第7話 ママはパパ

それからまたおれはミノルと二人で夜の街を歩き、人ごみにもまれる中でおれは不意に違和感を感じた。後ろの方で何やらゴツゴツとした手の感触を感じる。その感触はあまりにも自然に起きた事象ではなく、明らかな下心と悪意が感じられる感触だった。人生で初めて味わう痴漢というその行為におれは対処ができなかった。腰の力がふっと抜け、足元がよろけてしまう。

「ぃってえじゃねえかこのやろ!」

 突然後ろから怒号を浴びせられた。慣れないハイヒールでふらついた足取りでおれはコワオモテのにーちゃんの足を踏みつけてしまっていた。

 すぐに謝ろうとしたのもつかの間、みのりが前へ一歩踏み出し、にーちゃんを睨み付けてしまった。

「君の方こそ何を考えてるんだ。痴漢行為を働いておきながら、足を踏まれたくらいで逆切れして怒鳴りつけるなんて!」

 何を血迷ったか、服装のせいで本気で勇者様にでもなったつもりでいるのだろうか。緊迫した空気が流れた。今のおれにできることは……

「走るぞ!」

 ミノルの手をしっかり握って、おれはその場から必死で走り去った。ハイヒールは初めの段階で脱ぎ捨てていた。まったくドレスという衣服は走ることに向いていない。苦労しつつも少し走りさえすればいちいち追ってはこない。路地を折れ曲がり、大通りから少し離れたところに市街地中央をを流れる河川の淵の緑道公園の中に駆け込んで立ち止まった。大通りの賑わいはすごかったもののそこはやはり田舎。少し離れれば人の気配はもうほとんどなかった。そこで二人で大声をあげて笑った。笑った後で二人で抱き合った。ミノルは本当は怖かったらしい。男ならそうするものだと勇気をを出してみたものの膝が震えて止まらなかったのだという。

少し安心したせいか、ミノルの瞳に少しだけきらりと輝くものがあった。目をこすったミノルは自分でそれに気づいたらしい。とっさに見られまいと目を伏せておれの肩に顔をうずめた。

まさか今の時代において、男は人前で涙を流さなものだとでも思っているのだろうか。なんだかそんなみのりがとても女性らしく感じた。

 もし、おれが真の男であったのならば、彼女の唇くらい奪ってしまうところなのだろうが、あいにく今のおれはか弱い猫耳プリンセスだった。

「なあ、時間、まだいいかな? 良かったらちょっと寄りたいところがあるんだけど……」


 その場所はそこからわりと近いところにある。少しさびれたネオン街に入り、小さな雑居ビルの二階に上がる。薄暗がりのいかにも怪しい扉を開けてて店に入る。まだ記憶に新しい声が響く。

「あ! もしかしてヒロミちゃん!」

 ヤセ型で金髪の中年女性がバブル時代を彷彿とさせる体のシルエットの浮き出る派手な衣装で声を張った。店内はそれなりににぎわって忙しそうにしているにもかかわらず店ののキャストは次々に手を止めておれのところに集まってきた。その中には先日であった小太りのバケモノのような彼女もいる。

「いやあ、ほんっとママにそっくり」

「悔しいけれどサラブレットなのよねえ」

 口々に歓声を上げながらおれをもみくちゃになるまで触ってきた。碌に顔も出していないがおれは皆に愛されているのだと感じた。それはつまりこの店のママである、おれの親父が愛されているということでもある。

「あ、か、かあさんは?」

 照れながらも慣れないその呼び方で尋ねてみた。

「ママ、今ちょっと出かけてるから。すぐに戻ると思うからそこにかけて待ってて」

 言われるがままにボックス席に座り、ミノルと二人でナッツを食べながらジュースを飲んだ。

みのりはおれに何も質問しなかった。気になることはあるだろう。この異様な雰囲気漂う店のママに対しておれが母さんと呼んでいる事、おれのこんな姿を見ながら特にどうと言う様子を示さないこの店のキャストのこと。ミノルは黙ってママが帰るのを待ち、おれからそのすべてが告白されるのをじっと待っている様子だった。

 そして入る口のドアが開いた。座っていたおれとみのりは身を乗り出すように入口に目をやったが、そこに立っているのは親父ではなく、一般の客だった。しかしながら厄介なことにこの客の顔にはいささか記憶があった。

 こちらから先にふたりともが視線を向けた。だから仕方ないのだが、当然のごとく向こうもこちらを見た。向こうもこっちが誰なのかを悟ったようだ。

先程人ごみの中で見かけたガラの悪い男。

おれを痴漢してきた男。

おれにヒールで足を踏みつけられた男。

ミノルが暴言を吐き、そのまま逃げることになった男だ。

「おい、てめえらさっきのやつじゃねえか」

 眉をしかめ、ここで会ったが百年目と言わんばかりでおれたちの方ににじり寄ってきた。店内はシンと静まり返り、この緊迫した空間を皆が見つめていた。

もはやこの場所では逃げ場はない。かくなるうえは…… 覚悟を決めて握り拳を固めた瞬間、ミノルは物怖じすることもなく男の腹にめがけてグーパンチをかましていた。

男は鼻で笑った。

無理もない。いくら見た目がイケメン勇者といえども中身は所詮女なのだ。いかにも強そうな男にそんなへなちょこパンチなんて利きはしない。男はそのままみのりの手をひねり上げ、そのまま空中へと持ち上げた。

「あうううう」

 みのりが声にならない悲鳴を上げた。もう四の五の言っている余裕はない。おれは男として覚悟を決めた。ミノルと男の前にさっそうと出て行き、腰を低く構え、そして両手を空高く掲げた!

「すんませーーーーーーーーーーーん。ゆるしてくださーーーーーーい」

 額を地面にこすり付け、渾身の土下座をかましてやった。おれの猫耳は勢いのあまり吹き飛び、男の足元に転がっていった。土下座の状態で男が今、どういう状態なのかは見えない。ただ、おそらくはこっちを見ているのだろう。店内は静まり返り、皆が息をひそめているのはわかる。これから先何が起こるのかを息を呑んで待つ。その時間が途方もなく長く感じ始めるころにその空気を破壊する霹靂の声が上がった。

「どおうりりりりりりやーーーーーーーーーーーー」

 その叫び声に思わず目線を向けた。店の入り口の方からミニスカートの女が男に向かって走り、そのまま飛び上がり、男の背中めがけてドロップキックをかました。

 男もろともその場から吹き飛び、女は男の上に押しかかるように倒れ込んだ。ミニスカートはすっかりまくれ上がり、その中の女性用の下着が皆の前にあらわになる。股間のあたりが盛り上がり下着はとても窮屈そうにしている。こいつは女ではなく男だ。

 と、言うか親父だ。

 親父がおれたちの窮地を救ってくれたのだ。今まで母親のことを助けることもなかった親父を恨んでいた。親父は弱い男(女?)だと思っていた。だが、違った。身を呈しておれたちを救ってくれた。とても男らしい女だった。

親父は幼くして母親を失ったおれに対し、時には母として、時には父としておれを守り続けていてくれたのではないだろうか。

「てめえ。アタシの息子に何しやがんだ!」先に起き上がった親父が男の胸ぐらをつかんで持ち上げた。

「あら、マサヤンじゃん」

「いったいよ、ママ」

 どうやら二人は顔見知り、というかおそらく常連客なんだろう。

「マサヤン。あんたこそ何やってんのよ。アンタがアタシの息子に乱暴するからでしょ」

「いや、別に俺は何もしてないんだけどな」

 たしかにそういわれればそうだ。おれが足を踏みつけて、ミノルが殴りかかっただけだ。マサヤンという男がミノルの手をひねったのは正当防衛的な行動に過ぎないし、すごんだ声を出したくらいで別に男は殴りかかってきたわけではなかった。

 ただ単におれたちはその男の見た目が強面だったからと言って勝手に悪人だと決めつけていたに過ぎない。

「あ、でもカオルさん! その人ヒロミのお尻触ってた。痴漢だよそのひと!」

 親父に向かって叫ぶミノルの言うことはもっともだ。この人は単なる痴漢だ。親父は痴漢を睨み付けた。痴漢は気まずそうに言い訳をする。

「い、いやあ、それはあまりにもその子がかわいかったもんだからつい……」

「そんなの当たり前でしょ。なんたってこの子はアタシの息子なんだからッ!」

 いまさらどれだけかわいいと言われてもうれしいとも不愉快とも何とも思わない。ここ最近でそんな言葉はすっかり言われなれてしまった。でも、一度も言われていない言葉もある……

「ねえ、ヒロミ。さっきの土下座。とっても男らしくてかっこよかったよ」

 なんて、思ったそばから一番言ってほしかった相手に言ってもらえた。


 そしておれたちはその痴漢男と親父を交え、四人でボックス席に座り挨拶を交わした。強面の痴漢さんはゆっくり話せばとてもいい人だった。完全に見た目で判断していた。人を見た目で判断してはいけないということはおれたちが最もわかっていなければならないことだったような気もする。

 いまさらながらとも思ったが、おれはその珍妙なる父親をミノルに紹介した。ミノルの秘密を打ち明けられた時から、おれもいつか自分の秘密を打ち明けたいと思っていた。それがやっとかなったのだ。

「で、コイツがおれの親父で早乙女薫」

「うん、知ってるよ」

――知っていた。本当にいまさらの告白だった。そういえばさっきも親父のことをカオルさんと呼んでいたような気がする。今までおれが親父の名前をミノルに言ったことはなかったはずだ。

「ところで、いつから知り合いだったんだ?」

「ずっと前から。カオルさん、オレ達セクシャルマイノリティの間じゃあカリスマだからね。カオルさんの主催するメイク教室にはオレも通ってる」

――そういわれればたしかに親父はそんな教室を開催していた気もする。そんな親父の口癖は『男を美女に変身させる天才だ』だ。

「それにしてもアンタ、男を見る目があるわねえ。ミノルはすごいイイ男よ。やっぱりこれも遺伝かしら」

 親父のそんな言葉を聞きながら、おれに〝男〟を見る目があるのかどうかは疑問に思う。ただ言わせてもらえば〝ヒト〟を見る目はあると自負している。

「ねえ、ミノルちゃん。高校生のウチはダメだけど、卒業したらアタシのことをママって呼んでくれていいからね!」

「お、おい、ちょっと待て、それはどういう意味だ。別におれがみのりと結婚するなんて話はしてないぞ!」

「あら、このこったら何を勘違いしているのかしら、ママって呼んでいいっていうのはこの店で雇ってあげるっていう意味よ。絶対ミノルちゃんかせぐと思うんだけどなあ。あ、なんならあんたもバイトする? その恰好を見る限り、あんたも相当稼ぐタイプだと思うけれど……」

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