23 過去と今とこれから


 ドゥランは何と言ったものか逡巡した。そして結局、直球を投げる。


「――手、出すなよ?」


 父親の顔のドゥランに、エドモンドは失笑した。


「産まれた時から知ってるんだけど」

「可愛がってくれるのはありがたいさ。だがな――ニルダと彼女を重ねて見てるだろう。それはおまえだって辛いんじゃないかと」

「ニルダはさ――」


 ドゥランをさえぎって、エドモンドは遠い目をした。


「そうだな、似ているよ。どんどん似てくるのが不思議だ。だけどそれだけだ。代わりとかじゃなくて、ニルダを見ていると面白い――君だって、面白がっているだろう?」


 じっとエドモンドを見つめて、ドゥランはうなずいた。それは否定できない。可愛いだけの娘でもよかったのにと時々考えてしまう程度には。

 しかしこの友人が囚われている過去――それをニルダは鮮やかに思い起こさせる。痛みに身を委ねるエドモンドを見ていると、ドゥランの方もため息が止まらないのだった。



 ***



 昼下がりの食堂は、亜麻織物組合の会合のために貸し切りになっていた。元々広くもない店は男達でごったがえしている。肉の煮込みぐらいしかない店だが、今は食事も済んで軽い麦酒を飲む者がいるだけだった。

 織り子の元締め、製糸業者、亜麻の買い付け屋。その中に織元のモンテッキもロレンツォもいる。あちこちで話がはずむ中、モンテッキはロレンツォに静かに話しかけた。


「この間おまえが言ってきた、うちの新規客な。おまえとの取り引きはと聞いてみたら、品物が粗悪だから乗り換えたんだと言われたぞ」

「うちの商品が悪いとぬかすのか」


 ロレンツォは不愉快そうにモンテッキを睨む。顧客を取られたと文句をつけに行ったのはつい先日のことだった。


「ずいぶんな安物だったらしいじゃないか」

「あっちがその値段でできないかと言うから安く作ったんだ。安い物が上等なわけはなかろうが」


 原価で欲しけりゃ自分で作れ、作れるものならば。そうロレンツォはうそぶく。その言い分はモンテッキとて理解できるのだが――。


「おまえ、紡ぎも織りも買い叩いたな」


 モンテッキは低く詰め寄った。その後ろで数人が話の流れを気にしている。買い叩かれた側の職人達だ。


「安い賃金でいいから仕事が欲しい連中はいる。町に来たばかりで飢えてる奴らを助けてるんだぞ? 何が悪い」

「かわりに腕のある奴らが飢えるじゃねえかよ」


 とうとう後ろから口を挟む者が出た。腹に据えかねていたらしい。

 糸を紡ぎ布を織るのは、家庭内の内職も多い。ほとんどの家の女達は暇さえあればそうしてコツコツ働いていた。だが農村から町にきたばかりの家には織り機も紡ぎ車もなく――そんな所に器具を貸し出す代わりに安く作らせているのがロレンツォだった。

 彼らは自家用の粗雑な物しか作ったことがないのがほとんどで、ろくな指導もなく売り物を作らせるのは無理がある。その無理をロレンツォは通そうとした。結果、ある程度の品質を保証できる人々の仕事が減っているのだ。


「安かろう悪かろうなモン売りつけるなんざ、亜麻アルテの名折れだね」

「職人の誇りはねえのかよ」


 一人が口火を切ると次々に野次が飛び、ロレンツォはムッとして黙った。まあ待て、とモンテッキは手で後ろを抑える。


「まともな物を作っていかないと、その内に客は離れる。そこは守ってもらおうか」


 上からの言いようにロレンツォは椅子を蹴って立ち上がった。周囲がざわつくが、モンテッキは一応組合の重鎮だ。ロレンツォは歯を食いしばり無言で店を出て行った。



 まったく癇に障る奴だ。歩きながらロレンツォは苛々と考える。

 年齢もたいして変わらないのに偉そうに、代々このアデルモに住んでいたというだけの男に何がわかるというのだろう。


 ロレンツォはごく幼い頃に周辺の村で食いつめて移住してきたらしい。それを覚えてもいない年頃のことだ。人生最初の記憶は狭い屋根裏部屋の藁のベッドに家族全員ぎゅうぎゅうに寝ているところ。泣いてはうるさいと叩かれた。

 そういう暮らしの人々に安くても仕事を与え、食えるようにしてやっているだけなのに何故非難されるのか。ここまで成り上がった自分はすごいと素直に思っているロレンツォだった。


 ロレンツォの足は、自然に街の外れを目指した。アデルモを守る市壁、運河――その近くには、必要悪といえる施設が存在する。娼館だの賭場だのといったものだ。

 彼のお気に入りはサイコロ。負けることも多いが、勝ちの目が出た時の興奮には替えられない。


「あら、ロレンツォさん」


 その前に声を掛けてきたのは、先ほど不愉快な思いをさせられたモンテッキの娘ロマだった。つい視線が鋭くなってしまい、いかん、と眉間を押さえる。


「やあロマ」

「もう会合はおしまいなのかしら。父さんも帰ってくるのね、やんなっちゃう」

「まだ喧嘩中か?」


 あの気に食わないモンテッキは、娘にも口うるさい。だが少々浮ついた考えなしのロマに厳しくするのは父親なら当たり前だとロレンツォも思った。だからこそ、モンテッキへの嫌がらせとしてロマが道を踏み外せばいいと願ってしまう。染物師と結婚しろだの薬があるだのとそそのかしてみたのはそんな理由だった。自分の子なら絶対に許すものか。


「もう父さんとは口もきいてやらないの。前に言ってたお薬、本当に手に入らない?」

「いやロマ……それは難しいな。ジュリオは何か言ってるのかい」

「それが会えないのよ。あの辺りに行かせてもらえなくて。ロレンツォさんは今、あっちに行くところかしら? ジュリオに会えたらまた伝言して下さる?」

「ああもちろん」


 これまでも何度か頼まれたことだ。「愛してる」だの「会いたいわ」だの。伝えたことなど一度もなかった。今日だって方向は近いが行くのは賭場だ。

 もとから無口なジュリオのこと、返事はと訊かれても「ああ」とひと言、あるいは黙ってうなずいていたと適当に言っておけば辻褄は合うと高をくくっている。それで何も気づかないロマが馬鹿なのだと、ロレンツォは突き放していた。



 ***



 リヴィニ伯爵の執務室に、執事をはじめ伯爵を補助している法学者、勘定方、騎士団員などが集まっていた。様々な報告のためだ。伯爵はアデルモの中の細かな問題をつぶさに知りたがる、穏やかで知的な人物だった。


「……やはりの賭場が増えています。市壁に近い、貧民街にいくつか確認しました」


 今日は騎士団服を着ているアレッシオが上申する。先日ニルダに行き会った時の仕事、それがこの件の調査だった。

 公認の賭場はある。教会はいい顔をしないが、完全になくせば水面下で悪どいことが行われるだけだ。それよりは管理し、税も取るのが統治者としての合理性。だがやはり、その目をかいくぐろうとする不届き者は出るので取り締まりが必要なのだ。


「では日取りを決めて、一斉に踏み込むとしよう」

「はっ!」


 伯爵の指示により、騎士団は賭場の摘発に向けて動き始めた。

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