第5話 『とりかえばや物語』著者不詳 を読んで             早乙女広已

それから数週間の日が経つが、あれ以来みのりとは口をきいていない。お互いに気まずくなって…… いや、違うな。男らしくはっきり言ってしまえばおれが一方的に避けていたんだろう。一日避けて過ごせば次の日はより一層気まずくなる。これではだめだ。みのりの力になってやらなければと思い始めた頃には今までがどうやって接していたのかさえ解らなくなり、かける言葉を完全に失った。


そんなある日の帰り道、一人寄り道をしながら帰っているところをふいに声を掛けられた。

「あら、ヒロミちゃんじゃないの。しばらく見ないうちにこんなに大きくなって!」

 振り返ると短髪でヤセ型の中年男性だった。初めその人が誰だったのか上手く思い出せなかったが、隣にいるもう一人の人物を見てすぐにピンと来た。

 若い、おそらく二十代前半といったところだろう。小太りで背の低いその人物はあからさまにそれとわかる真っ黒なストレートのかつらをかぶり、真っ赤な口紅に花柄のワンピースを着こんでいた。ワンピースの裾から覗くサンダル足の素足はすね毛を処理した後から次の毛がぼつぼつとはえはじめている。どこからどう見ても女性というよりはただのバケモノにしか見えない。

「え! それじゃあこの子がママの息子さん!」

 あからさまに裏声を使おうとして失敗したやたらと高い声を掛けられる前にその人たちが親父の店で働いているキャストであることが解った。

「ああ、どうも、ご無沙汰しています。」

 めったなことでは親父の店に顔を出さないおれにとってその人物が誰なのかなんてわからなかったが、とりあえず挨拶だけを交わしておいた。そのまますぐに立ち去ろうとしたのだが、短髪の男性はひとりで勝手に昔話に花を咲かせ、帰るタイミングを失ってしまった。

 夕暮れ近い道端では下校途中の小学生たちが通り過ぎて行った。その小学生の内の一人が不意に声を発した。

「おい、みろよ! ばけものがいるぜ!」

 それは明らかに若い小太りの男性に向けられて発せられた言葉だった。ひとりの言葉を皮切りに子供の列は口々に「バケモノだ」「きもちわりー」「おえー」などの暴言を吐きながら通り過ぎて行った。その小太りの男性はその間ずっと〝まったく子どもってやつは〟と言わんばかりのあきれた顔で無視していた。

 子供たちが通り過ぎて少しの沈黙があった。その気まずさにおれは何か声を掛けようとした。

「あの……」

 おれがその言葉を発したとたん、小太りの男性はその場にうずくまり「うわーん」と声を上げながら泣き出してしまった。しばらく二人で慰め、ようやく落ち着いた頃になって短髪の男性は小太りの男性に向かい諭すように言った。

「だから言ったじゃない。普段外を出歩くときは男の恰好の方がいいって……」

「でも、でも…… 私つらいの…… 男の恰好なんてしたくないのに…… だからそれを認めてもらえる仕事も見つけたのに…… それでも、どうして女の恰好をしてちゃいけないの?」

「それが許される人もいるんだけどね、それはほんの一握りに人達なのよ。まだまだ世間はアタシたちを完全には認めてはくれないの…… 所詮あたしたちバケモノは人間だと認められてもいないんだから」

 黙ってその光景を見つめているおれに気付いて短髪の男性は言った。

「ごめんなさいね。見苦しいところを見せちゃって、もうここは大丈夫だからヒロミちゃんはもう帰って。だいじょうぶよ、彼女にはあたしがついているから…… ああ、それとね、またお店の方の顔を出してちょうだい。みんなしょっちゅうヒロミちゃんの話しているのよ」

 

おれは素直にその場を立ち去った。ただ、心の片隅にさっきの言葉が残っていた。

――『彼女にはあたしがついているから』

 きっと彼女たちはずっと孤独と闘っているのかもしれない。以前よりは少しずつはよくなってきてはいるのだろう。だけどいくら世の中がセクシャルマイノリティを認めるべきだと声高に言ったところで、所詮マイノリティはマイノリティであり、声高にすれば声高にするほど煙たがり、奇異の目を向けるものがいなくなるわけでもない。


だから、彼女たちには隣で支えてくれる人が必要なんだと……。自分のるすべきことはそれだったんじゃないかと思った。いつもひとりで孤独だったみのりがおれにその秘密を打ち明けてくれたのは、もしかしておれにそばに寄り添っていてほしかったんじゃないのだろうか。いつだったか、あの腰巾着が言っていた。『憂い』を持つ者の傍に『人』が寄り添っていてあげるだけで『優しい』になるのだ。とか。


 次の日。放課後に女子達といっしょに帰ろうとしているみのりを呼び止めた。

「みのり、ちょっと話があるんだが……」

 周りの女子達はきゃあきゃあ言いながらおれ達を色めきたった目を投げかけて去っていった。

これから愛の告白でもすると思っているのだろうが、あいにくそんなことはもうとっくに済ませてある。そして玉砕している。


「なあ、みのり……。おれじゃあダメかな。おれがみのりの傍にいてやることって……」

「早乙女君。前にも言ったけどオレたちは付き合えないよ。オレは心は男なんだから。」

「そんなことはわかってるよ。おれが言ってんのは友達として、だよ。おれの前でならお前はもう自分を偽る必要もないだろ。そういう存在って必要だろ」

「健気だな、お前。さてはオレに惚れた?」

「それは前にも言っただろ。おれはとっくにお前に惚れている」

「そうか、そういうことなら……来週のハロウィン、一緒に付き合ってくれるかな?」

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