第4話 母の後ろ姿

 そうして思うよりも早く、1週間の時が流れた。紳士の耳に、今か今かと待っていた呼び鈴がうるさいほどに、こだまする。

「は、はい!!」

 紳士は気を付けても上擦る声で、やっとのことで玄関へ向かって返事をした。

「ばあさん」

 婦人に向けて、助けを求めるような目をしていた紳士であったが、それに対して婦人はなぜか小声で、急かすようにそれに返した。

「あなたが行ってちょうだい、私はここで待ってるから……」

 助けを求めたいのは婦人も同じことだったようだ。紳士は覚悟を決めて大きく深呼吸をした。

「よし……!」

 扉を開けると外の冷気とともに、人の良さそうな配達員が顔を覗かせた。続いて古びた台車に乗せられた、大きな2つの段ボールも視界に入る。思っていたよりもかなり大きな箱に、紳士は少し驚いたように目を見開いた。一つはロボット本体、一つは充電器が入っているのだろう。紳士は申込画面の写真を必死で思い出しながら、回らない頭でなんとかそんな推理をしていた。そうしている間にも、配達員は重そうなダンボールを手早く、しかしそっと、床におろす。

「それでは!」

「ありがとうございます……」

 せっかく爽やかな笑顔でお辞儀をした配達員の彼の顔を、紳士はまともに見ていなかった。いや、本当のことを言うと、見ていたがまるっきりどんな様子だったか覚えていない。配達員が立ち去った後も、紳士はぽうっとした頭でじっとダンボールを見つめていた。気が付いたのは、婦人の呼び掛けがあってからのことだった。

「あなた、あなた?」

「あぁ、すまない……なにか実感が湧かなくてだね……」

 楽しみにしていたというのに、いざという今になって覇気のない雰囲気の紳士がおかしくて、婦人は少しだけ笑って見せた。

「ふふ、いいのよ、さっそく一緒に開けましょう」

 ここからの時間はまるで、雲の上から自分たちを覗き込んでいるかのようだった。まるで実感がなく、ただふわふわと、他人の幸せを傍観しているかのような……。夫婦は今日という日を待ち侘びるあまり、それを迎えた今、これが現実だとはとても思えなかった。

「ねぇ」

 婦人はダンボールにカッターを入れようとしたが1度止めて、改めて真剣な顔をして紳士に向き直った。

「本当に。本当に子供と思って、いいのよね?」

 婦人は恥ずかしいような、不安なような、なんともいえない表情で、しまいには下唇を軽く噛むようにして、苦しそうに紳士に訴えかけた。

「もちろんだ。いいんだよ、正真正銘、この子は私たちの子供だ。大切にしてやろう」

 紳士は婦人の不安を少しでも消し去れるように、豪快な笑顔でそう返した。婦人はすぐに安心したような顔をしたがやはり恥ずかしいのか、正座していた足をぽんぽんと軽く手のひらでたたいて、すぐに段ボールへ向き直った。婦人がゆっくりと段ボールにカッターを差し込んでいく。ダンボールを開くとそこには2人が心から待ち望んだ「赤ん坊」がいた。2人ともつい頬が緩み、たまらない気持ちになる。

「あなた、抱き上げてあげたらどうかしら」

 そう言いながらも婦人の眉が微かに下がっている。これは長年夫婦生活を営んできた紳士にしかわからない、不満のサインだった。顔に出やすいところは何も変わらないな、と紳士は笑いかけたのを咳でごまかして続けた。

「いや、やはり最初はばあさんがいいだろう」

「いいんですか?」

 婦人は紳士の返事を待たず、箱の中にいる赤ん坊に手を伸ばした。

「おはよう、早く起こしてあげますからね」

 ゆっくりと婦人がまだ起きていない赤ん坊を抱き上げる。電源もついていないロボット。暖かくないどころか冷たいはずなのに、婦人にはそれが暖かかった。充電器まで抱き上げて運ぶ婦人の姿は、どこからどう見ても一児の母に違いなかった。

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