第2話 妖精または天使との出会い

(冷たそうな人)

それが初めて会った父親の第一印象だ。


カミーユ・ルヴィエと名乗った男はアネットを引き取ると告げるなり、すぐさま部屋から出て行った。一緒に連れてきた侍女らしき女性から身支度を整えられている間、

もう一人の年嵩の男性が荷物の処分や退去の手続きを進めている。


二度と母と過ごした部屋に戻れないのだと察したアネットは、慌てて大切な物を入れた小さな鞄を抱きしめた。

見咎めるような視線を向けられたものの、捨てるように言われなかったことに小さな安堵の息を吐く。


(何も知らない子供じゃなくて良かった)

行き先を告げられぬまま馬車に載せられたアネットは大人しく彼らの指示に従った。そこに父の姿はなく、おそらく引き取り時の身元確認のためだけに顔を見せたのだろう。


母が病気になってから天に召されるまでたったの一週間。葬式が終わった直後に現れた父には正直なところ不信感しかない。

母が病気だと知っていたけど放置したと考えるのは穿ちすぎだろうか。

だが引き取り手がいるのに孤児院に行くわけにもいかず、まだ子供のアネットが一人で生きていくことは現実的ではない。

沈黙に包まれた馬車に揺られて2時間ほど経って、ようやく馬車が止まった。


(はあ、立派なお屋敷。さすが侯爵家といったところね)


父の家族構成は聞いていないが、アネットが今まで父に会ったことがなかったこと、すぐに引き取られなかったことを考えれば、妻子がいるのだと見当がついた。

夫がよそで作った子供、半分しか血の繋がらない姉妹、そして平民として暮らしていたとなれば恐らく歓迎されない。


(さすがにまだ6歳で一人暮らしは難しいものね。最低でもあと7年は我慢してここで暮らさないと)

少しでも友好な関係が築けるように愛想よくしようと決めたアネットだが、その直後に人生が一変することになるとはこの時予想だにしていなかった。

運命に出会ったのだとこの時の事を振り返るたびにアネットは本気でそう思う。



(え、天使?!それとも妖精?!)

言葉を失うほどの衝撃をアネットは初めて体験していた。腰高まである艶やかなダークブロンドの髪、陶磁器のような白く滑らかな肌、吸い込まれそうなマリンブルーの瞳は宝石のように煌めいている。


美少女などという言葉では語りつくせない圧倒的な存在にアネットはただただ見惚れていた。表情は固いが凛とした雰囲気は既に少女のものではなく、淑女と呼ぶのに相応しいほどの佇まいである。


「この子供は言葉も話せないのですか」

冷ややかな声にようやくアネットは室内にいたもう一人の人物に気づいた。最初が肝心だと思っていたのにやらかした自分に焦りながら、少女から視線を引きはがして深々と礼をする。


「失礼いたしました。アネットと申します」

面白くなさそうに鼻を鳴らす侯爵夫人は、やはり自分のことを歓迎していないようだとアネットは悟る。


(あの子はどうなんだろう?)


そっと視線を上げて窺うと、眉をひそめた少女と目があった。

「私は貴女を妹だなんて認めませんわ」


(うわっ、声まで可愛い!!)

言葉の内容よりも少女特有のソプラノにはっきりとした口調が耳に心地よい。


「お前がどう思おうがこれを引き取ることは決定事項だ、クロエ」

感情を含まない声でカミーユが告げれば、クロエは黙って俯き侯爵夫人は汚い物でも見るような視線をアネットに向ける。

夫人は仕方がないとしてもクロエとは良い関係を築きたい。


(だってあんなに可愛いんだもの!)


今の自分は客観的に見ても可愛らしい外見だとアネットは思っている。ぱっちりとした橙色の瞳に丸い顔つきと小柄な体躯は小動物系の愛らしさがある。前世ではぱっとしない顔立ちをしていたので、同じような見た目の母に似たことに心から感謝したものだ。


「元々平民と暮らしていた者が貴族になれるとは思いませんわ。それなら親族から後継者を選んだ方がまだまし――」

「デルフィーヌ、私が決定事項と言ったんだ。優秀な婚約者を選び婿入りさせる。クロエが第二王子殿下の婚約者に選ばれなければそうするつもりだったのだから、変わりはない」

それだけ言うとカミーユは応接間から出て行った。


あとに残されたのはクロエとデルフィーヌ、そしてアネットだ。微妙な空気に居たたまれないが、勝手に出て行くわけにもいかない。

二人が出て行きメイドからようやく与えられた部屋に案内されて、アネットは大きなため息を吐いた。



「それにしても、娘のことを完全に道具として見ていないよね」

愛されたいと思ったわけではない。今まで会いに来なかったことからも期待していなかった。わざわざ引き取られたからには何か思惑があるのだろうと思っていたが、まさかの政略結婚の駒扱いとあっては横暴さに腹が立つ。


前世でも会社を自分の血族に継がせたがる親は一定数いたが、それと同じようなものだろうか。自分の利益や権力を増やすための行為、仮に子孫への愛情として財産を遺すためだとしても子供が望まなければ単なる押し付けに過ぎない。


もっとも父であるカミーユは明らかに前者だ。半分平民であるアネットを引き取ったのは自分の血を引く娘なら他人よりまだ使い勝手が良いと踏んでのことだろう。

疲労を覚えてベッドに横になるとたちまち瞼が重くなっていく。クロエの姿を脳裏に描きながら、アネットはそのまま眠りへと落ちていった。


遠慮がちなノックの音でアネットは目を覚ました。寝ぼけながらも返事をすると、メイド服を着た若い女性が入ってきた。


「夕食をお持ちしました」

トレイに乗っていたのはスープと小さなパン。


(これはもしかしなくても嫌がらせかな?)

透き通ったスープの中には野菜の欠片が僅かに沈んでいるだけだし、パンも平民が食べるどっしりとした固いパンで、貴族が好む物ではない。


「ありがとうございます」

それでも笑顔でお礼を言うと若いメイドは申し訳なさそうな顔をしながらも、黙って出て行った。


(ふふん、大人げない真似をしていると分かっているならいいのよ)

雇用主から命じられれば断れないのだろうが、そこは自覚してもらわないと困る。罪悪感を募らせればこっそりと味方になってくれる可能性だってあるだろう。


「さて、いただきます」

冷めたスープだが素材や使っている出汁のお陰で旨味たっぷりだ。素朴な味わいの田舎パンとも相性が良く、しっかり噛むので満腹感もある。


「美味しかったー。ごちそうさま」

満足して食事を終えてはたと気づく。一見質素な食事ながらも美味しくいただけたなら嫌がらせでもないのでは、と。


「まあ、いっかー。明日もお姉様に会えるといいなー」

そう気楽に考えていたのだが、アネットが本当の嫌がらせに気づくのは翌日のことであった。

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