第2話 倫安入城

 ここが世界の中心だ。

 城門をくぐり抜けた者は皆、そう思うに違いない。


 れんの国の都、倫安りんあん。北に大河が流れ、南に山脈が連なる天然の要衝に在り、人口は百万人を数える。この大蓮帝国のみならず、大陸で随一の都市だ。


 わたしたちは西門から倫安に入城し、碁盤目状の大通りを馬車で進む。街には老若男女多くの人があふれ、市場には大陸各地の品が並ぶ。城内は活気に満ちていた。


雨雨ゆいゆい、都の印象はどうだ?」

 翠玲すいれいがわたしにたずねた。


「そうですね。攻めるに難く、守るに易い、素晴らしい街です。ただし交易路の維持が命脈でしょう。城内で食糧を自給できない弱点をつけば、意外に脆いかもしれません」


 大真面目に答えると、翠玲が腹を抱えて笑った。

「あはは。雨雨はいつも戦をすることばかり考えているのだな。倫安をどう落とすかを聞いたのではないぞ」

「どうせ、わたしには戦しかありませんから」

 わたしは少しすねた口ぶりで答えた。


 翠玲がわたしに腕を絡めて微笑む。

「いよいよだな、雨雨」

「はい。いよいよですね」

 わたしも笑顔で答えた。

 これから翠玲とわたしの戦いが始まるのだ。そうだ。倫安は、わたしたちにとっては戦場なのだ。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 さて、わたしたちはあん家が都で所有する屋敷に入った。王宮に近い、上流貴族らが住む東の街区の一角だ。


 四間続きのぜいを尽くした広い部屋が翠玲のために準備されていた。わたしも当然のように同じ部屋に入る。

 

「あぁ、疲れたぁ。もう駄目」

 翠玲が部屋に入るなり、天蓋のついた寝台に飛び込んだ。仕方あるまい。ずっと馬車に揺られていたのだ。


「雨雨も一緒に横になろう」

 翠玲が寝台から腕を伸ばす。わたしはその甘い誘惑を振り切ると、旅装を解いて荷物を仕分けする。


 やることは山のようにある。従者や屋敷付きの侍女にあれこれ指示していると、向こうから大声が聞こえてきた。

「翠玲さま、お待ち申しておりました」

 翠玲が顔をしかめる。

じいか。うるさいやつが来たな」


 あの声は、曹文徳そうぶんとくだ。

 安家から中央に出仕し、文書行政を司る礼部の高官を務めた人物だ。高齢で一線からひいた今も、安家のご意見番として隠然たる影響力を持っている。


 まもなく控えの間に、白髪を束ねて長い髭をはやした大柄な老人が入ってきた。わたしが仕方なく応対に出ると、老人が声を張り上げる。

「こら、小雨しょうう! 遅いではないか。待ちかねたぞ」


「これはこれは曹先生、ご機嫌よう」

 わたしは円卓に座って茶を入れた。「ちょうど茶釜の湯が沸いたところです。香り高い南方の茶葉ですよ。一杯いかがですか」

「何を呑気なことを言っておるか。都からお前あてに、さんざんふみを送ったのに、なしのつぶて。もう東宮妃選抜は始まっておるのだぞ」


「まあまあ、落ち着いてください」

 わたしは適当にあしらおうとしたが、曹文徳は椅子にどかりと座り、孫ほども年齢が違う私をにらみつける。

「小雨、ごまかすでない。なぜもっと早く、翠玲さまを都に連れてこなかったのだ」


 わたしは「ふぅ」と嘆息を漏らした。

 悪い人物ではない。安家を長きにわたり支えた功績と忠誠心は尊敬に値するが、いかんせん真っ直ぐすぎる。


「曹先生、お言葉ですが。わたしはこの件について、ご当主さまから全て一任されております。考えあってのことですので、どうぞご安心を」

「侍女のくせに、何を生意気なことを言うか。うかうかしていたら、他の三家に東宮妃の座を奪われるぞ」

「侍女はあくまで役割のひとつ。わたしは安家には軍師として雇われております」


 わたしは卓上にあった羽扇うせんで曹文徳にパタパタと風を送った。頭を冷やそうと思ったからだが、その仕草が火に油を注いだらしい。老人のこめかみがぴくぴくと震えている。


 そのとき、奥の間に続く扉ががらりと開き、翠玲が現れた。

「爺!」

「翠玲さま。ようお出でなされた」

 相合を崩して立ち上がった曹文徳の顔つきが強張った。


 翠玲の上衣がはだけている。帯を解いて寝転がっていたからだろう。胸元から下腹までがあらわになり、白い肌が丸見えだ。


 翠玲というのは、身だしなみに無頓着なのだ。衣が崩れていても全く気にしない。


「翠玲さま、わ、わたしは、何も見ておりません!」

 曹文徳が真っ赤になって、両手で顔を覆っている。面白いからしばらくそのままにしておこうかと思ったが、そういう訳にもいくまい。それに翠玲の美しい肌を無駄に人目にさらすのも嫌だ。


「お嬢さま、帯がほどけております」

「ふふ、どうりで風通しが良いと思った」


 翠玲は、どんな乱れた格好をしていても、美しくみえる。そして、自分の美しさをしっかりと自覚していた。


 わたしは翠玲の帯を締め直し、衣服を直してやる。整ったところで、翠玲が言った。


「爺、あまり雨雨をいじめるな」

「苛めている訳ではありませぬ」

「わたしは雨雨の言うことを聞く。それで万事問題ない」

「いや、しかし」


「曹先生」

 わたしは向き直って真面目な顔で呼びかけた。このあたりできちんと説明し、老人にも納得してもらう必要があるだろう。


「何じゃ、小雨」

「先ほど、言われましたな。東宮妃選抜はもう始まっていると」

「うむ。四家のなかで候補が宮中に入っていないのは安家だけだ」


 わたしは羽扇を持ち直すと冷ややかな笑みを浮かべて言った。

「それは違います。東宮妃選抜は、まだ始まってはおりませぬ」 




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