第33話 誕生日

目を覚ますとカーテンの隙間から差し込む微かな光が差し込んでいるのが見えた。

いつもより早い目覚めだと気づいたが、クロエは寝台の上で身体を起こす。昨晩から物思いに耽ってしまい、眠りが浅かったせいだろう。


(いいえ、シアマ会長が訪れた日からずっと考えてしまっているのだわ)


罪悪感に胸がずきりと痛む。だがミリーが起こしに来る前に気持ちを切り替えなくてはいけない。

――今日は大切な妹であるアネットの誕生日なのだから。


クロエの誕生日と違ってアネットの誕生日は盛大に祝われることがない。父カミーユはそんな祝い事を気に掛けていないし、女主人である母デルフィーヌの意向を無視して行うことが出来ないからだ。


アネット自身も特段気に留めた様子もなかったが、クロエはそれが逆に悲しかった。同い年であるにもかかわらずアネットが大人びた振る舞いをするのは彼女を取り巻く環境に強いられたものだと思っている。そしてそんなクロエの葛藤さえもアネットは簡単に見抜いてしまう。


『お姉様、使用人たちへの労いの日としてお菓子を振舞いたいのですが、どう思われますか?』


母を刺激せずお祝いをしたいと考えていたクロエに、アネットは自分の誕生日を使用人たちの労いの日にしてはどうかと提案したのだ。

その結果、クロエはシリルを通じて母の機嫌を損ねることなくささやかなお祝いの場を用意することが出来るようになった。


建前上使用人のために作られたケーキやクッキーなどは、アネットとクロエのお茶会の席にも供され、普段より充実したお茶菓子にアネットは目を輝かせて喜んでくれた。

プレゼントは刺繍を施したハンカチや小さなぬいぐるみなど自作したとはいえささやかな物ばかり。自由になるお金がなく、母が気に留めない程度の物品しか贈れないのにアネットはいつも心から嬉しそうな笑みを浮かべていたので、クロエもいつしか失念してしまった。


あの日、フェルナンが渡したプレゼントは侯爵令嬢に相応しい品物だった。

その時に覚えたのは焦燥にも似た感情。初めて感じた嫉妬の感情はアネットではなくフェルナンに対してだ。

アネットが自分から離れていくことを、自分よりも他の人を優先するようになるかもしれないことを初めて実感した。


物に釣られるような子ではないが、高価な物を贈ることでアネット自身の価値を認め望んでいるのだという強い意志が伝わってきた。クロエが感じたことをアネットが察しないはずがない。


(わたくしはあの子に価値のある物を与えてやれてないし、守ってあげられてもいない)


市井で働きたいのだと打ち明けられた時には寂しさを感じたが、初めての我儘に応援してあげたい気持ちが勝った。

それなのにフェルナンの行動に心が乱されたのは、自分がアネットを蔑ろにしていたのではないかと気づかされたからだ。

アネットを可愛がっているつもりだったが、それはどれも両親の不興を大きく損ねない範囲でしかなかった。


そんな自分がアネットの誕生日を祝い、当然のように傍にいることを許されるのだろうか。



「お姉様、おはようございます」

ふわりと花が開くように輝く笑みにクロエは罪悪感に蓋をして笑顔で挨拶を返す。


アネットが心から嬉しそうな表情を向けるのはクロエに対してだけだ。可愛い妹は初めて会った日からずっとこんな自分のことを気に入ってくれている。身勝手な理由で冷たく突き放したことも、理不尽な目に遭わされてもなお、クロエを守ろうと奮闘し愛してくれた大切なたった一人の妹だ。


ひっそりとしか誕生日を祝うことができず、侯爵令嬢として当然の物品や環境を与えられずともアネットは自分らしさを失わない。

その強さに惹かれ抱いていた憧憬の念に罪悪感が混じる。


「お庭の端にジャスミンの花が咲いたそうですよ。邸内に置くと香りが強すぎるかもしれないので、お茶会が終わって散策しながら一緒に香りを楽しめたら素敵です」


無邪気にはしゃぐアネットの楽しそうな雰囲気に水を差したくない。

俄かにこの場にいないリシャールへの罪悪感が湧いたが、それを押し込めてクロエは笑顔を保つことに専念した。



アネットへのプレゼントを手に会場となるガゼボへと向かった。

学園に通うようになって友人たちとの付き合いのため支給される小遣いを貯めて買ったものだ。あのように素敵なネックレスをもらったあとではだいぶ劣って見えるのではとの思いもあったが、他に代用品はない。


「アネット、お誕生日おめでとう」


言葉少なに祝いの言葉を掛けると無邪気な子供のような笑みになり、それに気づいて慌てて表情を引き締めようとしているのが愛らしい。

クロエの前ではあまり見せないが、アネットはどこか冷静で人の好き嫌いが激しい部分がある。そんな子が無防備な心を晒してくれるのだから嬉しくないわけがない。


プレゼントを渡すと、さらに緩む表情を見てクロエは内心安堵する。結局のところアネットはクロエからの贈り物を最高級品のように扱ってくれるのだ。

そのことの是非を問うよりも今は素直に喜んでくれる妹の姿を余計なことを考えずに眺めることにした。




「!!」

クロエからのプレゼントにアネットの目は釘付けになる。陽光を浴びて煌めくブローチが二つ並んでいて思わず感嘆の息が漏れた。

花を模したブローチは花弁の部分に鮮やかなオレンジカーネリアンが使われており、深みのある青いアクアマリンを使ったブローチは雪の結晶の形をしている。


「……お姉様、こんな素敵なプレゼントを頂いても良いのですか?」


思わず確認してしまったアネットにクロエは慈愛に満ちた表情で頷いてくれる。飛び跳ねたいのを我慢して再びブローチに視線を戻す。

クロエからの贈り物はどれも大切な物だが、二つのブローチはアネットとクロエの瞳の色を想起させる。


「ありがとうございます、お姉様!とっても嬉しいです。大切にしますね」

そう告げると柔らかな笑みを浮かべるクロエを見て、アネットはますます嬉しくなる。最近のクロエはどことなく物憂げな様子だったため、心配していたのだ。


(多分、会長が来てからだわ)


相性が良くないのか、珍しくピリッとした雰囲気だったことが気に掛かっている。フェルナンが婚約者候補だからか、油断のならない性格だからか分からないが早々に婚約を辞退してもらわなければならない。

フェルナン以外にも候補はいるようなのでルヴィエ家を去るにはそちらも考えなければならないが、まずはクロエの憂いを晴らすことが最優先である。


「……それから、これはリシャール様とセルジュ様からよ」


クロエの言葉にアネットは目を瞠った。誤解を与えないようにとセルジュから何かをもらうことなど今までなかったからだ。

アネットは特段気にしていなかったが、セルジュは義理の妹となるアネットに何もしてあげられないことが不満だったらしい。


「まあ、リシャール様と殿下らしい贈り物ですね」


包みを開けると一冊の本と万年筆が現れた。女性の手にも使いやすい細身の万年筆は深い藍色と淡い青のグラデーションになっており、ところどころに散りばめられた銀色が夜空に浮かぶ星のようで美しい。

もう一つの贈り物のタイトルを見てアネットは思わず息を呑んだ。


(これは間違いなくリシャール様が選んでくれたものだわ)


以前街に出掛けた際に話していた一冊だったが、まさか現物を目にすることが出来るとは思わなかった。各国の平民の暮らしを詳細に記した歴史書で学術的価値の高いものだが、絶版になっているため希少価値も高い。


「お姉様、どうしましょう!殿下とリシャール様に過分な物を頂いてしまいました。お礼状だけでなく、何か返礼品をお届けしたほうがよろしいでしょうか?」

アネットは焦ってクロエに相談するが、クロエは落ち着き払っている。


「アネット、落ち着いて。誕生日の贈り物に返礼品は不要よ。お礼状はわたくしが王宮に行くときに届けてあげるわ」


誕生日の贈り物に返礼品を贈るときりがなく、また賄賂に繋がりやすいため禁止されているという。一般常識には自信があるが、貴族の常識についてはクロエのほうが詳しい。


「そうなんですね。ほっとしたような申し訳ないような気分ですが、せっかくですので有難く頂戴することにします」


思いがけないプレゼントにアネットは幸せな気分でお菓子に手を伸ばす。

木陰や噴水で暑さが和らいでいるものの、さっぱりとしたオレンジソースのブランマンジェは夏にぴったりだ。元々伝えたレシピではレモンを使用するのだが、アネットの瞳に合わせてあえてオレンジを使った料理長の心遣いに心がほわりと温かくなる。


アネットにとってルヴィエ家は長期滞在しているホテルのようなもので、実家と思えるほどの安心感がない場所だが、直接声を掛けてくれなくてもこうして心を砕いてくれる人がいることはとても幸せなことだと思うのだ。


「お姉様、今年もお祝いしてくれてありがとうございます!」

アネットの言葉にクロエは僅かに目を細め、優しい微笑みで答えてくれたのだった。

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