第2話「森の賢くない魔女 2/2」

『マリスは本当に賢いねえ』


 亡くなった祖母の口癖だった。


(そんなの、嘘。だってわたしは、お祖母様の教えの半分も理解できなかった)


 あれは優しい祖母の優しい嘘だったに違いない。

 祖母は歴代で最も優れた魔女であり、他の地の魔女たちからも尊敬されていた。

 

 魔女とは、大陸に点在する人類領域の外──通称『領域外』を管理する役目を負った種族のことだ。領域外には危険な魔物が多数住み着いており、独自の自然環境を持っている。

 魔女は人間には使用できない魔術という強力な技能を持っており、魔術や魔術具、持ち前の知恵や蓄積された知識を利用して領域外を管理している。


 領域外であるインサニアの森を管理していた祖母ドゥルケはその歴史ある一族の中で最も優秀とされていた。それは魔術や魔術具の使い方、優れた知恵、深い知識、そして身体能力の全てがトップクラスに高水準だったためだ。さらに魔女とは思えない人格者であり、近隣の人間たちとも友好的な関係を築いていた。

 そんな優秀な祖母に育てられたマリスは、本人も思っている通り、その才能の半分ほどしか受け継ぐことが出来なかった。受け継げなかった半分とは、魔術具の使い方、深い知識、そして人格者なところである。マリスは不器用なため魔術具を使おうとすればほとんど必ず壊してしまい、知識は間違えて覚え、さらに人情や倫理観というものを理解することが出来なかった。

 その代わりと言っていいのか、受け継いだ半分については祖母を超える才能を発揮してみせた。

 猩猩の片腕を吹き飛ばした魔術についてもそうだ。あれは本来、優秀な魔女であっても十分な準備と魔力の集中を経てからでなければ発動できない大魔術である。それを身体強化を使いながら、しかも走りながら放ててしまうのがマリスの才能だった。

 だからマリスの「祖母の教えの半分も理解できなかった」という劣等感は間違ってはいないし、祖母ドゥルケの「マリスは賢い」という口癖も間違っては──いや、それは少し身内贔屓な口癖かもしれない。正しくは「マリスは優秀」あたりだろうか。優秀ではあっても、彼女は賢くはない。


 そんなだから、その祖母が亡くなった後も、マリスは祖母の残したものに手を付けないでいた。

 賢くない自分が、ただ祖母の遺産を食い潰しながら生きていくのは違うと感じていたからだ。

 幸い、マリスの一族が代々住んでいる領域外のこの森は豊かな恵みに満ち溢れているので、生きていくだけなら遺産に手を付ける必要はない。広義で言えば森の資源も遺産と言えなくもないのかもしれないが、森というのは放っておけば無限に拡大しようとするものだ。管理の意味も含め適度に間引くのはどのみち必要なことだった。



 ◇



 森の管理と言っても、別に木々を植えたり間伐したりといったことをするわけではない。

 インサニアの森は大陸にいくつか存在する古代からの原生林のひとつであり、そこには様々な生き物が住んでいる。森の深層にまでおもむけば、猩猩を始めとするちょっと強めの魔物も多数生息している。

 森の環境が変化すると、基本的には弱者である小動物から数を減らしていくことになる。そうなるとその小動物の出す糞が減り、糞を肥料に育つ柔らかい葉の植物が減って中型の草食動物が減ったり、小動物を捕食する中型の肉食動物の数が減ることになる。そこで中型の動物を捕食する魔獣も数を減らしてくれればいいのだが、残念ながら魔獣が最も食べやすい中型の動物というのは人間なのだ。理由は毛が無いから。

 ここで言う森の管理とは、そういう魔獣が森の中層から出て、『人類領域』──人里まで下りてこないようにするという意味である。

 生態系が崩れて小動物が減らないよう管理が出来ればいいのだが、祖母の代ならともかく、祖母ほど賢くないマリスにはそれは難しい話であった。ゆえに彼女は生態系の保全はある程度諦め、危険な深層の魔物の数を調整することで森に安定をもたらす手段をとっていた。弱い魔物や小動物が減ってきたら上位の魔物の数を間引き、逆に増えてきたら魔物を間引くのをやめれば良い。実に簡単かつ合理的な話だ。


 そうして日々の業務である森の管理を終えたマリスが自宅に戻ると、家の前に鎧を着た女がひとり立っていた。


 祖母が生きていた頃ならともかく、マリスに代替わりしてからは自宅を訪ねてくる人間はほとんどいない。マリスは祖母ほど人格者ではないからだ。「人格者でない」とは、マリスの理解では「人間に対して友好的ではない」ということを指す。事実、祖母がよくしていたような人間の探索者への手助けなどはマリスは一度もしたことがない。その結果森の浅層で力尽きた探索者も多く居たようだが、森の美観のために後片付けをしたくらいだ。と言っても、遺体や遺品を森の外に放り出しておくくらいだが。

 森に入って行方不明になった探索者の遺体が森の外に打ち捨てられている。その状況を見て、街の人間が何を考えるのかは言うまでもない。彼らは悟ったはずだ。先代と違い、今代の魔女は決して友好的ではないことを。

 そういった、人間に対し友好的でない魔女の棲み家に近づくのがどれほど危険なことなのかは、この大陸に住むほとんどの人間は痛みと教訓と共に知っている。


 となると、この鎧の女はそれすら知らない愚か者か、知っていて近づいてきた──つまり魔女と敵対することも辞さない危険人物かのどちらかということになる。鎧で武装した愚か者などどう考えても危険人物なので、どちらにしても危険であると断言していい。

 マリスは警戒しながらゆっくりと家に近づいていく。


 女が着ている鎧は、森に近いアルジェントの街に駐屯している法騎士団の鎧のようだ。マリスも見たことがあるのでわかるが、紋章からして本物だろう。

 法騎士団とはミドラーシュ教団の戦力である。アルジェント領を治めるアルゲンタリア伯爵は自前で戦力を持っているため、法騎士団はミドラーシュ教団の教えに従い真理を探求する修道士の護衛をするのが仕事であったはず。真理の探求のためにインサニアの森を調べるというのはわからないでもないが、修道士ではなく法騎士がひとりで来るのは筋が通っていない。

 それに、インサニアの森の魔女とミドラーシュ教団との間には不可侵条約が結ばれていたはずだ。歴史や社会の勉強は苦手だったマリスも、最低限インサニアの森に関わることについては辛うじて覚えている。

 となると、やはり法騎士団の鎧を着てひとりで森の魔女のいおりに来ている女は不審だ。


 鎧が本物だからと言って騎士本人であるとは限らない。鎧など騎士を殺して奪うことだって出来てしまう。むしろその場合、怪しまれないためだけに騎士を手に掛けるほどの人間であることが確定するため、似ているだけの偽物の鎧を着た人物よりよほど危険な相手だということになる。

 本物の騎士か、それとも。


 騎士の格好をした正体不明の女に気取られないよう、マリスは気配を殺し慎重に近づく。

 魔物を仕留めるときと同じだ。違うのは、もし本物の騎士だった場合、仕留めてしまうとマリスが罪に問われる可能性が高くなるため、素性を確かめる前に仕留めるわけにはいかないことくらいだ。


 あと一歩。

 それで女騎士モドキの間合いに入る。

 女の体格、腕の長さ、そして女が腰に佩いている剣のリーチから考えて、間合いの読みは間違いないはず。そのはずだった。


 しかしその一歩を踏み出す前に、女騎士モドキの拳がマリスの眼前に迫っていた。

 あの赤毛の猩猩を超えるスピードだ。およそ人間が出していい速度ではない。

 とっさに腰に差していた短杖ワンドを抜き、拳を受ける。

 魔法発動用の短杖とはいえ、その材料となったのは森でもっとも硬いとされるインサニティエボニーの老木である。なまくらの鉄材よりもよほど硬度がある。凶暴化した猩猩の鍛えられた拳でさえ撥ね退けた一品だ。そんなものに人間が素手で殴りかかったりしたら、拳のほうがイカれてしまう。

 そのはずなのに、砕け散ったのは短杖の方だった。


「うそ!?」


 マリスが知る限り、インサニティエボニーを素手で砕ける人間などいない。いや、高位の魔物まで入れてもそうそういないだろう。突然変異の猩猩だけで群れを作り、その中でさらに突然変異した超スーパーウルトラ猩猩マークⅣゴッドとかならわからないでもないが、そんな存在は見たことも聞いたこともない。

 しかしマリスの見解とは裏腹に、女騎士の顔立ちは整ったものだった。ウルトラゴリラとは程遠い。強いて共通点をあげるとするなら、燃えるようなその赤毛だろうか。少し金の光沢が入っているように見えるため、赤というより赤銅色と言った方がいいかもしれない。


 女騎士はその整った顔をくしゃりと歪め、叫んだ。


「いったぁ! なにこれ超硬いんだけど! 具体的には小指をぶつけたときのワードローブタンスと同じくらい硬い!」


 女騎士の歪んだ口から出てきたのは、そんな頭の悪そうな言葉だった。そして拳にふうふうと息を吹きかけている。


 マリスは砕けてしまった短杖の残骸を名残惜しげに一瞥し、その場に捨てた。砕けないはずのインサニティエボニー、それを支えていたマリスの手も痺れていた。

 マリスは非力だ。どれだけ頑丈な杖で敵や魔獣の攻撃を受けたとしても、その杖を弾き飛ばされてしまう可能性がある。ゆえにこういう場合では無意識に手に身体強化をかけるられるように訓練していた。

 その強化を貫通して手を痺れさせるほどの拳。そう考えればインサニティエボニーが砕けてしまうのも頷ける。

 マリスは非力だが、そのぶん魔術の実力には自信があった。祖母にもよく褒められた。

 つまり、この女騎士はマリスの優れた魔法に比肩しうる実力を持っている、ということだ。しかも騎士の代名詞たる剣すらも抜くことなく。


 自らの拳に息を吹きかけて悶える女騎士を前に、マリスは密かに警戒度を上げた。




 ★ ★ ★


お読みいただきありがとうございます。

次回はこの赤毛の謎の女性の話になります。

いったい何こぼれ騎士なんだ()

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