第7話
あたしはリリに憧れている。
学芸会での衣装作りに困っていたリリのお母さんの話を聞いて、お母さんがあたしの分とリリの分を用意してくれた。リリの家に遊びに行った時、おばさんは頭を下げて感謝していた。
「ありがとうございます! 本当に助かりました!」
「こんなことしか出来なくて」
「いいえ! 本当に困っていたので! お茶出しますね!」
おばさんとお母さんが話をする中、あたしとリリは新しい衣装を着て、ダンスの練習をしていた。リリは踊るのが上手だった。
「リリ、じょうず!」
「ココもじょうず!」
「またさいしょからやろ!」
ラジカセの再生ボタンを押す。もう一度音楽が流れる。あたしとリリはポンポンを持った。リズムに乗って二人で練習する。くるんと回ると、リリが転んだ。
「あっ」
「リリ! だいじょうぶ?」
「へいき!」
リリは元気よく立ち上がった。
「リリ、本番で絶対じょうずにおどりたいんだもん! だからがんばる!」
リリは頑張り屋さんだった。
当時から、すごいと思ってた。
リリはとっても頑張る子だから、あたしも一緒に頑張った。
だから、リリと距離が出来た時、あたしはほっとしていたのかもしれない。頑張り屋のリリを見ていると、努力が裏目に出るあたしが惨めになる気がしたから。
リリは必ず結果を出した。
あたしは――結果なんか、出せなかった。
あの頃は毎日笑ってた。
結果なんか気にしてなかった。
頑張ったら、それが結果だった。
ああ、
戻りたい。
もう――目覚めたくない――。
お願い、あたしを起こさないで。
「起きて、ココ」
リリの声で目を覚ます。
リリがあたしの目元に指を添えていた。
なぜだろうと思って、――気づいた。
(あ)
あたしの目から涙が溢れていた。
「ココ、また嫌な夢でも見た?」
裸のリリを見て、裸のあたしを見て、昨晩も一つになったことを思い出して、心が満たされて、欲が湧いて、また欲しくなって、また満足して、それが嬉しくて、その為にリリを誘拐したのかと思ったら、とんでもない罪悪感が襲ってきて、優しいリリはあたしの涙を拭って、あたしは涙を拭われて、ただ泣くことしか出来なくて、それ以外どうしようもなくて、どうしていいかもわからなくて、そしたら感情が溢れ出てきて、もう、一秒先のことが考えられなくなって、あたしは、――あたし――。
「おかしい」
「え?」
「あたし、おかしい」
暗い倉庫の中、あたしの体が起き上がる。
「あたし、おかしいよ」
「ココ」
「もうやだ」
「コ」
あたしは壁に頭を打ち付けた。
「死にたい!」
リリがのんびりと起き上がった。
「殺して!」
あたしは頭を打ち付ける。
「あたしをっ、もうっ、殺して!!」
「ココ」
「やだっ!! やだあああ!! ああああああああ!!!!」
腕を引っ張られた。目を見開くと、リリに――叩かれた。
「っ」
また叩かれた。
「いたっ」
また叩かれた。
「痛い」
リリが叩いてくる。
「リリっ、やめて、やめ」
叩かれた。
「痛い、痛いよ」
でもリリが叩いてくる。
「ごめんなさい! ごめんなさいぃい!!」
リリの手が止まった。あたしは身を丸くして震える。リリがシーツを持ち、あたしと一緒にシーツを上から被った。また叩かれると思ってぎゅっと身を縮こませると――優しい腕で抱きしめられた。
(あ……)
「ココ」
そしてとても優しい声で――囁かれた。
「簡単に死ねると思わないで」
――あたしの心臓が止まった気がした。
「犯罪を犯した人は、一生罪に囚われなきゃいけないんだよ? 自分がやったことなんだから、絶対死ぬまで忘れちゃいけないんだよ? その覚悟を持って、犯罪者っていうのは犯罪を犯すんだよ? ココもそうでしょう? もうどうにでもなれって思って……私を殴ったんでしょう? 誘拐したんでしょう?」
「……」
「だったら、その責任を、生きて取らなきゃ。死んだら、責任取れなくなるでしょう? 逆なんだよね。ココのやってることっていつもそう。どうして逆のことばかりするのかな? だから結果も出せないんじゃないの?」
「……」
「そういうのだるい。ただの構ってちゃんじゃん。自覚してる? 自覚してないなら、した方が良いよ。ココは頭悪いんだから。わかった?」
「……」
「わかったらベッド戻ってくれる? うるさいんだよね。朝から」
「……。……。……。……そうだよね……。……ごめん……。……どうかしてた……」
あたしはゆっくりと起き上がり、ベッドに戻った。リリもベッドに戻り、シーツを被せ、再び二人でくっつきあう。リリの手があたしの腰に伸び、抱き寄せた。お互いの素肌と胸が触れ合う。
リリがあたしの目を見つめた。
だからあたしもリリの目を見つめた。
リリがそっと近づいた。
だからあたしは瞼を閉じた。
リリがあたしの涙を舐めた。
だからあたしは、黙って舐められた。
「もう泣いちゃ駄目だよ? ココは、泣く資格なんかないんだから」
「……」
「悪者は笑うものだよ。ココ」
リリが呪いの呪文を唱えてくる。
「笑って?」
とても綺麗な笑顔で言ってくる。
「笑って、ココ」
リリがあたしの頬に触れる。
「笑って」
あたしは――、
リリは生徒会として、学校祭にとても貢献していた。
「リリ、今日も委員会?」
「うん。処理するものが多くて……」
「なんか生徒会って雑用ばっかりだね」
「大変なんだよ。本当に!」
そうは言いつつも、リリは楽しそうだった。以前のあたしなら、それが羨ましいと思ってた。今だって思ってる。だけど、もうあたしはリリに囚われない。
(嫌なことは見ないようにしよう)
(嫌なものは聞かないようにしよう)
人はそれを、気にしないという。では、気にしないためにはどうしたらいいのか。忙しくしてしまおう。勉強、アルバイト、アルバイトで苦手なことは接客だ。あたしは接客についての本を買って、勉強した。言葉遣いの本を買って、勉強した。言葉遣いが綺麗になれば、国語の理解力が増した気がした。学校祭か。そうだ。言葉を使うから新聞係になろう。
「アオイちゃん、学校祭、新聞やらない?」
「衣装とか絶対無理だもんね。いいよー」
新聞の記事を考えて、言葉を考えて、国語辞典を開いて、辞書で言葉の意味を調べて、とにかく忙しく、頭で考えず、手を動かす。とにかくやる。出来ないとか、やれないとか考えない。部活に入ってないからやりたい作業があれば残ってやった。
「ココ、最近ずっと残ってない? 大丈夫?」
「締切近いから」
「なんかあったら言ってね」
「うん。部活頑張って」
あたしは手を動かした。鉛筆のインクで手の裏が真っ黒に染まっていた。でも言葉を使うと楽しくて、夢中になる。将来の夢は、国語を扱うことをしていいかもしれない。
気がついたら、日が暮れていた。
(……バイト行かなきゃ)
鞄を持って廊下を歩いていると――廊下に子猫がいた。
(あれ?)
「にゃー」
(うわっ……小さい……)
あたしはしゃがみ、子猫を見下ろすと、子猫は戯れるようにその場に転がって、あたしにへそを見せた。
「にゃあ!」
(迷い込んだのかな……。どうしよう……。先生に……)
「にゃっ」
「あ……」
子猫が中庭に飛び出し、ベンチの下に隠れた。
「にゃあ」
「君、そこに住んでるの? そこ、見つかっちゃうよ?」
「にゃー」
「どうしよう……」
頼れる人がおらず、仕方なくアオイちゃんに連絡すると、部活中から抜け出して中庭にやってきた。ベンチの下を覗く。
「にゃー」
「普通に先生に言えば?」
「保健所とか連れて行かれないかな?」
「でもここにいたら病気になっちゃうでしょ」
「うん……」
「ちょっと待って。……おーし、坊主、これ飲みやがれー?」
アオイちゃんが牛乳パックを水筒の蓋に入れ、子猫に舐めさせた。
「お腹空いてたみたいだね」
「……先生に言う?」
「じゃあ、学校祭の日に言う? 人も多いし、紛れてこの子の飼手も見つかるかも」
「あ……! それ……すごくいい!」
「じゃ、そうしよう」
アオイちゃんが子猫を見た。
「それまでお前見つかるなよ?」
「にゃあ」
「ありがとう。アオイちゃん」
「とりあえず今日は帰ろう。ここにいたら余計に怪しまれるから」
「うん。わかった」
あたしは子猫の頭を撫でた。
「じゃあね」
子猫はベンチの下で丸くなり、そのままゆっくりと寝始めた。
それから学校祭の日まで、あたしとアオイちゃんは子猫の様子を見に行くようになった。誰にも見つかっていないのか、子猫はいつも中庭にいた。
(中庭にも出店出るから……見つかっちゃうかもな……)
「にゃー」
「君、親はどこに行ったの?」
「なー」
「いないの?」
あたしは微笑む。
「同じだね」
本当に迷い込んだだけなのかな。
それとも誰かに捨てられたのかな。
「最悪、引き取り手がいなかったら……」
あの家は、高校卒業したら出ればいいから。
「うちおいで」
子猫を撫でる。
「猫飼うなら、本当に毎日忙しくなりそう」
劣等感とか、承認欲求とか、そんなの相手にしてる暇なんてないほど忙しくなりそう。
「でも、もっと良い飼い主に会えるかもしれないから、頑張ろうね」
「にゃー」
「それでもいなかったら……その時は……」
そうなれば、
「あたしが、ママになってあげるからね」
窓から見つめる視線に、あたしは気付かない。
学校祭当日。
新聞の出来栄えが良かったらしく、学年一位の賞を貰った。リーダー役だったクラスメイトが涙ぐんでた。
「皆のお陰で賞が取れました! 皆、本当にありがとう!」
「いや、ココのお陰じゃん……」
「アオイちゃん」
「あいつら普通にサボってたじゃん。何なの? ココが全部やってたじゃん」
「でも、最初の細かいところとかやってくれたから……」
「最初だけじゃん! まじうざい……」
学校祭のオープニングではステージに生徒会メンバーが立っていた。生徒会長がマイクを握って熱く語っていたが、やはり視線は端にいたリリに向かってるように感じた。
「学校祭の始まりだぜーーーー!!」
盛り上がる会場。拍手。こうなってくるとどうしても気分が上がってしまうのは仕方ない。けれど、あたしはそれよりも気になってることがあった。
(猫ちゃん)
早く様子を見に行ってあげないと寂しがってるかもしれない。
「……アオイちゃん、あたし、ちょっと猫ちゃん見てくる……」
「え? 今?」
「うん。その、気になっちゃって……また後で……」
「あ、ココ!」
流れる爆音。盛り上がる生徒達の声。人混みを潜り抜け、扉に急ぐ。
(猫ちゃん)
飼い手がいなかったら、あたしの子供。
(猫ちゃん)
「注意事項は以上です! 他に何かある人いますか!」
「あの」
リリが手を挙げた。
「一つだけいいですか?」
「にゃあ」
――小さな鳴き声で、あたしは振り返った。
――ステージに立ってたリリの腕に――あの子猫がいた。
――生徒全員、子猫を見る。
「中庭に迷い込んでしまったようで、周辺を探したのですが、親猫はいませんでした」
「このままだと保健所に行ってしまうかもしれません」
「もしどなたか、この子の里親になってくださる方がいらっしゃれば、ご連絡をお願いします!」
そのリリの姿に、皆は感動した。
まるで天使のようなリリの行動に胸を打たれた生徒は、教師は、思わず拍手をした。一人が手を挙げた。もう一人も手を挙げた。「私の家、飼えます!」そんな声も挙がった。
あたしはステージを見た。リリが子猫を抱っこして――あたしを見た気がした。気がした――だけだ。用のなくなったあたしはそのまま席に戻ることも出来たが、戻らず、やっぱり、体育館から出ていった。
廊下はとても静かだった。
後ろでは、盛り上がる生徒達の声が聞こえる。
(……リリに見つけてもらったんだね)
あたしの子供がいなくなった。あたしは――また、ただの――ココに戻った。
(……あれだけの人の前で言ったんだもん。きっと……良い里親が見つかるね)
これで良かったんだ。だってどちらにしろ、結局今住んでる家はいつか出ていかないといけない。ペット可のマンションは家賃が高い。そうなると、仕事とか、お給料とか――あたし一人では面倒見切れなかった。
(これで良かったんだ)
だけど、
(また……消えちゃった)
楽しかった非日常。生きていくための目的。与える相手がおらず、ようやく与えられた愛情。感情。
消えてしまった。
(松野先生)
風が吹く。
「生きるのって、つまらないですね」
どうしてか――あたしの目から、涙が溢れた。そして、あたしは――、
――笑った。
歪な笑顔だったことだろう。
でも、リリがあたしなんかに、「笑って?」ってお願いしてきてくれたから。
あたし、何もできないけど、せめて、リリのお願いくらいは聞きたくて、無理矢理、口角を上げた。
そしたらどうしてだろう。笑いたくもないのに笑ったせいかな。涙がまた溢れてくるの。
あたし、泣く資格なんかないのに。
リリに言われた通り。
あたしに泣く権利なんかない。
でも、涙が押し寄せてくる。
我慢が出来ない。
枕が濡れる。
鼻水が出てくる。
大声を上げて泣きたくなる。
あたし、おかしくなってる気がする。
でも、おかしくなる権利なんて、あたしにはない。
だから、肩を震わせて、しゃっくりするみたいに泣く。声を押し殺して、震える手を無視して、リリに笑顔を浮かべながら、変な泣き方をする。
そしたらリリは、それを見て――嬉しそうに笑うの。
ああ、リリが笑ってくれた。
良かった。
安心した。
消えていくあたしには、もう、リリしかいない。
リリに嫌われたくない。
一人に――なりたくない――。
「ココ」
リリがあたしに覆いかぶさるような形で起き上がった。あたしはリリを。リリはあたしを見つめる。あたしの頬にリリの手が触れた。冷たい手が、あたしの頬の熱を冷ます。
「私がいるんだから……泣く必要ないでしょう?」
「……うん……」
「ココがぶつけたい感情は、私が全部受け止めてあげるから」
「……リリ……」
リリは優しいから。
「駄目だよ。そんなことしたら……リリが壊れちゃう……」
リリだけは。
「リリだけは失いたくないの」
涙が伝う。
「あたし、本当に我儘だね。本当に……どうしようもないクズだね」
リリが近づいてきた。嬉しい。
「リリ」
リリの吐息が当たる。安心する。
「リ」
唇が触れ合う。寂しくない。
「リリ」
もう一度キスをする。今度はあたしから。
「リリッ……」
あたしの前から消えないで。
「リリ」
「ココ、側にいるからね」
鞭の後は飴を。
「大丈夫だよ」
「リリ……」
「目閉じないで?」
見つめ合ったままキスをする。
「笑って?」
私のために。
「ココの笑顔大好き」
ココの感情を私だけのものにさせて。
「ココ」
そしたら私の感情も、ココだけに与えるから。
「大好きだよ。ココ」
あと一息。
もう一息。
完全に、理性を手放すまで。
あと一息。
もう一息。
私に夢中になるまで。
あと一息。
もう一息。
ココが私だけを見るまで。
もう少し。
あとちょっと。
「ココは可愛いね」
泣きながら笑ってるココの顔を見て、私は心の底から――本当に思うの。
なんて綺麗な笑顔なんだろう、って。
「可愛いよ。ココ」
私のために笑ってくれるココ。
不安に支配されて泣き叫びたいのを我慢しているココ。
泣いちゃいけないと思って、涙をこらえようとして、我慢できなくて、涙を流すココの顔は――どうしてこんなにも美しいんだろう。
「ココ、大好き」
このココの顔は、きっと、誰も見たことがないのだろう。あの女すら。
「寂しくないからね。私がいるからね」
この笑顔が、この涙が、私にしか見せない顔なんだと思ったら――愛おしくて、恋しくてたまらない。
ココ。
「あ、ココってば」
寝巻から見えた先端に触れると、ココの肩がびくっと揺れた。
「……知ってる? 乳首がこうなってるとね、男の子でいう――勃ってるっていうのと、同じなんだよ?」
「……」
「したい?」
「……わかんない……でも……」
「でも?」
「リリに……触ってると……安心する……」
ココが私を抱きしめてきた。思わず、私は息を呑んだ。
その手がとても優しくて、
その存在が今すぐにも崩れてしまいそうで、
骨が、腕が、すぐに――脆く折れてしまいそうで――。
「あたし……毎日不安で仕方ない。でも……リリがいてくれるから……あたし……今、こうして生きれてる……」
ココの声が耳から入って脳全体に響いて鼓動を速くさせる。
「ごめんね、リリ。リリを……誘拐して……監禁して……だけど……」
あたし――。
「リリが、大好き」
――言葉を――出すことが出来ない。
だって――こんな――愛の溢れた――プロポーズ――ある?
「ココ」
「あっ」
勢いのまま抱きしめる。
「リリ……」
「ココ」
制御できない。腕に力が入る。ココが一瞬苦しそうな声を出した。可愛い。ココの声も、ココの体も、ココの存在自体、全部、全部愛おしくて――たまらない――。
「私もね……大好きだよ……?」
「ココだけだよ」
「ココしか愛してないよ?」
「大丈夫だよ」
「ずっと側にいるよ?」
「ココが望むこと全部してあげる」
ココは私が側にいることを望んでいるんだよね?
「ココ、全部してあげる」
ココに胸を押し付ける。
「今日は……優しくするね」
耳を噛めばココが固唾を呑んだ。頬にキスをすればココが息を止めた。首筋に鼻を当ててなぞらせればココが吐息を出した。指を絡めて、キスをして、離さないで、重なってくっついて、ああ、ココ、ココ、ココ、ココ、ココ――。
拒否権はない。
ココは私を愛してる。
だから私はココに付き合ってあげなくちゃ。
「あっ……リリッ……」
「大丈夫だよ」
可愛い。ココ。
「私は消えたりしない」
ココの感情をぶつける相手は私だけでいい。
ココの愛情を受け止める相手は私だけでいい。
あんな汚い猫に、ココがわざわざ笑顔を浮かべる必要なんかない。
「大丈夫だよ。ココ。私だけは」
耳に囁く。
「ココの前から、消えたりなんてしないから」
可愛い子猫のように、ココの熱い頬を舐めてみた。
味は、とてもしょっぱかった。
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