知恵の指輪と伯爵令嬢

新巻へもん

第1話 始まりの戦い

 針葉樹の間を抜ける隙間を辿って目を凝らす。

 離れた小高い場所から一斉に鳥が飛び立ち、土煙が上がった。

 木の梢に居た男が身軽に滑り降りてくる。

 仲間内で千里眼との二つ名のついている男は膝をついた。

「来ました」

 報告を受けて、男と同じく特徴のない革鎧姿の女性がほっとした表情を見せる。

 身につけた鎧がありきたりのものなのに反して、女性の顔は特徴がないどころではない。

 王都の劇場で主演女優が務まりそうなほど華やかな顔立ちをしていた。

 リージモン辺境伯の娘であるジョゼフィーヌは周囲の配下を見回して告げる。

「ぎりぎりだったわね。敵が通り過ぎてなくて良かった。では手はず通りに」

 一人を除く配下が散らばった。

 四人ずつの二組になって持ち場の樹木の根元で作業を始める。

 ジョゼフィーヌがいるところから百歩ほど離れたところで、二人が両引きののこぎりを交互に引き始めた。

 一抱えほどある木に手早く切り込みを入れていく。

 道を挟んだ反対側でも同じように作業をしていた。

 のこぎりのスピードが落ちてくると次の二人組に交代する。

 そうこうしているうちに森の中の街道の彼方から二十騎ほどの一団がやってくる。

 先頭の旗手は緑地に赤い竜の図案の旗を手にしていた。

 この地の北方にある大国キタイの軍旗である。

 一人残った男がジョゼフィーヌの顔を覗き込み話しかけた。

お嬢様マイレイディ。後はこちらで督戦ください。自ら手を汚されることはないかと……」

「リラダン。気持ちは嬉しいわ。でも気遣いは無用よ。これからも甘いものを口にするためになら、これぐらいのことは平気よ」

 足元からクロスボウを持ち上げて街道に向けて狙いをつける。

 何もここで甘味を口実にしなくても、と思いつつリラダンと呼ばれた男は背負っていた弓を手に取り矢をつがえて引き絞った。

 ジョゼフィーヌの目の前に背が高い男の幻影が浮かぶ。

 死者は年を取らない。

 二十以上離れていた年齢なのに、あと数年で自分は故人の年齢に並ぶ。

 右手の中指に嵌めた指輪を強く認識する。

 首を振って幻を追い払った。

 それと同時にメキメキと音を立てて、大木が街道の方へと倒れだす。

 ズシン。

 埃や小枝をまき散らして大木は道を塞いだ。

 疾走してきた一団はなんとか手綱を引き絞って止まろうとするが、先頭から数頭は勢い余って道を塞ぐ大木にぶつかり騎手が落馬する。

 その後ろの騎手は辛うじて馬を止めることができたが、路上で進むことも退くこともできない。

 ブン、ブン。

 そこへ弦音も高く矢が飛来した。

 効率よく八本の矢が八人の騎手を貫き射落とす。

「応戦!」

 一行のリーダーらしき男が叫んだが、ジョゼフィーヌの放った矢が首に刺さって落馬した。

「くそっ」

「撤収だ」

 騒然とするなか、街道上の男達はなんとか馬首を返そうとする。

 しかし、騎手を失った馬が邪魔をするうえに、人の狼狽が伝播して上手く乗馬を制御できない。

 その間に待ち伏せをしていた男たちは一人が次弾を装填しもう一人に手渡して射撃することで次々と騎乗した男たちを狙い撃った。

 ジョゼフィーヌも撃ち終わったクロスボウを置き、装填済みの別のクロスボウを拾い上げて構える。

 最後尾に居た三人がなんとか馬首を返して走り始めるが、ジョゼフィーヌとリラダンによって地面にもんどり落ちた。

 なんとか下馬し抜剣した男も斜面を駆け上がる前に矢が飛んでくる。

 一本を切り払った隙に別の方角から飛んできた矢が胴に刺さった。

 痛みに耐えながら襲撃者に一太刀浴びせようとする努力も空しく、さらに数本の矢が体に立って地面に倒れる。

 襲撃者側は決して白兵戦をしようとはしなかった。

 やがてキタイの騎兵で動く者は居なくなる。

 ジョセフィーヌはほうっと止めていた息を吐きだした。

 指にクロスボウの引き金を引いた時の反動が残っている。

 自分が命じたことで二十人ほどの人間が死んだ。

 そのうち二名はジョゼフィーヌが直接射殺している。

 武門の家に産まれ、二度ほどは籠城戦も経験しているが、そのときは武器は手にすることはなかった。

 直接に誰かの命を奪ったという手触りは、若いジョゼフィーヌに衝撃を与える。

 頭の中で覚悟はしていた。

 これは必要なことだ。

 キタイの兵を通してしまえば、計画が破綻する。

 それだけでなく父とその配下の命が危険にさらされるのだ。

 これからしようとしていることの途上で、より多くの人が犠牲になることも分かっていた。

 血の気の引いた顔をリラダンが気づかわしげに見やる。

「大丈夫ですか。マイ・レイディ」

 その声は労わる気持ちが溢れていた。

 本人が望んだとはいえ、二十歳そこそこの令嬢には過酷な体験である。

 普通ならこんな敵地の山中で襲撃の指揮を執るなどあり得なかった。

 ジョゼフィーヌは深呼吸をすると背を伸ばす。

「大丈夫よ。私はもう決めたの。多くの者の命を救うためと称しても所詮は綺麗事。血塗られた道には変わりがないわ。ならば私は私の意志で自分の道を進むつもり。この手が汚れようとも逡巡はしないわ。それが貴人の務めというものよ」

 いつもの気丈な姿を取り戻したジョゼフィーヌにリラダンは恭しく頭を下げる。

「差し出がましいことを申し上げました。お許しください。閣下ユアハイネス

 リラダンは呼びかけ方を変えた。

 本日より主君の娘としてではなく、本当の意味で自らが仕える相手として接することを短い言葉で示す。

 二人の属するセルジュー王国では女性でも爵位を継ぐことはできた。

 だから、ジョセフィーヌにユアハイネスと呼びかけることは珍しいことではあったがおかしくはない。

 ジョゼフィーヌは笑みを浮かべた。

「矢を回収し、遺体の埋葬を。私も手伝うわ」

「おやめください。閣下」

「どうして?」

「人には立場があります。お心づかいは有難いですが、そのようなことまで自らなされるとかえって侮られることがあります」

「忠告は覚えておきましょう。でも、この場に居る者は私の腹心ばかり。問題ありません」

「では、矢の回収をお願いします」

「……分かったわ」

 ジョゼフィーヌも我は張らない。

 部下たちは街道わきの窪地に穴を掘り遺体を運んで埋める。

 踏み固めた地面ではもっと時間がかかったが、窪地は幸いなことにぬかるんでいた。

 作業が終わると自分たちの馬を隠しておいた場所に移動し騎乗する。

「本物の軍使が派遣されたのを察知して食い止めることができたのは幸いでした。皆さんの活躍に感謝します。これからスコティアへ向かい父と合流しましょう」

 山間の襲撃に適した場所を選んだため、移動に半日ほどかかった。

 一行はあまり急がない。

 早く着いてもジョゼフィーヌたちの出番は無いし、むしろ邪魔になるはずだ。

 街道の尽きる場所でジョゼフィーヌの一行が湯気をあげる乗馬の手綱を引く。どうどうと声をかけ、引き上げられた跳ね橋の上の城壁を見上げた。

 今までキタイに服属していた城塞都市スコティア。

 その城頭にリージモン家の金獅子の旗がかがり火を受けて揺らめいている。

 リラダンが弓に矢をつがえたままジョゼフィーヌに声をかけてきた。

「閣下。万が一手違いがあった場合危険です。お下がりください」

「そのときは死ぬだけよ。この計画の責任者としてね。リラダン。大丈夫。父は負けないわ」

 ジョゼフィーヌは馬の背で自信ありげに笑みを浮かべる。

 ゆっくりと堀の際まで馬を進めると城壁の上から誰何の声がかけられた。

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