元気いっぱい笑顔いっぱいで大学生四人を地獄送りにする話

冴島ナツヤ

驕る天上人、騙る天上人

「俺は人を殺したことがある」

蒸し暑く茹だるような真夏の夜、各々が隠している中でもとっておきの秘密を打ち明ける中、秋澤の朗々としたその一言で、集った四人は瞬く間に緊張した空気を発した。

G大学のお遊びサークルの一角、『オカルト研究部』の部室内での出来事である。幽霊部員が多い中、神崎を始めとした夏野、春宮、冬木、秋澤は、勿論大学側の目を盗んで、こっそり部室に泊まり込み、百物語ならぬ百の秘密を打ち明ける会なるものを開いていた。部室に泊まり込むのは、警備や風紀の問題から原則禁止とされているが、神崎より一学年上の先輩四人はどこ吹く風である。万が一、無断外泊が明るみになったとしても、夏野たちはやんごとなき家の出であるから、揉み消すことは赤子の手を捻るよりも簡単だ、と秋澤が厭らしく笑っていたのを、神崎はぼうっと思い出す。

「秋澤先輩、冗談きついっすよ。てか、本当に殺してたとして、何で此処にいるんですか?」

神崎がひりつく空気を無視して、敢えておどけた楊子で尋ねると、秋澤は小鼻を膨らませながら自慢気にぺらぺらと話す。

「俺にはえらーいパパがいるからなァ。金の力でどうにでもなるってわけ」

「へえ~」

お前みたいな下等市民とは違うんだよ、と笑う秋澤が、神崎の首に腕を回して肩を組んでくる。必然として顔を寄せ合う形となり、秋澤の酒と煙草の悪臭が鼻につき、神崎はそっと眉をしかめた。

しかし、すぐさまへらへらとした笑みを浮かべると、神崎は転がっていた未開封のビール缶を手にとって、手持ち無沙汰な秋澤にそれを握らせた。「おっ、気が利くねエ~。後輩クン」と機嫌良さそうに大口を開けた秋澤は、プルタブに指をかけて開けると、そのままごくごくと飲み干した。

「こら、感心しないの、神崎くん。秋澤くんがからかってるだけに決まってるでしょ」

神崎を挟んで秋澤の反対側にぺたりと座っていた春宮が、頬を膨らませながらそう注意した。その手にはアルコール度数の低い、ジュースに近い酒の缶がある。頬を真っ赤に上気させて、瞳をうるうる潤ませている春宮に、秋澤は目に見えてデレデレと相好を崩している。神崎は肩をすくめて、「からかわれちゃいましたか~?」と、惚けた振りをした。

神崎くんって素直なのね、可愛い~! と小鳥のように首を傾げて微笑んだ春宮が、すすす、と神崎にすり寄った。柔らかい肉の塊が、二の腕辺りに押し付けられたのを感じ、神崎は思わず苦笑する。明け透けで人目を憚らぬアピールに、辟易とした。

すると、秋澤が酒に溶けていた目を三角に尖らせると、神崎を睨み付けて、それから勢いよく二人の体を引き離した。

「春宮ァ~。なァに惚けてんだよ」

「やだ、絡まないでよ。お酒飲み過ぎじゃない?」

春宮は邪魔されたことによる怒りからか、先程のとろんとした媚びるような夢見る瞳から一転、眥を尖らせて冷たく秋澤へ言い捨てた。

しかし、長い付き合いによるものなのか、秋澤は春宮の機嫌の急降下を気にかけた様子もなく、ふんと鼻で笑うと、神崎の反対側でもくもくと飲んでいたもう一人の腐れ縁の友人に声をかけた。

「こんなん、飲んだにも入らねえよ。なあ、夏野?」

呼ばれた端正な顔立ちの青年ーー夏野は、にこ、と人好きのする笑みを浮かべると、慣れた様子で「はいはい。取りあえず、水飲みなよ」と、積まれたミネラルウォーターのペットボトルを一つ手に取り、秋澤へ渡す。

秋澤は受けとると、がぶがぶと水を飲み下し、空になったそれを夏野に押し付けて、「おー、サンキュー」と横柄な態度で笑った。

「秋澤のことな気にしないで。本当に酔っぱらってるだけだから」

いつの間にか近づいてきた冬木が、こっそりと神崎に耳打ちする。それを目敏く見つけた春宮に睨まれても、すん、とすました顔つきで、何食わぬ顔で神崎の隣を陣取った。春宮と冬木も幼馴染みに近い間柄であるが、男好きで交際関係がだらしない春宮と媚びることが大嫌いで冷徹な面のある冬木は、昔から反りが合わないのだと、こっそり夏野から教えてもらったことを、神崎は思い出した。

睨み合う春宮と冬木を他所に、神崎は「あはは」と声をあげて笑うと、缶ビールを飲み干す。苦くて痺れるような舌触りが妙に不快で、口許についた泡をぺろりと舐めとったのち、ぐしゃぐしゃに缶を潰して近くのごみ袋の中に入れた。

酒に溺れることが許される年齢で本当に良かったと、神崎はつくづく思う。

見るからにべろべろに酔っ払った秋澤は、重心が定まらないのか、床に伸びている。春宮も顔をりんごのように真っ赤に染めたまま、神崎の肩にもたれかかっていた。冬木はその反対側でちびちびと日本酒を舐めている。夏野は顔色こそ変わらなかったが、やはり酔っていることには変わらず、缶ビール片手に宙に向かってぶつぶつと何やら不思議な話を始めていた。

「僕は、人間の『転生』を信じている。転生とは、肉体が生物学的な死を迎えた後に、非物質的な中核部ーーこれは、魂のことだね。魂については、生前とは異なる形態や肉体を得て、新しい生活を送るという思想、哲学的思考だ。仏教は言わずもがな、各地で信じられている信仰でもある。転生には、再生型、輪廻型、成長型に分別される。再生型は、部族や親族などの同族内、つまり小規模社会でよくみられる転生する循環型の生まれ変わりの思想のこと。動物転生や植物転生も見られるのが特徴だね。輪廻型は分かりやすいかもしれない。インドで生まれた転生観で、生まれ変わりを流転として捉える。生物は、永遠にそのカルマ……業の応報によって、車輪がぐるぐると回転し続けるように繰り返し生まれ変わるいう考えなんだ。流転として転生を繰り返すことを苦と捉えることは、再生型とは異なるね。成長型、リインカーネーション型とも呼ばれる転生論は、人間には魂や霊といった不死なる根源があるという考えのもと、転生を繰り返すことで、霊的に……進歩、または進化し、最終的に神に近い完全な存在になる、完全な存在による完全な社会が実現されると考えなんだ。僕は再生型の考え方が好きだし、それを信じている。魂は流転する。顔も姿も何もかもが変わっても、魂だけは永遠に変わらない。人間は死んだら、転生する。僕が死んでも、魂が死ぬことはない。生まれ変わって、また会える。そもそも、魂が不滅であるとして、死んだらその魂の質量分はこの世界の何処に保存される? 微々たるものでも積み上げられれば、やがて圧迫される。失われるのか? それもまた道理かもしれない。では、死後に存在する天国、地獄、黄泉、根の国、名前は異なるが様々な異界は一体何なんだろう? 魂が滅してしまうならば、そんな世界はいらないじゃないか。いや、異界の件は込み入った話になるし、脱線してしまうから、また別の機会に話そうかな。さて、話を戻すけど、転生という概念が存在すれば、魂は流転しているのだから、この問題は解決する。質量保存の法則、記憶、記憶がないならその人間ではない、というのは些か暴論だ。記憶がなくとも、魂が同じならば同一人物だ。記憶があるならば、顔かたちが異なろうが、その人自身でないとどうやって否定することが出来るのだろうか……」

「出たよ、夏野の『転生論』」

秋澤は床に転がった体勢のまま、吐き捨てるようにそう言った。げんなりとした表情から、いつものことであるという諦めと、良い加減にしてほしいという苛つきが見てとれた。

「お前、本当に好きだよなァ。俺にはさっぱりわからん」

夏野は秋澤のぼやきを黙殺した。普段は人当たりの良い好青年である夏野だが、酒が入ると排他的になり、どこか冷たい印象を持たせる。いつの日か己の酩酊した姿をそう評して照れ笑いを浮かべた夏野を思い出しながら見つめていると、春宮が神崎の二の腕に頬を擦り寄せながら、うふふ、と笑った。

「私は漫画とか見てたから、結構馴染み深いし、好きだけど」

上目遣いで神崎の顔を覗き込んだ春宮が、ちらりと視線を横に走らせる。「冬木さんは?」

水を向けられた冬木はやはりつんとすました顔のまま、

「私は生まれ変わりとか、魂とか、幽霊とか、そういうの一切合切信じてないわ」

と言い捨てた。その際、夏野にも聞こえるような音量で「くだらない……」と呟くのも忘れない。しかし、これも夏野は黙殺して、こんこんと己の胡散臭い持論を展開している。

夏野の隠している秘密とは、この独自の超理論である『転生論』のことなのだろうか。それとも、その先に彼が秘匿している何かがあるのだろうか。

神崎は異常な熱っぽさで語る夏野の横顔を暫く無言で見つめていたが、やがて話がこれ以上拗れても、進まないのも面倒になってきた。そのため、神崎は絡み付く春宮を優しく振りほどいたのち、人なつっこい笑みを貼り付けて、延々と口を動かす夏野に問いかけた。

「夏野先輩は、もしかしてそういう人を待ってるんですか? 生まれ変わってでも、会いたい人を……」

神崎にそう問われた瞬間、夏野はぴたりと口を閉じた。

そして、少しの間目を閉じて、それからそうっと瞼を押し上げる。

神崎をひたと見つめる視線は、遠くへ向かっていた。

神崎はそれを、唇の端をつり上げるような笑みのまま受け止めて、静かに答えを待った。

「そういう神崎くんは?」

何と答えるのだろう? と考えていた神崎を裏切るように、夏野は問いかけに問い直した。神崎は笑みを深める。今度は、本当に笑っていた。

「さあ……」

夏野が探るような視線を向けてくるのは、わかっていた。神崎は肩をすくめると、また手元の酒に口をつける。味はよく分からない。ただ、喉が焼けつくようにひりついたことだけは、感じ取った。

会いたい人か。生まれ変わっても、会いたい人。夏野にはそのような存在がいるという。神崎の瞼の裏に、とうに歳の離れてしまった人の背中が浮かび上がる。

瞳を瞬かせると、その幻影は消え去った。視界は塵と、潰れた空き缶と、灰色で埋め尽くされている。

「神崎くん、お酒飲んでも静かなんだね。何かないの? ……とっておきの秘密ってやつ」

夏野が不意にそう言ったので、神崎はきょとんと瞳を瞬かせた。

いつの間にか、秋澤、春宮、冬木も此方を見守っている。秋澤がへらへらしながら、「神崎の恥ずかしい秘密、ぶっちゃけちゃえばァ~?」と間延びした口調でからかってくる。

秘密。隠し事。誰にも言ったことのないこと。

神崎は「そうですねえ」と首をかしげたのち、にっと唇を歪めた。

そして、一言、「浪人してることですかね」とだけ言い放った。


■■■


神崎は秋澤に誘われて、手元のスマートフォンの画面を見つめていた。

宴もたけなわというところで、管を巻いていた秋澤が、「そういえば、ゼミの奴から教えてもらったんだけどよ」と、何か思い出したように口火を切った。とろんとした春宮、顔色の変わらぬ冬木、酔いが覚めたのか蒼白い顔つきの夏野が、何事かと秋澤へ視線を走らせる。

「『まじないマリオネット』って、知ってるか?」

神崎はくぴりと缶に残った酒を飲みながら、頭の中で糸に吊り下げられた間接球体人形がかくかくと踊り出すのを思い浮かべていた。

神崎たちが所属する大学のサークルは、正式名称が『日本民俗研究会』、通称が『都市伝説研究サークル』と呼ばれる、所謂名ばかりのお遊びサークル、部員も殆どが幽霊部員という、非常にやる気のない部活であった。

サークルらしい活動は年に一回、部員一同が集合して其々の研究テーマを発表する総会と称された集まりだけで、あとは各々好きなように活動している。しかし、総会に来るのも限られた部員のみで、神崎が入ってから二回ほど参加したが、研究テーマを発表しているところは見たことがない。集まった部員で毒にも薬にもならぬ雑談をするだけである。神崎はこの緩さを気に入っていた。そして何より、誰もが、特別親しくしている部員以外の顔をよく知らないという希薄さが、とても好ましかった。

しかし、時折、神崎たちのサークルを勘違いして、ネタと呼ばれる研究テーマを持ち込んでくる者もいる。大方、秋澤はその手のゼミ生から何か眉唾物の情報でも教えてもらったのだろう。

「『まじないマリオネット』って何?」

夏野がぼんやりとした表情で、秋澤に訊ねる。神崎はそれが少し面白かった。酩酊している夏野の頭には、己の所属するサークルの意義すら抜けてしまったようである。

すると、春宮が小首をかしげながら、「夏野くん、知らないの?」と口を開いた。

夏野がうなずくと、仕方ないなあ、と笑って、春宮は豊かに膨れた胸を反らした。そして、勿体ぶるような口調で、『まじないマリオネット』の説明を始める。

「都市伝説の一種だよ。動画サイトで、特定の条件を満たすと視聴できるんだって。ほら、聞いたことない? あれと一緒だよ。『口裂け女』『人面犬』『トンカラトン』……」

「『委員会』『そうだんくらぶ』とかもありますね」

指折り数える春宮に、誰かが嘴を挟んだ。しかし、酒に脳髄を冒されて酒精にくらんでいる若者たちは、それが誰の声なのか分からなかった。

「聞いたことないな」

夏野は苦笑しながらそう言った。ほんの少しだけ、頬の辺りに血の気が戻っている。

すると、冬木が頬杖をついた体勢で、「神崎はある?」と水を向けてきたので、にこにこと笑いながら、神崎は少し頭を傾けた。

「俺もないっすね。あ、でも『委員会』は聞いたこと、あるかも……?」

くすくすと誰かが忍び笑いを漏らすのを、何ともなしに聞きながら、「もしかして、秋澤先輩、そのなんちゃらマリオ? を見る方法でも教えてもらったんですか?」と茶化した口調で問いかけた。

「よく分かったなァ、神崎。馬鹿のくせに、そういう勘は鋭いよな。その通り! 今から『まじないマリオネット』見ようぜ」

「ええ? それ、大丈夫なの? 怖いやつ?」

「何だァ、春宮。怖いなら俺がぎゅうっと抱き締めてやろうか? 冬木もどうだ? 俺が優しく側にいてやるよ」

「やだあ! 秋澤くんったら」

「話しかけないで。耳が腐る」

げらげらと下品に歯を剥き出して笑う秋澤は、神崎を罵倒したのち、春宮と冬木に色を多分に含んだからかいを投げ掛ける。春宮は媚びるような声色できゃあきゃあ叫び、冬木はすげなく切り捨てた。

ギャハハハ、と声を立てて笑った秋澤は女二人を捨て置くと、神崎の方へずるずると這い寄って、肩を掴んで引き下げた。神崎が抵抗せずに崩れ落ちるように床に伏せると、その顔目掛けて画面を突きだしてくる。

仕方なしに、神崎がスマートフォンを受け取る。画面には動画サイトが映っていたが、全て外国の言葉が使われており、正規サイトなのかどうかさえ定かではない。

「ウイルスとか、大丈夫なんすか」

「エロ動画を見まくってる俺に死角は無いぜ。何百回、『24時間以内に十万円を払ってください!』の表示を見たと思ってんだよ」

神崎はちらりと秋澤を見下ろすと、「何回払ったんですか?」と問いかけた。秋澤はニヤニヤ笑いながら、「払うわけねーだろ。バーカ!」と罵る。そのあと、「でも、そんな端金払ったところで痛くも痒くもねーわな」と嘯く。実家が太いと気楽で良いですね、という皮肉を辛うじて飲み込んだ。神崎以外の連中は、揃いも揃って大金持ちの、典型的なお坊ちゃんお嬢さんだからである。

再生ボタンのマーク以外は真っ黒に染まっているそれを眺めていると、春宮と冬木が首を伸ばして覗き込んできた。どうやら興味があるらしい。夏野は少し離れた場所で、壁に凭れながら神崎たちを観察していた。

「ゼミの人から教えてもらったんでしたっけ? どんな人なんですか?」

「あんまりよく知らねえ。話したこと、殆どねェから。でも、なんだっけな、兄弟がいるって話はしたような気がする」

へえ、だか、はあ、だか、兎に角気の抜けた声を出した神崎は、すっくと立ち上がると、ぐちゃぐちゃと転がった缶の山を飛び越えて、型落ちしたテレビの前に座った。電源を入れて、スマートフォンを無線でテレビに繋ぐ。パッと強く輝いた画面が目に眩しい。

画面には胡散臭い動画サイトが映し出されていた。

夏野が息をのむ気配を背中で感じながら、神崎は煌々とした光に魅せられていた。

「小さい画面より、臨場感あるでしょ」と、神崎は振り返ると、白い歯を見せて笑う。

人差し指をスマートフォンの画面に、落とすようにして滑らせる。再生ボタンのマークに触れる前に、秋澤、春宮、冬木、そして夏野の表情を窺った。

「研究テーマで発表出来ると良いですよね」と神崎は言ったのち、画面が滞りなく再生を始める。

皆一様に、パッパッと光るテレビの大きな画面に、吸い込まれるようにして一心に見つめていた。

動画の内容は、至ってシンプルなものであった。

様々な映像を切って貼ったような、継ぎ接ぎの映像群である。

最初に映し出されたのは、様々な人形の映像であった。無数の球体間接人形が一列に並べられている。ぶつ、ぶつ、と映像が途切れ、彼方此方に向いていたガラスの眼球が、だんだんと一点に集中していくのは、確かに不気味ではあった。

それからは矢継ぎ早に映像が切り替わっていく。種類は雑多、グロ、エロから始まり、首吊り死体の映像、丁寧に並べられた切断された人形らしきもの、水槽の中をふわふわ浮く魚に挟まれる、浴槽に何度も頭を突っ込まれる女、何かを泣きながら食べる吐瀉物まみれの人、叫び狂ったように暴れる女に覆い被さる男たち、ひたすら映されるセーラー服の少女のぶらぶら揺れる白い足、古いニュースの映像、『20■■年■月■日 男子学生飛び降り』の速報、砂嵐で乱れる映像の中に映る横断幕に『20■■年■月■日 県大会出場!』の文字列……吐き気を催す悪趣味奇怪な妄想を、具現化したような映像の数々……。

これらの映像群に説明等は一切存在せず、それがより気味の悪さを助長させた。

更に、何の意味があるのかわからない映像群にはBGMが流れていたが、それは誰もが一度は耳にしたことのある曲だったり、或いはよくよく聞いてみると人の呻き声を延々と流してるものや、逆再生音で流れる解読不能の音声が紛れ込んでいるのが、よりおぞましさを助長させていた……。

動画の概要欄には何も記載されておらず、勿論製作者は不明、所謂『検索してはいけない言葉』の類いだろうか、と神崎は不気味で意味不明な映像を、ぼんやりと見つめていた。

「何これ」

冬木は二の腕を擦りながら、顔をしかめた。滅多なことでは崩れぬ彼女の鉄面皮も、奇妙で不気味な動画の前では形無しである。

「早く消して! 気持ち悪い!」

春宮はヒステリックに叫び、顔を覆った。すかさず秋澤が宥めにかかるが、彼女の視線は神崎の背中にぴたりと合わさっていた。それを見た秋澤が、不満そうに表情を歪める。

しかし、テレビに最も近い場所を陣取った神崎が動く気配を中々見せないので、冬木は仕方なさそうにため息を落とすと、のろのろとした動作でテレビの電源を切った。春宮のキャーキャーと甲高い声が頭に響くのか、米神あたりを押さえている。

一方、神崎は背後の喧騒を一切気にかけることなく、夜闇を吸い込んだように真っ黒な画面を、まじまじと見つめていた。

否、正しくは画面に映る、夏野の表情を観察していた。鏡のようにくっきりと映っているわけではないけれど、夏野の顔は歪んだ黒い画面でもよく分かるほど、引きつり目を大きく見開いて、呆然としていた。恐らく、漸く戻ってきた頬の赤みも、すっかり引いているであろうことは、想像に難くなかった。

夏野は動画を再生させてから、一言も話していない。最初は単に、この一連の流れに興味がないだけだろうかと勘繰ったのだが、動画再生後の表情の変化から、とてもそうだとは思えなかった。

一見関係のない映像群を切り貼りしただけの、製作意図の不明の動画に、夏野は何かを見つけたようだった。

ヒステリックに叫ぶ春宮、それを冷たく眺める冬木、神崎を忌々しそうに睨む秋澤、青ざめたまま言葉を失う夏野。

ある日の蒸し暑い夏の夜、こうして静かにーー戦いの火蓋は切って落とされたのである。


■■■


あの謎の動画を五人で視聴してから、数日経ったある日のことである。

神崎は夏野と共に、受講している講義に出るために並んで歩いていた。

後日、皆を説得して改めて視聴しようとした『まじないマリオネット』なる動画は、その後二度と視ることは叶わなかった。再生ボタンを押すどころか、サイト自体に入れなくなっていた。秋澤は動画を紹介したゼミ生をとっちめてやる、と息巻いていたが、未だにそのゼミ生は捕まらないらしい。

「何だか狐に化かされたような気持ちだよ」と、夏野は先日の出来事についてそう語った。

夏野の横顔には、あの日の動揺と恐怖は欠片も見受けられなかった。他の三人も少なからず動揺していたが、夏野のそれは比ではなかったように、神崎は考えていたのだが……。酒精に溺れた己の幻覚だったのだろうか? と訝しがる神崎だったが、話を蒸し返すのも得策ではなかろう、と思い直して、夏野がぽつぽつ続ける近況へ何ともなしに耳を傾けていた。

すると、神崎のスキニーパンツのポケットへ無造作に突っ込んでいたスマートフォンから、けたたましい着信音が鳴り響いた。そろりと抜き取って、相手方の名前を確認する。

「出て大丈夫」と夏野が頷いたので、神崎は遠慮なく通話ボタンをタップすると、夏野から離れた場所で会話を始めた。

大した用件ではなかったので、早々に会話を切り上げる。スマートフォンを再び尻ポケットへ仕舞い、顔をあげるといつの間にか夏野が近寄ってきて、此方を観察するように眺め回していたので、思わずぎょっとした。

「あっ、すみません。待たせてしまいましたよね」

へら、と笑った神崎へ首を横にふった夏野は、「気にしないで。家族から?」と訊ねた。神崎はちらりと視線を宙へ一瞬向けたのち、淀みなく頷いた。

「ええ、はい。兄貴からでした」

ぎゅ、とスキニーパンツの布地を握りしめながらそう言うと、夏野は、へえ、と目を見開いて、それから探るような視線を向けた。

「神崎、お兄さんがいるんだ。仲良いの?」

神崎は兄の後ろ姿をぼんやりと思い浮かべた。くたくたに疲れた黒い背中と、少し項垂れた首筋。彼はいつも元気がなかった。神崎はその姿を目蓋の裏に焼き付けるようにして目を閉じて、それからゆっくりと押し上げた。

「はい! と、言っても、中学の頃に親が離婚したので、月に一回か二回ぐらいしか会えませんでしたけど。……でも、めちゃくちゃ仲良いんすよ」

夏野が微笑ましそうに顔を緩める。「いいなあ。僕、一人っ子だから」と呟く彼の横顔から視線を外した神崎は、暫くの間、せかせかと動く己の履き潰したスニーカーの先を眺めていた。

「神崎くん」

すると、背後から突如、神崎は名前を呼ばれた。此処にいる筈のない声に、神崎ははっと目を見開くと、慌てて首を後ろに回して、鈴の転がるような可憐な声の主に向かって叫んだ。

「え、千葉!?」

夏野も神崎の焦燥とした表情につられて、背後へ視線を向けた。

彼らの背後に佇むのは、日陰に咲く小ぶりな花のような、ほっそりとした可憐な少女であった。

艶やかな黒髪を肩の辺りまで伸ばし、力を入れて握ればあっという間に折れてしまいそうなほど頼りない肢体をセーラー服に包んでいる。スカートとハイソックスの間から覗く膝小僧は眩しいほど白かった。

少女ーー千葉は、驚愕に目を丸くさせる神崎を訝しげに眺めたのち、片手に持っていた包みを突き出した。神崎は勢いのまま受け取ると、泡を食ったように千葉へ噛みついた。

「何でお前、此処に居るんだよ! 家で待ってろって!」

「君が弁当を忘れたのがいけないだろう。居間に放りっぱなしだったぞ。折角作ってくれた彼が可哀想だ」

それは悪かったよ、と神崎は唇を尖らせると、続けて「……先輩の前で、恥ずかしいじゃん」と呟いた。その時浮かべた表情は、眼前でまじまじと神崎を見上げていた千葉にしかわからなかった。

「? ああ、気を使えなくて悪かったな。すみません、お邪魔したようで……」

神崎の言葉を受けて、千葉はその傍らで二人を観察していた夏野へ視線を向けた。すると、途中まで出掛けていた千葉の言葉は、口の中に留まったまま、ゆっくりと溶けて消えた。

「あ、先輩。すみません。えーと、知り合いの家の子、で、その、今ちょっと事情があって、預かってて……」

神崎はへらりと笑って取り繕うと、夏野へ視線を転じた。そして、彼の表情を目にした瞬間、神崎もまた言葉を失って、夏野の横顔を凝視したのである。

「……先輩?」

夏野は目が釘付けになったかのように、微動だにせずに千葉を見つめていた。口をはくはくと開閉させて、何か言おうとしたものの、結局言葉にならずに黙りこむ。神崎は、幽霊でも見たかのように顔を青ざめた夏野を、訝しげに見やる。

そのため、視線から外れた先、夏野の視線を一心に浴びた千葉の表情がひきつり、夏野に負け劣らず血の気を引かせていたことには、神崎は気がつかなかったのである。

夏野先輩、と神崎は慎重に声をかけた。すると、いまにも壊れて粉々に砕け散ってしまいそうな表情を浮かべていた夏野が、はっと息をのむ。

「ーーあ」

夏野はぼんやりと神崎へ一旦視線を転じたのち、再び千葉へ目をやった。その瞳に、じわじわと薄暗い熱を帯びた、異様な光が宿ったのを千葉だけが見ていた。

「ああ、そうなの。知り合いの、子。そう……」

ふわふわと浮わついた声で、夢見がちにそう言った夏野は、じっと千葉の白い面だけを見下ろしながら、一言だけ声をかけた。

「ーー初めまして」

「……初めまして」

千葉もまた、夏野から視線を一切外すことなく、端的に返す。彼女の場合は夏野と異なり、挑むように敵がい心を存分に含んだものであったことが、妙に神崎の印象に残った。

神崎は二人の間に漂う異様な空気に戸惑ったものの、このまま交互に見比べているわけにもいかなかったので、夏野へ顔を向けると横から嘴を挟んだ。

「先輩、どうしたんすか? 千葉……この子の顔に、何か付いてますか?」

何か付いている、というより、少女の顔に思い当たる何かがあるのか、夏野は彼女から一秒たりとも視線をそらすことはなかった。他の物事が、五感に作用しているのかどうかも怪しい。

しかし、神崎の言葉は朧気ながらも耳に入ってくるようで、「いや……」と緩く首を横にふると、蕩けて熱っぽい光を帯びる瞳に、一瞬の揺らぎが生まれた。

「千葉って言うんだ……」

神崎はそれを聞いて、思わずぎょっとした。声に含まれた毒々しい色が、少女に纏わりつくようにして絡められたような気がしたのである。

神崎は無意識の内に、少女を己の背に隠すようにして、二人の間に体を差し入れた。少女も顔を強張らせたまま、珍しく神崎の背に大人しく隠されている。

三人の間に、何とも奇妙で居心地の悪い沈黙が横たわった。少女は視線に耐えられなくなったのか、頭を俯かせている。制服のスカートの裾を握りしめる拳は血の気が失せて震えていた。神崎は、今もなお彼女を熱心に見つめる夏野に向かって、へらりとした笑顔を浮かべた。

「先輩、すみません! やっぱり、先行っててください! 千葉、弁当ありがとな。ちょっと休もうか」

夏野に断りを入れつつも、彼の返事を待たずして神崎は少女の背中を押しやるようにして、背中をくるりと向けた。

見下ろした少女の剥き出しの首筋は、白く透き通っている。

一方、夏野は遠くを見るような、或いは起きたまま夢でも見ているような面持ちで少女へ視線を当てたまま、ふらふらと重心の定まらない手首を動かして、「またね……」と呟いた。

「……」

少女は返事もせずに神崎にすら背を向けると、そのまますたすたと歩き出した。神崎は彼女の後ろ姿から一度視線を外し夏野へ頭を下げると、随分と遠くなってしまった少女を追いかけた。夏野はその二人の背中を、食い入るように凝視している……。


■■■


漸く追い付いた少女ーー千葉の顔を覗き込むと、神崎の想像に反して、彼女の頬には恐怖の色もなければ涙の跡すらなかった。

西洋人形にも似た、人間味の感じ取れない千葉は、じろりと神崎を睨み付けると「あの男……」と敵意を剥き出しにした声色で呟いた。

「俺の先輩。千葉、知り合いだったりする?」

「さあね」

忌々しげにふんと鼻を鳴らし、顔をつんとそらす千葉からは、先ほどの殊勝な態度は見受けられなかった。神崎は苦笑する。知り合いから預けられて暮らし始めた彼女は見た目の可憐さとは異なり、かなり勝ち気だ。神崎は兄に似た性格のこの少女のことを、いたく気に入っていた。

だからこそ、先ほどの態度が気にかかるのだ。千葉は初対面の人間に臆すような性格ではない。たしかに夏野の様子は明らかにおかしかったが、その対応に不満があるなら目上だろうが目下だろうが、はっきりした態度で応戦するのが、神崎の知っている彼女であった。

違和感は拭えぬものの、深追いするほど関心もなかった神崎は一旦話を切り上げると、体を傾いだまま問いかけた。

「まあいいや。ところで、何の用? まさか、ただ弁当を届けに来たわけでもあるまいし」

ぐらぐらと、神崎が弁当の入った手提げ鞄を揺らすと、眉をひそめた千葉が何か言いかけたのか、薄く唇を開く。

「……」

しかし、彼女はすぐに口をつぐむと、何やら思案したのち、結局別の言葉を神崎に向かって吐き出した。

「準備が出来た。暫く帰らない。私も、彼も」

神崎は頭の後ろに腕を回して組み直した。千葉を見下ろすその視線には、暖かみのある色は一切含まれていなかった。

「ほーぉ?」

神崎は首を傾けると、そのままの体勢で千葉の瞳を覗き込んだ。少女の視線は鋭く尖って、神崎を刺し貫いている。とげとげしい雰囲気が二人の間に横たわったが、それもすぐに霧散した。神崎がにっこりと笑いかけたのである。

千葉の方はというと、まだ全身は強張っていたが、瞳からは険がとれていた。神崎は組んでいた腕をほどくと、優しい声色で「これから行くのか?」と訊ねた。

千葉はこっくりと頷く。

「そうだ。電話でも良いと思ったけれど、彼が挨拶はきちんとしろって」

神崎の面は、いつの間にか穏やかな表情にすり変わっていた。彼の心は、懐かしくて慕わしい気持ちでいっぱいになっている。昔、よくこのように兄に突っかかっては軽くいなされていたことを思い出したのである。結局折れるのは、いつだって弟の神崎だった。彼は兄に勝てた試しがない。

「そっか。じゃ、頑張って。応援してるよ」

神崎はそう言って、千葉を見守った。彼女はじいっと大きな瞳で神崎を見返したのち、何とも言えぬ奇妙な表情を浮かべた。

神崎はそれを見てとって、おや? と思った。彼はその表情を、いつかのどこかで見たことがあるような気がしたのである。

「神崎くん、その……」

思考に沈む神崎を他所に、千葉はきょろきょろと忙しなく目を泳がせていた。神崎は結局、その既視感に思い当たることが出来なかったので、思考を諦めた代わりに、

「ああ、いってらっしゃい。千葉、気をつけて」

と告げてやった。すると、その答えは正解だったようで、千葉の乳白色の頬がほんのりと薔薇色に染まり、黒曜石の瞳がうるうると潤んだ。

しかし、やはりいつも通り、千葉は何も言わなかった。神崎は彼女と出会ってから、今まで一度も「いってきます」の挨拶を返されたことはない。

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