リアと死竜

星川ぽるか

序章 魔女祭

第1話 魔女祭 動乱1

どこかで誰かが死ぬには縁遠い祝祭の夜。

 新東京で開催された魔女祭は最高潮の盛り上がりを迎えていた。

 活気に満ちた街並みと鼻腔をくすぐる香ばしい匂い。子どもの笑い声とほうきに跨って空を飛ぶ魔女。光の絵の具で描かれた小さな竜が宙に浮かび、止むことを知らない火の大輪が星の煌めきを霞ませる。

 今年は魔女の塔建設記念も兼ねているため、例年よりも一層賑わっていた。

 そんな真夏の祭典に酔いしれる群衆の中、大きな段ボール箱を抱えた一人の不登校少年が熱心に働いていた。

「三丁目十三番地……」

 住所を照合し、三十階建てのビルの前に荷物を置く。配達を終えて路肩駐車したトラックに戻ると先輩の山岡が棘のある声をかけてきた。

「ちゃんと置いてきたかソバ」 

「ばっちりです」

 間伸びした軽い調子の返事に、山岡は舌打ちをする。

「ったく。住所間違えやがって。時間食っちまっただろ」

 両脇の歩道は地面が見えないほど人々が密集しており、川が流れるように祭りを楽しむ人たちが歩いている。夏の夜の熱気が街にこもり、出店の灯りが心を掻き立てた。

 道路は他県から魔女祭を楽しみに来た車で憂鬱になるほど渋滞だった。

 開けた車窓から外を睨みつける山岡はイライラした様子でハンドルを切り、強引に渋滞の中を割って入った。

「なんでそんなに不機嫌なんすか?」

「ああ? 本当なら俺は今日シフトに入ってなかったんだよ。人手不足かなんだか知らねえが、なんで魔女祭の日まで働かねえとダメなんだ」

 山岡が悪態を吐く横で、ソバは呑気にコーラを飲んだ。車窓から見える景色をただ呆然と眺めては道行く美女を念入りに観察した。

「オレも美女と魔女祭に行きたかったです」

「どんな女が好みなんだ?」

 雑談がてらに山岡は訊いた。

「腹で何考えてるかわからない顔のいい女ですね」

 真面目に答えたソバを山岡は小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「なんだそれ。高飛車狙いかよ。趣味悪いな」

「そうですか?」とソバはぼやいた。涼しげにコーラに口をつける。それを横目で見た山岡の目が瞬く間に疑念に満ちた。

「おい、それ俺のコーラじゃねえか」

 山岡は信じらないと言った顔をした。人のものを勝手に飲むソバのモラルを疑った。

「助手席にありましたよ。オレへの土産じゃないんですか?」

 きょとんと首を傾げて、ソバは何食わぬ顔で飲み続ける。山岡の顔が赤く染まって怒鳴り声をあげた。

「ちげえよ馬鹿! なんで人のモン勝手に飲むんだよ!」

「でもオレ、ずーっと荷物運んでるじゃないですか」

 ちょっとした仕返しのつもりでソバはコーラを飲んだだけだ。蒸し暑い中ほぼ動きっぱなしで喉はからからだった。喉が渇いたからコーラを飲む。ソバにとってはそれだけの話で、そこに一抹の報復がなかったといえば嘘になるが、夏だから仕方なかった。

「お前は魔血(まけつ)持ちだろ。俺より力も体力もあるんだからやれよ。もしも俺が魔血持ちだったり、もしくは魔女だったら率先してやるけどな」

 揶揄うように喋る高圧的な山岡だが、ソバは怯むことなく残りのコーラを飲んだ。ソバは山岡の卑屈なところを軽蔑していた。そこをイジるとさらに怒るので、そのことも軽蔑していた。

 混み合った道路はようやく進み、次の配達先の近くにたどり着いた。

「ちゃっちゃと運べ。今夜の配達は馬鹿みたいに多いんだ。あとコーラ買ってこい」

「ひえ〜」

 ソバはコーラを飲み干し、荷台の扉を開けて指定の荷物を腰を使って抱える。さっきと同じサイズと重量の段ボール箱。常人なら顔を顰める重さだ。夕方からいくつこれを運んだかわからない。

 ソバは稀に存在する魔血持ちであるが、常人よりも力持ちで体力があり、病気になりにくいだけで疲れるものは疲れるのだ。

 周辺には出店が多く並んでいた。金魚を泡で閉じ込めた泡すくいや、動く人形が邪魔をするお邪魔射的など、魔女の血の力が使われたものが沢山あって、笑顔の花がそこかしこに咲いている。

 魔女祭の活気は最高潮に達していた。


 魔女——特殊な血の力によって異能を操る女性。異能は女性にしか発現せず、なぜ女性だけなのかは明らかになっていない。そして魔女の血を持って生まれた男を魔血持ちと呼ぶ。

 日本人口の三割が魔女であり、魔血持ちはもっと少ない。彼女たちが犠牲を払いながらも人権やその他の社会的立場を確立させたことを祝う魔女祭は、五十年以上経っても色褪せることはなかった。実際、一般人よりも魔女の方が能力的に重宝される。

 ソバはスマホで住所を調べながらあたりをきょろきょろと見回す。

 魔女祭は真夏の祭典。あらゆる場所から集まる魔女たちが催すエンターテイメントは、日本において屈指の人気を誇る。

 夜も深まった会場の中心では、恒例である魔女局局長の演説が始まろうとしていた。魔女の塔の建設を主導した彼の前にはテレビのカメラも来ている。壇上の周囲には魔女祭のスポンサーや新聞記者が多く、機動隊などによる厳重体制が敷かれてあった。さらにその外側を見物人の頭が埋め尽くしている。

「けっ。むさ苦しい」

 遠目でその人集りを見たあと踵を返した。安易にシフトを組まなければ、今ごろソバも魔女祭を満喫できたはずなのに。そんな後悔が胸の中に募る。せめてと思い、この空虚で荒だった心を慰めようと配達中に美女たちを瞼の裏に焼き付けていた時だった。濁る視界に妙なものが映った。

 菫色をした甘い果実の香りがするもうもうとした煙が、ソバの顔の周りにいつの間にか漂い出していた。

「なんだこれ」

 呑気な声をあげる。

 出店からのものではない。芸をしてる魔女らしき人物も見当たらない。

 空気の流れをたどるとその菫色の煙は、ソバの持つ段ボール箱から漏れ出ていた。かすかだが空気が抜ける音もする。

「お、おお?」とうわずった声が漏れる。

 中身に何か異常が起きたのは明らかだった。

 大切な荷物。何か壊してしまったのかと慌てたソバは段ボール箱の蓋を急いで開けた。

 ブワッと閉じ込められていた煙が、自由を得た鳥のように地を這って街中へと緩やかに浸透していく。

 怪しさに満ちた光景だが、周囲の群衆たちは何かのイベントだろうかと興味を引いた視線でソバを見ていた。

「こりゃあ山岡さんキレるな」

 猫を助けるためとか泣いている子どもを笑わせるためとかと陳腐な言い訳を考えながらソバは箱の中身を見た。

 そこには夥しい数の導線と六本のボンベがぎっしり詰まった奇怪な噴射装置があった。開いたバルブの口には黒い電子機器があり、絶えずそこから甘い煙が噴射されている。

 さらに、残り三十分と表示されたタイマーと振り子のように鳴る電子音は、まるで悪の博士の秘密兵器のようだった。

「すっげ〜。怪しさ全開だなこれ」

 コミックでしかこんなものは見たことがない。

 嬉々として見つめるソバはこの荷物をどうすればいいのかわからなかった。プレイステーション4が欲しくてバイトを始めたのに、これではバイト代がもらえない。

「ちょっと君、どうしたのこれ」

 二人の警官がソバのもとまで駆け寄って来た。

「いくら祭だからって悪ふざけは困るよ。なんだこの甘ったるい匂い」

 注意されるソバを群衆は好奇心の赴くままことの成り行きを見守っていた。

「オレはなんにもしてないですよ」

「いや、こんな煙まみれにしといて……とにかくここで何してるの?」

「配達してたらいきなり煙が出たんですマジで」

「はあ、そう。まあそこらへんも詳しく聞かせてもらおうか。酒井、本部に連絡入れて」

 酒井と呼ばれた警官は何故か茫然と立ち尽くしたままだった。

「おい酒井、早くしろ」

 相方の声を無視して、酒井という男は歯をガチガチ鳴らし始めた。口の端から唾液をたらし、呻き声を上げる。

「この人、腹でもくだしてるんじゃないですか?」

「こいつは毎日青汁飲んでるんだぞ。おいっ、酒井」

 相方の声に反応した酒井の目は全身の血が持っていかれたように真っ赤に充血し、黒かった目は澱んだ黄色に、健康的な肌は青白くなっていた。

「酒井、どうした? ふざけてるのか?」

 訝しがる警官。

 時間を取られてソバは少し苛立った。

「別に事情聴取とかはいいんですけどこの人以外にしてくださいよ」

「うっ……お、オオオォ……」

 酒井は左目と右目で見ている方向が違っていた。ソバも相方も豹変した酒井に絶句した。段々と胸に冷たい恐怖がのし上がってくる。

 酒井という警官が普通の人間に見えなくなってきた。

 ソバと相方は固唾を飲んだ。肉に飢えた獣のような鋭く黄色い眼光に相方は心配そうに近づいた。

「お前、いい加減——」

「アア……オオオオオオ!」

 酒井は狼のごとく相方の肩に噛み付いた。

「おい、なっ、がああああああああっ!」

 噛みつかれた相方の肩から血が噴き出し、ミシミシと筋肉が剥げる音がする。

「痛っ! 痛たい! 痛たいっ! やめろ! やめてくれええええ!」 

 引き剥がそうとするも噛み付いた酒井は離れず、なおも貪り食らう。

 あまりに異常な光景にソバは唖然とした。

 むしゃむしゃと食べられる相方は、十秒ほど経ったくらいで動かなくなった。口にべっとりと血をつけた酒井はゆっくりと顔を上げて目の前にいるソバを見た。

「ウッ、オオオ……」

 澱んだ暗い黄色の目がソバを単なる肉として見る。ねっとりとした唾液の糸が延びて青紫色の唇が笑ったような気がした。

 ソバは何もかもを置いて脱兎のごとく逃げ出した。

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