2-5 終

 ――一週間後。

「まだ帰れてねえの?」

 先日も誰かと同じような会話をしたような気がする、と思いながら松本は志登の問いかけに首を縦に振った。

「相手の動きがわからない以上、〈アンダーライン〉隊員とはいえ不特定多数が出入りできる場所にはいられないって」

「隊舎も不特定多数が出入りするだろ」

「一応、ここは入り口でIDと生体認証するから、身元は保証される」

 この調子だと支部もセキュリティが厳重化するかな、と松本はため息をついた。志登は松本に問いかける。

「厳重化しちゃだめなのか」

「だめってことはないけど、誰もが自由に出入りできるような拠点でありたかったから、俺の理想からは外れるって話。あそこは元々俺じゃなくて隊長が運用し始めた場所だから、言われたことには従うつもりだけど」

「なるほどな」

 腕組みをしながらうんうん、とうなずいている志登に松本は問いかけた。

「ところで志登隊長は何しにここに? 隊長は中央議会所、眞島副隊長は支部、他の日勤隊員たちも科技研に外出中だよ」

「や、松本が暇してるだろうと思って話し相手になりに」

「雷山くんがかわいそうだからちゃんと帰って仕事してよ。隊長がいないと進まない仕事って結構あるんだから」

 何くれとなく松本のことを気にかけてくれるのはありがたいがそれは業務時間外にしてほしい、と訴えていると、不意に隊舎に警報が鳴り響いた。音量、音の響きどちらも苦手にしている松本は咄嗟に耳をふさいだ。

「⁈」

「今までこんなの鳴ったことあったか⁈」

 志登の問いに松本は耳をふさいだまま首を横に振った。初めて聞く音に戸惑うが、志登は隊を率いる立場だ。すぐさま現状を把握する必要がある。火災やそのほか災害による警報でないことだけがわかっていた。

《緊急警告、緊急警告! 【中枢】地区下、特別監視対象の収監先のセキュリティが何者かによって解除された。各隊は至急隊員を呼び戻し、厳戒態勢を敷くこと! 繰り返す! ……》

 放送の内容に思わず松本と志登は顔を見合わせた。

「本命そっちだったか!」

「いや、どうだろうな。陽動があちらで、手薄になった隊舎に来る算段だったかもしれない。……とにかくお前も俺と一緒に来い。前回みたいなことして怒られんのは本意じゃないだろ。それに」

 志登はそこで一度言葉を切ると、静かに付け加えた。

「お前がいた方が収容されてるやつらとも話がしやすい」

「……前みたいなことになっても今回はもう止められないけど、それでもいいなら」

「そうならないように俺たちが厳戒態勢を敷くんだろうが。なんとかなる、とは思えないが、なんとかする」

 先に行って車両の準備をする、と言って志登は松本よりも先に猛烈な勢いで階段を駆け下りていった。松本はエレベーターにお世話になる身だ。幸い今日は調子のいい日だ、と松本は思う。さすがに長距離を走ることはできないが、自分の身を守る程度には動けるはずだ。

「よし」

 松本は気合を入れると志登の後を追いかけた。

「どうもっす」

 駐車場で車に乗り込むと、第一部隊の現副隊長・雷山康太が運転席で待っていた。助手席には志登がいる。

「久しぶり。元気だった?」

「おかげさまで、元気な隊長に振り回されてますね」

「階級こそ上だけど、だめなことはだめだって言っていいからね。志登隊長だし」

「おい、俺だしってどういうことだよ」

「そういうとこだよ」

 前も勝手に支部に常駐してたでしょ、と松本がつっこめば、志登は肩をすくめた。

「そんな昔のことは忘れたよ」

「……そういうとこ、昔の稲堂丸隊長にそっくり!」

 松本の苦情を志登は聞こえないふりでごまかした。


 特別監視下に置かれる囚人が収監されている監獄は、【中枢】地区の中でも寂れた場所にある。普段は人の気配が少ない寂しい場所だが、今日は放送によって駆り出された〈アンダーライン〉の隊員たちで騒然としていた。

「別の場所みたいですね」

「ああ」

 雷山の感想に志登は言葉短く同意した。現在、要人警護・特別警備を担当する〈トップライン〉が確認に入っているらしく、〈アンダーライン〉の隊員たちは待機を命じられている。早く呼んでおいて待機させるとは何事だ、と言わんばかりの空気に雷山は苦笑した。

「〈アンダーライン〉の機動力が買われていると言えば聞こえはいいんですけどね」

「なにも評価されねえよりマシだろ」

 志登は眉間にしわを寄せたままぶっきらぼうに言った。その目はじっと監獄を見つめていた。

 しばらく待機の指示が解除されないままだったが、三十分経ってようやく解除された。監獄の入口からは〈トップライン〉の隊員たちに囲まれた一人の男が出てきた。その手にはしっかりと手錠がかかっている。

「……虚口」

 松本がぽつり、と彼の名を口にすると、向こうが松本に気がついたようで顔を上げた。ネットワークの海の向こうに潜んでいた彼はこんな容姿だったのか、と思う。柔らかい金と茶色の間のような色の髪を短く刈り込み、左右でわずかに色の違うグリーン系の瞳が、真っ直ぐに松本を見つめた。

「残念。今回はぼくの負けだ。きみ以外の四体にもフラれてしまったよ」

 遠くで小さく言う彼の言葉はおそらく松本にだけ届いた。そうだろうな、と松本も思う。松本とは違う理由だが、彼らも簡単に人間の言いなりにはならないだろう。なにより特別監視下にある彼らが脱獄をしたあとのメリットが皆無だ。もちろん、虚口は実力も人脈もある人間だが、それにしても特別監視下に置かれた囚人をずっと匿うことは困難を極める。

「松本?」

 心配の気配を滲ませた志登が松本の顔を覗き込んだ。松本は大丈夫だと答えた。

「虚口が自分の負けだって言ってきた。多分俺だけに聞かせたかったんだと思う」

「へえ」

「勝ちでも負けでも勝手に言ったらいい、って俺は思う」

 勝ち負けじゃない、と言う松本に志登は「そうだな」と短い同意を返した。

「お前が納得いかないことに無理やり加担させられなくてよかったよ」

「ありがとう」

 何事もなかったから帰るか、と促す志登に松本がうなずいて踵を返した瞬間、監獄の職員から声をかけられた。

「あの、すみません」

 声をかけてきた職員は「看守長を務めているものです」と簡単に自己紹介をして、松本に伝言があると言った。

「特別囚人番号〇〇二が松本副隊長との面会を希望しております」

「? ……誰が?」

 特別囚人番号、という馴染みのない響きを松本はとらえきれなかった。訊ねかえすと看守長は謝罪の後にサンと名乗っていた女性の囚人だと言った。

「サンが?」

「はい。制限時間は十五分ですし、〈アンダーライン〉の隊長もしくは副隊長の監視もついていただくことになりますが」

 松本は思わず志登を見るが、志登は首を横に振った。

「俺じゃだめだ。六条院隊長に代わる」

「わかった」

 志登の言葉に松本は素直にうなずいたが、職員は首を傾げた。その視線は志登と雷山の腕章に注がれていた。一般隊員は白地にUNDERLINEと書かれた腕章をしているが、隊長、副隊長はそれぞれ赤地、黄色地に文字が書かれている。

「あの、条件を満たしていればどなたでも構いませんが」

「それは俺もわかってる。ただ、そんな大事な面会に俺が同席できないと判断しただけだ。もっとこの場にいるべき人間がいる。少し待たせることになるが、構わないか」

「……特別囚人番号〇〇二の気が変わらないか、は保証できかねますが」

 その言葉に、松本は「大丈夫ですよ」と言った。

「今まで頑なに俺との面会を拒み続けてきたあいつがこの機会を逃すはずがない。隊長が来るまで多少待ったとしても大丈夫でしょう。隊長からはあと五分したら着くって連絡ありましたし」

 〈中央議会所〉に外出していた六条院は慌てた様子で、早急に用を切り上げてそちらに向かう、と十五分前に連絡を寄越した。すでに虚口逮捕の第一報は出ているだろうが、それだけですぐに引き返すほど能天気な人間ではない。現場確認を基本としている以上、自分の目で見るはずだと松本は知っていた。

「サンには、少し待ってほしいと伝えてください。俺は必ず行くからと」

「わかりました。伝えておきます」

 看守長はそう言うと、一度監獄へと戻っていった。その後ろ姿を見ながら志登は松本に訊ねた。

「なんか怒ってねえか」

「怒ってない。ただ番号で呼ばれるのに対していい気がしないだけで」

「そういうことか」

「そういうことだよ」

 なんだか自分が実験用のモルモットになった気分になる、と松本は言った。

「俺のことを番号で呼んでも俺が不快にならないのは、結局のところあの四体だけだ。決定的に俺とあいつらは違うけど、それでも、」

 ――同じものを抱えて生きてきたことだけは消えない。

 松本の言葉を志登は黙って聞き、いつもよりも少し強い力で松本の背中を叩いた。


「遅くなってすまない」

 連絡があってから十分ほどで六条院は監獄へとやってきた。虚口が起こした事件のせいで、交通規制も生じており、見積もりよりも長くかかったようだ。

「じゃあ、俺たちは引き上げる。あとはいいですか」

 志登の問いかけに六条院はうなずいた。志登は、じゃ、と軽く挨拶をして雷山とともに仕事に戻っていった。

「どういう風の吹き回しだろうな」

「さて、俺にもわかりません。思うところがあるのか、見当もつかない」

「いずれにせよ、わたしは口を挟まないつもりだ。そなたたち二人に話を任せる」

「……ありがとうございます」

 二人で監獄へと入ると、看守長が先導役として待っていた。到着の遅れを六条院が詫びると、看守長は恐縮するばかりだった。彼もまさか、志登の代わりに六条院が来るとは想定していなかっただろう。汗を拭きながら看守長が案内してくれた面会室は三畳程度の狭い部屋だった。照明は上に裸電球が一つだけで、透明なアクリル板を挟んだ向こう側にサンがいた。最後に松本が見たときからすると随分と健康的に見えた。

「久しぶりね」

 松本がパイプ椅子に座ると先にサンが声をかけてきた。松本は「そうだな」と短く答える。

「前に見たときよりも健康そうだ」

「まあね。一応健康管理もされているから、そうなるのもうなずけるかな」

 サンはにこやかに答えたのち、時間も限られているから単刀直入に呼んだ理由を言う、と言った。

「あの不快な人間はなに?」

 とかく厳重にされているここのセキュリティを破ってくる人間がいるから興味本位で会ってみたけど、時間の無駄でしかなかった、と憤るサンに松本は苦笑した。

「『人間が人間を創り変えるのは至高の魅力と刺激がある』なんて言うから腹が立ってしかたなかった」

 そこで万が一面会相手から危害を加えられそうになった場合にのみ起動させる安全装置を起動させて取り押さえておいたのだとサンは言った。

「あの人間は、私たちを収監しているシステムはすべて解除したようだけど、それ以外のところは解除していなかったみたいで、あっさり取り押さえられた」

「そりゃなんともお手柄だな」

「そこも癪に障るのよね。結果的に人間に加担していて」

 サンの言葉に松本は静かに返事をした。

「この世でやることなすことすべて、結局は誰かに加担することになる。いわゆる蝶の羽ばたきだ」

「……本当に癪ね」

 悔しそうにくちびるを噛む彼女に松本は何も言わなかった。

「あの人間への苦情もだけど、三十二はどうしてあの人間の言うことを聞かなかったのかが知りたくて来てもらったの。多分近くに来ているって思ったから」

 教えて、と言う彼女に松本は小さく息を吐いて、

「おまえたちとそう大して変わらない理由だ」

 と言った。サンは首を傾げる。

「どういうこと?」

「俺たちみたいな過去の遺物のデータなんかやったところでロクなことになるわけがないってことだ」

「そういうこと。そこに行きつく経路は違えど、結局私たちも三十二も同じってことね」

「ああ。そういう解釈をしてもらって構わない」

 松本の言葉にサンは心底楽しそうに笑った。その無邪気な笑い方に彼女のそばに控えていた女性看守が驚いたように肩を揺らした。

「ありがとう。今日は話せてよかったわ。これからはたまになら話してもいいかな」

「俺もしょっちゅう来られるわけじゃない」

「ああ、そっか。もう今は【中枢】地区に常駐してないんだったっけ。田舎の方に移ったのよね?」

 誰が話をしているのか、サンは松本の現状についても知っていた。

「こんな閉ざされた環境で誰から聞くんだ」

「秘密。どこからでも話は入ってくるものよ」

 そう言って、くちびるに人差し指をあてたサンは「じゃあね」と言って松本に背を向けた。





 翌日。

「ようやくこれで眞島副隊長を本部に戻してあげられます。よかった」

 第三部隊執務室で荷物をまとめた松本が、六条院以下日勤隊員たちの前で別れを告げていた。これでようやく本部の多忙だった状況が改まる、と言葉にはしなかったが隊員たちも胸をなでおろしていたのは余談である。

「僕と東風で送ります」

「ありがとう。梶も東風もよろしく」

 松本がそれじゃあ、と言って執務室から廊下に出た瞬間、聞きなれた足音が階段の方からした。曲がり角を曲がってずんずんと近づいてくるのは櫻井だった。

「あ、」

 やばい、と言わんばかりの顔をした松本に、櫻井は笑顔で距離を詰め――。

「お久しぶりです。今回は随分ご活躍でしたね?」

「……お久しぶりです。櫻井さんもお元気そうで何よりです」

「もう! どうして! 本部の仕事を離れたのにまた危ないことに巻き込まれているんですかあなたは! 三年前で懲りたって言ってたじゃないですか!」

 大体昔から! とさらに続く説教を聞きながら助けて、と目線で訴える松本に一同はそろって首を横に振った。

「聞いてます⁈」

「聞いてます!」

 まるで教師に怒られる学生のようだ、と思いながら、梶は六条院に訊ねる。

「隊長、これ、僕たちはどうしたらいいっすか」

「……しばらく待つしかないだろうな。放っておけ」

 あまりに長引くようならわたしが間に入ろう、と言って六条院は仕事に戻った。

「櫻井さんってこういう感じの人だったんですね」

「……普段はもっと温厚で優しい人だよ」

 せめてもの風評被害払しょくを図るべく、梶は東風のつぶやきに反論をした。

「副隊長も、まんざらでもないって顔してるし、隊長が言う通り放っておいていいよ」

「……本当ですか?」

 自分を心配してくれる人は多い方がいいって言うし、嬉しいんだと思うよ、と梶は言った。

「終わるまで仕事しとこ」

「はい」

 執務室に戻る前、東風がちらり、と盗み見た松本は確かに怒られているというのにどこか不思議な満足感を漂わせていた。

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