僕のエレノア(黎明の果てに外伝)
金餅
物語の始まり
旧機械大国領、イルナー伯地方。
そこは僻地も僻地。大陸の隅の隅にある。
だが、重要なエネルギースポットに繋がる地脈が幾つも通っていて、悪魔の襲撃が常にある場所だった。そのため、その最前線には砦が建てられている。
それが僕の生まれた場所、イルナー砦だった。
イルナー砦は、イルナー大河の上に建設されている。
区画ごとに細かなブロックに分かれていて、それら全体を俯瞰で眺めると、まるでコの字のような形になっており、川の流れを堰き止めるダムのようにも見えた。一般的な要塞より少々規模は小さいが、それでも二百を超える天使兵が在中し、怠ることなく見張りを続けている。
また、新しい天使を続々と製造していて、僕はその内の一体だった。
さて。
そのイルナー砦に、新しい天使が配属されてきたことから、この物語は始まる。
彼女の名は、エレノアといった。
全天使共通の機械仕掛けの翼、そして頭上に浮かぶ歯車の輪っか。
高身長で、スラリとした手足。烏の羽根の色をした長い髪を高く括っていて、すっと流れる涼やかな目は、しかし歴戦故にか鋭い眼光を放っている。
……一言で言おう。
彼女はとんでもないイケメンであった。しかもただのイケメンではない。カッコいい、ヅカ系のイケメンである。
その美貌は、凛々しさも合間ってか、まるで絵本の中に飛び出してきた王子様を彷彿とさせた。エレノアがその場にいるだけで、誰もが見惚れるほどである。
結果として、何が起きたのか。
語るまでもない。
モテた。
ものすんごいモテたのだ。
「ああ、なんてお美しいのかしら!! エレノアお姉様!!」
「イヤん、もうそのご尊顔を見ているだけで、十年生きていけるわ!! ありがとうございます!!」
「はぁ、はぁ、お姉様の眼光……デュフ!」
今日もエレノアが遠くからやってくると、周囲が色めき立った。キャーキャーと言ってるその大半は、当然女子達である。中には拝み倒すものまでいて、まさに熱狂と呼ぶに相応しい。
「ああ、もう、我慢できない!!」
「エレノア様ー!! エレノアお姉様ー!!」
彼女達は、やがてエレノアを取り巻き始めた。
口々にその美しさえを称えては、プレゼントを渡したり、アプローチしたりしている。
普通だったら、鬱陶しいって思うだろう。でも、エレノアは嫌がらなかった。
むしろキザったらしい笑みを浮かべ、これまたキザったらしい仕草で、
「もう、そこまで求められたら、困っちゃうじゃないか。そんなに私と一緒にいたいのなら……これからデートでも如何かな、子猫ちゃん達?」
なんて甘い声で言った。
途端上がる、ゥンギャアアアア! という汚ない声。
エレノアはファサ、と前髪をかき上げる。
うざいが様になっていた。
「フハハハハ!! さあ、行こう!! 子猫ちゃん達!!」
「「「はーいっ!! お姉様ー!!」」」
そうして高笑いをしつつ、女子達の肩を抱いて去っていくエレノア。その周りを囲み、ハートマークを飛ばし続けて追従する女子集団。姿が見えなくなっても、黄色い声が遠くまでしばらく聞こえてくるようだった。
その光景に対し……、
「あ、あの野郎……」
「俺の愛しのファナちゃんがー!!」
「ムカつく!! ムカつく! ウガー!!」
物壁の端から、恨み言を呟く数十人の人影がいる。男子勢だ。彼らはハンカチを噛み締め、キー!! となっていた。
そりゃそうだろう。女の子が全員エレノアに掻っ攫われたのだ。
男として、歯がゆい気持ちに違いない。
彼女が来てから、いつもいつもこうである。
エレノアはチャラく、同性相手だというのに女の子達を口説いては、キラキラオーラを放ちまくった。女子達はもう、メロメロだ。どいつもエレノアに現を抜かし、エレノアの抱き枕、エレノアの録音ボイス、エレノアの盗撮写真集が裏で取引されているようだった。
まさに、エレノアフィーバーである。結果として女子は男どもに興味を無くした。
男にとって、地獄の時代が到来した。
「あいつさえいなければー!!」
「うあああああああああああん!」
男どもは絶望からその場で崩れ落ち、おいおいと泣いた。
彼らも分かっているのだ。努力をしても無駄なんだと。散々女子達の気を引こうと頑張っても、すべてエレノアに負けて撃沈した後である。
何ならエレノアに手球に取られ、メス落ちしたり、彼女の眼光に興奮する変態にジョブチェンジした奴もいたりした。
逆立ちしたってかないっ子ない。骨身に染みた今となっては、こうやって落ち込み続け、エレノアをやっかむことしか出来ない。エレノアは男どもから、憎悪と嫉妬を一心に浴びせられていたのだった。
でも――
「……何だかんだで、いい奴なんだよなー」
「そうなんだよなー。これが困ったことに、強いし優しいし面倒見が良いんだよなぁ……」
「仕事も困ったら引き受けてくれる時あるし。ほんっとこれだけさえなければなあ……」
男勢は嘆きながらも、しかしそれ以上エレノアのことを悪く言うことはなかった。むしろ、褒める様なことを言い始める。
モテていること以外の点では、恐ろしいほどに評判が良かったのだ。
故に誰もが、うんざりだ、うんざりだと、と繰り返すものの、エレノアは嫌われていなかった。それもひとえに、彼女が人格者だったからだろう。エレノアはお人好しで、頼りになって、率先して皆のためになる様、いつも行動していた。
それに、超がつくくらい、優秀だ。
あの美貌……より成長すればする程美しくなる天使の中においても、異常スレスレの域にある。
「……」
誰からも好かれ、誰からも慕われるエレノア。話したことはないけれど、僕も彼女のことは嫌いじゃない。でも、気に入らなかった。
……なんか、新しくきた癖に……こんな人気者になっちゃっててさ。
それがすっごく、モヤッとしていた。
いけないことだと分かりつつも、どうしても、ね。
とにかく、僕は他の男とは違う目で、エレノアを見ていた。
どうやったらあんな風になれるのかと、いつもいつもエレノアを睨みつけては、よく観察していた。
今回も僕は他の男を置いて、エレノアの跡をこっそりと追う。
すぐ追いかけないのは、しばらく時間を置いた方が気づかれないから。
エレノアの姿を見つけた時、すでに女の子達は周りにいなかった。多分、自分の持ち場に戻っていったのだろう。
残されたエレノアは、修練場で身長を越すほどの長柄武器……ハルバードを持っていた。相対するのは、無数の白い狼の群れ。
過去戦かい、蓄積されたデータを元に、立体映像などで再現された悪魔だ。
ほとんどの天使は、シュミレーターによる訓練を行う。専用の機械に接続し、架空空間に精神をダイブさせるのだ。勿論体はそのまま動かない。だが、稀にエレノアの様な馬鹿がいる。
彼女達は謂わば実践派と呼ばれていて、曰く、我々は機械である前に半分はホムンクルスなのだから、人間様の様に現実での実戦経験の修練を第一とすべしだ、とかなんとか。
それが理論的に正しいのかは……まあ、分からない。
結構、怪しいところなのかもしれないと僕は思う。
「ふん、ふん」
エレノアはその感触を確かめる様に、さっきから、ぶおん、ぶおん、とハルバードを振った。
その音から、いかにそれが重いかということが伝わってくる。
しかし、エレノアはまるで体の一部かのように、ハルバードを扱っていた。
「よし……」
納得したのか、一つこくりと頷き、構える。途端、狼の群れが動いた。エレノアも動いた。合わせる様に、踊る黒髪。
ハルバードがぶおんと唸り声を上げて、掬うように下から振るわれた。
すると――なんということだろうか。
一斉に、波が押し返された。
たった一撃で、だ。その風圧で狼達は宙を巻い、ぶつかり合いながら、もんどり打って床に落下し、光の粒子となって消えていった。
休む間もなく、次の敵が投入される。今度現れたのは、狼よりもひと回り大きい炎を纏った大蛇。
数も多く、周囲を這い回って取り囲む。
その内の一体が、間髪入れず大きく口を開いてエレノアに襲い掛かる。
ぶおん、ぶおん。
また、ハルバードが唸った。
目を追う暇なく真正面から大蛇がぶん殴られ、噛み砕こうとしたその牙がへし折られる。後ろから飛びかかった個体は、返す刀で両断された。
そしてハルバードが回れば、一斉に吐き出された火炎放射を振り払うどころか、大蛇達を風圧だけでまたぶっとばし、消滅させた。
しかし安心するのはまだ早い。
そこに――キリキリ。
何かを引き絞る音が頭上から響く。
エレノアが上を見ると、鷲の頭部を持ち、マントを羽織った男が空に浮かんでいる。A級悪魔、バルバトス。
既に持っている弓に矢を番え、狙いを定めている。
「……っ!」
エレノアは機械仕掛けの翼を広げた。
同時、悪魔の前に魔法陣が浮かび上がり、放たれた矢がそこを通過した瞬間、瞬く間に無数の触手が死の雨となって降り注ぐ。ウィーン、と赤熱し、内部の機構が駆動する音。
エレノアが空へと舞う。勁烈だったさっきと違い、その動きは流麗にして流動的。しなやかな動きへと移行している。
そして、次々と優雅に触手を避け続け、ついにはバルバトスに接近。
悪魔を切り伏せた。そこで、訓練は終了。
ビーという合図が鳴り響き、それ以上敵が再現されることはなかった。
エレノアは翼を動かすことなく地に降り立ち、武器は消滅した。
「……うわあ」
僕は思わず声を漏らして固まった。
あまりにパワフル、それでいて、あまりにフレキシブル。相反する二つの要素を併せ持つ天使。
凄すぎる。
凄すぎて、ステージが違い過ぎて、言葉が出ない。
……それに、戦う様は、美しかった。男ながらに、ぐっときたというか。僕は自然、隠れるのも忘れ、彼女に見惚れ続けていた。
「ふぅ……」
だからだろうか。
息をゆっくりと吐き出しているエレノアと、ふと目があった。
やばい。そう思ったけれど、逃げ出す前にエレノアがこっちへやってきていた。
「君は……生まれたばかりの天使君じゃないか」
彼女は僕をジロジロと見た。
生まれたてということは、一発で分かるだろう。この世に生まれ落ちる時、天使は皆、人間様でいうところの十一、十二歳ぐらいの容姿で生まれてくる。
僕もご多分に漏れず、子供の姿だった。
「ここにいるということは、もしかして私に興味でもあるのかい?」
面白そうに笑うエレノア。大人っぽくて、思わずどきりとなる。
そのまま赤くなった顔を逸らそうとした。でもエレノアは見逃さず、僕の顎手を添えて、くいっとあげた。
「おやおや、そんな反応をするなんて、図星かな?」
「……っ!?」
恥ずかしすぎて、硬直。至近距離に近づいてくる顔。
エレノアの睫毛が長くて、なんか……綺麗っつーか、無駄にカッコいいつーか……胸がキュンとなって……いや、何じゃこりゃ!?
こいつ、男相手でもこんななのかよ!? チャラいどころの話じゃねえぞ!?
「可愛いなあ、君。食べちゃいたくなるくらいだね」
耳元で囁かれる甘い言葉。
吐息がかかって、背筋がぞくっと反応した。
「あぅ……お、おおお……」
声が出ないとはまさにこのこと。パクパクと口を開くことしか出来ず、心臓が早鐘のように打つ。それを見てエレノアはニヤリと笑うと……パッと僕の顎から手を離し、近づけていた顔を遠ざけた。
「ごめん、ごめん。揶揄いすぎたね。ついウブな子は、愛でたくなるのさ」
エレノアは面白がるように笑った。こ、こいつ……ぜってえ、アレだ。
ドSってやつだろ。まったくこっちの気も知らずになんなんだっ!
「それで、どうしてここにいるんだい? 君みたいなのが来るとこじゃあないだろう?」
彼女は訝しげに首を傾げる。
確かにこの場所は忘れられたところといいか、使われて久しくなったと聞く。そんな場所にいるエレノアもエレノアだったが、僕も僕で奇妙に思われたのだろう。
「……まさか本当に、私に興味があったとか?」
そして何をとち狂ったのか、エレノアはそうぽつりと呟いた。
途端、僕の顔が更にボフンと赤くなる。
「おや、まさかのまさか。指摘通り、図星だったのかい?」
「ふ、ふざけ……そんなんちゃうわ! ぼ、僕はな、そう……たまたま、たまたま通りがかっただけなんだい!」
僕はしどろもどろになりながら、慌てて否定する。
本当はエレノアの言う通りだったんだけど……それに頷くことは、なんだか嫌だった。
「そうか。でもまあ、そう恥ずかしがるなよ。
君はアレだろう? 能力が伸びなくて、焦ってるタイプだろう? 生まれたばかりだものな。マザーの役に立ちたくて、修練場に足を運ぶ気持ちも分かるよ」
幸い、こちらの考えていることは見抜かれなかったようだ。
その代わり、何か変な勘違いをされたらしく、妙にエレノアは納得したような顔をしていた。胸を手に当て、自分の勇姿を誇るかのように感想を求めてくる。
「それで私の戦う姿はどうだった? 少しでも参考になれたら嬉しいが」
「……凄かった。なんていうか、アンタ本当に、エースなんだな」
「そう呼べるほどのものじゃないさ。ただ生まれた時のスペックが良かっただけで、殆ど成長していないも同然だ」
エレノアは謙遜するように言った。しかし、どの口が言うのだろう。
何だか僕は気に入らなくて、エレノアをじとっと見た。
するとエレノアは、含みのある目で僕を煽る。
「おやおや、悔しいのかい。熱心だねぇ」
「そんなんじゃない」
「そう怒るな。何、心配しなくても大丈夫。私より、君の方が伸び代があるさ。私のように成長しきると、能力の上限が見えてくるのでね」
よく分かんねえけど、大人になったらなったで、苦労があるみたいだ。
態度はふざけてても、言葉には重みがあった。
「まあ、存分に悩むが良いさ、少年。そうやって悩んで努力を怠らない姿勢が、強くなる一番の秘訣だからな」
エレノアはポンと僕の背中を優しく叩いた。
「それで、修練していくというのなら、私が相手になるが?」
「……誰がアンタみたいなバケモンと。こっちがスクラップにされて終わるわ」
「ほう、なかなか面白い例えをするんだな、少年。君のことが気に入ったぞ、アハハハハハ!!」
……なんも面白くないのに爆笑しやがった。こいつ本当に高笑い好きだなあー。
チャラチャラしてると思ったら、急にこんなキャラになって、やりにくっ!
「もう良い、帰る」
何だか酷く疲れて、僕はこの場にいたくないとばかり、くるりと背を向けた。背後から、エレノアの素っ頓狂な声が上がる。
「ええ、修練は?」
「しない!! 気分じゃなくなったんだいっ!」
「……残念だな」
エレノアのシュンとなる声が聞こえた。僕は一瞬ぎくりとしたが、無理やり足を動かし、去っていった。
「また来いよー!」
でも僕のその後ろ姿を、エレノアは大きな声で手を振って見届けた。
無邪気なやつだ。
それに悪い気はしなかったが、何だか認め辛く恥ずかしかったので、くるりと振り向いて、僕は怒鳴ってしまった。
「もう来ないぞ!! 絶対だからな!!」
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