イリュリチカは人を読む

和扇

始発駅 東の果て

魔法が溢れる世界。


人々は日常において魔法を行使し、文明を育む。

魔石と呼ばれる特殊な鉱石を利用した多くの発明を生みだしてきた。


その完成形の一つが大陸横断鉄道である。


青の魔石が水を生み、赤の魔石がそれを熱する。

水は蒸気となり機関を動かし、鉄の道を走るのだ。

煙突からは水蒸気が白い煙となって吐かれ、抜き去った景色と共に流れていく。


ライフェスト大陸を東西に繋ぐ鋼鉄の動脈は、幾つもの国を跨いで多くを運ぶ。

物を、人を、そしてそれ以外も。




そんな鉄道の東の果て、ソツァニア共和国の都市ヴァスニエーツ。

この地の駅改札に一人の少女が現れた。


腰まで伸びた銀にも似た白の髪。

透き通った碧玉へきぎょくの瞳は、まるで傷の無い一級品の宝石だ。


旅の荷物を入れた長方形の革製旅行鞄トランクケースをショルダーベルトで背負っている。

縦幅八十センチのそれは背丈の六割程を隠し、背後からは鞄が歩いているようである。


自然のままの羊毛ベージュ色のトレンチコートが彼女の身体を冷えた空気から守る。

同色の五本指手袋は暖かく、それでいて名刺サイズの切符をしっかりと掴んでいる。


改札でそれを駅員に提示した。

小さな旅人に改札担当は軽く会釈をして、入鋏印にゅうきょういんを打つ。

良き旅を、と彼は言って、彼女の旅路に幸あれと願った。


改札を抜け、短い階段を上る。

丸々一階上がる程には長く無く、おおよそ彼女の背丈程度だ。

それ故に、彼女の目線からはその先を見ることが出来ない。


軽く身体を縦に揺すり、背中の荷物を持ち直す。

鞄の持ち手に結ばれた、小さく白い鈴がちりんと鳴った。

可憐なその姿に似つかわしくない、少し無骨な焦げ茶色ブーツが階段を踏みしめる。

黒い靴底が灰色の足場を踏み、紺色の靴紐が上下に揺れた。


一段一段、上へ上へと進んでいく。

階段の先の地を雨露から守る屋根が見える。

段々とそれが長くなり、続いて青空が顔を出した。


風が階段に吹き抜ける。

彼女の長い髪がそれに踊った。

階段の最後の一段を踏みしめる。


目の前にそれはった。


大陸横断鉄道。

その鉄路を行く鋼の地龍。

世界のおよそ半分の距離を約一ヶ月かけて走る、世界最大の移動手段である。


彼女の前に左を先頭にして横たわる長い長い列車。

その名はアレザドラ号。

横断鉄道第三号車輌しゃりょうである。


大きな煙突を天に伸ばす機関車が五十輌という長大な編成の先端に存在している。

その後ろに動力に使用する魔石を保管する魔石車。

十輌ごとに補助動力車を接続し、強大な推進力をもって鉄路を走る。


補助動力車を区切りに、先頭特別車輌、一等、二等、三等、普通、と分けられる。


先頭の機関車、魔石車の後ろに三輌の特等寝台が繋がり、給仕車が続く。

更に準特等寝台が三輌、そして補助動力車。

ここまでが先頭特別車輌、短縮して先特せんとく車輌だ。


それ以降は、前方四輌後方三輌の寝台が食堂車と売店車を挟む形で繋がる。

普通車輌には食堂車売店車は無く、最後尾に貨物車輌が連結されている。


人を運ぶ巨大な箱であり、移動するホテルであり、超容量の輸送手段である。


少女は乗降場プラットホームへと至る。

左右に長く広がるそこには彼女と同じく旅へと出発する人々がいた。


ある者は名残惜しそうに振り返り、ヴァスニエーツの街を思い出す。

家族と別れの時を過ごし、晴れやかな表情で列車へと乗り込む者もいる。


そんな人々に目を遣りながら、彼女は列車へと近付く。

一際ひときわ小柄な彼女だからだろうか。

その鉄の塊がまるで城塞の様に聳えているように感じた。


先程改札で入鋏印にゅうきょういんを貰った切符を見る。


『二等 四番 三十二 赤』


短い単語が四つ。

それは彼女の旅の居所を示す記号だ。

二等車輌の四番目、それが彼女が乗るべき車輌である。


巨大な車体は、これから鉄路を走るなどと思えない程の威容だ。

だが、その乗車口は旅人を拒まず、快く迎え入れている。

彼女もまた、その一人として車内に足を踏み入れた。


進行方向後側の乗車口から車輌に入り、数段の短い階段を上る。

彼女が二人、腕を広げて歩ける程度の幅がある車輌通路両側に引き戸が並んでいた。

それぞれの扉の中が寝台である。


列車の進行方向左前方より後ろに向かって一から二十。

再び前に戻り、進行方向右前方より二十一から四十。


三十二、という事は、彼女の居室は車輌の右側中心辺りにあるだろう。


寝台番号のプレートを確認しながら通路を進む。

彼女の背丈では少し見上げる形になりながら、他の乗客とすれ違いながら歩く。


四十、三十九、三十八、三十七、三十六、三十五、三十四、三十三。

そして、三十二。


ここだ。

鉄の引き戸スライドドアの取っ手に手を掛ける。

グッと力を込めて、少し重いその扉を引いた。


がらり、と音がして扉が開く。

真正面の車窓とその向こう側の空と雲が目に飛び込んできた。


室内は凸の形をしており、上辺側に入口があり、その反対側に窓がある。

短辺が窓と同じ程度の長机とその左右に設置されている長椅子が乗客を待っていた。


だが、ここは寝台列車の一室である。

寝るためのベッドが見当たらない。


室内の奥へと進む。

右の座席の後ろに人ひとり入る事が出来る場所、そして壁に引き戸があった。

そして、その引き戸に赤色のプレートが付いている。


反対側を見ると同じように壁に引き戸があり、そちらには青色のプレート。

切符にあった『赤』とは、この事であった。


少女はその扉の取っ手を引く。

が、開かない。


よく見ると取っ手の上に名刺サイズの四角い模様が描かれている。

はた、と気付き、切符をそれにかざす。

がちゃり、と音がした。


再び戸を引くと、今度は何の抵抗も無く開く。

乗客である事の証明と乗車位置の明示、そして寝台の鍵。

実によく考えられている。


寝台の脇に背負ってきた鞄を置き、一息つく。

ベッドと橙の光を発する魔石灯、小さな洗面台。

小さなテーブルと椅子があるだけの質素な空間だ。


折角の旅。

このまま、窓も無いこの場所で過ごすのは勿体もったいない。


手袋を外してコートを脱ぐ。

左胸のポケットに姫金魚草の金刺繍がある白の長袖ブラウス。

黒と赤と白のチェック柄の膝丈スカートの下には黒のタイツ。


彼女の衣服は可憐な彼女の姿に実に合っていた。

綺麗な白髪も相まって、より印象が白に染まる。

少女は長椅子に腰掛け、窓の外を見た。


駅ホームを清掃する駅員と鉄の軌条レールを点検する職員が見える。

ふと思い出す。


この列車は地方で走る列車と異なり、軌間二本のレールの間隔も軌条自体も太くなっている。

それは超重量の車体を支え、走行を安定化させる目的があるそうだ。

つまり、乗り心地は良く、夜はぐっすりと眠れる、という事である。


角笛のような高い音が響く。

この鉄龍の頭部を担う、蒸気機関車の汽笛きてきだ。

内部の余剰蒸気を吐き出す行為である。


それはこの列車が発車しようとしている事を意味している。

少女は、窓の向こうの青空を風に流されながら行く雲を見た。


あの雲はどこへ行くのだろうか。

もしかしたら、自身が向かう場所へ行くのかもしれない。


白き旅人の名はイリュリチカ。

彼女の旅は東の果てヴァスニエーツから始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る