第5話 ひとまず休んでおいで


「んー、ややこしいから、ここまで話すつもりは無かったんだけど」

 理玖りくは首を掻いた。

「まあ、いいか。そうだな、……もし健次けんじが過去に遡って人命を救ったことが原因で、現代の健次自身に影響が出たとしたら、どうなると思う?」

「あ、そうか……。それはちょっと困るかも」

「うん。何かのボタンのかけ違いで、健次が生まれなかったとしたら──『過去に遡って人命を救った健次』もまた存在しなかった、ということになる」

「……ん?」


 健次は首を傾げた。隣で直弘なおひろが苦笑いしている。直弘も、この説明を聞いた時は頭を痛めていた。

 理玖は話を続ける。


「健次なら、タイムパラドックス、という言葉も聞いたことがあるんじゃないかな」

「あっはい、あります。もしタイムスリップしたら、過去と現在で矛盾が生じる、っていうやつですよね。でもあれは仮定の話で……。実際はどうなるんですか?」


 うん、と理玖は肝要な部分の説明に入る。


「タイムパラドックスが生じると、世界は大混乱をきたす。『健次がいたのか』『いなかったのか』。『あの人は助かったのか』『あるいは死んだのか」『助かったなら助けたのは何者か』。辻褄が合わず、結論が分からなくなってしまうんだ。後はもう、世界がどう転ぶか、見守ることしかできないね。最悪、滅ぶよ。情報を処理しきれなかったパソコンのように、フリーズして一歩も動けなくなる」

「……! マジですか……」

「さあ? これは歴史修復師協会の人間が立てた有力な予測に過ぎないよ。実際にフリーズした世界を観測した者など居ないからね」

「……」

「そういう深刻な事態を防ぐのも、リペアラーの任務だ。……本当は、健次はそもそも一九四五年に行かないのがベストだった。あそこで健次が走ったことで起こした風も、我々が健次を追って起こした風も、蝶の羽ばたきになり得るからね。でもある程度は仕方が無い。リペアラーに出来ることは、物事をベターな状態に持っていく程度だよ」

「……」

「さて、この辺で話はおしまいだ。何か質問はあるかな?」


 健次は渋い顔をした。


「いっぱいありますけど、まとまらないので、聞くのはやめときます」

「そうか。では、早めに帰宅して休むと良い。ここからの帰り道は分かるかな?」

「あー」


 健次はスマホを取り出して、何やら操作した。恐らく地図アプリか何かを見ているのだろう。


「はい、帰れます」

「なら良し。見送りを──」

「いえ、大丈夫です」

「……ああ、そうか。では、ここから出て左手に回ると玄関があるよ」

「ありがとうございます。あの、お二人とも、お世話になりました」


 健次は深くお辞儀をすると、椅子を引いて立ち上がった。何度も礼を言いながら、控え室を出て行った。

 理玖はふうっと息を吐き出した。


「初任務お疲れ、直弘」

「はい。お疲れ様です、理玖さん」

「緊張したか?」

「ええ、まあ。ヘマもしちゃいましたし」

「スマホを掏られたことか? あれならヘマのうちに入らないから気にしなくて良い。それより、直弘が居たお陰で、手っ取り早く少年から情報を聞けたし、都姫ときを捕まえることも出来た。お手柄だったね」


 直弘はちょっともじもじした。


「ありがとうございます……」

「さて、あとは昌史まさふみさんに報告すれば任務完了だ。支部長室に行こう」

「はい」


 理玖たちは控え室を出た。丁度その時に自分たちとすれ違うことになるのは、既に知っている。

 直弘が「うわあ! 俺だ!」と言い、直弘はびくっとして自分自身を見た。まあ、慣れない内はそんなものだろう。

 理玖は支部長室の扉をノックした。


「昌史さん、終わりましたよ」

「うん、入って良いよ」

「失礼します」


 理玖は、椅子に座ってにこにこしている昌史に対し、手短に今回の報告をした。昌史はうんうんと話を聞きながら、ゼロ・ノートとサブ・ノートを見比べて確認していく。因みにゼロ・ノートは正しい歴史を保存する書物で、歴史改変による異常が発生した際には警告を出してくれる。サブ・ノートはチェンジャーとリペアラーによる活動を保存する書物で、どのような経緯で歴史を修復したかが分かるようになっている。


「──以上です」

「うん、大丈夫そうだ。このままゼロ・ノートを上書き保存するよ」

「お願いします」


 昌史はゼロ・ノートのページに手を当てて文字列をなぞった。ノートから放たれていた赤い光がスウッと消えゆく。

 理玖は、がま口財布の中身を確認した。案の定、あの少年にあげた五圓が戻って来ている。やはり彼は、空襲で死んだのだ。


「よし。──直弘くん、初仕事お疲れ様。良い活躍だったね」

「ありがとうございます」

「蝶々さんもお疲れ様。今回は短期間で修復が済んで良かったよ」

「そこは直弘の手柄ですよ。それから、蝶々さんはやめてって言ったばかりではありませんか。もう忘れたんですか? これだからお年を召した方は」

「ああ、すまないね。面白くてつい」

「洒落にならない冗談はよしてください」

「え、あの、お、お年を召した……?」


 直弘が困惑して言ったので、理玖と昌史は吹き出した。理玖は笑いを堪えて解説を加える。


「直弘。昌史さんはちょっと前まで、リペアラーとして辣腕をふるっていたんだよ。ただ、あんまりよく働くものだから、過去で時間を使い過ぎてしまってね。見た目よりかなりお年寄りというわけだ。見た目そのものも、実年齢よりは老けている。昌史さん、説明しなかったんですか?」

「いいや、私は言ったとも。人間は時間旅行をした分だけ年を取るから、現代の時間軸で考えると、他人と比べて老いるのが早く、寿命も短いと。そして承諾してくれたはずだよ」

「あ、ああー!」


 直弘は大きな声を出した。


「昌史さんが正にそれだったんですね。なるほど……」

「うん。そういう事情もあって、リペアラーになりたがる人は少ない。直弘くんは極めて貴重な人材だよ。改めてお礼を言おう」

「いえ、そんな。俺はただ、他人のために身を挺して働く方々を見て、自分もそうありたいと思っただけです」

「そう思えることそのものが、尊いことなんだよ。……さあ、二人とも、疲れただろう。次の仕事がいつ入るかは分からないけれど、ひとまず休んでおいで」

「はい」


 理玖と直弘は声を揃えた。二人で事務室に入る。理玖が何の躊躇いもなく衣装を脱ぎ出したせいで、直弘が「ウワー!!」と叫んだ。

「理玖さん、もっと御自分を大切にして下さい!」

「ん? ああ、そうか。すまないね。えーと確かこの辺りにパーテーションが……あったあった」

 理玖はタイヤの付いた簡素なパーテーションをガラガラと引っ張り出して、事務室を分断した。

「これで良し。私は奥側で着替えるよ」

「ありがとうございます」

「あとは適当に過ごしてくれ。私は一眠りする」

「はい。お疲れ様です」

「お疲れ」


 理玖はTシャツとジーパンに着替え、結っていた髪を解くと、どすんとソファに横になった。

 瞑られた理玖の両目から、涙が一筋、こぼれて落ちた。

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