執着駅
術木屋
前編
乗り込んだ電車には、疲れたサラリーマンや遅くまで飲んでた若者たちがまばらに座っていた。私は酔っぱらっている佐伯の手を引いて空いている場所に腰を下ろす。佐伯も素直に私の隣に座った。
「あー、三十路か。鈴木、この前まで俺たち高校生じゃなかった?」
「もうそれ十年以上も前だよ。しかし、今日の佐伯三十歳の誕生日会が失恋大反省会になるとは思わなかった」
「俺も」
居酒屋で延々と続く元カノの愚痴を聞いていたが、言葉の端々から相当ショックだったのだろうことはうかがえた。やはり三十歳になって彼女に振られるというのは、二十代前半の失恋とは訳が違うのだろう。
「まあ、今まで三か月続かなかったのが半年続いてたから、私も今度の彼女とは上手くいくのかと思ってた」
「だろ?何がいけなかったのかなー」
「また反省会はじまったよ」
別れを切り出された原因は分からないらしい。いつも別れようと言われたらそのまま何も言わずに了承して特に理由を聞かない佐伯が悪いのだが、そんなアドバイスをくれてやるつもりはなかった。
「あと五駅で降りるんだから考え込むのやめとけば」
「じゃあ、俺のいいところ三個言って」
「は?」
「誕生日プレゼント」
そう言った佐伯に対して、好きなところなんて三個もあるかとごまかすように笑い飛ばそうとと思ったが、三十歳の失恋の傷口にわざわざ塩を塗るのはどうなのだろうかと思い、佐伯の好きなところ三個を考えてみる。
「仕方ないなー。まあ、高校生の頃から誰にでも聞こえの良いこと言うのは得意だよね」
「それはもはや悪口に聞こえる」
「ほら、なんだっけ。そう、私がアイドルに一時期ハマって彼氏と別れた時だ。『趣味を優先することは悪いことじゃないから気にすんな。そのままでいろよ』って言われた記憶がある」
ただのクラスメイトの一人だった佐伯が隣の席だった時にオススメしてくれた女性アイドルグループに見事にハマって、アイドル談義する時間が楽しくなった結果、彼氏に佐伯と話してる方が楽しそうという理由で振られた。
実際、その頃は佐伯とアイドル談義する方が楽しかった。
「あー。そういえばそんなこともあったな。けど結局そのアイドルも三か月くらいで飽きてただろ」
「ライブ映像全部見てグッズコンプしたら飽きた」
「俺もだけど。でも、鈴木は飽き性だよな。新しい味が好きだから味がしなくなったガムは捨てる」
それは彼女と平均三か月しか続かない佐伯に言われたくはなかった。
「悪口ですか?」
「本当のことですね」
「まー、飽き性なのは否定はできないけど」
だけど、そんな自分でも懲りずに佐伯に何年も不毛な片想いしているのが不思議だ。飽き性も惹かれる不思議な引力が佐伯にはある。
「そうだ、二個目はやっぱり顔かな」
「へー、それは初耳。鈴木、俺の顔好きだったの?」
「うん。なんだかんだモテるだけあって佐伯は顔が良いよね。特に少したれ目なところが好き。飽き性だけどこうやって忙しい仕事の合間に佐伯の顔見たくなるのは、やっぱ顔の力だわ」
そう言うと佐伯は笑った。それを見て私はやはり佐伯の笑った時のたれ目が好きだと再確認する。
「それは知らなかった。顔目当てで俺と会ってるのかよ」
「八割くらい?」
「残り二割は?」
「分かんない。でも、佐伯だって私となんで定期的に会ってるのか分かんないでしょ。結婚したら会わなくなるだろうし」
つい口から出た自虐のような本音に後悔する。イエスと答えられたらショックを受けるくせに、変なことを言ってしまった。だから慌てて話を軌道修正する。
「なーんて、あと一個か。なんだろう」
「…鈴木は結婚する予定あるの?」
「なんだい、藪から棒に!」
「いや、結婚したら会わないとか言うから」
そう言う佐伯は結婚しても私と会うつもりだったのだろうか。しかし、私は佐伯が結婚したら絶対もう会わないと決めている。
「そうだね。結婚は私も三十になるから考えてるし、結婚したらこんな風に特に理由もなく会わないかな。明確に会う理由ができない限り」
「ふーん」
少し拗ねたように佐伯がそう言うから期待したくなる自分がいる。いや、正確に言えば、佐伯が彼女と別れる度に期待している。しかし、「やっぱり鈴木といるのが一番楽しい」と話して一ヶ月経たずに新しい彼女ができる佐伯の言葉なんて信じてはいけない。
今日だって三十歳の誕生日に呼び出されたから『お互い三十歳になっても相手がいなかったら結婚しよう』という約束の話をされるのかと思っていたのに、全く関係ない別れた彼女の愚痴を延々と聞かされたのだ。
もう期待しない方がいい。
「決めた、婚活しよう」
「は?」
「やっぱり、無料のマッチングアプリから始めるのがいいかな?」
そう言ってスマホで評価の高いマッチングアプリを検索する。すると、ずらりと並ぶランキング。しかし、違いは分からない。
「どれがいいんだろう」
「…やったことないから知らない。あと、話の途中なんだけど」
不機嫌そうな低い声で佐伯がそう言った。まだ聞いて欲しい愚痴でもあるのかと、とりあえずマッチングアプリの検索を閉じてスマホを鞄の中にしまう。
「なんの話だったけ?」
「俺の好きなところ」
「あー、途中だった?なんだろうなー」
自分で結婚とかいう地雷を踏んでしまって記憶が飛んでしまった。自分も結構酔っているのかもしれない。
「三個も俺の好きなとこないってこと?」
「いやー、そんなことないよ」
ただ、ガチっぽくない悪友としての好きなところを言うのが難しいだけだ。好きなところは沢山ある。
「そう!困ってる人を見つける察知能力。佐伯はこれが優れてると思うんだよね」
そう言って社会人一年目のとき助けてもらったときのことを思い出した。佐伯が仲のいい友達から好きな人になった瞬間の話だ。
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