11 夜景(side 司)

「あれ。芹沢じゃん。どんな風の吹き回し? 珍しいね。お前がこういう場に来るなんて」


 同じように佐久間に呼ばれた一人だろう、医学部の久留生が、いかにもなパーティルームへと入って来たばかりの俺に気が付いて手を上げた。


 ということは、佐久間もあの辺りに居るだろう。こちらへと視線を向けたままの久留生の方へと、ゆっくりと近付いた。


 彼の向こう側。壁一面の透明なガラス越しに広がるのは、黒い夜を退(しりぞ)けるように光り輝く、東京の夜景。


 佐久間に誘われた、とある高級タワマンで開かれるパーティの話に乗ったのは、これで二回目だった。一回目の時は、完全に自分が客寄せパンダになっていることに気が付いたので、トイレに行く振りをしてすぐに帰った。


 今回は俺が居るって事前に聞いて来ている奴も居ないし、きっと大丈夫だろう。


「佐久間、芹沢が来てるよ」


 久留生が声を掛けたので、奥に居た佐久間が勿体ぶった仕草で振り向いた。


「え? うわ。まじで芹沢だ。やば。明日は、雪でも降るんじゃね。夏なのに。要らない奇跡起こるわ」


「……呼んどいて、それかよ。来て悪かったのかよ」


 声色で俺の機嫌が悪いことを察したのか、空気が読める久留生はさりげなく酒を持ってそこを去り、佐久間が近付いて来て肩を叩いた。


「俺は珍しいって、言ったんだよ。ここに来たことを、否定はしてない……みーちゃんは?」


「……今週は、忙しいんだって。俺は、暇つぶし。なんか、家に居る気分でもなくて」


 俺がたまに飲みに行くようなメンバーは、佐久間が今夜ここに招集している。なんでもイベントサークルで何かとお世話になっている先輩に頼まれて、人を集めたかったそうだ。


「お前が一人で外で飲むと、絶対に絡まれるもんな……その辺、座ったら? 女の子に寄って来られるのが嫌なら、顔が見られないように向こう側向いてろよ」


「悪い……そうする」


 盛り上げ要員としても参加出来そうにない気分の俺は、佐久間が差し出したグラスを持って、夜景の見える窓際に置かれた小さなソファに座った。


 見えるのは、無数に光る窓や灯り。


 こんなにも同じ言語を解する多くの人が同じ国に住んでいるというのに、俺たちは身近な数人としか本当の意味で意志を疎通する事が出来ない。


「……芹沢くんっ……何。嘘。来てたの? 良かったら、あっちで私たちと飲まない?」


 甲高い声の露出癖みたいな服を着た女にいきなり腕を引かれて、心の奥からどす黒い何かが吹き出して目が眩みそうになった。


「はいはい。果歩ちゃん。芹沢はもう、彼女が居るからさー……売約済より、こっちのフリーのイケメンと話しなよ」


「……悪い。俺、ここで人待ってるから」


 酔った勢いでしなだれかかる女に、怒鳴り出しそうな気持ちをどうにか堪えた。やけに匂う甘い香水が、鼻につく。まるで、腐った果物みたいだ。だが、ここで要らない騒ぎを起こしても、何も良いことがないことはわかっていた。


「えー……芹沢くんだったら、彼女居ても良いのにー」


 お前は良いかもしれないけど、俺は絶対に嫌なんだよ。


 今にも怒鳴り出しそうだった俺を見て素早く状況を把握した佐久間はにこにこと微笑みながらも、無遠慮に身体を寄せていた女を強引に引き離し手を引いて、盛り上がり騒がしい向こう側へと連れて行った。


 苛々とした気持ちを押し殺すようにして、俺はロックグラスを呷った。


 ああいった女は外見を磨くことしか興味がなく、浅い考えのままで生きるのが楽だからと、この先の自分の人生について深い思索をすることも無い。


 国を治める首相の名前を聞いても答えることが出来ず、求めるのは自己肯定だけの首振り人形のようだ。だが、何度繰り返しそれを与えたとしても、決して満足する事は出来ない。


 褒め言葉は、彼女たちにとってある種の麻薬のようなものだからだ。


 自分は若いから素晴らしいと驕り高ぶる言葉も、ただ時間が経つだけで、特大のブーメランとして跳ね返って来るというのに。


 俺が思うにあんな女たちが選ばれたいと努力している成功者たる男が最終的に選ぶのは、真逆の性質の女だと思うんだが。


 多分、それは口に出してしまえば消される系の、この世の真実のひとつ。


 ただそれを持っているというだけでちやほやされる若さを失い、焦って人生を振り返った時にはもう遅い。


 安易な方法で多額の金を稼いでしまったために金銭感覚は戻せないほどに狂い、普通の仕事ではもう稼げない金を欲し続けることになる。


 耳に痛い忠告をする友は切り、耳触りの良い言葉を囁く都合の良い知人のみを周囲に置いた結果。


 自己承認欲求は延々と肥大し、それはもう決して満たされることなどない。そんな簡単な先読みすら、することも出来ない。


 なぜ、あからさまな真実を、残ってくれた誰も教えてくれないか。利用価値が高い若い女がバカで居てくれた方が、悪い周囲は騙すのが楽なんだ。


 バカのままではいけない、自分のために考える頭を持てと忠告してくれる友は、もう既に自分で切った後なんだから仕方ない。


 諌言は、耳が痛いだろうな。そういうものだから。


 自ら考えずただ周囲に合わせて、なんとなく生きていけば正解だと思考停止をしている奴の大体の末路は決まっている。


 間違いないと思って着いて行っている奴に、散々利用されてから裏切られ泣きを見るラスト。


 怖気が出るほどに嫌なことをされて、気が済むまで頭の中でその相手に悪態をついてしまった自分が嫌になり、俺は深く溜め息をついた。


 あんな女に勝手に身体に触れられて、本当に嫌だった。だが、酒が入って羽目を外す人間の多い、そういう場所であることだってちゃんと頭では理解はしているのに。すんなりと流せないほどに、嫌だった。


 気持ちに、余裕がないからだ。原因はわかっていた。


 水無瀬さんは、今夜の俺の行先を知ってる。佐久間に呼ばれた飲み会に、顔を出して来ると前もって伝えた。何かで忙しいのか、まだ彼女からの返信は来てないけど。


 報連相は、大事だ。別に彼女からそうして欲しいって向こうから言われた訳でもないけど、出来るだけ事前に報告をして、少しでも疑われたくない。


 俺は自分が出来ないことは、相手には求めない。


 だから、俺がこうすることによって、水無瀬さんもそんな風にしてくれないかなっていう、表面上のキャラ的に言葉に出しづらい願望なども含む。


 決まった彼女と出来ないなら、一人で抜いた方が良いってのは俺の個人的な考え。好きでもない女と、いくら出来るからって安易にしたくはない。


 だから、別に水無瀬さんにスマホを見られても、行き先を詮索されても、一切困ることなんてない。


 水無瀬さん……早く俺の居場所をGPSで管理したいって、言い出さないかな。別に、してくれて良い。彼女にならいくらでも雁字搦めにされても、何の問題もない。


 そうしたら、こっちも色々とやりやすいのに。


 この前からずっと頭を離れない水無瀬さんは、俺のことが好きだと全身でそう訴えていたのに。理屈の通らない、不可解な行動が多い。


 連絡は、向こうからは全く来ない。いつも、何もするにも俺から。付き合い始めたばかりなのに、かなり譲歩した条件でだって会う事を断られた。


 降り積もる嫌な予感と暗い不安は募り、このままだと彼女の部屋にまで乗り込み、好きなのか、そうじゃないのか。早く、はっきりしてくれと言ってしまいそうだ。


 誰よりも大事にする恋人にしようと、ようやく定めたその人に一方的に拒否されていて、暴れ回る気持ちを上手くコントロール出来ない。


 彼女のことがこんなにも思考のほぼすべてを占めてしまうのなら、勉強が本分であるはずの学生の俺は、今は恋愛をするべきではないのかもしれない。


「はーっ……何も言わずに、黙ってんのに。見るからにイライラしてて、不機嫌オーラが背中からこっちにも漏れて出てる。見てられないわ……お前さ、来週何があるか忘れてない?」


「……は?」


 佐久間の声で悪循環していた思考は途切れ、俺は後ろを振り向いた。


「おいおい。免許証でも見てみろ。そこに来週末の日付、書いてないか?」


 来週末。来週末……そういえば、俺の誕生日か。誕生日なんか、祝う人も居ない。特に何の感慨もないし、完全に忘れていた。


 察しの悪い俺に呆れた様子の佐久間は、自分のスマホを指差した。何。スマホを見ろってこと?


 水無瀬さんからのメッセージが、通知画面に映し出され、俺はつい安堵の息をついた。


『芹沢くん。この前は、断ってしまってごめんなさい。良かったら来週末、デート出来る?』


 このタイミングだと、心配した佐久間に言われたから俺に連絡した?


 ……もしかして。この前佐久間と話した後の、水無瀬さんの変な様子。


 それに、エアコンの壊れた部屋でも我慢してそこで過ごし、ビジネスホテルを使うことすら躊躇っていた、お金にはとても堅実だった水無瀬さん。


 今までの水無瀬さんの不可解な行動が真っ直ぐな線で結ばれて、さっきまで消えない煙のように身体中に纏わりついていた、苛立つ黒い気持ちも最初からなかったもののように霧散した。


 前言撤回。恋は若いうちにするべきだ。


 愛する彼女の可愛い秘密は面倒な理屈なんて、すべてを飛び越える。

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