ロストクラッシャー〜put on darkness〜

やきとり

第1話 囚人と博士

 貴方の心臓を抉ってもいいかしら。

 超絶美女が面会に来てると言われ、窮屈な首輪と手錠を付けられながらも面会室にやって来たというのに、まさかの死刑宣告を受けたロスト・アルベルトギフテッドは、唖然とした。

 刑務所に来てから二年が経って、ようやく入る事を許された面会室。

 それは煉瓦造りのとある一室。

 木製の机を挟むように三人は座っている。

 壁に取り付けられた炎のランプが、揺ら揺らと燃えている。

「あの、それはどういう事ですか?」

 状況を理解出来なかったから、ロストは質問した。

「そうですね。単刀直入に言わせて頂くと僕達の実験に協力してくれませんか?」

 答えたのは銀色の丸眼鏡を掛けた青年の方だった。

「実験ですか?」

 ロストが質問すると、丸眼鏡は複雑な計算式や人体模型が描かれた百科事典のような資料集を、椅子の下に置いてあった黒のリュックから取り出した。

 丸眼鏡の青年の右手には紋章が描かれている。

 そして付箋が何枚も貼られている資料集を、丸眼鏡は滑らかな手つきでめくっていく。

「僕達は魔獣を研究をしていまして、その為にはあなたの体が必要なんです。僕達は一年前、氷の大地"フリゾリア大陸"で世にも恐ろしい怪物の心臓を見つけました。研究チームによればこの心臓は今から八千年以上前から実在していたらしくて、未だにその生命反応を示してるようなのですよ。それでですね、この心臓はただ動いている訳ではなくて、あらゆる衝撃や毒素に耐性があるんです。こちらの分子構造はオオグノズチノの毒の主成分であるパリリラルチシンなんですけど、見てください! この複雑な結合を。この結合は物凄く強くて、なかなか壊れないんですよ。そう、壊れないんです。だからオオグノズチノの解毒剤を作るのが難しくて……。ただ僕達が見つけたこの心臓にパリリラルチシンを少量入れると、なぜか瞬時にバリリラルチシンが分解させるんです。理由は全く分からないんですけど、奇跡ですよ。まさに夢物語ですよね? しかしですね…………」

「…………」

 ロストは失礼のないように、口を閉じながら大きなあくびをした。それに反して丸眼鏡の青年は、分厚いその本を見せながら、時にはもう片方の腕も使って、ジェスチャーをしながら説明していく。

「ということなんですよ! これ、凄くないですか?」

「え? あ、はい」

 突然、ロストは話を振られた。

 だけど、彼には何も理解出来ない。

 そろそろ話を中断してもらうか。

 そのような中、二人の温度差を察して

「レントくん、説明が下手」

 丸眼鏡青年の止まらぬ話に終止符を打ったのは、彼の隣に座る女だった。

 エリート感漂う白衣を着こなす小柄の女性。長い睫毛と、ベージュのサラサラな髪。色白の綺麗な地肌が彼女の清廉さを際立たせている。

 刑務所の面会室にそぐわない上品なカップで紅茶を嗜むその姿は、一瞬を切り取った絵画のようだった。

「馬鹿にでも分かる説明をしなきゃ」

 見開く丸眼鏡。すると彼は、砕けたように苦笑いをして

「すみません、マーキュリー博士」

「はぁ〜いいわよ、べつに」

 ため息を吐く彼女。

 その瞳をロストの方に向けた。

 思わず赤くなるロストの頬。

 マーキュリー博士は、すぐさま隣にいた青年の方に視線をずらす。

「はぁ〜男ってろくでもない奴ばっかだわ」

 そう言って彼女は足を組んだ。

「本当にすみません、マーキュリー博士」

「いえ、あなたに言ったんじゃないのよ、レントくん」

 レント、マーキュリー。

 どうやら二人の名前のようだ。自己紹介もなしに会ったから、ロストは初めて二人の名前を知った。

「ロストくん、ご家族は?」

「え?」

 急にマーキュリー博士の方から話しかけられたから、ロストは驚いて咄嗟に反応出来なかった。

「なに? いないの?」

「いえ、います。いや……つい最近まで妹がいました。もう……死んでしまいましたが」

 少し躊躇って声を出すロストに対して、マーキュリー博士は少し微笑んで

「あら、そう。

「……は?」

 刹那、室内空間に凍える電流が走る。

「それは……どういう意味ですか?」

 ロストは妹の顔を思い浮かべながら身震いする。

「待ってくださいロストさん。違うんです。僕達は決して妹さんの死を望んでいた訳ではなくてですね……えーと」

 レントは頭を掻いて、次の言葉を探す。

「なにが違うんですか?」

 ロストは彼の醜態を見たせいで、余計に胸の奥が気持ち悪くなった。

 椅子を蹴飛ばすように立ったロスト。捨てるように小さく『失礼します』とだけ吐くと、ロストは二人に背を向けて出入り口に足を運ぶ。

 部屋を出よう。

 そう思った時だった。

「人生にやり直しってあると思うのよ」

 ピタリと彼の足が止まった。

 前に進もうとする体と、後ろに引き下がろうとする両足。その二つが吊り合って、ロストの体は凍ったみたいに静止した。

「さっきの発言は謝るわ。本当にごめんなさい。ただ人体実験をする時は、たとえそれが凶悪犯罪者だったとしてもご家族に実験の許可を貰わなくちゃいけないのよ。中立国家が決めた法律だからね」

 マーキュリー博士は淡々と声を出した。今すぐにでもロストは、二人の胸ぐらを掴んでやりたいと思った。でもそう思う反面……

「私はね、この実験に参加する事は罪滅ぼしになると思ってるの、あなたにとって」

「罪滅ぼし……」

 ロストはひとり、吐いた。

 その瞳は複雑な迷いで満ちている。

 ロストは二年前、刑務所ラディオンに服役した。魔人と呼ばれる異形を家に匿っていたから。

 基本的に一般市民は魔人を見つけたら、冒険者に通報しなければならない。それが市民や街の安全に繋がるからだ。

 ところがロストはそれをしなかった。いや、出来なかった。それ故に彼は世界最大の刑務所であるラディオンの地下百階への無期懲役が決定したのである。

 ただロストの犯した犯罪は少し特殊だった。なぜなら、たかが魔人を違法に飼っていただけでは、そこまで重い罪ならないからだ。そもそもラディオンは中立国家が管理するこの世の地獄。並大抵の犯罪行為ではラディオンに行くことすら出来ない。

 ましてや地下百階という現実と隔離された場所に幽閉されるなんて、それこそ街や島を丸ごと破壊するぐらいの事を成功させなければならないのだ。


——そう、街や島を破壊する。


 なんとロストと一緒に生活していたその魔人は、街を一つ消し去り、たったの五分間で十万人以上の人間を殺害したのである。もしロストが迷わず通報していたら、結果は違っていたのかもしれない。

 でもロストはこの事実を受け入れる事が出来なかった。彼が面倒を見ていたその魔人は、世間一般的に言われるような劣悪な存在ではなくて、むしろ周囲の人間よりも人間していた。誰かが捏造して事実をでっち上げたとしか思えなかった。

 しかし現実は違った。彼はいつも夢の中で、無数の屍と血の海に引き摺り込まれそうになった。その魔人が殺したとされる沢山の人々の怨念が、全て自分の身に降りかかっているような気がして、仕方がないのである。

 吐き気を呼ぶ死体臭。亡者の苦しい叫び声。

 彼は夜な夜な目を瞑るのが死よりも恐ろしいものに思えた。

「僕は……一体どうすれば」

 親友を信じたい気持ちと、自身を押し潰そうとする罪悪感。

 彼は正反対の感情と板挟みになっていた。

「僕は……僕は……」

 そんなロストの背中を見て、

「ロストさん、僕達は人類の未来に貢献したいと思ってるんです」

 レントが口を出した。

「え?」

 振り向くロスト。

「この実験は人類を救う鍵になるかもしれないの」

 続いてマーキュリー博士が声を出す。

 どうやら、二人がかりでロストを口説きに来たようだ。

「あなたも知ってるわよね? 今この世界は、魔獣と人間が世界の支配権を懸けて戦争をしている」

 魔獣がこの世界に現れたのはもう何万年も前のこと。魔人、魔物、自縛魔といった人智を超えた怪物の総称を人間は"魔獣"と呼ぶ。

「今この瞬間も、地上では人と魔獣が戦ってる」

 ここは地下百階。地上とかけ離れた世界だが、丁度この真上で今、二者は激しい戦火を散らしている。

「彼らは私達が想像さえ出来なかった、残虐で突発的な行動をしてくる。このまま行くと人類の敗北は避けられない。でもこの実験は、生き物の根源的な仕組みを解明する手がかりになる。魔力は何か。魔法とは何か。人類と奴等の違いは何か。何故人と魔獣にしか魔法を使えないのか。他の動物が魔法を使える可能性はあるのか。魔術を持たずして生まれた人間の正体とは何か。この実験は、我々が戦争に勝つ、反撃の狼煙になるかもしれないの」

 マーキュリー博士は空気に判子を押すみたいに、一つ一つの言葉を述べてみせた。

 でもロストは何の返事もしない。黙ったままだ。

 そんな彼を見兼ねて、マーキュリー博士は突然、針を刺すように次の言葉を言った。

「あなた、死にたいんでしょう?」

 ロストの耳がビクッと動く。

「……え?」

 彼は生きる意味が分からなくなっていた。世界と隔離され、食べて寝てを繰り返す日々は、見える視界全てが灰色に見えた。昼か夜かも分からない時間に目が覚め、スッキリしない頭を抱えながら、監視官から支給される食事を手に取る。

 グレーの孤独とグレーの過去。

 光なんて見えやしなかった。

 マーキュリー博士はそんな彼に憑依するように話を続ける。

「人はね、自分の為だけに生きてると見失うんだよ、道を」

「…………」

 ロストは思わず顔を上げる。でも彼女の真髄のまなこに、心を覗かれるのが怖くて、すぐに顔を伏せた。

 香ばしいレモンティーの匂い。マーキュリー博士の白衣や麗しい髪から放たれる菜の花の匂い。そして彼女の考える妙諦というものが、ロストの心を騒つかせる。

 マーキュリー博士は、彼の関心が自分に向けられているのを分かっているのかもしれない。紅茶を一口、ぷっくりとした唇に含ませると、話を再開した。

「これは、私の予想だが……」

 マーキュリー博士は息をすぅーと吸って

「あなたがこれまで殺したとされる数の何百倍もの人数を、あなたは将来助けると思うの、この実験に参加すればね」

「……」

「私はまぁ〜天才だからね、これまで沢山の発見をしてきたわ。正直言って私はその辺の凡人とは一線を超えてると思うの。私は天から二物の三物も与えられたから、人生イージーモードだったのよ」

「……」

「だけどある日、私は大切な人を失ってしまった。この世で唯一大切な人をね。そして気づいた。どんなに素晴らしい賞賛や才能を得たとしても、本当に一緒にいたいと思える人を幸せに出来なきゃ何の意味もなかったって事にね」

「………」

「ロスト君、私はあなたの気持ちを理解する事は出来ない。あなたがどんな心持ちで今まで生きてきたか何て分からないし興味ない、でも! 内に秘めた心の闇を照らすには、外に出るしかないのよ、良くも悪くも。人と関わり、人を知って、己の未熟さを自覚する。その繰り返ししかないのよ」

「………」

 ロストは何も言い返せなかった。

 胸の奥で燻っていた何かが、剥がれる感じがしたのだ。答えのない問いに対して、道標が見えたような気がした。

「…………」

 それからロストは、頬にしたる雫を袖で拭き、ズルズルと鼻を啜った。小刻み揺れる揺れる息を落ち着かせて

「本当に、この実験は人の役に立つんですか?」

 ロストは縋るように質問した。そんなロストに対してマーキュリー博士は、今まで一片たりとも見せてこなかった仙人のような柔らかい笑顔で

「えぇ」

 と答えた。

 その瞬間、彼の足は再び机の方に向かっていた。席に着き、提示された様々な誓約書や手続き書類に、自分の名前を書いていく。

 、そんな洒落た手でペンを走らせる。その一つ一つに自分の運命を決定づける重大な分岐点が設置されていて、ロストは心に迷いが生じる前にサインをした。

「あなたは偉大なことをしたわ」

 マーキュリー博士はそう言って、彼の肩を叩いた。レントもそのフワフワとした丸眼鏡をロストに向けて綺麗にお辞儀をする。


 こうしてロストは、その十七年の生涯に幕を閉じたのであった。



*    *    *


 人里離れた不整備な砂漠地帯には、無数の獣と人間の死体とが横たわっている。薄暮に吹き上がる砂ぼこりが、錆びた死体を覆い、その惨劇を土の中に埋めていた。

 虎のように獰猛な顔面も、一世を風靡した勇敢な背中も、巨大な節足動物の牙も、全て夕闇の中に消えていく。散らばる血痕。崩れ落ちた巨大蜘蛛。

 かつては麗しい森林も、人と魔獣が戦えば砂漠と化す。木々の面影は全て戦争の下敷きとなり、その美貌が復活することはない。

 人類は勝てると思っていた。

 最後に勝つのはヒトだと思っていた。

 全人類の約十分の一を投入したこの戦いは、森林の大陸と謳われたアマゾニヤ大陸全ての木々を燃やし尽くし、投入した冒険者全員が、そっくりそのまま魔獣の餌となってしまった。

 ところが、そのような死の大陸も、自然の神が元の楽園に戻してくれる。

 オレンジ色の空が消えかけ、死体の大地に大粒の雨が降り始めた。溶けていく生物の血。分解されていく数々の死体。まるで神が、大陸を洗い流していくようだ。

 その中に唯一人。

 雨に濡れる死体の山から、一人の男が起き上がった。双眸は狂気に満ちており、雨に裸体を晒している。広がる悲劇。荒れ狂う天の形相。そして目覚めた神の化身。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 泥だらけになりながら、ロスト・アルベルトギフテッドは膝をついて、天を仰いだ。


 今宵、人類が生み出した最強の生物が目を覚ました。

 それは、戦争の歴史を終わらせる人類の救世主メシアとなるか、それとも……。


 


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