第五話 – 私は

 あれから私は何度死を経験しただろうか。今また眼前に見慣れた白いセダン車が私めがけて突っ込んでくる。回数を重ねたことで私は事故の状況を推測できるようになっていた。

 衝突する瞬間、運転席の男はハンドルに突っ伏している状態で気を失ってしまっているようだった。赤信号で停車している時にてんかんや脳卒中、心臓疾患といった発作で苦しむ中ブレーキを踏む足が外れ、アクセルの方へと移ってしまった、という考えに私は至った。好んで観る刑事ドラマや医療ドラマ、ネットやテレビなどで報道されていたニュース番組などでも似たような事例を何度か見たことがあった。


––––そして私の大切な人も


 瞬間、私はもはや何度経験したか定かでない、空中を浮遊する時間を過ごす。地面に衝突して私の身体を包み込む生温かい液体の感触とべっとりと纏わりつく忌々しい死への誘い。初めは一瞬だったこの時間も今では少し長く感じる。ジャズのインプロと同じだろうか? 

 たった八小節の即興演奏。時間にするとテンポにもよるが十五秒程度。最初は短くどのように構成しようかと迷ってしまう。自分のテクニカルな部分を見せようにも音数が少なく消化不良、だからと言って無理に詰め込もうとすると音楽的にバランスが悪くなってしまう。

 しかし、マイナスワンなどで練習を続けていると段々と余裕が出てきて十五秒が長く感じてくる。ただ一つ違うとするならば音楽は幸せな気持ちになれるのに対して今はただ自分の中の何かが、人としての何かが失われていく。  


「また死んだ」

「また死んだ」


 いつもの空間で涙しながら跪く馴染みのある光景に双子の笑い声。顔をぐしゃぐしゃにしながら私はまた言葉を紡ぐ。


「どうして……どうして!」


 何度この様子を繰り返してきただろうか? 私はこの決められた行動をずっと続け、異形の姿をした女が言ったような〝運命に抗う〟ことをしていない。そして何よりあの女は一体どこへ行ってしまったのだろうか。初めて私がここへ来て以来、一度として姿を見せていない。


「おえぇ……」

 

 またもや嘔吐し、ゲホゲホとむせている私。それに対する「汚い!」という双子の罵声。何度も経験していくうちに慣れてしまった私は異形の女について考え始める。なぜ彼女はあの時以来ここに姿を現さないの? 何か状況が違う?


「ニタニタニタニタ」

「ケタケタケタケタ」


 双子の笑い声が響き渡る中、大きな目玉の下からノック音を携えながら木製扉が出現する。


––––何も変わっていないのか


 これまで私は「どうして」と泣き叫びながら嘔吐し、双子に罵声と嘲笑を浴びながら目の前に現れる扉を開けて繰り返される悪夢へと向かっていた。しかし、初回は異形の女の存在と彼女との問答があった。それがなければ二回目以降と同じように泣いて吐いて笑われて……という一連の流れを繰り返していただろう。

 何かを変えなければ、そう思い立った私は震える足を押さえながらゆっくりと立ち上がる。


「あなたたちの……お姉さんはどこへ行ったの?」


 私は振り絞るようにして声を出し、扉の背後で胡座あぐらをかいて浮遊する双子に尋ねる。


「ニタニタニタニタ」

「ケタケタケタケタ」


 双子は私の言葉に答える様子はなく、私を見つめながら不気味に笑い続ける。


「お姉さんはどこへ行ったの?」


 今度はハッキリと、明瞭に言葉を投げかける。


––––キイイィ


「どうして」


 双子の前にある扉がゆっくりと開かれる。扉の中の暗闇からゾゾゾというおぞましい音を立てながら黒い糸状の何かが私の全身を覆い尽くす。私の肉体はそのまま扉の中へと吸い込まれるようにして姿を消す。


「ニタニタニタニタ」

「ケタケタケタケタ」


 双子の笑い声が静まり返った空間で反響する。


「お姉様だ」

「お姉様だ」


 双子が姉の姿を見て目を輝かせると地面から黒い液状の帯が彼女たちを囲み、ボールのような形になってそのまま上空へと跳躍する。


「……」


 冷んやりとした感触が背後から私を包み込む。この感覚には覚えがある。血の気がなく人間味を感じない、もはや親近感さえも抱かせるほどの寒気。コンクリートに激突して生温かい感触が全身に広がっていったその後に私の身体をかけ巡る凍てつく冷たさと同じもの。異形の女だ。


「ねぇ、あなたもう気付いているんでしょう?」


 異形の女は私に優しい口調で問いかける。彼女の言う通り私は気付いているのだ。


––––私?


 さっき扉の向こうへと吸い込まれたのが私だとしたら……それならば今、異形の女に話しかけられている私は?


「あなた、もう人の形なんてしてないわよ」


 彼女がその言葉を発した後すぐに双子の笑い声が遠くから聞こえ始め、それは徐々に近付いてくる。


「目玉だ」

「目玉だ」


 そう、私はずっと見ていたのだ。


 セダン車に撥ねられて私の肉体が宙を舞っている瞬間も。泣き崩れて悲痛の叫びを上げている瞬間も。双子に笑われている瞬間も。扉の中へと私が向かう瞬間も。


 私は私を見つめていたのだ。この暗い空間で。不気味な巨大な目玉となって。


「いつからかしら?」


 いつから? 私はいつからこの暗闇の中で無数に存在する目玉の一部となった? 


––––私は運命に抗おうとなど初めからしていなかったのだ。


 そうだ、私が運命に抗えていないことを気付いた時だ。あの時から私はもう1人の私の感覚を共有しながら私自身を見つめていたのだ。

 ふと私に触れていた冷たい感触が離れる。私の目の前に異形の女が背を向けたまま降り立ち、彼女の両手には髪の長い少女の首が持たれている。後頭部しか見えていないものの、その首からは双子の笑い声が聞こえており、私は身震いする。


 彼女は私の方を振り向きもせずに目の前の扉に向かって歩き出す。その間に手の平に乗っている二つの首がゆっくりと回転し、私の方を見る。


「一緒」

「一緒」


 振り向かれた顔には目鼻はなく、ただ大口を開いて笑っているのみ。私はその禍々しい異常性に恐怖し、言葉を失う。扉が閉まりきる直前、異形の女は僅かにこちらへ首を動かして私を見つめながら闇の中へと進んでいく。


「私の名前は渇きし者サースティ


 姿が完全に消える前、彼女は自分の名前を私に告げるとさらに「楽しんで」と小さな声で呟きながら闇に飲まれていった。


 しばらくすると別の扉の中からまばゆい光を放ちながらこちらへと歩いてくる白いワンピースに金色のロングヘアをなびかせた少女が現れる。この場所とは不釣り合いなその輝きは私に久しく感じていなかった温もりを抱かせる。


「私は案内人グイード


 彼女はそう言って私に手を伸ばすとそのまま頬ずりをすると、軽く口付けを施した。



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