第14話 idol

 ある土曜日の夜のことだった。リサに誘われて、アイドル、ミミのライブに来ていた。場所は、アーカート通りをずっとまっすぐいった先の突き当たりにある神社。大勢のファンが集まっていた。

 リサは珍しくめがねをしていた。

「なんでまた」

「え、だって、ちゃんとこの目できちんとみたいじゃん」

「ガチ勢じゃん……」

 リサの乗り気に対し、夏帆は若干引いていた。

 夜の神社に赤い照明が輝き、妖艶な様を演出していた。神社の境内にステージを作り、その上で金髪をツインテールにしたミミが踊っている。赤い袴をミニスカートに変形させて ベルトで締めていた。頭につけた狐のお面がまた、かわいさや怪しさを増幅させている。

 ファンが騒いでは、写真を撮ったり、光る棒やうちわを掲げている。マスメディアも来ているようだった。

 無敵の笑顔を大勢に振りまくたびに、集団が盛り上がる様子は、むしろまるで何かを壊して荒らしているかのようだ。その笑顔は完璧な嘘で塗り固められており、ミステリアスである。

「一番星の生まれ変わり!神の子ミミ!神社ライブ!」ミミは甲高い声で叫んだ。

「愛しているよ~」とミミが言うと、ファンは歓声を上げた。これが本当の意味で最強というものだ。ファンにとっては、この人が右と言えば、左も右になる。

「人間がうじゃうじゃいる」とリサはつぶやいた。

 誰かに愛されたり、愛されたこともない夏帆にとって、まるで彼女は欲張りのようにさえ思う。これ以上何を望む。それでも耳に残るフレーズと、メロディー。夏帆はミミと一瞬、目が合った気がした。青く、美しい目。まるで何かを見透かしたかのように、ミミはにやりと笑った。

 魂が持って行かれる。平静を取り繕わはなければ。

夏帆の隣に冷めた目でライブを見つめる者がいた。

「山瀬さん!」夏帆は驚いた。

「よっ!」と山瀬は言った。山瀬は黒いコートに黒いスニーカーを履いていた。相変わらず長くてストレートの黒髪は美しかった。

「あら高橋さん!」

 山瀬の隣には、白いコートを着た小道、そして、緑色のダウンを着た立川はいた。

「ご無沙汰しています」と夏帆は行った。

「高橋さん、マランドールになったんだって、おめでとう」と小道は笑顔で言った。

「ありがとうございます。小道さんは何を?」

「私は今パン屋」と小道は笑顔で言った。

「ありさ、少し高橋と話したいことがあるんだ。先に立川と帰っていてくれないか」

「オッケー。大志はこの後握手会にサイン会、ツーショット写真会に行くから、長引くよ」

「わかった」

「誰?」とリサが言った。

「2年上の先輩」と夏帆。

「私、握手会行ってきて良い?並ぶかも」とリサは言った。

「もちろん、ここ集合で」

 山瀬と夏帆は神社を出た。

「今日はまたなんで」と夏帆は言った。

「立川がミミのファンなんだよ。私にはこの音楽、どこかで聞いたこともあるようなフレーズに思えて評価できないけどね。だから付き合いさ。それに、この神社、一度来てみたかったんだよ。職業病だ」

「職業病?」

「え、知らないの。ここ、3交点」

「3交点?」

「天界、魔界、人界が交わる点、だから人間もたくさんいるじゃないか」山瀬は当たり前という顔をして、神社の人混みを見た。

「知らないのか、神が住むのが天界、領域つまり魔法使いが住むのが魔界、人間が住むのが人界。基本的に世界は交わらないけど、入り口になる場所がある。ここがその1つさ」

「へぇ」と夏帆は言った。

「この鳥居をくぐれば、人間は人間界に、魔法使いは魔界つまり領域の中へと戻る。たまにバグが起きて、人間がこちらに来てしまうことがある。そういうときは、私たち警察が領域の外に追い出してるってこと。この場所に入らないのは、亜人だけだよ」

「亜人はなぜ入らないの?」

「さあね、でも亜人は魔法使いではないから領域から出ると魔界には戻れない。かといって人間界に出られる保証もない。一説では、亜人はここに触れると消えてなくなるとも言われている。研究は進められているけど、完全な解明はほぼ不可能。ちゅうぶらりんってわけ。そんなことより、J.M.C.に関する調査ありがとう。無事に秘密を知ったようだね」

「周りくどいことされますね」と夏帆は言った。「直接教えてくれればよかったものを」

「私が君に話したら規約違反になる」と山瀬は言った。「そうしたら私が……いやなんでもない。思ったより、気がつくのが早かったじゃないか。さすがだよ」

「目的まで知ったのは最近ですよ、一月前とか、それくらい」

「あれ、そうか、そうだったか」と山瀬は言った。

「仕事はどうですか?」

「少し忙しいかな」

「何されているんです?」

「毎日新聞を読んでいるだけだよ」

 検閲だ、と夏帆は思った。「本当はこの世界に迷い込んだ人間どもを捕まえ、尋問し、魔法界の打倒計画を暴き出し、この世の平和を保つ仕事がしたかった」

「え……」

「冗談だよ。人間がそんな計画を立てることなんてない。迷い込んだ人間を尋問はするが、記憶を消してさっさと元いた世界に戻す。ほとんどがうっかり入ってきてしまったからだけだからね。今は希望とは全然違う部署。毎日、社会の歯車になって働くのは思ったよりつらい。学生の頃の方がずっと、楽しかった。だから、こうしてたまに3人で集まる。この夏は3人でオーストラリアに行ってきた。立川英語ペラペラなんだよ。Oh,its lovely T-shirtって言って、値下げ交渉までしていた。今のうちにさ、たくさん遊んでおきたいんだ。高橋は、立川とどういう関係なんだ」

 久しぶりに会った山瀬は今までと打って変わって饒舌に話した。

「え、立川さん?いや、別に、大して関わりないですけど」

「あれ、そうだっけか、そうか」

 山瀬は何か混乱しているかのようだった。

「ここにいたの?」とリサが神社の外へとやってきた。

「ごめん、握手会も並びたい。よかったら先帰っていて」とリサ。

「わかった」

 リサは再び神社の中へと戻っていった。

「私もそろそろ」と言って山瀬は神社の中へと戻っていった。

 鳥居の先に、土手のような場所が見えた。夏帆は吸い寄せられるようにそちらへと向かった。川が流れている。その場所を枯れ木が立ち並んでいる。おそらく桜並木だ。

 闇夜に月光が反射し、川がキラリと光った。夏帆はなぜか、その並木道を進もうとは思わず、元来た道を引き返した。


 街に出て歩いてみるとよくわかる。夏帆が領域内に初めてきた頃に比べると、出店が減り、シャッターを下ろした店が増えている。食料や雑貨や本の値段が少しだけ上がっている。税金が毎年少しずつ上がっているのだ。それに、鎖国をしている今、内製か人間界からの輸入しか物資を獲得する手段がない。インフレーションは必然だった。

 土曜の夜というのに、人の出も少しばかり少なく感じた。魔法界だけでは立ちゆかず、人間界に仕事を求めている者も多いと聞く。

 そうだというのに、竹内義人はアフリカへの支援を表明していた。ツジガミ社長も東ヨーロッパへの工場新設を示唆している。おそらく、そのあたりの国を味方につけ、日本の国際社会への復帰、すなわち常任理事国入りという外交上勝利を試みているのではないか論説が一般的だった。そのやり方に反対する財務大臣の記事が今朝の一面だった。

 暗闇に紛れ、フードをかぶった4人組が周りの目を気にするように、路上の裏へと入っていった。どこかで見たことのある人たちだった。

「いやぁ!」と女性の泣き叫ぶ声が聞こえた。

「シッ。誰かに聞かれているかも」

「香菜さん、瞬間移動しましょうよ」男性が言った。

「無理よ、この損傷じゃ」渡辺香菜の声だった。

「間一髪しとめられたからいいけど」

「いつまでこんなこと続けないといけないんですか。私嫌です。もう誰も、殺したくない」と女性は泣いてうずくまった。

「卒業までの辛抱」

「誰も断れないんですか!」

「無理よ。相手が強すぎる。アットの要求を拒めば、今度は私たちが……」

「思いを同じくする人たち、絶対いますよね」女性の声は震えていた。

「お願いだまって。いたとしてもね、誰を信じて良いかわからない。それに、竹内義人名誉会長には大勢のSPがいる。諦めて」

 待って近くに誰かいる、と香菜は言った。夏帆はつばを飲み込んだ。夏帆は透明になる魔法を自分自身にかけていた。

「いやなんでもない。少し、疲れているみたい。誰かの思考が脳内に入ってきたと思ったけど、気のせいだったみたい」

 夏帆はそっとその場を離れようとした。次の瞬間、黒い物体が目の前を通りすぎた。顔が一瞬こわばったが、気がつくとその何かは消えていた。


気にしないようにしよう。


 夏帆は近くのスーパーに入り、平静を取り繕うように買い出しをしてからマランドールの館へと戻った。

 夏帆はキッチンに行くと、うどんを茹で、ネギを切った。簡単な調理だ。

「あら、まだ起きていたのですか」キッチンにやってきた中谷が言った。

「今年は大変ですね、去年までは専属シェフがいたのに」と中谷。

 それを無視するようにうどんを丼に載せると、部屋へと戻っていった。


 月曜日の朝、財務大臣が死亡した、という記事が一面に載っていた。竹内義人はすぐに婦人を屋敷へ呼び寄せ、哀悼の意を示したという記事が書かれている。

 直人に直接話を聞いてみたかったが、夏帆はぐっとこらえた。聞きに行ったところで一緒だ、と思ったからだった。面倒なことにはなるべく、関わらないに超したことはない。向こうから頭を下げに来たときに、自分にできることをやればいいだけだ。

 一限の歴史の授業はいよいよ現代史にさしかかろうとしていた。今年中に日本史を終え、来年からの3年間は世界史にかかろうという手はずなのだろう。進度の遅い授業のおかげで夏帆は世界のことを何も知らなかった。

 第二次世界大戦の際、魔法界は人間からの要請により、太平洋戦争に加担した。人間は魔法使いたちを盾のように使い、その威力を利用した。はじめは同盟国として参加してほしいと言われていたが、実態は、人間の軍上層部の意見など許される立場になかった。向こうは魔法使いのことなど鼻から信じていなかったのだ。それでも魔法使いたちは死ぬ気で戦った。

 敗戦後、人間に失望した魔法使いは完全に領域の中へと住む世界を移した。一般の人間に植え付いた魔法使いの記憶も消した。一方で、人間の日本政府とは戦争による補償金の交渉を続けた。もちろん、魔法使いの存在を人間は認めようとはしなかった。

「人間と闘おうって思わなかったのかな」とリサが小声でささやいた。

「人間に恨みがあったってことでしょ」

「それは思わないんじゃない?」と夏帆は言った。「紆余曲折経て、魔法使いだけの国が一番合理的であることに気がついたわけだから」

「でも戦後の混乱に乗じて国を乗っ取れたかも」

「それは無理なんじゃないかな。そもそも魔法は対個人戦向きであって、集団に強くない。おまけに当時はアメリカの占領下。敵が巨大すぎる。でも確かにそうだな、日本のトップを魔法で洗脳して、こちらに都合のいい国づくりをするって方法はあったかもしれない」

「そこ喋らない」と歴史の教師が言った。先生に怒られるのは初めてだった。

「先生、なぜ人間に失望したからという理由だけで魔法界に止まろうとしたのですか」とリサは聞いた。

「というと?」

「魔法使いの支配による日本を作っても良かった」

「畏れ多かったんだ」と歴史の教師は戸惑ったように言った。

「おそれ?」

「我々がトップに立つなど畏れ多い、竹内家はそう思った。そこはね、僕も疑問に思って調べたんだ。そしてそれを魔術院の卒論にした。当時父親が外交官だったから、僕はアメリカの魔術院にいて……」

 歴史の授業は教師の昔話のせいで長引いていた。

「外交官?」とリサが言った。

「ああいや、ただの第3書記官だよ」と歴史の先生は口をつぐむと、授業を続けた。

 1984年問題。日本がついに、人間政府からの補償金獲得に成功するのだ。これは日本魔法界が人間に加担したことを認めたことを示していた。当時は領域議論の真っ最中な上、第二次世界大戦で家族を失った各国が日本を目の敵にした。日本は、当初人間の大戦には関与していないと嘘をついていたことも尾を引いた。

 そして、いよいよ日英戦が始まろうとする。日本国内でも補償金を利用した軍拡で戦意が高揚していた。しかし、突如その緊張状態はなくなる。英国内でのロビン・ウッドの台頭だった。

「先生、幻の日英戦とありますが、戦意高揚している状態で突然中止になったら、その反動がどこかに向かうのでは?反対運動や、内戦は起きなかったんですか?」と夏帆は質問した。

「あ、あの、先生僕もそこ気になっていたんですよ」と靑木が言った。「それでですね、これ仮説なんですけど、その意欲で勉強したんじゃないですか、なんてハハハ」

 勉強したか、なるほどだから技術力が高まり、世界を圧倒するようになった。大国であっても、他党を組んで日本を非難することでしか、その力を押さえられないほどに。妙に説得力のある言葉だった。

 授業が終わった。廊下を歩くと、すれ違う人全員が夏帆に拝礼をした。気持ち悪くて、まだ慣れなかった。

「白鳥の湖聞いてみたよ、良い曲だった」とリサが言った。

「本当に知らないの?」と夏帆。

「知らないよ、人間界の音楽なんて聞かないもん、むしろなんで聞くの?」

「なんで、というより魔法界にも人間界の文化は入ってきているから、考えたこともなかった」

「そんなの日本だけだよ」

「そうなんだ。そうなると、確かになぜ」

 貨幣だよ、という声が後ろから聞こえた。

「直人」と夏帆は言ったものの、今朝のニュースを思い出し、どういう表情を向けるのが正解かわからなかった。

「貨幣が円で統一されている。だからだよ。人の行き来がしやすくなって、人間界の技術も、文化も入りやすくなった」と直人は言った。

 放課後、夏帆は直人に連れられ、J.M.C.への部屋へと招待された。

「ここに杖をかざして」

 直人に言われた通り、入り口のドアに杖をかざした。

「はい、完了」

「ん?」

「杖登録。これで、夏帆も杖をかざせば、入室できるよ」

「え、いいの?」

「もちろんだよ」と直人は言った。

 直人に促され、夏帆はJ.M.C.の談話室のソファへと座った。

 会員が談話室の前を通るたびに、じろじろとこちらを見た。夏帆がいるのは確かに不自然だ。おそらく直人が許可したことだから誰も文句を言えないのだろう。

「りく、コーヒーを頼むよ。夏帆は?」

「あ、私カプチーノ」

 りくは、カフェスタンドからコーヒーと、カプチーノを受け取ると、二人に渡して、その場を去って行った。紙がワカメ型の、腕に傷のある、小さな子だった。

「まだ入ったばかりの1年生さ。美咲が教育している」

「教育ねぇ」と夏帆は言った。

「直人、あの……」

「財務大臣のことだろ、そうだ、我々が関与している」

「指揮は香菜さん?」

「知ってるのか」と直人はつぶやいた。「昨日、財務大臣夫人が家に来てね。私も父さんに呼ばれて、夫人と会ったよ。夫人は何か悟ったようで、ずっと唇を噛み締めていた。おそらく夫人もそのうち、手にかけないといけなくなるだろう。アットは容赦ない。婦人が帰ったあと、色々考えた。父さんは僕に、何か言いたいことがあるんじゃないか、と聞いたが何も言えなかった」

「直人、アットって何?」

「父をトップに据えたJ.M.C.のOB組織さ」

「ミッションのメンバーは全員無事なの?これはマランドールとして心配している」

 直人は立ち上がって拝礼すると。

「一人、PTSDのような、症状が」と言って、座った。

 2階の階段を美咲が降りてきた。髪を1つに束ね、無表情のまま、J.M.C.の居室を出て行った。美咲を追いかけるように、林省吾が談話室へと降りてきた。

「省吾どうした」と直人が言った。

「敵を取るって、美咲さんが」

 しばらくすると、髪をおろした美咲が帰ってきた。美咲は無言のまま、夏帆を見ようともせず、2階へと戻っていった。

「私そろそろ帰る」そう言うと、夏帆は部屋を出ていった。

 1階の廊下を歩くと、なんだかものものしかった。

「いたいた」と茶髪の男性2人がかけよってきた。

「マランドール様、殴られました!」と男性は言った。

「花森美咲です、あいつに殴られました。見てくださいこの傷、血が出ている!処分してください」

 震えた声で言うと2人は頭を下げた。

「では、まず証拠として記憶を提出してください」

「え……」

「いやいや、お前ら対立してんじゃないのかよ。きちんと立件してくれよ」

「ですから、それはそうだとしても、私は公正な立場である必要があります。まずは証拠の提出を」と夏帆は冷たく言った。

「いやだから」

「マランドールの館にいますから、提出に来てください」と夏帆。

 後ろから直人を筆頭に、J.M.C.の幹部がそろっていた。今日がお披露目の日であることをすっかり忘れていた。周りがざわざわとし始め、次第に人が集まりだした。直人は夏帆の前でピタリと歩みを止めると、拝礼をした。

「これはマランドール様、このような天気の良い日にどうされましたか」と直人は茶番を演じていた。お披露目中、会長が誰かと話すなど異例中の異例だった。

「いえ別に通りかかっただけです」と夏帆。殴られた男性はえええ、と驚いた。

「私、用を思い出して先を急いでいます。そこどいてくれますか?」と夏帆が言うと、直人らは一礼をして、さっと壁際へよった。

 固唾を飲んで皆が見守っていた。夏帆はどうどうとその場を通り抜けると、廊下の向こうへと歩いて行った。

 夜中、夏帆が花壇に水をやっていると、美咲がマランドールの館へと現われた。

「氷で成長すると言われる毒物ですか」と美咲。

「ええ、冬しか育てられませんから」と夏帆は言った。「花森さん、一応なのですけど、今後は人殴らないでくださいね」

「はい」と美咲は微笑を浮かべて拝礼した。

「認めた」

「殴ったとは言ってません」

 夏帆はクスッと笑った。

「なぜ助けてくれたのです。私は退学になってもよかった」

「甘いですね」と夏帆は言った。「きっと、1年後には退学したことを後悔しますよ。ものごとはそんなにうまくいくようにできていませんから。私は、被害者に記憶の提出を求めただけです。それを拒んだ。向こうにも都合の悪いことがあるのでしょう。りくさんが殴られたとか、そんなところでしょうか」

「根拠は?」

「手に傷跡があった」

 ふっと美咲は笑った。

「医者になる人が」と夏帆は言った。

「医者にも色々いますからね。浅木先生だって医学知識をお持ちですよ。3年間分の単位を取得しているはずです。それに私は精神科医を目指すつもりですから」

「余計だめじゃないですか」

「そうかもしれない。でも血の繋がらない父の家業を継げといわれて仕方なくですから。やる気なんてありません。それに本当の父親は、人を殴るのが得意だった」

「美咲さん、変わりましたよね」と夏帆は言った。「まるで人を殺したことがあるみたいだ」

「そんなんじゃ私は何も話さない。もっと上手い聞き方がある」と美咲は言った。「ロシアのスパイは、コーヒーに砂糖2個入れますか?、と聞く。イギリスではこういうって、a cup of tea?」

「それ本当ですか」と夏帆は言った。

「ああそうそう今日はこれを言いに来たんです」と美咲は話題を変えた。「この間はインキャバス避けの魔法をかける作業を手伝えず、申し訳ありませんでした。素敵な魔法だったと聞きます。私も見たかった。学校が許可を出したくらいですから、相当すごい……」

「え、学校の許可?」

「取ってないの?」美咲は急に調子を変えて言った。

「必要なんですか……」

「おっとこれはまずいね。次の会議で謝っておいた方がいいかな。こっちからも話を通しておくから。特に浅木に気をつけて」

「浅木先生に?」

「浅木先生、マランドールと竹内家のことになると、なんかおかしくなる」

「ご忠告ありがとう」

「にしてもインキュバスがついに現われるとは。もうすぐ梅の季節。気をつけて、梅が不作だと鬼が出る」美咲はそう言うと、もやを出して消えた。


 美咲の言うとおり、教師陣とのミーティングで、見たこともない剣幕で浅木は怒りだした。

「マランドール、許可は必要です。あなたの地位は、なんでもできるわけではないの」

「すみません。今後は……」

「今後なんてない」

 そういうと、資料を夏帆に浅木は投げつけた。

「これ、建築の塗装修正やっておいて」と浅木はぶっきらぼうに言った。

「あと防災訓練と学内表彰会のセッティングもよろしくね」

 学内表彰の欄に竹内直人、と書かれていた。優れた政策提案、と書かれてある。半期に一度、表彰と、祝賀会が開かれるのだ。政財界の大物が集まる、大切な会だった。


 祝賀会に夏帆はピンクの2万円のワンピースに、7千円のハイヒールを履いて出席した。ハイヒールは慣れず、うまく歩けなかった。

 祝賀会では参加者が一度は夏帆に声をかけるものの、すぐに竹内直人の方へとよっていった。直人にだけ、名刺を渡し、父親のご機嫌を伺っている。ええ父に話しておきます、と直人も笑顔で対応している。いやそれにしても予算案見ました軍拡とは素晴らしい、資金ぐり?足りなければ増税すればいいんですよ嫌なら領域から出ていけば良い、国を守ることこそが大切だ。我々は恩恵を受けてもいいのだ、竹内家に今度お酒を持っていきますよ高級品が手に入ったのです。

 

おつぎします

ありがとう


 夏帆は耳に髪をかけると、ビール瓶を持って、就任して数ヶ月の財務大臣に声をかけに言った。

 財務大臣は、ビールを飲んだ。

「財務大臣という職はいかがですか?」と夏帆は聞いた。

「首尾良くいったというところです。さすが竹内様だ。あの方に私は気に入られたことでこの地位につけた。楽なもんですよ政治家は。お金も稼げますしね、車も与えてもらえますから。賄賂でおいしいものも食べられます。出張名目で海外旅行も」

「ほお」と夏帆は言った。「竹内義人様とはどのようなお方ですか」

「総裁は日本の地位を上げることに必死だ。そのためには、なんでもするという覚悟をお持ちだ」

「なんでも?」と夏帆は言うと、さらに酒をついだ。大臣は一気にビールを飲み干した。

「ああ、なんでもだ。多少の血は流れてもらう。あの条約は私が締結したんだ。1984年法のことだよ。持論がありましてなぁ、個人主義は自由をもたらすが社会が崩壊する、それをわかっちゃいない人に財務大臣は務まらん。増税することで人々の暮らしが守れる、嫌なことを率先してやる、それが政治家の仕事」

 夏帆はさらに酒をついだ。

「おねぇさんきれいだ、すぐにお嫁にいけるだろう。名前だけでも聞いておこう。私が探してやってもいい」 

「私、政治の話がしたいです」と夏帆はにこりと笑った。「消費税を減らして企業からの税金を上げるのはどうです?」

「十分献金をもらっているよ」男性が不満そうな声をしたので、夏帆はさらに酒をついだ。

「社会保険料を上げては?案外バレない」

「女が政治を語るもんじゃない」

 そういうと大臣は別の場所に行った。ひっかかったな。女だと思ってなめやがって。


 3日前、温室に行くと、海斗が花に水をやっていた。

「素敵なコートだ」と海斗は言った。

 夏帆は、ネイビーのスプリングコートを羽織っていた。

「ありがとう」

「次のパーティーは、財務大臣が来るんだってね」と海斗。

「よく知っているね」と夏帆は言った。

「竹内義人もうまくやったよ。新しい財務大臣は彼のおきにいりさ。金を支柱に収めたんだ。思わないかい、最近は増税に喘ぎ、領域外に出る人が増えている。子供を作ることさえ躊躇する人も多い。僕らは安い賃金でわうかな休みも与えられず働いている。このまま放っておけば、国が崩壊しかねない」

「そうかもね……」

「それに、類が現れた。やつはインキュバスだった。ちゃんと調べたよ。それがああもうろちょろとし、次の獲物を狙っている。世界の崩壊は気づいたら起きている。その始まりなんて些細なものさ。気づいていながら、上の連中は何もしようとしない。見ようともしない。自分たちの私腹を肥やすことに精一杯な欲の塊なんだよ」

 そんなことわからない。なんでも話せるはずの海斗に、なぜかそう反論することができなかった。陰謀論者だったことに驚いたからかもしれない。

「君はなんでここにきたと思う。君はこの学校で唯一庶民の暮らしを知っている。そんな庶民の君が、世界を救うためにここに呼ばれてきたんだよ」海斗は静かに語りかけた。「僕がなぜ、より高給な仕事を斡旋されたにも関わらず、この職に止まったと思う。君がマランドールになると聞いたからだよ。夏帆、僕らに協力してくれ」

「僕ら?」

「政権を打倒する」

 夏帆は正直、彼の言ってることがよくわからなかった。庶民は生活にあえぐといわれても、自分ごととして想像がつかなかった。

「わかった」と夏帆は答えた。「でも何をすればいいの?」

「まずは情報収集。狙うは財務大臣だよ。僕はビール会社の知人と結託して、告白錠入りのビールを作った。警備が厳しくても、流石に学校の手伝いの僕が用意した、蓋も開いていないビールまで毒味をする奴なんていない。君はそのビールを財務大臣に注ぐ。そして聞きたい情報を聞き出すんだ」

「聞きたい情報?」

「やつを追い落とすものならなんでもいい。告白錠には、細工がしてある。あいつが喋りたいことをペラペラと喋るよう薬の設計を変えた」

 まるで練りきられた作戦のように聞こえたが、詰めが甘く感じた。まず、何を聞き出したいのかが明確でない。そして、聞きたい情報が確かに聞けるかっこたる確信がない。まるで世間を知らない子供が作り出した妄想のような作戦。

「何が不満なんだ。君は」海斗はまるで見透かしたかのように聞いた。

「確かに告白状はウイルスみたいなもの。脳の神経をごまかし、味蕾を機能させなくする。味でバレないから汎用性はある。でも、そんなうまくいく?なんでこんなにいつもなら黙っていることを話すんだろうって不思議に思われない?あとで検査でもされたら、すぐにバレる」

「そこは君の技量次第だよ。バレてもいいさ。調べられても処罰が下るのはビール会社なのだから」

 海斗はにやりと笑った。


 夏帆は告白錠入りのビールには目印があった。夏帆はそのビールではなく、告白錠の溶かされていないビールを注いだ。その上でこう答えたのだ。新しい財務大臣は、正真正銘のクズでバカの利用しやすいただの駒なのだ。

 後日、夏帆はこの記憶を新聞社に送ったが、記事が載ることはなかった。


 マランドール行事として毎年行われている梅がりが、今年は中止になった。不作とのことである。なにせ、風が吹いたと思ったら、実が全て落ちてしまったらしい。

  西園寺先生による呪文分析学では夏帆たっての希望で、鬼に関する授業が行われた。

「領域を作った時に、鬼が発生したと言われている。場所は奈良の山の奥。人界から天界へと追い出された鬼が、魔界との接点が出た時に、紛れ込んだと言われているんだよね。当時は陰陽師によって、天界に戻されたんだよ。鬼は、今は熱田の研究所で今でも見れるよ」

「悪魔と似ている?」とリサが言った。

「少し違う。悪魔は天界に住む生物だ。鬼は人の恐怖心が具現化した、いわば、人界が生み出した産物なんだよ。西洋よりは日本で発見されている。地理的に日本では天災が多く鬼の方が多く育ったのかもしれないね。恐怖は魂の接触を増幅させるんだ。基本逃げるように人目につかないよう生きている。ああそうだ、3交点とかは鬼が出やすくなるね。あそこは魔法使いも出入りしやすいからね」

「というと?」と夏帆。

「例えば、政府の許可を取っていないものが3交点から領域内に入りやすかったりする。そういう人は警察が職質をよくしているけど、不審者が入りこむことなんてそうないからね、便宜的なものだよ」

「逆に言うと、それだけあやふやなところしか出ない鬼が出る時は、魔界が破壊されてるってこと?」

「そうなるね」

「鬼ってどんな形をしているの?」とリサ。

「黒い、塊のような、角をもつ、生物だよ」


 放課後、夏帆はJ.M.C.の談話室でこのことを直人に話した。

「鬼ねぇ、迷信だよ」と直人は言った。「あいや、存在するんだろうけどね。街中ででることはないよ。でもそうやって噂を流して、竹内家の寝首をかこうってやつらはいるからね。摂政の頃からうまく立ち回っていたけれど、より強固にしないと、僕がこの国を変える……あの財務大臣、私利私欲しか考えてない。父のお気に入りとは面倒だ」

「ずっと気になっていたんだけど、竹内家は摂政だったって言うけど、国王は誰だったの?」

「いないよ」

「いやいやいや」と夏帆は笑った。

「いない。君は教科書に国王について一文でも書かれているのを見たことがあるか?僕らは仮想の国王を作りだし、摂政を演じたんだ。国王の声を聞けるのは我々のみって形を作り出して、力を保ち続けてきたんだ」

「はい?」と夏帆は思わず本音が出た。

「建国当時は混乱していたから、もうなんとでもなれって感じさ。理由なんてなんだも良かった。どこかで気がついたんだろうね。普通に政治をすればいいって」

「教科書検定は父さんがやっている。だからそのあたりいくらでもぼかせるんだよ。でもみんな確かに国王は存在したと思っている。我々だってたまに、実はいたんじゃないかとさえ思う時がある。国王がいると言われた部屋には、実際には花瓶が置かれていた、と言われているよ。そう祖父がちょうどこの間話していたな。まるで神のように扱ったって」

「待って、魔法界に神はいない」夏帆はギルド伯爵の言葉を思い出していた。

「そんなこと誰もわからない」と直人は言った。

「自分たちが国王になろうとは思わなかったの?」と夏帆。

「いやいやそれは畏れ多いだろ」直人はきょとんとして言った。

「正確に言うと、領域内には、国王がいなかった。なんにせよ、現代社会には関係のないことさ」

「領域内には?」と夏帆は行った。直人はその質問の意図が良く理解できていないようだった。

「まぁいいや、おじいさままだ生きていらっしゃるのね」と夏帆は行った。

「なんで死んだ前提なんだ」

「だって、権力を持っているのは、あなたの父親であって祖父ではない」

「ああそれはさ、父親は権力を持つために、祖父を追放したんだ」

「追放?」夏帆は思わず声をあげた。

「祖父を別邸に閉じ込め、別邸の区間を人界に改変した。つまり、別邸を覆うように、領域を作りだしてしまったんだ。おまけに医療技術を駆使して、祖父を、魔法を使えない、ただの人間に変えてしまった」

「亜人ってこと?」

「少し違う。亜人は生まれつき魔法が使えない魔法使いのことだからね。祖父は、別邸から一歩も外に出られないんだよ。愛人だった人が出入りして、色々世話焼いている。祖母はずいぶん昔に若くしてガンで亡くなったと聞いているよ」

 美咲が直人の元へやってきて、何かを耳打ちし、首を横に振った。

 直人は立ち上がって拝礼すると、「マランドール様、PTSDの子の件ですが、美咲に治療を試みてもらいましたが、治らないとのことです。現在、ショックで魔法が使えないようになっています」

「それやめてくれない?その拝礼とか、敬語とか」と夏帆は行った。

「美咲本当なの?」と夏帆が言うと、美咲はうなずいた。夏帆は頭を抱えた。

「公表はできないのよね?今どうしているの?」

「休学中」と直人。

「そう。私にできることは何もない。1年休学したら退学せざるを得なくなる。それだけ伝えておいて。あと魔法が完全に仕えないとの診断が下れば、それも退学しなくてはならなくなる。この学校は魔法が使えるものしか入学できない規則だから」

 残念だ。こうして誰かの欲と虚構で、優秀な人材に穴をあけるだなんて。許されて良いはずがなかった。

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