第9話 そのメイド『歌唱』

「下がって!」

 危険を察知し、ヴィアトリカの前に進み出て、盾代わりとなったロザンナがミカコを下がらせる。

「ロザンナ……ここから出せ!」

 ヴィアトリカがロザンナを威嚇する。その様はまるで、悪魔に取り憑かれた猛獣だ。ヴィアトリカは正気を失ったままだった。

「申し訳ございません。魔除けの結界を解くのに手間取っておりまして……もう暫く、お待ち下さい」

「ふざけるなぁぁぁ!!」

 片手を胸に添え、恭しく頭を下げたロザンナに、ヴィアトリカが声を荒げ、怒り狂った猛獣の如く吠える。

「今すぐここから出せ!!さもないと……この娘がどうなってもいいのか!?」

 ヴィアトリカに取り憑く悪魔が、まるで刃物のように先が尖った爪を、ヴィアトリカの喉元につきつける。もやは、一刻の猶予もない。

 落ち着いて……考えろ!

 悪魔を封印した筈なのに、ヴィアトリカは悪魔に取り憑かれたまま……しばし、ショックを受けていたミカコは、はっと我に返り、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。 

 どうしたら、ヴィアトリカが正気を取り戻してくれるのだろう。必死で思案していたミカコはふと、あることを思い出した。ヴィアトリカは、日本にゆかりのある歌が大好きだ。それならば……もう一度、ゆっくりと深呼吸をしたミカコは歌い出した。

「この歌は……」

 ミカコの歌声に、耳を傾けたロザンナ、ルシウス、ラグが反応を示す。今、ミカコが歌っているのは滝廉太郎の「花」だ。

 もとはハウスメイドとしてこの屋敷で働くミカコが口ずさんでいた歌だったが、何度も聞いているうちに、歌詞とメロディー、そして作曲家の名前までもすっかり覚えてしまった。そして三人が知る限り「花」は、ヴィアトリカお嬢様のお気に入りの歌である。

「なるほど……そう言うことですか」

「花」を歌うミカコの思惑を察知し、気取った含み笑いを浮かべたロザンナは、何もかも見透かしたような雰囲気を漂わせたのだった。

 ミカコの歌声にヴィアトリカが反応した。

「うぅっ……」

 正気を取り戻しつつあるヴィアトリカと、彼女に取りく悪魔が戦っている。そして……

「……悪魔め……勝手に、私の体を乗っ取るとは……許せん」

「お嬢様……?」

 不意に歌うのを止めたミカコが、不安そうに問いかける。

「待たせたな……さぁ、早く封印してくれ!私が正気でいられる、今のうちに!」

 正気を取り戻したヴィアトリカが、凜々しい笑みを浮かべてミカコを促す。ヴィアトリカの頼みを受け、ミカコはゆっくりと歩み寄り、ロザンナの脇を通り抜けて、結界の中に入ると、愛情を込めてヴィアトリカを抱きしめた。

「お嬢様……よく、頑張りましたね」

 優しく微笑み、言葉をかけたミカコは、白く、ほっそりとしたヴィアトリカの手を握り、

聖なる刃セイントブレード

 静かに呪文を唱えて、悪魔を封印した。その直後。身の毛もよだつ悪魔の断末魔が部屋中に響き渡り、一枚のトランプのカードが出現した。

「悪魔封じにも、いろいろなやり方があるのですね」

 長きにわたりヴィアトリカに取り憑いていた悪魔を封印し終えた後。気を失ったヴィアトリカを寝室のベッドに寝かせたロザンナが徐にミカコに話しかける。

「そうですね……」

 真顔で返事をしたミカコはやおら、胸中を吐露した。

「さっきの……ジャンを封印した時に思ったんです。今までは魔獣モンスター相手に封印のつるぎを使ってきたけれど……ヴィアトリカお嬢様のように、悪魔に取り憑かれた人間を相手に戦って、封印しなければならない。そんな時は、出来るだけ惨くならないようにやり方を変えないと……と」

 対戦相手が魔獣モンスターなら、たとえ人間の姿になっていようと、ジャンを封印したようなやり方で大丈夫なのだが、対戦相手が本物の人間になった場合、同じやり方ではトラウマになりかねない。

 ロザンナVSバーサスジャン戦において、それを感じ取ったミカコはやり方を変えた。出来るだけ剣の刃を使わずに、ヴィアトリカに取り憑いた悪魔を封印する。そうしてミカコは、神力で以て手の平サイズにした封印の剣を隠し持った右手でヴィアトリカの手を握り、悪魔を封印したのだった。

「たとえ本物の人間相手だろうと、私ならばなんの躊躇ためらいもなく刃を向けますね。死期が近づいた人間に鎌を振るい、再び人間へと転生させる死神ならなおさら……まぁ、これはあくまでたとえ話ですが。

 あなたも、悪魔との対戦において、人間ひと慣れした方が良いと思いますよ。対戦相手によっては、あなたの心の弱さにつけ込んで来る者もいるでしょうから……私のようにね」

 氷のように冷めた笑みを浮かべたロザンナ。徐に、左腰に差しているサーベルを引き抜くと、その先端をミカコに向けた。

「ミセス・ワトソン……?」

「おいおい……冗談だろう?お嬢様を悪魔から救ってくれた恩人に、刃を向けるなんて」

 そう、ロザンナの言動に違和感を覚えたルシウスが、ワケが分からないと言いたげに言葉をかける。

「……これは、どういうことですか?」

 にわかに緊張が走り、ポーカーフェイスで尋ねるミカコに、ロザンナは真顔で釘を刺す。

「お忘れですか?この隣の部屋で、お嬢様が私に命令をしたことを」

「それって……まさか……」

 ロザンナの言葉で、瞬時にその時のことを思い出し、ミカコの背筋がぞっとする。

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