金曜日の島田先輩

菅沼九民

金曜日の島田先輩 上

 島田先輩の部屋に通うようになって二年ほどたつ。


 この二年間、先輩は毎週金曜日にカレーをつくっている。いや、私が彼女の奇行というか、ちょっと変わった習慣を知ったのが二年前というだけで、彼女の慣習はそれ以上の歴史を誇るはずだ。


 島田先輩とは、大学の研究室の懇親会で出会った。私が二回生で先輩は三回生だった。


 飲みの席で自己紹介していく流れになったとき、私はちょっぴりウケを狙って「好きな食べ物はカレーです」の一言で終わらせたのが運の尽きだった。


 気づいたときには島田先輩に懇親会の会場から連れ出され、彼女の部屋でカレーを食べていた。


 その日は金曜日だった。


「金曜日にカレー食べないと蕁麻疹でるのよね」


 彼女はそんなことを言っていた。特異体質にもほどがある。


 なれないアルコールと急展開にくらくらしていた私に、彼女は彼女のカレーに対する異常な愛情を語った。


「カレーは……で、カレーは……だから、カレーは……辛え」


 はっきり言って、私には彼女が話していたことの三分の一も伝わっていなかった。彼女がカレーを壊れるほど愛しているということだけは、かろうじて分かった。


「あの、先輩。それで私はなぜ先輩の部屋でインド史の講義を受けているのでしょうか」


 島田先輩の話はカレーの話からインドの話へと展開した。そして第四次マイソール戦争に話題が移ったあたりで、ついに耐えかねた私は(我ながら見上げた忍耐力であった)マイソールの虎ことティプー・スルターンの活躍を語る先輩の言葉を遮って、私が部屋に招待された理由をそれとなく尋ねた。


「私ってカレーつくり過ぎちゃうのよね。で、ティプーが作ったロケット弾がね……」

「ちょ、ちょっと待ってください。マイソール戦争の話に戻らないでください。先輩がカレーをつくり過ぎちゃうことと、私がいまここにいることにどんな関係が?」

「なに? 哲学?」

「私の存在意義を問うてるんじゃないです」


 なぜ私は懇親会の会場から連れ去られたのか、ということだ。


「あー。だから、私ってカレーをつくり過ぎちゃうから一緒に食べてほしかったの。好きなんでしょ? カレー」

「まあ、好きですけど」

「自己紹介で言うぐらいだし、わざわざ大事なファーストインプレッションをカレー色に染め上げたわけだし、相当好きなんでしょ?  まあウケ狙いで適当に言ったとかならまだしもだけど。仮にも関西圏の大学に通う女子大生が、そんなおもんないボケかたするわけないしね」

「も、もちろんですよ!  友達の間で私は三度の飯よりカレーが好きなことで有名なんですから」


 面白く有れ。さもなくば、くたばれ。


 それが関西のルール。あるいは地獄の。


 京都の近くに住んでみたいなあ、なんて甘い気持ちで東海から大阪の大学に進学してしまった私である。


「じゃ、そういうわけで、毎週金曜日はうちに来てね」


 そういうわけで、どういうわけか、私は毎週島田先輩のアパートに通うことになったのである。自分で言っててわけがわからない。


 とっちらかった事情の整理を試みてみると、こういうことだ。


 島田先輩はカレー大好きカレー女子大生。毎週金曜日はカレーを食べないと蕁麻疹が出て体中を掻きむしって爆発四散し、この時空を消し飛ばしてしまう。(本人談。絶対嘘)なぜ金曜日なのかといえば、とくに理由はないらしい。


 さらには彼女はカレーを作るのも大好き。週に一度はカレーをつくらずにはいられない。カレーをつくるのを禁じられたらそのへんのカレー屋を占拠して発作的に間借まがりカレー屋を開業してしまうかもしれない。(本人談。ちょっとマジっぽいのが怖い)


 以上のような異常な衝動を抱えた島田先輩は毎週金曜日には欠かさずカレーをつくって食べている。そして必ず一人で食べ切るには多すぎる量をつくってしまうらしい。


 つくる量ぐらい調整できるだろうと思うのだが、先輩曰く。


「規模の経済ってやつよ」


 私は経済学部ではないので、個人レベルでも規模の経済が機能するのかよくわからない。単にちまちまつくるのは島田先輩の性格に合わないというだけではないか、と私は疑っている。


 一人で食べるには多すぎる量をつくってしまうのは分かった。だったら保存しておいて、何日かに分けて食べたらいい。二日目のカレーはおいしい。それについて、島田先輩は。


「カレーがあったら食べちゃうでしょうが」


 カレーを前にしてカレーを食べないという選択肢は島田先輩にはないらしい。カレーを前にした彼女は暴食と強欲の化身になる。


 毎週カレーをつくるたびに完食していたら、その罪は贅肉となってウエストに浮輪を形成するところだが、しかし彼女のスッキリとしたお腹を見るに、そうはなっていない。それにカレーばかり食べていたら全身カレー色のカレー人間になる、とはいかないまでも何らかの肌トラブルを抱えそうなものだが、先輩はシミ一つない色白美人顔である。その秘訣は、なんということはない。彼女はそのカレー色の罪を他人に肩代わりさせていた。先輩やら同期やら後輩やらを呼びつけて、片棒を担がせていたのだ。


 しかし毎週毎週共犯者もとい協力者を探すのも面倒なので、平均的な人間に毎週カレーを食べさせようとしても拒絶されるので、新進気鋭の研究室新メンバーこと自称カレー大好き少女の私に白羽の矢がたったということだ。


 変な先輩に目をつけられるという形で、私はくだらないボケをかましたツケを払うことになったわけだが、苦学生半歩手前の私にすれば一食分の食費が浮くのは魅力だったわけで、なんだかんだ、ここ二年、毎週金曜日は美人カレー狂お姉さんとカレーを食べているわけである。

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