第4話 少女と家令の化かし合い

(っていうかお姉様とご飯食べさせてくれるって言ったよね?)


初日にご飯を運んでくれた大人しそうなメイド、ジョゼにお風呂で丸洗いされて丁寧に髪を梳られ着替えが終わった頃に、食事が運ばれてきた。今までよりも品数も内容も充実しているにもかかわらず、クロエと朝食を摂れなかったことが釈然としない。


ふわふわの柔らかいパンに温かいポタージュ、卵料理、ベーコン、サラダ、ジャム入りのヨーグルト。

美味しいのに期待が外れたせいで味気ないと思ったのは最初の数口だけで、食べ終わる頃には気分もすっかり良くなっていた。


今朝までいた部屋よりも3倍はある広い部屋は日当たりも良く、調度品も整っていて何より絵本や人形など子供部屋に相応しいものもあってほっとする。

することもないので、近くの絵本を読んでいるとノックの音がしてシリルが入ってきた。


「おや、アネット様は本がお好きなのですか?」

「はい、初めて読むお話で面白いです」

「文字も読めるのですか。……てっきり挿絵だけ見ているものかと」


平民の識字率は年々向上しているものの、未だに高くない。貴族は家庭教師から学び、平民は教会で週に3度ほど文字を習う機会が与えられるが、7歳以上からなのだ。


「大家のおばさまから習いました」

元貴族だと噂されている大家のエミリーは初老の女性で、アネット達母娘にとても親切にしてくれた。留守番をするアネットを哀れに思い本の読み聞かせをしてくれたことがきっかけで文字を学ぶ機会を得たのだ。


(基本的な文字とルールが分かればそんなに難しくない、そう思えるのは前世の記憶があるからよね。……あ、これが転生チートというもの?)


「なるほど。素養があるようで安心しました。アネット様にはこれからたくさんのことを学んでいただく必要があります。歴史や文学は勿論ですが、令嬢としてのマナーや教養などは早めに身に付けておいたほうが良いでしょう」


身嗜みを整えてもマナーがなっていないと義母から叱責される光景が、はっきりと脳裏に思い描けたのでアネットも黙って頷いた。


「マナーを身に付ければクロエお姉様と一緒に食事を摂ることが出来ますか?」

口にしたことをあっさりと反故されたばかりのため確約の言葉が欲しい。

そんなアネットの言葉にシリルは僅かに目を瞠ると、一つ咳ばらいをして訊ねた。


「アネット様はクロエ様と仲良くなりたいのですか?」

「はい、だって私のお姉様なのでしょう。とてもお綺麗で可愛らしくも凛々しくてお声も素敵でした。もっとお話ししてみたいです」


ここぞとばかりにアネットは自分の想いを伝えてみたが、シリルは僅かに困惑したような顔を見せる。


「クロエ様はアネット様に好ましくない言動をしていたようですが――」

「お姉様のおっしゃる通り、今の私は妖精のように可憐で美しいお姉様の妹として相応しくありません。ですからたくさん勉強して貴族としての教養を身に付ければ、妹として認めてくださるかもしれないので頑張ります!」


シリルは口元を押さえて咳き込む素振りを見せるが、噛み殺した声に僅かに笑いが混じっている気がした。


(えー、もしかして笑ってる?人の決意表明を笑うなんて最低なんですけど?)


「……それでは早速教師の手配をいたしましょう。もしアネット様の習熟が早ければクロエ様と一緒に勉強することもできるかもしれませんね」

シリルの言葉にますます学習意欲が高まる。


「はい、よろしくお願いします——シリルさん」

「シリルとお呼びください。使用人は呼び捨てること、これも貴族として振舞うのに必要なことです」

先ほどまで忍び笑いを漏らしていたのに、冷たく窘められた。


シリルのスイッチがどこにあるのか分からないが、礼儀作法をきちんと教えてくれるあたりアネットに敵意はないようだ。

義母の命令よりも父の命令を優先するのであれば、アネットを貴族令嬢に育てることも彼の業務の一部なのだろう。


(あ、そうだ。いいこと考えた)


クロエに会うために勉強するのも大切だが、まずは自分の生活環境を整えることから始めよう。

密かな企みごとをアネットはその日から早速実践することにした。



「アネット様、一昨日私が申し上げたことはお分かりいただけなかったのでしょうか」

「一昨日……何のこと?」

シリルが何のことを言っているのか心当たりがあったが、素知らぬ顔で返した。父の味方であるシリルは敵ではないが出来るだけ情報を渡したくない相手だ。


「使用人を呼び捨てるようお伝えしました」


あれからアネットは専属メイドのジョゼはもちろん、会った使用人全てにまず名前を訊ねてその上でさん付けして呼んでみた。

結果アネットに呼び方を変えるよう窘めたのはジョゼを含む3名のみ。


元平民だが雇用主の娘であるアネットに正しい振る舞いを教え、接するのが正しい使用人の在り方だ。侯爵家に仕える使用人であればその一線を守らなければならない。

アネットは義母側でない使用人を見つけるために敢えてやったことだが、シリルに知られれば自ずと父の耳に入る。


普通の6歳児は信用できる使用人を見つけ出すために策を弄することなどないだろう。それが良否どちらに転ぶか分からない状況で口に出すつもりはなかった。


「ごめんなさい。これから気をつけます」

専属メイドであるジョゼは信用できると分かったし、全員ではないものの一応の目安が付いたのでこれ以上は止めたほうがいいだろう。


反省の意を示したにもかかわらず、シリルはじっとアネットを見つめている。まるで隠し事を暴こうかとするかのような窺う眼差しに、アネットは首を傾げてみせた。


「……分かってくださるのなら、これ以上詮索はいたしません」


(思いっきり怪しまれてる…。やっぱりシリルは要注意人物ね)


表面上は不思議そうな表情をキープしながら、アネットは内心どきどきしていたのでシリルの言葉にあまり関心を払わなかった。


「本日から令嬢としての礼儀作法を教えてくださる先生がいらっしゃいます。厳しい方ですが、その分早く身に付けることができるでしょう」



ジョアンヌは約1年ぶりにルヴィエ侯爵邸に足を踏み入れた。自分の顔を見たメイドがぎこちない礼をして案内するのを見て内心ため息を吐く。

自分の見た目が他者を緊張させるものであることは知っているが、一流のメイドであるならそれを表に出してはいけない。


ひっつめ髪に切れ長の瞳と癖になった眉間の皺は厳格な教師としての仕事用の姿であったが、いつしかこれが通常となった。独身であることを軽んじられないよう努力してきた結果、礼儀作法を学ばせたい子女の保護者たちからは好評を得ていたが、教え子たちからの評判は芳しくない。

それでもジョアンヌは自分の仕事に誇りを持っている。庶子であろうがしっかりと責務を果たすつもりでいた。


「平民の元で育てられたそうですね。お嬢様を立派な淑女に育てるのが私の務めでございますので、厳しくご指導させていただきます。まあクロエ様には及ばないでしょうが――」


余計な一言を付け加えたのはアネットの本性を見定めるためである。少々意地が悪いと自覚しているものの、仲良くするためにいるのではない。

驚いたように目を丸くしたあと顔を伏せたアネットを見て、落ち込んでいるのだと思ったのは一瞬のことだった。


「先生はお姉様にも礼儀作法を教えていたのですか?!お姉様の立ち振る舞いは優雅で美しくてつい見惚れてしまうんです。同じ方から教えていただけるなんてとても嬉しいです!」

上を向いた顔は興奮のせいか紅潮しており、瞳がきらきらと輝いている。


(こんなに純粋な瞳を向けられたのはいつ振りかしら…)

ジョアンヌは呆気に取られながら頭の片隅でそんなことを考えた。


「あの、もし良かったらその頃のお姉様のことなどお伺いしてもよろしいですか?私、お姉様のこと、もっとよく知りたいんです」

少女の勢いに押されていることに気づいたジョアンヌは咳ばらいをして、しかつめらしい表情を作った。


「そのような性急な話し方は淑女として相応しくありません。質問や依頼は許可を得ずに話しかけるとはしたないと見なされます」

鋭い声で叱責すると、アネットははっと気づいたように背筋を伸ばした。

「失礼いたしました、ジョアンヌ先生」


(この子、わりと筋がいいわ)

話し方も思っていたほどひどくない。クロエも年齢以上にしっかりしていた子だったが、アネットもしっかりと話が聞ける子だろう。

最初の失態を取り戻すかのように、ジョアンヌは平坦な声で授業を開始した。



笑い声が聞こえた気がして、シリルはノックしようとした手を途中で止めた。今は礼儀作法の時間のはずで、ころころと鈴の音が鳴るような声ではあったが、笑い声など起きようはずがない。

聞き間違いだろうと気を取り直してノックして扉を開けると、室内は和やかな雰囲気に包まれている。


「あら、もうそんな時間なのね。それではアネット様、しっかりと復習なさってください」

「はい。ジョアンヌ先生、本日はありがとうございました」


アネットのカーテシーはまだ優雅とはいえないものの、しっかりとした姿勢とにこやかな笑顔のおかげで随分と様になっている。ジョアンヌも僅かに口角を上げているので、及第点なのだろう。

ジョアンヌを見送りアネットの部屋に戻ると、シリルは気になっていたことを訊ねた。


「先ほど何のお話をされていたのですか?随分と楽しそうでしたが」

その時のことを思い出したのか、アネットは幸せそうな笑顔でシリルに告げた。


「ふふ、それは女性同士の秘密よ」


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