う互いの熱い舌。ただそれだけの単純な行為なのに、とてつもなく気持ち良く思えてしまうのは、彼が私の世界で一番好きな人だからだ。


 入学式で一目惚れをして、何度も何度も数え切れない勇気を出して挨拶をして、そして深夜のコンビニで偶然の棚ボタの出会い。


 芹沢くんの持つ素晴らしい容姿で、好きになったんじゃないのか? と聞かれたら、きっと私はイエスと答えるしかない。


 けど、それって、単なるきっかけに過ぎない。


 最初は単に推しのアイドルを好きになって、直接会ってみたいと思うようなふわふわした気持ちで、会いに行っていただけだった。


 けど、芹沢くんは自分が無視をしたというのに、その後の私に気遣うような優しい視線を向けた。


 それもこれも何もかも。自分勝手に事実を改変した妄想だと言われてしまえば、そうなんだけど。


 こうして、彼と実際に話をするようになって、私の理想を詰め込んだ男性が本当に世界に実在したことを知ってしまった。


 どんどん芹沢くんへの想いの深さは、深くなるばかり。今ではマリアナ海溝と、愛の深さでは良い勝負が出来る自信はある。


 長いキスのせいで濡れてしまった二つの唇を離して、私たちは見つめ合う。その黒い瞳に、いつも吸い込まれそうになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る