第2話 制服交換

 袖を通した白いブラウスはみのりの匂いがした。秋風は冷たく、そのひんやりとしたブラウスからはなぜか温かみのようなものを感じるのは気のせいか。ともかくおれは完全女子の格好で下駄箱に向かった。

 そこにはなかなかの美男子としか言いようのないみのりの姿がある。おれの姿を見て肩を震わせているからタチが悪い。

「遅かったじゃないか、ヒロミ。じゃあ帰ろうか」

 すっかりおれの靴を履いて歩き出したみのりの後には一揃いの靴がある。それはおそらくみのりの靴なんだろう。見事に自分の足にフィットした靴で悠々と前を歩くみのりに追いついた。

「おい、いつまでこんなあそび続けるつもりなんだよ。早くおれの制服返せよ」

「あはは、まあ、そういうこと言うなよヒロミ。その恰好、似合ってるぜ」

 ともすればおれよりも男らしい歩き方で、〝俺についてきな〟感をかもしながら歩いていく。おれも少しだけ女らしい振る舞いでみのりを追いかけるのはおそらく周りに〝実はおれは男だ〟とばれないようにするため……だと思う。

「みのり、いつまでこんな男女入れ代わりごっこを続けるつもりだよ」

「駅までだ。それまで我慢してついてこい。あとこの恰好の時、オレのことはみのりじゃなくてみのると呼んでくれ。」

 小声でささやくおれに堂々とした態度でみのり、いや、ミノルは返した。今まで何度こうして二人で下校できたら良いかと考えたことがあった。だが、今、それが実現したにもかかわらずまったく嬉しいなどとは思えない。まさかこのような形での実現なんて考えたこともない。

 二人で歩いて降りていく坂道、下から吹き込む風がおれの股間をすーすーと吹き抜けていく。いつも女子はこんなにももろい恰好で歩いているのかと思うとその勇気には感動すら覚える。

 その時。秋風のいたずら巻き起こった。

 おれのスカートが風にまくれ上がり、当然そんな経験のないおれはそれに対処する方法すらわからない。ただ風が吹くままに俺は自分の穿く男物の下着を白日の下にさらすことになってしまった。思わず「きゃあ!」と叫んでしまったのは一体なぜなのかはわからないが、おそらくはそうしなければばらないのだとどこかで思い込んでいたのだろう。

 考えてみればおそらく女子にしても同じことが言えるのではないだろうか。そうでなければわざわざこんなに短い丈のスカートをはいているわけがない。彼女たちだってそうバカではないはずだ。下着が周囲から見えていることがあるという認識があるはずだ。そんな時はこうして「きゃあ」と叫んでみる。それがそうしなければならないことで、そうすることを楽しんでいる。つまりはそういうことなんじゃないだろうか……などとくだらないことを考えていると、不意にみのりが、ミノルが声を掛けてきた。

「なあ、ヒロミ……。手、つないでいいか?」

 男らしいささやきだった。「なんで?」などととぼけたことはもう言わない。みのりは完全にこのごっこ遊びを楽しんでいる。いい加減おれも慣れてきたころだ。どうせ駅までの数分間だ。おもいっきり付き合ってやることにした。手のひらをぐーぱーぐーぱーして手汗をぬぐった。

「す、すきにすればいいじゃないっ!」

 自分で言っておきながら吹き出しそうになる。いわゆるツンデレというやつを実践してみたのだが、思いのほかうまくできたような気がする。

 みのりはそのまま何も言わず数秒歩き、おれの手をそっと握ってきた。

 ――完璧だ。完璧だった。知らない奴が見れば完全なるラブコメシチュエーションが出来上がっていたに違いない。

さらに調子に乗ったおれは少し首をかしげ、みのりにもたれ掛けてみた。その直後、さすがに調子に乗りすぎたかと感じておそるおそるみのりの顔をうかがってみった。以外にも顔を赤らめ、照れくさそうにしている。その瞬間、何かに勝った気がする。こんないたずらを仕掛けてきたのはみのりの方だ。このくらいは当然の報い。

みのりの手はやわらかかった。いくら男の格好をして、イケメンに見えなくもないみのりだがそこは所詮女子、おれの手とは比べ物にならないほどにやわらかく、しなやかだった。

この状況に甘んじすぎた。調子に乗りすぎた。その手から感じるみのりの女性らしさをおれの心の中の野性を呼び覚ましてしまったのだ。

だがダメだ。いくらなんでもそれはゆるされない。しかし、意識すればするほどに手が付けられないということは誰だって知っていることだ。おれは罪悪感にさいなまれる結果となってしまった。

不覚にもみのりのスカートの内側でジョニーがいきり立ってしまった。その罪悪感を感じれば感じるほどにジョニーは底力を見せつける。いくらこんな恰好をして美少女のふりをするおれにしたって所詮は男だということだ。


 駅についた。約束はここまでだった。ようやく終わったという安堵とともに淋しさも感じた。

「ここまでの約束だろ?」

「しょうがないね、約束だから」

 ミノルは少しだけみのりに戻り、つないだままの手をそのままにおれを引っ張っていった。そしておれを連れ込もうとしたのは……駅構内の女子用トイレだった。

「ちょ、ちょっとまて! おれがここに入るのはまずいだろ!」

「なんで?」

「な、何でっておれは男だぞ!」

「今はどう見ても女に見えるぜ!」

 みのりは再びミノルに戻った。

「そう言う問題じゃない。これは倫理の問題だ。それに着替えて出てくるときは男だ。そんなところ誰かに見られたらどんなことになるか」

「そうはいっても俺は今、オトコの恰好してんだぜ。それでも堂々と女子トイレに入ろうとしてんだ。」

「お前は良いんだよ本当は女なんだから。それに女が男トイレに入ることと、男が女トイレに入ることとは罪の重さが全然違う!」

「あー、じゃあ男子トイレに入ればいいってことか?」

「あー、まあ、そうだな。おれがこの恰好で入るのはなんだが、誰もいない内にダッシュで個室に入れば後はどうってことないか」

「じゃあ、きまりだね」

「ああ、決まりだ」

 まずは男の恰好をしているみのりが中を覗いて確認。田舎の小さな駅の男子トイレに個室はひとつしかなかったが、幸いだれも使っていない。そしてそのほかにも誰もいないことを確認。ダッシュでトイレの個室に二人で入った。

 思わずダッシュなんかしてしまったので肩で息をする二人…… と、今の状況に気付くのが遅すぎた。狭いトイレの個室の中央は洋式の便座が鎮座。それをよけて二人の人間がいるのだ。体を曲げ、密着した姿勢になる。お互いの顔の位置も近い。みのりの湿気を含んだ暖かい息が首にかかる。

「って、言うかみのり、おれたちこの状態で着替えるのか? それって至難だよな」

「あー、オレも今まで考えてなかったんだが……、どっちが先に脱ぐんだ?」

 脱ぐ。そういわれてようやく気が付いた。これはどっちが先かという問題ではなく、お互いが着ている服を交換するということは、お互いが相手を目の前にして服を脱がなければならないということだ……。おれはいい。別に脱いで下着姿になろうがたいした問題はない。(本当は大ありだ。おれが今ここでスカートを脱ぎ、いきり立つジョニーをみのりにさらしたならば言い訳のしようがない)だがみのりが制服を着るにはやはりここで、おれを目の前にして生着替えをする必要がある。一瞬おれが個室の外で服を脱ぎ、みのりが着替え終わるまで個室の外で待つことを考えた。だが、それはあまりにも危険すぎる。こんな秋風吹き抜ける季節にトイレで下着姿でいるところを誰かに見られたら通報されかねない。さらにはおれが個室の外でこの女子の制服を脱いでいる姿を誰かに見られたとしたら、それこそ事件だ。

 方法は失われた。どちらともなく「今日はこのまま家に帰ろう」と言い出した。それはそれで危険なことだが、それでもお互い自分が黙っていれば女に(男に)見えるという自信があるのだろう。少なくともそれが最善の方法だということに落ち着いた。

 さて、安心しきって二人で個室から出たのだが、安心のせいか油断してしまっていた。個室の前には順番を待っているのであろう中年の男性が立っていたのだが、個室から出てくるおれ達を見るなり随分と驚いた表情をしていた。その時は気づかず、おれはその中年男性に会釈をして立ち去ったのだが……。よくよく考えてみればこんな狭いトイレの個室から男女が二人で出てきたのならば、いままでその二人が個室で何をしていたと考えるだろうか……


 親父は夜の仕事ををしている。客にお酒を提供する店を経営しているのでいつも夕方から出勤し、帰ってくるのは明け方の時間になる。

 万が一帰り道の途中で出勤中の親父とばったり出くわすのだけは避けたかった。こんな姿を親父に見られたら、一体何といわれるだろう? まあ、あの親父のことだ。激怒したり侮蔑したりはないと思う。むしろ手を叩いて大喜びするかもしれない。それが一番厄介だ。

家の付近まで帰ったもののなるべく人気のないところで時間をつぶし、もし近所の人に出会ったところでそれと悟られないように顔を隠しながら家に帰った。

 いったん家に帰ってしまえばあとはこっちのもんだ。築四十年を超えるおんぼろのアパートの軋む金属ドアを開けて家に入るとそこには誰もいない。ダイニングテーブルの上にはとんかつとひじきの含め煮とがそれぞれの器に盛られて、丁寧にラップをかけてある。その横に書置き。

〝今日も仕事で遅くなるのであたためて食べてね  ママより〟

「いったいいつまで子ども扱いする気だよ、ったく」

 呟いて自分の部屋に入る。少なくともしばらくは家に一人だということが確定だ。そのことにまず安心する。いつまでもこんな恰好でいるわけにもいかない。自分のいつもの家着に着替えようと思いながらベットに腰を下ろしてジャケットを脱ぎ、ブラウスに手を掛けた。そこにはまだかすかにみのりの香りが残っていた。そのままの恰好でベットに倒れ込み自分の体を抱きしめてみた。目を瞑り、まるで自分が今みのりを抱きしめる感覚を想像し…… 我に返った。もう少しで入ってはならない領域に入ろうとしていた自分に怖れを無し、急いで服を着替えた。

 自宅には替えのシャツとズボンはある。制服のブレザーは男女ともに違いはないので明日の朝もみのりのジャケットを着ればいい。まあ、それはともかくとしてスカートとブラウスはどうしたものか…… まさかおれが今日半日着て過ごしたものをそのままみのりに返すというのはいかがなものだろうか。おれはそれを洗濯機のところまで持って行った。ボロイアパートにはおよそ似つかわしくない斜めドラム式の洗濯機は衣装持ちの親父のこだわりで購入した。乾燥機までついているおかげで今から洗濯してそのまましまえば親父に見られることもなく済むだろう。家に一人だということがありがたかった。スイッチを押す前に、もう一度だけ制服を取り出し、そのにおいを思い切り嗅いだ。それからスイッチをオンにした。

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