01 : The prayer closed to "Soul" and "Heart"

「死にたい。」

 その言葉は、すべてを忘れさせてくれた。どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても。次の日には、綺麗さっぱりと忘れられる。

 それが正しい選択かどうかを知るのは、何に対しても一様で、後日である。早ければ翌日で、遅ければ数年後になるだろう。





 友達に嫌われたかもしれない。

 死にたい。

 でも、このまま死んだら後悔する。

 明日になったら、謝ろう。

 

 

 親に怒られた。

 死にたい。

 〇したい。

 でも、怒ってくれることは愛なんだ。

 次しなければ、大丈夫なはず。

 それに。明日になったら、忘れてる。

 

 

 あいつに殴られた。

 死にたい。

 〇したい。

 死にたい。

 でも、友達だから。

 これくらい普通なんでしょう?

 明日になったら......

 明日になったら......解決する。

 ねぇ、明日はまだ? 

 

 

 死にたいと思うことがある。

 それは、少し違う。


 死にたいと思うことしか出来ない。

 それが正しい。







 人らしく、とは『生きるため』に考えることではないでしょうか。

 今日は、何を食べようか。

 週末は、何して遊ぼうか。

 小さいその考えこそ、幸福の秘訣なのかもしれません。

 いつか思っていたことがあります。

 それまで楽しいと思えたことを、楽しいと感じなくなったときは、生きることをやめよう。「死」を選ぼうと。

 

 そして、今。

 私はそこにある。

 

 ゲームが、苦になった。

 アニメが、ちゃんと見れない。

 漫画や小説を読んでも、楽しくない。

 食べたいと思うものがないから、仕方なく食べる。

 寝るのが怖い。

 

 

 家の照明は間接照明だけで、その下にはリボンで作った"簡易の首吊りロープ"がある。なぜあるのか、聞かれればこう答える。


「戒めなんだ。それ以上の先にいかないための。」


 私にとっては、心でつぶやく「死にたい。」という言葉と同じくらいの効果がある。

 言葉の効果が失われている今。

 そのロープは、本当の意味で命綱になっている。







 _____________________________

 <タイトル・和訳について>

 タイトルの和訳は『心と魂に閉じ込めた祈り』です。

 私にとって、これにあたるものは「死にたい」という言葉そのものでした。

 辛いことがあっても、悲しいことがあっても。

 考えることで、感情の負担を減らしていたんだと思います。

 

 その反面、染みついたことで、心から笑うことができなくなってしまいました。

 少し表現が難しいですが、簡易表現では「作り笑い」しかできなくなったことです。昔の写真を見るとよくわかって、ある時期から目が死んでるのです。

 そこに因果関係が無いと信じたいですが、ね。




 <英語表現について>

 関係代名詞の用法である「"X" (that is) 動詞 "Y"」です。

 いつも学校のテストでは、悩まされました。

 なんで消えるんだろう。そんな疑問を抱いていたのを、昨日のように覚えています。

 しかし、時間がたてばなんとやら。今では、消えている方がしっくりと来ます。

 

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