第22話 敵か味方か

教科書の件から3日ほど経ったが、あれから何の嫌がらせも受けてはいない。


(でも油断する頃が一番危ないのよね)

前世の経験からアネットは悪意に敏感だった。ほんの些細なことでも人は簡単に他者を傷つけ、陥れるのだということを知っている。


生意気そう、目つきが気に食わない、それだけでイジメのターゲットとされた高校生時代があったからこそ今は平然とした態度を取ることが出来るのだ。初めての体験だったなら、不安に苛まされ、すっかり怯えていたかもしれない。

今回は教科書だったが、なかなか暴力的な気配のする嫌がらせは自分の身に向けられる可能性も視野に入れている。


アネットは周囲に気を配りながらも人気のない場所を避け、一人にならないように過ごしていた。その日々が今後もしばらく続くと考えれば多少精神力が削られるが、仕方がない。


(リシャール様に知られた時は困ったことになったと思ったけれど、結果的に味方になってくれて良かったわ)


リシャールには教科書を取り出した時に硬直したところを見られていたため、何かあったのだと気づいたそうだ。

約束通り黙ってくれている上に、さりげなくアネットが一人にならないよう調整したり身の回りにも気をつけてくれているようだ。


「アネット嬢、図書館に用があるならついでに返却しておくが」


図書館までの通路はあまり人通りが多い場所ではない。返却期限が近づいているがクロエや友人たちと行動を共にして巻き込む羽目になったらと躊躇したアネットにリシャールが声を掛けてくれた。


流石に図々しいと思って断った結果、距離を保ちつつ一緒に向かうことになった。

アネットの噂を考慮してくれたリシャールの行動に、随分と大きな借りが出来てしまったと感じていた。一方的に何かをしてもらうのは好きではないのだ。

対等な関係でなければ、いつかバランスが崩れてしまった時に失うものが多い。


(それでもやっぱり有難いから学園にいる間に借りを返してしまわなければ。リシャール様とは関わる機会がなさそうだし)


そう思うと少し寂しい気もするが仕方がない。

リシャールが自分に対して淡い恋情を抱いているようだと察してはいるが、次期公爵であるリシャールに婿入り希望のルヴィエ家はそぐわない。


そもそもアネット自身は侯爵令嬢として婿を迎えるつもりもないのだから、二人の間に特別な感情が芽生えたとしても成り立たないのだ。

ほんの少しの罪悪感を覚えるアネットだったが、今は頼りになる存在を遠ざける気にはならない。


ぼんやりと考え事をしていたアネットは階段から下りてきた少女に注意を払っていなかった。すれ違う直前に急にバランスを崩した少女がアネットの方に倒れ込んでくる。

反射的に抱き留めようとしたが、足場の悪い階段では踏みとどまることができず浮遊感に思わず目を閉じた。


「アネット嬢!」


覚悟していた痛みはなく、すぐそばでリシャールの声が聞こえてアネットが目を開くと、くたりと脱力した少女の姿があった。背後に感じる温もりでリシャールが支えてくれたのだと気づいてアネットは、気を失った少女が落ちないように体勢を調整する。


「リシャール様、この方は体調が優れないようです。保健室まで運んでいただけないでしょうか?」

少しだけ躊躇う素振りを見せたのはアネットを気遣ってのことだろう。


「私なら大丈夫ですよ」

「すぐに戻る」

そう言うなり少女を抱えてリシャールは階下へと向かった。



警戒しながら訪れた図書館はいつもと同じように穏やかな雰囲気で、少数の生徒が利用していた。何事もなく本を返却したアネットは少々拍子抜けしたような気分になった。


(リシャール様をここで待っていても良いけど、保健室に行ったほうが良いかしら?)


保健室までは下手に迂回することをしなければ、途中ですれ違うことはないだろう。先ほどの少女が少し気になっていたアネットは、様子見を兼ねて保健室に向かうことにした。


「こんにちは、アネット嬢」

「……ごきげんよう、シアマ会長」

思いがけない人物と遭遇したアネットは、少しだけ警戒を強めた。


学園内にいればすれ違うことがあっても不思議ではないが、このタイミングで胸の内が読めないフェルナンに遭遇したことを偶然と片付けるには躊躇ってしまう。


「フェルナンでいいよ。あまり堅苦しいのは好きじゃないんだ」


優しげな笑みとさらりと親しみやすい雰囲気に、主導権を握られた気がしてアネットは意識的に淑女の微笑みを浮かべる。

もしもフェルナンが何かしら今回のことに関わっているのなら隙を見せてはならない。


「フェルナン様は図書館にご用なのですか?」

「そのはずだったけど、君に会えたからもう済んだよ。先ほどナビエ公爵令息から君のことを託されたんだ」


(これは、どちらかしら……)

本当にリシャールから頼まれたのか、それとも油断させるための罠なのか。

善意であれば失礼な話だし、警戒されていると分かれば気分が良くないだろう。一方で悪意を秘めているのならば危険な状況だといえる。


「何やらお気遣いいただいたようで、ありがとうございます。もう終わりましたので大丈夫ですわ」

どちらの場合でも差しさわりがない言葉を告げると、フェルナンが感心したような声を漏らした。


「そつのない対応だね。ルヴィエ家の令嬢は社交の場に出ていないと聞いていたけど、アネット嬢は慣れているのかな?」


アネットは少し首を傾げて、肯定とも否定とも取れるように無言で笑みを浮かべるだけに留めた。


「一応生徒会長を務めているのだから、他の生徒に示しがつかないような真似はしないよ。だが、数回会っただけの相手を信用しろというのも無理な話だし、困ったな」


アネットの葛藤をさらりと言い当てられてばつが悪い気分になったが、幸いフェルナンは気にしていないようだ。


「フェルナン様、本当に大丈夫ですわ。これからリシャール様に合流する予定ですの。フェルナン様にご親切いただいたこと、私からきちんとお伝えいたします。ご多忙な生徒会長の時間をこれ以上奪うのは心苦しいのです」


これまでの会話の応酬でフェルナンに対する警戒は薄れていた。図書館でも何も起きなかったこともあり、少々疑心暗鬼になっていた自分が恥ずかしい。


「分かったよ。何か困った時にはいつでも相談していいから」

年長者らしく頼りがいのある言葉に、アネットは一礼して背中を向けた。



「……思った以上に稀有な令嬢のようだな。興味深いが、公爵家相手だと少々骨が折れるかな」


そう思いながらも自分の口元が緩んでいることに気づいて、フェルナンは苦笑した。

困難であればあるほど、やりがいを感じるものだ。


伯爵家の三男であるフェルナンは将来独立して生計を立てなければならないが、既にいくつかの事業を手掛けている。そのため中途半端に他家と関わりを持つとそちらからの干渉が面倒だと婚約者選びを後回しにしていた。


(アネット嬢なら、事業についても面白い見識を持っていそうな気がする)


「さて、まずは接点を増やすところから始めるとするか」


楽しくなりそうな予感を胸にフェルナンはアプローチについて考えを巡らせるのだった。

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