4話『改めまして、お初にお目にかかります』

 ここは、どうやら夢の中らしい。


 目が開く――いや、目が開くように意識が浮上した俺はすぐに察した。なぜならモノクロな視界に広がるのが大昔の服装、いわゆる小袖こそでで跪く人たちだったから。


「――――――」


 ふと、俺の体が勝手に言葉を紡いだ。


(……ん?)


 しかし自分自身の言葉なのに、内容が全く聞き取れない。それに声も俺ではなく――凛とした女性のものだった。


「――っ!」


 混乱する俺を余所に、目の前の人々は感激したように土下座する。


 周囲で跪く人々の格好や、コンクリートで固められたように動けない体に、俺のモノではない声。そして、視界の端に映った物を見て俺は1つの確信へと至る。


(視点の主は俺じゃない)


 見えたのは真っ白の分厚い生地だった。もう少し目を凝らせば、特徴的な銀の髪を見つけることができる。


 つまるところ、蒼炎華そうえんか視点の夢らしい。


 この夢が彼女視点の物だと悟れば、不思議と跪く人々や彼女の言葉が理解できるようになる。


悪鬼あっきから助けていただいたお礼をさせてくだせぇ」


「どうか、お願い致します」


 頭を下げる彼らを前に、俺――いや、彼女は首を横へ振った。


うぬ月影げつえいに御座います。御汝みましら人と共には生きられませぬ。うぬ悪鬼あっき蔓延る逢魔ヶ刻おうまがときのみ、その存在を許されるのです」


 蒼炎華はハッキリと彼らの誘いを断る。だがその姿は、どこか儚げで。


「さぁ、どうぞお帰りください。じき夜が更けましょう。太陽昇る刻――それはうぬではなく、人が生きる時間なのですから」


 渋々といった表情で1人、また1人と彼らは蒼炎華へ背を向けて帰っていく。それを見送りながら、俺は言葉に出来ない強い感情が芽生えるのを感じた。


 胸が締め付けられるような、胸を焦がすような、曖昧でじれったくて切ない感情を。


(……あっ)


 蒼炎華の抱いた感情。それへ名前を付ける前に、視界がぐにゃりと歪む。


 どうやら、夢が終わるらしい。


 徐々に沈んでいく意識に身を任せながら、それでも俺はこの切ない感情を胸に抱き続けた。


 忘れないように。離さないように。大切に大切に、心の奥底へしまい込んで――。


「――――せない」



     ◇



 浅い水底から顔をあげるような、そんな気軽さで俺は目を覚ました。


 なにか大切な夢を見ていたような気がして、でもそれが一体なんなのか全く思い出せない。若干の虚しさを覚えながら俺は起き上がり――気づく。


「ここ、何処だ……?」


 辺りを見渡せば畳にちゃぶ台、奥に台所が見える。後は俺が寝ていた敷布団。ザ・和室といった風の部屋で、洋室な俺の部屋とは全く違った。


「――あら、起きたのね。陽斗」


「ぇ?」


 見知らぬ部屋で困惑する俺に、ふと誰かが俺の名前を呼ぶ。それに驚いて声の方へ振り向けば、


「えっと、どなた……ですか?」


 黒髪黒目の綺麗な女性が扉近くに立っていた。俺の問いかけに彼女は一瞬だけ呆けた表情を見せると、すぐにクスリと笑う。


「ふふ、まぁこの姿じゃ気付かないのも当然ね」


「……?」


 彼女は自らの胸元に手を当てた。


「私は蒼炎華ソウエンカよ」


「――――あっ!」


 よくよく見れば彼女の面影があって、俺は目を見開く。


 銀に煌めいていた髪は艶やかな黒髪へと変わっており、特徴的だった狐の耳や尻尾も消えているが、容姿の雰囲気は確かに蒼炎華そのものだ。


「とはいえ、この姿のときは蒼華アオハと呼んで頂戴ね」


「う、うん。わかった」


 なんでそんな姿になっているのか。ここは蒼炎華――違う、蒼華の部屋なのか。など、色々と聞きたいことがあるが、最初に問いかけることは決まっていた。


「蒼華、体の方は大丈夫?」


「……えぇ、貴方のおかげで命を繋ぐことは出来たわ。貴方のおかげよ。ありがとう、陽斗」


「いやいや!」


 感謝の言葉に、俺は慌てて首を横に振る。感謝されることなんか、俺はひとつもしていない。


「そもそも俺のせいで、蒼華は大怪我をしたんだし……」


「でも貴方がいなければ確実に私は死んでいたわ。だからありがとう、よ」


 確かにあの戦いで彼女は苦戦しているようだった。とはいえ俺のせいで彼女が大怪我を負ったのも事実なので、後悔の念が消えることはない。


(けど、それをいつまでも表に出すわけにはいかないよな)


 深呼吸を1つして、俺は改めて蒼華に向き合う。


「じゃあ俺からも感謝させてほしい。――ありがとう、蒼華。俺を助けてくれて」


「……えぇ」


 蒼華は優しく微笑んで頷くと、ちゃぶ台の前に座った。俺もいそいそと対面に座って、チラリと彼女を覗き見る。


(こう見ると、とんでもなく美人なお姉さんって感じ)


 腰ほどまである長髪と、切れ長の目から大人びた雰囲気が漂っていた。白いTシャツに紺色のロングスカートが余計にそれを助長している。


 思わず見惚れてしまっていると、不意に蒼華がコチラを鋭い視線でジッと見つめた。


「……え、と、あの?」


 見惚れていたことがバレたのかと内心焦りまくるが、どうやら違うらしく彼女は頬を緩める。


「もう、体調は良さそうね。良かったわ、かれこれ丸一日は寝てたもの」


「へ?」


 体調? っていうか丸一日寝てた?


 思わず置いてある時計に目を向ければ、深夜0時を過ぎた頃。唖然とする俺に、蒼華は言葉を続けた。


「色々と説明しておきたいのだけれど、ひとまず先に確認させて頂戴。コウリョク、ゲッコウシ、ゲッコウジュツ。これらの単語に聞き覚えは?」


「いや、知らない」


 並べられた単語は何ひとつ知らないもので、首を横に振る。それを見た蒼炎華は後悔するように顔を歪めた。


「やはり貴方は一般人だったのね。突然【己雷ミライ】を使うから、もしかしたらと思ったのだけれど」


「【己雷ミライ】……って、あのとき俺が咄嗟になにかやったやつか」


 正直いえばあのときの記憶は曖昧な部分も多いが、確かに【己雷ミライ】と叫んだ記憶はある。


「下級月光術げっこうじゅつ、【己雷みらい】。貴方たち人間が持つ陽の力――光力コウリョクを用いて、術者の身体能力を底上げする月光術よ」


 身体能力向上。だからあんなに速く動くことができたのか。


「月光術、光力……か」


「1度でも光力を見つけたのなら、恐らく貴方はいつでも月光術を使えるはずよ」


 目を閉じて意識を深く落とし込む。すると、鳩尾あたりに熱のような何かが存在するのがわかった。


(これが恐らく、俺が持つ光力)


 意識すれば、簡単に体が前夜の記憶を汲み取る。


「【己雷ミライ】」


 ――瞬間、紫電。


 鳩尾に存在していた光力が体中に駆け巡り、応じて力がみなぎりあらゆる感覚が鋭利になっていく。今なら、陸上競技で世界記録を目指せそうな気さえした。


「……ふぅ」


 体を紫電として纏っていた光力を霧散させれば、すぐさま体の感覚がもとに戻る。同時に、軽い疲労感を覚えた。


「光力は人間の持つ生命力そのもの。だから月光術で光力を消費すれば、それだけで術者は疲労してしまうのよ」


「なるほど。だから邪鬼が逃げたあと凄い疲れたのか」


 蒼華は首肯して言葉を続ける。


「そして私が貴方と契約したのも、その光力を貴方から分けてもらうためだったの」


「光力を分ける?」


 首を傾げた俺に蒼華は立ち上がると、台所から包丁を持ってくる。そして自身の指に刃を当てると――深く切り裂いた。


「ちょっ! 蒼華!?」


 目を見開いて驚く俺に蒼華は安心させるように微笑みかけると、手を差し伸ばす。


「陽斗、手を貸して頂戴」


「ぇ? あ、うん」


 言われるがままに蒼華と手を繋げば――


「――傷が、治った」


 一瞬で血を流していた傷口がふさがった。と同時に襲いかかる軽い疲労感。意識を集中すれば、俺の光力が僅かに減っていることが分かった。


「これが『光力を分ける』ことの意味よ。貴方との間にある契約を通じて貰った光力で、私の傷を癒やしているの。昨日の私はそれで命からがら生き残ることが出来たわ。ただその代わりに、貴方が光力不足に陥ってしまったの」


 光力は人間の持つ生命力そのもの……ということは、


「俺は過労で死にかけてたってこと?」


「えぇ。一時期はどうなるかと思ったわ」


 なるほど、だから最初に彼女は俺に『体調は良さそうね』と言ったのか。ようやく納得する俺は、ついでに思い出したことを蒼華に問う。


「……だからなのか? あのとき、俺に救急車を呼ぶなって言ったのは」


 アレは明らかに普通の人間とは違う姿を見られたくない、という理由なのかと思っていたのだが。


「えぇ。私はこれで傷を癒せる……いいえ、の」


「これでしか、治せない?」


 彼女が言わんとしていることが伝わらず、首を傾げる。それを見た蒼華は何かを思い出したかのように、両手を打った。


「あぁ、そうだったわね。紹介が遅れたわ」


「紹介……?」


 彼女の意図が読み取れない俺に、蒼華は改めて姿勢を直すと――瞬間、彼女の容姿が一転する。


 羽色ばいろの髪が月夜の銀へ、うるしのような瞳が深い空色へと変化した。そしてその果てに、毛艶の良い狐の耳と尻尾が現れる。


 間違いなくあの日、あの夜……俺が出会った『蒼き月』だった。


「改めまして、お初にお目にかかります。わたくし、真名を蒼炎華ソウエンカと申す者」


 現実においても右に並ぶ者はいないだろう美貌を持つ天女のような女性が、俺に深々と頭を下げ――


「貴方がた人間を悪鬼より守ることを至上とする――<月影げつえい>に御座います」


 ――自らは人間ではないと、言い切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る