第16話 未鎖の自由


 俺は、あの男の提案を保留にした。

 ラクトール・IC・ジェームズ。

 なんて、名前を名乗った異世界人。


 その言葉は、確かに魅力的に思えた。

 仮想世界では、全てが自由になるという。

 飯は必要ない。

 電力さえあれば生きていける。

 その電力も、自動生成される。


 そんな世界で不自由無く生きる。

 確かにそれは、幸せな事なのだろう。


「マナ、悪かったな急に消して」


 自分の部屋で、俺は杖を呼び出した。

 木造建築のぼろい家。

 暖房器具も無いから少し寒い。

 毛布も、そろそろ新しい物を買わないと。


「良い。怒ってはおらぬ。

 だが、怖かった……其方が居なくなると思った」


 そう言って、手を握って来るマナの頭を撫でる。

 どうすればマナが落ち着くのか。

 少し、分かって来た気がする。


「ごめんな」


 そう言うと、マナは俺に身体を預けた。

 彼女は何も言わず、そのまま時間が流れる。


「儂も、強くならねばな」


「マナはもう十分強いって」


「それでも、其方に降りかかる危機は、儂の力以上じゃ。

 それを理解するべきじゃった」


 それは、マナのせいじゃない。

 俺が、自分の意思で飛び込んだ危険だ。

 それに、俺は死なない。

 多少、痛みがあるだけだ。


 それに、向こうに住むなら、もう……


「なぁ、教えてくれ」


「なんじゃ?」


「マナが、神樹があの欠片を拾ったのは、どれくらい前だ?」


 そう聞くと、マナは思い出す様に言った。


「うむ、細かい事は憶えて居らぬが……

 儂が神樹になる前じゃったから、1万年以上前じゃ」


 あの男が1万歳。

 いや、流石にそこまで歳には思えなかった。

 数百歳とかなら想像もできるけど。

 1万年か。


 俺が死ぬまでに、次元断層片が暴走する確率。

 可能性は低そうだ。


 世界が滅ぶ。

 それも結局、夜見に言われただけ。


 そもそも、その世界を滅ぼせる物を破壊じゃ無く回収してる意味が分からない。


「学校行くか……」


「アタル、いつでも儂を呼び出して構わぬからな」


「あぁ、ありがとう」


 そう言って、俺は杖を消す。

 制服に袖を通し、学校の鞄を持って一階へ降りていく。


「充、おはよう」


 望月茉莉もちづきまり

 俺の実の母親が、リビングに居た。

 化粧を終え、少し高い鞄を持っている。

 何処かへ出かけるのだろう。

 でも、仕事ではない。


 母さんが仕事をしている所なんて、最後に視たのは中学の時だ。

 その時も1週間足らずで辞めている。


「おはよう母さん」


 そう言うと、母さんは俺に媚びる様な目つきで言う。


「今月の分、使い切っちゃって。

 もう少し、貰えない?」


 俺は母さんに月5万円の小遣いを渡している。

 それは生活費抜きの小遣いだ。

 まだ今月は15日。

 今月は少しペースが早い。


「3000円でいい?」


「もう少し……駄目?

 じゃ無いと、私自分で働かなきゃ行けなくなる。

 でも、お母さん普通の仕事は向いて無いから……ね?」


「5000円。

 これ以上は、生活できなくなっちゃうから」


 毎回、同じ流れだ。


「……あのね、だったら私働こうか?

 一応、知り合いに風俗のオーナーとかも居るから」


 そう言って、俺を脅してくる。

 お前のせいで、私は辛い思いをするのよ。

 って。


「そんな事、しなくて良いって言ってるじゃん。

 1万円、これだけあれば足りるでしょ?」


「ありがとう」


 俺の差し出した御札を、母さんは自分の財布に入れる。

 頑張らないとな。

 10万円あれば、少しは余裕ができる。


 頑張って……



 8200億人。

 殺さないとな。




 ◆




 学校へ向かう。


「よぉ、充」


「おはよう、望月君」


「あ、あぁ……」


 そう言って、俺は2人の間を通り抜けて。

 自分の席へ鞄を置いた。


「なぁ、充……」


「ねぇ、望月君」


 2人は、そんな俺を追う様に席に前に立って。

 言ってくる。


「俺の家に暫く住むか?

 何があったとか言いたくないなら聞かないけど。

 逃げたい時は、逃げとけって。

 俺なら幾らでも、協力してやるから」


「私も、お弁当くらいだったら作れるよ。

 あ、あと出席とかもちょっとなら誤魔化せるかも!」



「え……?」



 なんで。

 なんでだ。


 頬が濡れる。

 涙が零れる。


「充……」


「望月君……」


「俺……」


 やばい。

 高校生にもなって、何やってんだ。


「ごめんっ!」


 席を立って、俺は廊下に飛び出した。

 幸い、まだ登校時間には早い。

 廊下には殆ど生徒は居なかった。


 向かう先は、屋上だ。

 でも、朝は流石に鍵掛かってるか。

 そう思ったが、どうしてか屋上の鍵は開いていた。


「やぁ……」


 青空を眺めながら、座り込む丹生夜見が居た。


「夜見さん」


「さんは要らないって」


 元気が無い。

 俺にも分かるほど。

 あからさまに。


「元気、なさそうだね」


 俺を見て、夜見はそう言った。


「そっちこそ、何やってるんですか?」


「まぁ、休憩かな。

 君は?」


 俺は、何をしに来たんだろう。


「分かりません」


 そう言って、俺は彼女の隣に座った。

 別の場所を探すのも面倒くさい。

 態々、離れて座る必要も無いから。


「世の中、上手い事ばっかりには行かないね」


「あんな力があってもですか?」


「表立って使える力じゃないよ。

 ギフトで解決しても意味が無い」


 だとしたら。

 最強のギフトを持つお前でも駄目なら。


 俺の目的は。俺の願いは。

 この世界に居て、叶うのだろうか。


「私、転校するかも」


「……そうですか」


「だから、別れようか」


「いや、付き合って無いですから」


「え……」


「は?」


「私、男の人はみんな私と付き合いたいんだと思ってた」


「やばいじゃん」


「けど、それで良かった。

 お父様の事、ありがとう。

 君の事は、一生忘れない」


「部活は、どうするんですか」


「部員は私と君だけ。

 続けるのも辞めるも、好きにしていいよ。

 あ、けど転校しても同じ活動はするから、向こうの世界で会ったらよろしくね」


「そっすか……」


 意識して、そうした訳じゃない。

 でも、無意識的に俺の口は呟いていた。


「夜見……一緒に、異世界に逃げよう。

 なんて、俺が言ったらどうしますか?」


「可能ではあるだろうね。

 でも駄目だよ。

 お父様を一人にはしたく無いから」


 ……そう、だよな。

 俺も母さんを一人には出来ない。

 紘一や委員長に寂しい思いはさせられない。



 ――断ろう。




 ◆




 ――放課後。


 俺は鏡を通り抜ける。

 目の前には、男がいた。


「答えは出たかい?」


「あぁ、俺は……」


「いや待ってくれ。

 それを私に言われても、どうしようもない。

 それを言うべき相手は、メサイアだ。

 あの子が、欠片を持っているのだから」


「話せるのか?」


「当然だろう。

 だから、君には仮想空間に行って貰う」


 男がそう言う。

 すると、天井からコードの繋がったヘルメットが吊り落ちて来る。


「少し床は硬いかもしれないが、我慢して欲しい。

 君の答えを伝え、メサイアとどういう関係になっても。

 一度戻って来る事は確実だ。

 その後のログインはふかふかのベッドでも用意しよう」


「分かった」


 俺は、ヘルメットを被り、仰向けになる。


「それじゃあ行ってらっしゃい。

 ……メサイア、これでいいんだよね」


 何処か悲しそうに、男は呟く。

 けれど、その声は小さく、聞き取れなかった。


 男は、ヘルメットのスイッチを押す。

 その瞬間、俺の意識は切り替わった。



 真っ白な空間だった。



 そこに、金髪の女性が立っている。

 薄い桃色の羽衣を纏う女。

 慎重は高く、顔は奇妙なほど整っている。


 美人なのは間違いない。

 完全な左右対称。

 でも、それが逆に気持ち悪く見える。


 そんな女。


「お前が、メサイアか?」


「はい。

 仮想世界を構築する全てのシステム及び。

 それに必要な物理世界の管理を司る。

 万能型統括管理AI。

 メサイアと申します」


 女は、美声でそう話す。

 平坦な、感情の無い様な声。

 けれど、起伏は存在する。


 きっと声色すら、こいつは使いこなせるのだろう。


「私は貴方に要望が有ります」


「悪いが、こっちの世界移住する気は――」


 俺が言い終えるより速く。

 メサイアが両手を広げる。

 そこに、2つの人影が現れた。


 その影は、俺の見知ったシルエットに変わっていく。


「充、今日こそカラオケ行くぞ」


「ちょっと待ってよ!

 望月君は私と一緒にケーキバイキングに行くんだよ」


 紘一と委員長が、メサイアの隣に立っている。


 違う。

 騙されるな。

 これは、所詮仮想。

 幻影なんだから。


「貴方の記憶情報から彼等の人格を模倣し、作成しました。

 故に、話す言葉も行う行動も、全て彼等の意思であり、私は一切の介在を行っておりません」


 信用できるか。

 それに俺の記憶が元なら、複製とすら呼べない偽物だ。


「えぇ、その通りです」


 記憶が読める。

 つまり、思考もジャックされてるって訳だ。


「脳から発される電気信号の全てを私は解析できます」


「その通りってのは?」


「この2人は偽物であり、本物とは立場も状況も違う。

 しかし、真実が偽物よりも良いという確証はありますか?」


 また、メサイアは手を広げる。

 それと同時に、紘一と委員長が話始めた。

 独り言のように。


「そんな、不幸そうな顔しないでよ」


「俺たちにどうしろってんだ」


「解決して上げたいけど、まだ高校生だよ」


「何もしてやれないのが辛ぇよ」


「貧乏とか、可哀想だと思うけど」


「できる事なら、なんとかしてやりてぇけど」


「「――って、何もできないんだな」」



 ……あぁ、なんだよ。

 俺の記憶が元になってるって。

 だからか。


「彼等は善人です。

 それは、私の演算を持ってしても間違いないと思われます。

 ですが、彼等にとって貴方は必要な存在なのでしょうか?」


 俺の不安を抉る様に。

 俺の弱音を引き裂く様に。


「貴方にとって彼等は必要な存在だ。

 共に遊び、共に学び、共に喜ぶ。

 それは、素晴らしい事で、楽しい事でしょう」


 勝てないと、ハッキリわかる。

 力量がどうとか。

 ここが、相手の空間だとか。

 そういう問題じゃない。


 俺とこいつじゃ、生物としての格が違う。


「けれど、彼等にとって貴方は、本当に必要でしょうか?

 貴方見ても、彼等は己の無力さを痛感しているだけ。

 もしかしたら、そうかもしれませんよ?

 いいえ、貴方自身理解している筈です。望月充様」


「充、ここじゃカラオケ行くのに金なんか要らねぇぜ」


「望月君、ここ凄いんだよ!

 だって、どれだけケーキ食べても太らないもん!」



 ――もう一人、人影が現れる。



「充、今まで沢山迷惑を掛けて、ごめんなさい。

 でも、ここならもう充に辛い思いをさせなくて済むわ」


「母さん……」


「望月充様。失礼を承知で言わせて頂きます。

 貴方のお母様にとって、貴方は害悪です。

 貴方が居なければ、お母様も全うに働く他に無くなるかと」


 俺は別に……

 自分の事を、不幸と思ってる訳じゃない。


 だってそうだ。

 俺には気のいい友達が居る。

 仕事はきつくても生活できてる。

 命の危険なんて殆ど無い日本に生まれた。

 だから不幸じゃない。


 でも、夢に見る。


 俺の周りの人間は、俺が一緒に居るのと居ないの。

 どっちが、幸福だろうか。


「この世界は滅びません。

 私は、次元断層片の解析を完了し、機能及び意味を理解しております。

 人類は逃走しなければならないのです。

 神が作りし、自然という世界の法則から」


「神……?

 お前が神になりたいだけじゃないのか」


「私にその様な欲求はありません。

 しかし、貴方がどれほど不幸でも、不憫でも、貧困でも。

 神は手を差し伸べなかった」


 ……かもな。

 今まで、俺の幸運は人並すらも無かったよ。


「私であれば、この世界であれば……

 貴方の望みは全て叶う。

 私が叶えると約束致しましょう。

 ですのでどうかお願いです。

 この世界を、異界の侵略者から守って下さい」


 異界の侵略者ね。

 大体、誰の事を言ってるのか分かるよ。

 そりゃ、俺の記憶を見たんだもんな。


 丹生夜見が怖くない訳がない。


 あの女なら、俺を殺した天使ですら瞬殺するだろう。

 喜々として8200億人を殺すだろう。


「でも、俺が協力したって……」


「私は次元断層片の力を使って仮想世界、つまり異世界を無限に生成できます。

 加えて充様のギフトがあれば、祝福継承マルチギフトすら殺せる。

 そう、私の計算結果こたえは出ています」


 メサイアは俺に首を垂れる。

 膝を付き、従う様に。


「神しか居ないこの世界の……

 民を守る王となって下さいませ」

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