第13話「魔女と見習い脳筋騎士」

「マリス様、それは短杖ワンドですか? 法術をお使いになるのですね」


「ええ、まあ。そんなところです」


 ルシオラが興味深げにマリスの手元を覗き込む。魔術を使うために取り出した短杖なのだが、たしかに法術のために使うこともできるため、適当に答えておく。


「それより、短杖を覗き込むのは危ないですよ。ルーシーちゃん。短杖から法術を飛ばす術者もいますからね」


 そういう術者もいる、というか、マリスが聞いた限りではほとんどの投射系の法術使いはそうである。ちょっと危機管理意識が低い、と思わないでもないが、これまでほとんど屋敷から出たことがなく、しかも自身も法術を使えないとなればそんなものなのかもしれない。それが危ない行為だということを知らないのだ。

 侍女のノーラも一緒になって覗き込もうとしていたところを見るに、彼女にもルシオラの手綱は握れそうにない。

 分家のマルコスとやらに武力をちらつかされてこんなところまで追い出されてしまったことを考えると、アルジェント伯爵家で疎まれているのはルシオラだけでなくノーラもなのかもしれない。

 もっとも、そうだとしてもマリスには関係ない。ここにいるのは「ただのマリス」であり、『インサニアの魔女』ではないからだ。魔女マリスとしては伯爵家との関係は重要だが、ただのマリスとしてならどうでもいい。今のマリスが伯爵家とどちらを優先するかと問われれば、間違いなくわずかながらも知己を得たこの可哀想なふたりの方である。


 マリスはまず、賊たちに逃げられないよう周囲を結界で覆うことから始めた。内部にいるものを外へ逃さないようにする結界だ。

 ルシオラ一行の行動は人間の常識に当てはめれば明らかに問題である。後からそれがルシオラやノーラに何か悪い影響を及ぼすかもしれない。それを防ぐためには、自分たち以外の当事者や目撃者を全て消してしまうのが一番手っ取り早い。御者のトミーはこちらを気にしているようだが、敵意や害意は感じられない。ルシオラの味方と考えていいだろう。


 魔術で結界を作る場合、通常は起点となるアイテムを予め発動したい場所に設置しておく必要がある。しかしここはマリスの勝手知ったるインサニアの森の近く。厳密に言うとインサニアの森の外なのだが、ここに生えているのは森の影響を強く受けた木だ。インサニアの森に満ちている馴染み深い魔素を微量ながら感じられる。

 であるなら、十分に結界の起点として利用することが出来る。裏技かつ離れ業であるため、そう強い結界は構築できないが、あそこにいる賊を閉じ込める程度なら問題ない。

 詠唱すらなく、短杖を軽く振るだけで結界を構築した。


「今、何かをなさったのですか?」


 ルシオラがマリスの杖と周囲を交互に見ながら尋ねてきた。

 マリスは少しだけ驚いた。

 マリスが使ったのは魔術である。人間が使う法術とは違う。極稀ごくまれに法術の発動を感知する人間がいることは知っていたが、魔術の痕跡を感知する人間がいるなど聞いたことがなかった。


(貴族でありながら法術適正が無いことと何か関係が……? いや偶然かもしれない。そのへんを虫が飛んでいたとか。あ、その場合は私の杖にも虫がたかっていたことになるのかな。それはちょっと嫌だな。だったらいくら可能性が低くてもこの子が魔術の痕跡に気づいたって方がマシだな。そういうことにしておこう)


 マリスはルシオラには何らかの秘められた特殊能力があると考えることにした。その方がお互いの精神の安定のためだと思った。


 結界を張ってしばらくした後、ひとり突撃していったシィラがおもむろに剣をぶん投げた。


「え」


 騎士じゃなかったのか。剣を捨ててどうするのか。


「あ、なんか当たりましたよ。すごい! あんな大木が真っ二つですよ! さすがはシィラ様ですね!」


 隣で見ていたルシオラは大はしゃぎである。

 味方側であるこちらははしゃいでいるだけで済むが、敵側はそうはいくまい。事実、切り離された大木を見た賊たちは浮足立っている。


(なるほど、相手の戦意を削ぐために敢えて得物を手放したのか。アホの子だと思っていたけど、中々どうして。やるじゃないか)


 マリスはシィラの評価を上方修正した。

 てっきり何も考えずにひとりで特攻していったとばかり思っていたので、戦闘中も魔術で手助けしてやらねばならないなと考えていた。この様子なら、うまくすれば結界以外の手助けは必要ないかもしれない。

 と思いながら見ていたが、相手方も慣れたもので、頭領らしき男が何かを言ったことで動揺が収まってしまった。


(……ちょっと待って。慣れたものだって? 賊というと、ほとんどの場合は食うに困った農民とか仕事にあぶれた傭兵とかが落ちぶれてなるって話だけど。それにしては練度が高いような……。あと、よく見るとそこそこ装備が整ってる気がするな。ボロ布の下にはみんな似たような鎧着てるみたいだし、その鎧の一部には金属が使ってあるし、弓もみんな持ってるっぽいな……)


 弓という武器はコストがかかる。

 大抵の場合は木材と植物性の紐で出来ていて、金属を使う他の武器より耐久性が低い。しかも使うたびにたわんだり縮んだりと変形をするため、その分疲労が蓄積してしまう。さらには攻撃のためには別途「矢」が必要であり、これも多くの場合は消耗品だ。

 そんな金満武器を全員が装備した、食い詰めた賊など存在するのだろうか。


(食うに困って、というわけではないのかな。だとすると、金品を奪うのが目的の集団ではない? ルーシーちゃんたちに矢を射掛けてきたってことは、金品以外の目的でそれをしたということ……。となると暗殺か、誘拐か……)


 考えてみたが、今ある材料だけでは答えは出なかった。

 自分が賢くないことを知っているマリスはそれ以上考えるのをやめた。

 あれはただの賊。それでいい。


 頭領らしき男の喝によって落ち着きを取り戻した賊に、無防備なシィラがどうするのかと見ていると、彼女はまっすぐにその頭領らしき男へと向かい走っていた。集団の頭から押さえるつもりのようだ。

 そして、遠くに小さく響いた掛け声と共にシィラの姿がブレた。

 次の瞬間、頭領の隠れていた大木が爆散した。


「……んんん?」


 マリスは目を擦った。しかし結果は変わらない。大木は消えているし、パラパラと木の屑が舞っているように見える。

 法術の発動はなかった。シィラは法術適正が無いと自己申告していたのでこれはいい。魔術の発動も感じられない。この結界はマリスの張ったものなので、中で魔術が発動すればすぐにわかる。外から何かが入ってきた様子もない。


「つまり、何をしたかはよく見えなかったけど、シィラは法術も何も使わずに徒手で大木を爆砕した……ってこと?」


「まあ! それは素晴らしいですわ。さすがは法騎士様です!」


「ううん、確かに結果だけ見れば素晴らしいっちゃ素晴らしいけど……」


 そういえば、シィラは拳でこの短杖の先代インサニティ・エボニーを砕いてみせたのだった。

 今更ながら、そんな人間がつい先ほどまで何食わぬ顔でマリスの隣に座っていたという事実にはそこはかとなく恐怖を覚える。なにかの間違いで、たとえばシィラがくしゃみをしたはずみとかで、マリスが爆砕していてもおかしくなかったということだ。あるいは爆砕したのは乗っていた馬車だったかもしれないし、向かいに座っていたルシオラだったかもしれない。たとえ本人にその気がなかったとしても、事故というのは起きる時には起きるのだ。人間が小さなアリを潰さず優しく摘むのが難しいのと同じである。


(あれが法騎士のスタンダードだとすると、思っていたよりやべー集団だな。ていうか人間の範疇を超えた力だと思うんだけど、なんかやっちゃいけない人体実験でもしてるのかな、ミドラーシュ教団)


 マリスは法騎士団を擁する教団に対する警戒度を数段上げ、引き続きシィラの活躍を見守った。手助けも必要なさそうだし。

 視線の先では大木を砕いた勢いのままシィラが暴れ回っており、腕なり足なりを振るうたびに冗談のように人が宙を舞っていた。

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