第3話 景義、鎌倉より馳せ来ること

 報せを受けた景義が、息子の景兼かげかぬを連れて鎌倉から駆けつけたのは夕刻のことである。


「西行殿……」

 西行の老いて痩せこけた顔を見た途端、その面変おもがわりの激しさに、急に視界がぼやけ、すぐにくっきりと定まった。

 変わってはいた。

 しかし、変わってはいなかった。

 その面影はまさしく、若き日に共に星を酌み交わした、あの西行法師のものであった。


 西行のほうでも同じように、景義の面変わりに、ふしぎな眩暈めまいを感じていた。

「平太殿、もう何十年になるか」

「四十年にもなりましょうか……あの折は、お世話になり申した」

「いやなんの、私のほうこそ。……おみ脚を?」

「もう二十年以上前のことです。なに、これしきのこと、なんでもありませぬよ」

 明るく笑い飛ばす景義を、しみじみと見つめる西行の瞳は慈しみに満ちていた。


「われひとり、鎌倉山を越えゆけば……」

 西行の感極まるようなつぶやきに、景義は即座に呼応した。

「……星月夜こそ、うれしかりけれ」

 ふたりは手を取り合い、喜びいっぱいに笑いあった。


 夕餉の団欒に人々は西行を囲み、都や道々の話、諸国の流行などをおもしろく聞いた。

 そのうちに、老僧の口にふと、こんな話が出た。

「……実は、足柄峠を越え、相模の国に入って後は、波多野の館を頼らせていただこうと考えていたのだよ。以前の旅の折にも、波多野の館で手厚いもてなしをしていただいたものだ……」


 高灯台のまろやかな火を受けながら、西行の目は懐かしさのためにまるくやわらいだ。

「……しかし、このたびは、思いとどまってしまった。さきの治承の合戦で、今や波多野の本流はついえたと聞く。いくさとは、かなしいものだ。様変わりしたであろう波多野の様子を見るに忍びなく、私は波多野への山道に足がむかず、おのずと海道のほうを選んでしまった。新国府を見聞し、撫子なでしこ花群はなむらを踏みわけて、白砂の美しい波打ちぎわを歩いてきたのだよ」


 そこまで話して西行は、人々のあいだに漂う異様な雰囲気に心づいた。

 景義、波多野尼、有常、それぞれに表情を固くして、押し黙っている。


「やや、いかがいたした? 愚僧が、なにかまずいことでも口にしたかね」

「いいえ、そうではござりませぬ」

 と景義が、静かに首をふりながら答えた。「思いがけず、われらにゆかり深い名を耳にしましたものですから、みなみな、いささか物思いいたしました」


「ゆかり深い?」

 西行が尋ねると、景義は正直にうなずいた。

「これなるわが姪は、今は亡き波多野義常殿の妻女でござりました。そしてこの有常は、ふたりの間の子でござります」

「なんと……」

 しばし言葉を失った西行は、やがて胸の内に有常の弓馬のさまを思い出し、「どおりで……」と合点した。


「治承の戦の折、平家にくみしました波多野殿は、源家の世の到来を知り、みずから命を断ちました。有常は父の罪に連座し、いまだ罪人としてこのふところ島に引き篭もっております」

 景義は、事の次第を打ち明けた。

 誰にでも話せることではない、西行師の人となりを信じ切ってのことであった。


「なるほど……」

 と、老僧は思いも深くため息をついた。

「私は波多野への道を避け、別の道を選んだ。それにも関わらず波多野の人々に巡りあおうとは、よほど仏縁あってのことだろう。今は亡き波多野の方々のために経をあげさせていただきましょう」

「それはありがたい……」

 一座に安堵のため息が広がった。


「西行殿。どれ程でも、お望みのまま御逗留くださりませ。都に比べれば、ひなも鄙、不便なことも多いでしょうが……」

「……なにをなにを。実は、私から願い出ようと思っていた。お恥ずかしい話ながら、どうも体調が思わしくない。二三日、休ませていただければ、この上ない幸い。どうかよろしくお願い申しあげる」


 ともどもに頭をさげあって、旅僧はその夜、久方ぶりにやすらかな寝床を得た。

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