魔女への鬼札

「なっ……!」


 ガイガンは絶句した。

 影の騎士の存在をガイガンは噂程度にしか知らなかった。グラストール王国の後ろ暗い問題を対処するための組織であるとは聞いていた。それがまさか、王妃プリシアの兵隊であるとは思わなかった。


 だが、今重要なのはそこでは無い。


 問題なのは、彼の主が20年前、スピーシィが追放されることになった元凶だったと言うことだ。

 当時の真相をガイガンは知らない。ガイガンはただの新人騎士でしかなかったのだ。王都では大騒動になって様々なゴシップが飛び交ったが、結果どれも根拠のない噂話に留まった。

 だがどの噂も、スピーシィがプリシアを害そうとした結果、追放されることとなったという点は一貫していた。実際、王から発表された内容も相違なかった。

 だとすれば、良い感情を抱いているはずが無かった。もし本当に真相が伝え聞いた噂の通りであったとしても、元凶である事には変わりない。


 だというのに何故少年騎士はその事実を明かしてしまったのか。


「影の騎士団はプリシア姫の私兵部隊です。我々は彼女のために仕えています。プリシア姫の命令で、貴方に協力を取り付けてもらうようにと言われました」


 ガイガンは悲鳴を上げたかった。機嫌を損ねて、今すぐにでも帰ってしまっても何ら不思議では無かった。

 恐る恐る、ガイガンはスピーシィの表情を伺う。彼女は少年騎士の情報に対して、何も言わない。その場の全員、彼女の反応を待った。そして、


「き」

「き?」


 なんだ?と、思っていると、彼女はぐっと、身体を縮めると――――




「ッキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア♥♥♥♥♥」




 ――――跳び上がり、歓喜を叫んだ。


「!?」


 ガイガンは驚愕した。平伏していた騎士達も全員、驚き仰け反った。

 ここまでずっとローテンションで眠たげな表情ばかりだったスピーシィは頬を赤くさせて、激しく興奮した様子で少年騎士に詰め寄った。


「え、え、え!?本当ですか!?本当に!?プリシアの命令で?あの!?」

「そ、そうです、が」


 彼女にその情報をもたらした少年騎士も彼女に反応には戸惑っている。がくんがくんと肩を掴んで揺らしながら、彼女は興奮を抑えきれないと言った様子で飛び回った。


「うっそ!!なんて事!!ワタシに向かって悪態垂れまくってツラを見せたらその瞬間顔面に魔剣百本叩き込んでやるって2年前に喚いてたあのプリシアが!?」


 両手を広げて、踊るように周りながら、彼女は叫んだ。


「ワタシに、助けを求めたんです!?」


 堪えきれない、というように笑い出す。最早、全員が呆然と彼女の狂喜を眺めていた。唯一、ミーニャだけが「あーあー」といった表情で顔を顰めていた。


「夢みたい!!あの女どんなツラしてワタシを呼び出したんでしょう!苦悶に歪んだブッサイクな顔に違いありません!今すぐ会いに行きましょう!!」

「お待ちください。ホントお待ちください。マジで待ってください」


 目の前で並び平伏している騎士達を完全に放置して立ちあがり、窓の枠に足をかけて外に飛び出そうとしたスピーシィをクロは止める。腰を引っ掴むようにしてなんとか動きを止めた。


「邪魔しないでくださいクロくん!たった今ワタシの最優先事項はプリシアの馬鹿面を肴にワインを呷る事に決まったんです!」

「その禍々しい最優先事項を一端取り下げてください。お願いしますから……!!」


 クロの懇願をなんとか聞くだけの知性はギリギリ残っていたらしく、スピーシィは渋々部屋に戻る。が、それでも興奮した様子であり、今にも部屋を飛び出しかねない様子だった。


「そもそも彼女に会うことは出来ません」

「え、なんでです?許可貰わなくても勝手に会いに行きますけど?」


 明らかに問題になる発言だったが今は無視する。


「そもそも彼女は今離宮に居ます。沢山の騎士に護衛されています」

「え?さっきの鉄塊みたいな兵士100体くらいならなぎ倒せますよ?」

「バケモノかこの女ゴバァ!?」


 思わず本音が漏れた騎士の一人が頭上から突如降り注いだ水弾に押しつぶされてピクピクと痙攣した。残された騎士達は揃って口を閉じた。


「……護衛を退けたとしても、無理です。彼女は今、病に冒されています」

「停滞の病?それなら治せますが?」

「感染を回避するため、彼女の休む離宮には【白影の魔障結界】が張られています」


 それを聞いた瞬間スピーシィは舌打ちした。


「感染防止の建て前で護りに入りましたね……流石に【影】はワタシでも厳しいか」


 ぶつぶつと呟き、そして両手を合わせて期待するようにクロを見つめた。


「結界、解除出来ますよね?結界を張った当人達なら」

「私の一存では不可能です。停滞の病が解決できれば、許可は出るかと」


 クロの言葉に口先を尖らせ、沈黙する。そして数秒後、


「――――いくら追放されたとはいえ、この国はワタシの故郷です」


 立ち上がり、そして両手を重ね、聖女のように祈り、宣言した。


「無辜の民が苦しんでいる現状、放置出来ません。この国を救ってみせます!」

「この女……」


 クロは思わず呟いた。この場に居る全員同じ事を思った。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「あーあー、言っちゃった」


 ミーニャは友人であるスピーシィの狂乱を傍から眺めていた。

 クロが影の騎士であると気付いたときから、こうなる可能性は想像してはいた。が、想像よりは粘った方だろうか。こうなってしまうと、スピーシィは是が非でもこの一件の解決に乗り出すだろう。


 まあ、それ自体は構わない。


 先程ガラにも無く高潔なことを口走ったが、彼女が誰かに強いられるで無く自分の意思でこの国を救ってくれるというのなら文句は無い。ミーニャが拘っているのはスピーシィの意思の尊重であって、グラストール王国への憎悪ではない。

 問題は事が終わった後、今、歓喜で全身をキラキラとさせている友人が大人しくしているかという所だが……


「あ、あの、ミーニャ様」

「なにかしら、ガイガン隊長」


 スピーシィの視線から外れるようにそっと近付いてきたガイガンにミーニャは応じる。あからさまに戸惑った様子の彼は、心底理解できないといった表情でスピーシィを見ている。


「あの、彼女は……どういう?」


 非常に要領の得ない質問であるが、問わんとしている事はわかる。

 スピーシィのあの興奮状態が全く解せないのだろう。彼の感情は理解できる。ミーニャだって、彼女の精神構造は理解し切れないし、したくもない。が、今何故彼女が喜んでいるかは分かっている。


「基本、貴方の想像通りよ。スピーシィは王妃プリシアを嫌っている。プリシアも同様」

「……ですが、なら、アレは?」


 ガイガンは、今もぴょんぴょんと上機嫌にクロの両手を取って踊っているスピーシィを心底訝しむ眼で見る。確かにアレは嫌悪の感情とは思えないだろう。

 プリシア王妃の窮地とこの苦境を嘲笑うなら、もっと早く彼女の態度はあからさまになっていたし、「彼女と会うためにこの国を救おう!」にはなるまい。


 言わんとすることはわかる。が、そこが友人のヘンな所だ。


「……スピーシィって、「」と「」が同時に成立するの」

「尊敬」

「20年前スピーシィはプリシアに追放された。あらゆる謀略によって物の見事に第一王子の許嫁の座を引きずり落とされた。その一件にスピーシィは”感激したの”」


 プリシアの所業、スピーシィを貶めた立ち回りの詳細をミーニャから聞いた時の、スピーシィの様子は20年経った今も覚えている。彼女はプリシアの手口の一つ一つを詳細に聞き出し、そこにどのような意図があったのかをミーニャに尋ね、その度に驚き、感心し、そして褒めちぎった。


 ――――凄い!凄い!そんな風に相手の心を操るなんて!


 それまで本当に魔術にしか興味が無かった彼女が、初めて魔術意外にも興味を持ったのが、自分の追放劇だというのはなんともいえない気分になったものだった。


 彼女が美容に気遣い始めたのもその後からだ。


 人々の心を動かす時、見目麗しくを心がけたプリシアを真似始めたのだ。ボサボサでロクに手入れしていなかった髪や肌も気遣い始め、化粧の仕方も覚えた。追放され、暫くは誰一人立ち入る事も無い塔の中で化粧を磨き上げていた。その後暫くしてようやく彼女と連絡を取れたとき、あまりにも様変わりしていた所為で一瞬誰だか分からなくなったのは印象深い。


 なんで追放される前よりも艶やかになってるんだお前は、と。


 そしてそれから、追放された塔をあっという間に整備して、魔術知識を使ってこっそり彼方此方の魔術ギルドに接触して影響力を獲得した。辺境の地ゼライドの実質的な支配者になって、王都グラストールに干渉を開始した


「干渉……というと」

「まあ、つまるところ、プリシア王妃への嫌がらせよ」


 詳細はあまり聞いていないが、それはもう、あらん限りの嫌がらせを行ったらしい。プリシアが起こそうとする事業があると聞きつければ、必ず先回りして同じ事業を立ち上げる。決して目立ちすぎないように、しかし確実にプリシアにとって目障りな位置を陣どって。


「……復讐のため?」

「勿論、意趣返しの意味もあるんでしょうけど……ガイガン隊長、お子様は?」

「は?男の子と女の子が一人ずつ居ますが……」

「子供って、構って欲しくて親が嫌がることする時期無かった?」

「…………どちらにもありましたが……スピーシィ様も、それだと?」

「人間、どれだけ年を取ってもガキのままっていうけど、限度があるわよね」


 当然、スピーシィは名前は隠していたが、そんな事を続けばプリシア側も察する。追放したはずの女が暗躍しているのだと。そしてプリシアは即座に反撃した。スピーシィもそれに対して再び反撃し、以降20年間、ずっとスピーシィとプリシアは戦争状態だ。


「だからスピーシィ、グラストール王国の事や、元婚約者の国王のことなんて全く興味ないんだけど、プリシア王妃のことは興味津々なのよ。そのプリシア王妃に、プリシア王妃自身を餌にされたら、そりゃあの子食いつくわね」

「……私はそのような事実、知りませんでした」

「でしょうね。プリシア王妃、徹底的に隠していたもの。スピーシィも邪魔されたくないからって下手に喧伝しなかったから」


 しかし、彼女たちが主戦場としている商売の世界だと結構有名な話ではあった。【王妃と追放姫の大戦争】と密やかに銘打たれたその戦争は、幾多の商売ギルドを巻き込んで、20年経過した今も尚続いている。

 と、まあ、スピーシィとプリシアの因縁はこのように続いていた。


「……それで、この後どうなるのでしょう」

「まあ、少なくともあの子がやる気になった以上、この停滞騒動はなんとか決着出来るんじゃ無いかしら。王妃を煽る為なら、国くらい救うわよあの子。その後は大変でしょうけど」


 とはいえ、スピーシィは天才だが、万能の神様というわけでは断じてない。出来ないこともある。「もうできることは無い」と帰ろうとしたのも、別に出し惜しみという訳ではないはずだ。

 結局、グラストール王国は無傷では済むまい。とはいえ、それは最初からわかってはいたことだ。その後始末こそ、ミーニャ含めた自分たちでしなければならないことだろう。


「その点は覚悟できています……ですが」

「ですが?」

「その……プリシア王妃はどうなるでしょうか?」


 ガイガンの問いに、ミーニャは苦笑いを浮かべた。


「かわいそうなことになるわ」

「かわいそうなこと」

「20年間滅多なことで晒さなかったプリシア王妃の窮地ですもの。しかも自分に助けを求めてきたとくれば、スピーシィが何するか、わかったものじゃないわ」

「…………」


 ガイガンは沈黙し、顔を伏せ、そして絞り出すような声で、言った。


「……王妃の、尊厳が、残ることを祈ります」

「残ると良いわね……」


 スピーシィの追放騒動で、ミーニャはプリシア王妃の事は普通に嫌いだが、しかし流石にプリシア王妃を憐れむくらいの人の心は彼女にもあるのだった。


「目が覚めたプリシアになんて声をかけましょうか?クロくんも一緒に考えましょうね」

「流石に俺にそれを考えさせるのは畜生が過ぎますプリンセス」


 そしてそんな友人の憐れみなど知ったことかというようにスピーシィはクロと一緒にダンスに興じていた。


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