第10話 推しからの拒絶

アネットがルヴィエ侯爵家に引き取られて3ヶ月が経った。


顔を合わせるたびにアネットはクロエに必ず一度は話しかけるのだが、相変わらず関係性の改善は見られない。ただ曖昧な質問や具体的な回答が必要な会話は黙殺されることに気づいてからは、イエスかノーで答えられる言葉を掛けるようになった。


「ごきげんよう、お姉様。今日もいいお天気ですね。庭園のロリエローズがとても綺麗ですが、ご覧になりまして?」

「……いえ」

「よろしければ後ほど一緒に行きませんか?」

「忙しいの」


一緒に過ごす機会を得ようとお茶や庭の散策などに誘うが、答えはいつも同じだ。実際クロエが忙しいのは本当らしく、通常の教育に加えて王子の婚約者としての教育もかなりの時間を割いているようだった。


アネット自身も専属の家庭教師がついて地理や歴史、算数と国語などを学んでいるが、午後のお茶の時間には終わるため、夕食までの数時間は自由時間となる。子供らしく遊んでも、勉強時間に充てても、のんびりとお昼寝することも可能だ。


こっそりとクロエを確認するが、目に見える部分に暴力の形跡は見当たらない。義母も将来娘が王族に嫁ぐと分かっているので、服の下でも痕が残るような暴力は振るわないだろうと思っているが、安心できなかった。傷痕が残らないぐらいの暴力でも痛みはあるのだ。


それに最近では目の下の隈が目立つようになっていて、顔色の悪さも気になっている。だからこそ二人で話したいと思っているのだが、なかなかうまくいかない。


「ジョゼ、最近お姉様がお疲れのご様子なの。理由を探ってきてちょうだい」


そう言ってアネットが1枚の紙を渡すと、ジョゼはすぐさま部屋を出て行く。勉強に力を入れるのはもちろんのこと、アネットはメイドの懐柔を試みていた。

自由になるお金もなく、また侯爵家のメイドはそれなりに待遇が良いので小遣い程度で懐柔されない。


そこでアネットは持っている知識を活用した。

甘いものが好きなメイドは多く、先日のマカロンの件でキッチンメイドはアネットに好意的になっていた。料理長も自分の不用意な発言でお茶会を台無しにしてしまったことに罪悪感を抱いている。


それを利用してこの世界にはないお菓子を料理長に作ってもらい、それを使ってメイドを懐柔することにしたのだ。クロエの様子を伝えるだけで、美味しく珍しい菓子がもらえるとあって時間をおかず、クロエの近況がアネットの耳に入るようになった。


「さて、宿題でもしようかな」

知識を得ることは嫌いではない。前世でも頭がいい訳ではなかったが、勉強は出来たほうだったし、真面目な性格だったのだ。


(可愛げのない性格だったけどね)


だから人に好かれることはほぼなかった。そのおかげで義母や一部の使用人から嫌悪されても受け流すことが出来るのだと思うと、過去の経験も有難く思えてくる。

クロエの学習内容に追いつけば、一緒に授業を受けられるかもしれない。


そんな淡い期待がやる気に繋がっていたのだが、それがどう捉えられるかをアネットは考えていなかった。



微かなドアの開閉音で図書室に誰かが入ってきたことを察したアネットが振り返ると、そこにはクロエの姿があった。


「お姉様!」

予想外の場所で会えた嬉しさで、アネットは淑女モードのまま急ぎクロエの元に歩み寄った。


「何かお探しですか?よければ私もお手伝いいたします」

勢い込んで話しかけたアネットだが、すぐにクロエの視線が腕の中の書物に注がれていることに気づく。


「もしかして、こちらをお探しでしたか?それならばお姉様がお持ちください。私は一度読んだことがありますので」

宿題に使う資料として選んだものだったが、それがなくても他の本でも代用できる。そう思って伝えたのだが、クロエの表情は何故か険しくなっていく一方だ。


「……何故この本を」

クロエの話す言葉はいつも短い。だがアネットは正確にクロエの意図を理解して答えた。


「宿題を解くための参考用にと思ったのです。隣国の歴史は我が国の歴史を知る上でも必要でしたので。あ、でもなくても仮説は立てられますので、大丈夫ですわ」


クロエが必要な本を、気を遣わせることもなく譲ることができるのだと思っていたのに、何故かクロエは感情を堪えるように口を引き結び両手を握り締めている。


どうして、と思うより先にクロエが差し出した本を払いのけた。

本は空中を舞い、重い音を立てて床に落ちた。開いたページが折り曲がって思わずすぐさま拾い上げるアネットにクロエが冷たい声音で告げる。


「平民の娘が気安く話しかけないでちょうだい。貴女が妹だなんて私は絶対に認めないわ」

バタンと荒々しくドアが閉まる音がしたが、アネットは凍り付いたようにその場から動けなかった。


(……お姉様に嫌われた?)

衝撃が収まるとじわじわと実感が湧いてくる。

これまで不可解な生き物を見るような視線や無関心な態度を取られることはあっても、あんな風に感情的に拒絶されることはなかった。


嫌な想像を振り払うように、慌てて別の可能性を考えてみる。単純に機嫌が悪かっただけかもしれない、不用意な発言をしてしまったのかもしれない。

図書室での会話を振り返っても、クロエの気に障るような言動に心当たりがない。唯一気になるのは本を見た時のクロエの反応ぐらいだ。


探していた本をアネットが手にしていたことが気に入らなかったのだろうか。平民の娘が触った本に触れるのも嫌だったのか。

考えれば考えるほど、クロエが嫌悪しているのはアネット自身だと思えてきて悲しくなる。


「お姉様と仲良くなりたいと思うのは、我儘なのかな…」

「推し」である以前に姉妹だから距離を縮めたいと望んだのは分不相応だったのかもしれない。たとえクロエが自分のことを嫌っていても守りたいと思う気持ちは変わらないが、迷惑を掛けたくはなかった。


不快な思いをさせてしまったならせめて謝りたいけれど、話しかけないでと言われた手前、クロエは嫌がるかもしれない。

悩んでも答えは出ず落ち込んだままダイニングに向かうと、クロエが一向に現れない。


「お義母様、お姉様はどうなさったのですか?」

普段は無視されるが、父の前では最低限の言葉は返してくれる。デルフィーヌは眉をひそめながらも、簡潔に答えた。


「気分が悪いらしいわ。可哀そうにね」

含みのある言葉と視線は雄弁にアネットのせいだと非難している。普段は聞き流せるのに、心臓をぎゅっとわしづかみにされたように苦しい。


それを悟られないように平然を装いながら、アネットは味気ない食事を無理やり押しこんだ。

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