第2話

 なぜ剣士なのか。剣士の何が秀蔵を掻き立てたのか。秀蔵自身もはっきりとはわかっていなかった。ただ剣豪同士の戦いに秀蔵の中にぽっかりと開いた空白を埋めてくれる何かを感じ取ったのだ。


 胸がざわつく。見えていないはずなのに遠い舞台の上で感じる二つの何か。剣がぶつかるたび、剣を構えるたびに脈動する力。


「それはもしかしたら、剣気を感じ取ってたのかもしれないな」


 秀蔵の取り留めのない説明に正彦はそう答えた。

 家の庭で相対する二人。正彦の手には抜き身の剣が握られている。


「剣気っていうのは剣士が持つ気迫のような物で、剣士が剣に込める気持ちのような物で、剣士が剣士であるための魂のような物。つまり曖昧な何かだ」


 最後、雑にまとめた正彦だが、これ以上は説明の仕様がなかった。何せ正彦自身未だ剣気というものを十全に扱えていないのだから。


「剣気を扱えるかどうか。剣士から上、達人と呼ばれる領域に至るには剣気が重要となってくる。上級剣士っていう剣客の一つ前の階級に身を置いてはいるが、俺も未だ剣気をわかっていない」


 五歳児である秀蔵には難しい言葉ばかりだった。首を捻る秀蔵を見て正彦は剣を構える。


「まぁこれは言葉を練るよりも実際に感じた方が早いか」


 ジッと切先を見つめ、睨み、見据え。数分かけて集中力を掻き集めていく。丹田に何かを感じ取ろうと意識して温もりを感じたような気がした。その温もりを全体に行き渡らせ剣を通し、切先から相手、秀蔵に向ける。


「ッッ!」


 秀蔵は訳もわからず体が震えていた。幼い秀蔵は理解できなかったが、それは恐怖を感じていたからだ。正彦が剣を通して修造に向けたのは殺気というもの。それもまた剣気の一種である。殺す、この剣でお前を殺してやる。剣に込められたそういう思いを秀蔵は感じ取っていたのだ。


「っ、ふぅ……」


 一分も経っていないというのに正彦の額は汗で濡れていた。それだけ集中していたという証であり、剣気というものがそう簡単なものではないと示していた。


 そして正彦から本気ではなかったとは言え殺気を向けられていた秀蔵は腰が抜けたようにへたり込む。わずかな間を置いて股間が湿り気を覚えた。


「しゅ、秀蔵!? すまんっ、だだ、大丈夫か!?」

「へ? ……うぅ、ぐすん」


 そりゃそうなる。







 着替え涙を湛える秀蔵を慰め終えてから講義を再開する。


「剣気を扱った技術の中に心眼って言われるものがあるんだ。心眼、心の眼ってやつだな」

「心の、眼?」

「そう。顔についてる目ではなく、心の眼で相手を見る」


 眼を瞑った正彦は再度集中する。剣気を正彦を中心に拡散して正彦の領域を描くように支配地を広げていく。それは人には必ず存在する死角を無くすための技術。背後からの不意打ちだろうが反応して対応できるようにするための技。


「剣気を自在に操る剣士は眼を閉じていても日常生活を送れるらしい。秀蔵が剣士を目指すなら心眼の習得は必須だ」

「しんがん……、頑張る!」

「父さんも未だ心眼を会得できてないからコツとかは教えられるかはわからないけど、とりあえずは剣気を感じ取る練習だな」

「僕にもけんきあるかな?」

「あるさ。剣気ってのは誰もが多かれ少なかれ持っているものだ。秀蔵は今は感じ取れていないだけで心の奥底に沈んでいるだけなんだ。イメージとしては、心の奥底に沈んだ剣を抜く感じ、かな?」

「むむ」


 眉間の皺を寄せ、先ほどの正彦のように集中しようとする秀蔵。しかし一分も経たずその集中は途切れる。


「わかんなーい……」

「……集中力を鍛えるところからだな」


 それから秀蔵は毎日坐禅を組み、ただ己の裡と向き合うことを続けた。そばでは付き合える限り正彦も同じように坐禅を組んだ。時に正彦から殺気を感じ取り、自らの剣気を探る手がかりにしたりなど。その度に緩む股と涙腺。しかし秀蔵は諦めることも投げ出すこともない。たまに泣き言を言うがそれでも特訓を続けること一年。


「感じた」

「本当か!?」


 眼を見開き茫然とする。何かの勘違いかともう一度意識を潜らせ、確かにそれを感じ取った。


「や、ったぁぁぁぁああ!」


 集中が途切れ、感じ取ったそれを手放してしまうが構わず秀蔵は喜びに飛び跳ねる。


「やったなぁ!」


 正彦もまた喜び秀蔵を抱き上げくるくる。思わず自分が剣気を感じ取れた時の感動を思い出して目尻に涙を浮かべる。


「よし秀蔵。喜ぶのはここまでだ」


 しっかり一時間はしゃいだ上にお祝いのご馳走とケーキを平らげた後、満腹感からくる眠気に耐えながら秀蔵は正彦を見上げる。


「ここからが長いぞ。感じ取った剣気に気持ちを、想いを込めて確たるものとする。そして剣気を自在に動かせなければならん。道は険しい、できるか?」

「やる! 頑張る! すっごい頑張る!」

「そうか! ならお前に教えられるように父さんも頑張らないとな!」

「がんばろー!」

「おー!」

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