第10話 背負った想い


その夜。

仕事のためレイラが不在の自室で一人、ベッドに横になっていたジン。

仰向けで寝転がり、ぼーっと天井を眺めていた彼は、ライザの話を思い返していた。


『……もう、昔のようには戻れないんだと思います』


今にも泣きそうな顔でそう言葉を紡いだ時のライザは、自責の念に押し潰されてしまいそうなほど苦しそうで。


(……何とか力になってあげたいけど。俺に出来ることなんて何もないしな……)


ライザが言うには、2人の仲が悪くなった原因は、彼女がトラウマによって治癒師として活動できなくなってしまったから。

それが結果的にイザベラとの約束を裏切ってしまうことに繋がり、2人は不仲になっていったと言う。

だがジンは、そのことについても未だ拭い切れない違和感を感じていた。


(あのイザベラさんが、そんなことでライザさんのことを責めるかな?もちろん、大切な約束だったんだろうけど……)


それほど多くイザベラと会話したわけではないが、ジンは彼女を『思慮深く賢い女性』だと認識していた。

普通の人が表面だけ見て判断してしまいそうなことを、さらに深くまで見て考えられる人。

だからこそ今回のことは、ライザには一切非の無い仕方のない事だと。

むしろライザは被害者なんだと、そう物事の本質を見抜く才を彼女は有しているはずだと思っていた。


「なんかモヤモヤするんだよな……」


お節介だとは分かっているが、勇気を出して話をしてくれたライザに報いたいと思い、数十分頭を悩ませたジン。

だが、部外者がいくら彼女たちの気持ちを推し測ろうと、それは自分の勝手な想像に過ぎない。

それに気づいたジンは、溜め息をひとつ吐いて、ベッドを降り立ち上がった。


(水飲んだら寝よう……)


7属性ある魔法の中で唯一、水魔法の適性がないジンは、一杯の水のために食堂へ向かう。

明かりは点いているが、連日の騒動のせいで夜の宿舎内は人っ子一人おらず、静まり返っていて物寂しい。

その中を一人歩くジンは、食堂の真ん中に設置されているウォーターサーバーの前で、コップ一杯の水を一気飲みすると、一息ついてコップを返却口へ。

そして、『今日はレイラさんがいないから、クマ吉と二人きりだな』なんて、くだらないことを考えていたその時。

誰もいないはずのロビーの方から、バタンッと何かが倒れるような音がした。


(……?誰か帰ってきたのかな?)


首を傾げつつロビーへひょこっと頭を出すジン。

しかし、人の姿を探して辺りを見回すが、何もない空間が広がっているだけ。


「……あれ?確かに音がしたんだけどな……」


聞き間違えにしてははっきりとした音だったと思いながら、ジンがロビーへ足を踏み入れる。

すると、ようやく椅子の影になっていた音の原因に気づいた。


「え!?い、イザベラさん!」


驚きの声を上げたジンが駆け寄ったその先には、騎士団の制服に白衣を纏った状態のイザベラが倒れていた。

彼女の顔面は蒼白で、いつもの勝ち気な様子はどこへ行ったのか、辛うじて弱々しい呼吸をし、ぐったりしている。


(そう言えばレモナさんが最近寝れてないって……。てことは、過労?)


倒れた際にどこかぶつけていないかを手早く確認したジンは、イザベラの背中と膝裏に手を差し込み、出来るだけ振動を与えないように気をつけながら横抱きにした。

そして、救護室に運ぼうと思ったのだが、レモナが経過観察をしている人で満員だと話していたことを思い出し、行き先を変更する。


(本当ならイザベラさんの部屋に運んだ方がいいんだろうけど、パルダさんが寝てるだろうし……)


ただでさえまともに睡眠が取れていないパルダの手を煩わせてはいけないと思ったジンは、自室にイザベラを運んだ。

そして、そっとイザベラの体をベッドに寝かせた後、すぐさま4番隊の執務室に駆け込む。

するとそこには、夜勤の4番隊員数名と一緒に、仕事の報告に来ていた9番隊隊長のロゼアがいた。

慌ただしく部屋に入ってきたジンを見て、眼鏡の奥の瞳を少し見開いたロゼアだが、冷静さを崩すことはなく、ジンに対して綺麗に一礼する。


「こんばんは、ジン様。どうかなさいましたか?」

「あ、あの…!イザベラさんが倒れててっ……」

「……!ベラ…イザベラ隊長は今どちらにおりますか?」

「救護室は空いてないと思って、一旦俺の部屋に運んだんだけど……」

「ご対応ありがとうございます。お部屋に入らせて頂くことは可能でしょうか?」

「も、もちろん!俺じゃどうして良いか分からないから……。お願いします」


ぺこりと頭を下げたジンに対して、再び小さく目を見開いたロゼアだが、すぐに4番隊の隊員1人に指示を出し、自身もイザベラの元へ同行した。

そうして、ベッドに寝かされたイザベラを診察した結果はやはり『過労』ということだった。

しばらく安静にして、睡眠と栄養をきちんととれば大事にはならないと、診察した隊員が説明すると、ジンは安心したように表情を緩めた。

そんなジンの反応を目の端で見ていたロゼアは、思わず意外そうな顔を表に出してしまう。


(……この人、ベラに嫌われてなかったっけ?私の勘違い?)


ニーナが怪我をした際に、イザベラがジンのことを責めるような言葉を言っていたのを覚えていたロゼアは、『自分を嫌っている相手をよくここまで心配できるな』と、ジンの異質さに驚く。

が、すぐに『ちょっと鈍感そうだし、嫌われているのに気づいていないのかも』と考えを改めると、4番隊の隊員に声をかけた。


「イザベラ隊長を私の部屋に運びたいから、担架持ってきてくれる?」

「はい。かしこまりました」


直属の上司ではないとは言えロゼアは隊長。

従順に頷いた隊員は、指示通りに一度部屋を後にしようと立ち上がる。

が、ジンが慌てた様子で声をかけた。


「あ、あの、イザベラさんはこのまま寝ていれば大丈夫なんだよね?」

「……?はい、安静にしていれば良くなると思われます」

「だったら、このままここで休んでもらって大丈夫。俺が寝ずに様子見ておくから」

「………」

「……あ、あの…?」


ジンの申し出が異次元過ぎて言葉を失うロゼア。

正直言って、倒れていたイザベラを自ら自室に運んで、それを知らせてくれただけでもこの世界の男としては信じられない行為なのだ。

だが、事前にジンが変わり者だと聞いていたため、そこは何とか流せた。

が、男であるジンが女であるイザベラを寝ずに看病するなど、はいそうですかと受け入れられることではない。


(……何を考えているのこの人は…)


自分の部下を助けてくれた恩人。

女に対しても丁寧に接してくれる良い人。

それが分かっていても尚、その裏にあるものを勘繰ってしまう。

そうしないといけないくらい、女という立場でこの世界を生き抜くには危険が多すぎるのだ。


(……意識のないイザベラと二人っきりにさせるのは危険すぎる)


親友でもあるイザベラの身に起きうる最悪の可能性を考えた結果、そう判断したロゼアは、最大限の妥協案をジンに示す。


「でしたら、ジン様のご厚意に甘えさせて頂きまして、このまま寝台の方お借り致します。ですが、女手が必要な可能性もありますので、私も同席させていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろん大丈夫だけど……ロゼアさんもお疲れでは?」

「お気にかけて頂きありがとうございます。私は巡回業務などはありませんので大して疲れはありません」

「そういうことなら、是非」


ニコッと笑って嬉しそうにロゼアの提案を飲んだジンを見て、『考えすぎだったかしら?』と少しだけ警戒を緩めるロゼア。

そうして、4番隊の隊員から、『発熱が見られるので濡らしたタオルで額を冷やすこと』と『起きたら栄養剤を飲ませること』の説明を受けると、彼女を執務室に帰した。

そして、言われた通りにイザベラの額をタオルで冷やそうと準備をしようとした時。

ロゼアは再度ジンから呼び止められ、驚くべき提案をされた。

その内容は、


「イザベラさんの看病俺にやらせてくれないかな?」


というものだった。

流石にそれはと思ったロゼアだが、純粋なキラキラしたジンの瞳を前に拒否ができず、引き攣った笑みで受け入れることに。

そうして、一度部屋を出て行ったジンは、水を張った桶と綺麗なタオルを持って戻って来たと思えば、テキパキとタオルを濡らし、固く絞り、イザベラの額にそっと置く。

そのまま、ベッドの脇に椅子を置いたジンに対して、邪魔にならないようにと少し離れた壁際に椅子を置き座ったロゼアは、持ち込んだ書類を眺めながらジンの様子をこっそりと伺うことにした。

そんなロゼアの視線に気づいていないジンは、そわそわと心配そうな表情でイザベラの顔をじーっと見つめている。

何かしてあげたいけど何をしていいか分からないという状態が丸分かりのジンの様子に、ロゼアは思わず口元を緩めた。


(………本当に優しい方なのね)


そこからロゼアは、ジンの監視を緩め、イザベラが起きるまでは書類に目を通すことを優先させる。

静寂が広がる室内には時折、紙の擦れる音と、15分おきにジンがタオルを変える音のみが響く。

そんな時間が1時間ほど続いた頃。

ジンが濡らし直したタオルをイザベラの額に置いた瞬間、イザベラの形の良い眉がピクッと動いた。

そしてゆっくりと、明かりの眩しさに眉を顰めながら、イザベラが目を覚ます。

寝起きのぼんやりした意識の中、最初に彼女が視界に入れたのは真っ白な天井だった。

が、その視界の中にひょこっと顔を出したジンは、心配そうにイザベラへ声をかける。


「おはよう。体調どう?」

「………」

「あ、覚えてる?イザベラさん、ロビーで倒れてて……」

「っ……!!?」


自分の視界に映ったものが何かすぐには理解できなかったイザベラだが、それがジンであると気づいた彼女は、目を大きく見開き、反射で跳ね起きようとした。

が、圧倒的な反射神経でイザベラの両肩をそっと掴んだジンの手が、起き上がろうとしたイザベラの体をゆっくりベッドに押し返す。


「ダメだよ急に起き上がったら。安静にしてないと」

「なっ……なんで、あなたが……」

「あ、大丈夫だよ。ちゃんと4番隊の子に診てもらったから。安静にしてれば良くなるって」


両肩を押さえられても何とか反発しようとするイザベラだが、ジンの馬鹿力を前にどうにかできるわけがない。

それでも反抗的な態度はどうにか貫こうと、キッとジンを睨みつけるイザベラ。

しかし、理由はどうであれ、男であるジンに押し倒されているような体勢の今、至近距離で顔を合わせている状況に耐えられなくなったのか。


「………分かりましたから、手を離してください」


気まずそうに目を逸らし、イザベラが白旗を上げた。

明らかに不本意な様子のイザベラの言葉に、ぱぁっと顔を輝かせたジンは、ベッドに落ちてしまったタオルを1度回収し、テーブルに置いておいた栄養剤を手に取る。


「これ、イザベラさんが置きたら飲ませてって言われてるんだ。飲めそう?」

「………はい」


ジンから小さな小瓶に入っている栄養剤を受け取ったイザベラは、まだ気怠い体を無理やり起こした。

すると、そこで初めて部屋の中にロゼアもいることを知る。

自分に気づいたイザベラへ、澄ました顔でひらひらと手を振っているロゼアを見て、『なんであんたがいながらこの男に看病させてるのよ』とでも言いたげに眉間に皺を寄せたイザベラ。

それに対して、ひょうきんに両眉を上げたロゼアは、『頑張ったけど押し負けちゃったわ』と言うメッセージを表情のみで伝える。

あまりに他人事な反応をされ、怒りの色を濃くしたイザベラが、さらにロゼアに無言のメッセージを送ろうとした時。

二人のやり取りに気づいていないジンが、心配そうな顔で声をかけた。


「大丈夫?俺が飲ませようか?」


いつまでも小瓶に口をつけないイザベラを心配したジンの言葉に、不意打ちを食らったイザベラは、


「っ……。……じ、自分で飲めます」


と、何とかそれだけ返し、ジンに見つめられながら、小瓶の中身を一気に煽った。

そして、イザベラが一息ついている間に、空いた瓶を回収したジンは、優しくイザベラの体をベッドに戻す。


「もう少し休んで。明日には良くなってると思うから」


穏やかに微笑んでそう言ったジンは、そっとイザベラの首まで布団をかけ、濡れタオルを額に乗せた。

まるで時間がゆっくりと流れているように感じる優しいジンの声色と手付き。

それに触れたイザベラは安心からか若干の眠気を覚えた。

が、彼女はこれ以上休むつもりはなかった。

栄養剤も飲んで、仮眠程度だが睡眠もした。

だから、今すぐにでも治癒師としての仕事に戻らないといけない。

自分の治癒でないと救えない命があるからだ。

そう思ったイザベラは、いつも通りの冷静さを取り戻すと、ジンに言い放った。


「ここまで看病してくださったこと、感謝いたします。ですが、もう十分に休めましたので、仕事に戻ります」

「ダメだ。せめて明日まで休まないと」

「………例の魔物の被害者の中には、私の治癒魔法でないと命を繋ぎ止められない者もおります。ご理解ください」

「………」


ジンが優しい人だということは流石のイザベラももう認めている。

そんな彼の心を利用していることを自覚しつつも、街の住民の命を助けねばと言う使命感で、ジンがダメだと言えないような言葉を吐くイザベラ。

本当なら、ジンの言葉通り、全ての責任を放棄してこのまま休んでいたい。

だが、そんな甘い考えは、彼女自身が許せなかった。


(……しっかりしなさい。母の意志を継げるのはもう私だけなんだから……)


どれだけ苦しくても、逃げ出したくなっても、絶対に曲げられない。

そんな生きる意味とも言える強い想いをしっかり心に刻み直したイザベラは、ジンの無言を許可されたと捉えると、体を起こし、ベッドから出ようとした。


が、ふわっと、とても優しく、ジンの手がそれを止めた。

その手はイザベラの体を無理やり押し返すなんてことはせず、そっと彼女の頭に乗せられる。


「イザベラさんは優しいね」


低く柔らかな声色が引き締めたはずのイザベラの心をいとも簡単に緩める。

そんなイザベラの変化に気づいていないジンは、イザベラの髪を梳くように彼女の頭を撫でた。

そして、穏やかさは保ちつつも、少し厳しさを含ませた声で言葉を重ねる。


「でもダメだよ。他の人を助けるために、イザベラさんの体を蔑ろにするなんて間違ってる」

「……ですが、私が少し無理をするだけで助けられる命がっ…」

「過労で人は死ぬんだよ」

「っ……」


ジンの口から出た重い言葉に、イザベラが口をつぐむ。

そのまま俯いてしまったイザベラを見て、小さく息を吐いたジンは、イザベラの頭に置いた手で彼女を引き寄せ、胸に抱いた。


「イザベラさんはすごい頑張ってる。街の人達だってそれくらい分かってくれてる」

「……」

「だから、少しくらい休んで良いんだよ」


額に押し付けられたジンの硬い胸板を感じながら、少しくぐもって聞こえてくるジンの優しい声。

それを聞いた瞬間イザベラは、ふっ…と体が軽くなったのを感じた。

同時に、今まで自分は分不相応な使命を背負っていたのだと自覚する。

今は亡き母の存在を何とかして自分の元に繋ぎ止めたいと、人を助ける意味も、助けることができた喜びもなく、ただ義務のようにこなしていた日々。

だが、そんなことを続けていればいずれ、自分の身が、心が壊れてしまうと、そんな当たり前のことをようやく理解できた。

そんなイザベラを抱きしめながらよしよしと頭を撫でていたジンは、自分の腕の中で彼女が抵抗していないということから、自分の思いは伝わったと思ったのか、優しくイザベラの体をベッドへ寝かせた。

ジンの胸から離れたイザベラは、大人しく布団に戻ったが、どんな顔をしていいか分からないというように、複雑な表情。

しかし、ニコニコと優しく微笑みながら髪を撫でてくるジンを見ていると、気を張っているのが馬鹿らしくなったようで。

流石にジンに見られながら寝るのは気恥ずかしかったのか、掛け布団で顔半分を隠したイザベラは、ジンから顔を背けるようにして、静かに目を閉じた。

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