第19話 懺悔は月明かりの下

 夜更け。青い満月には時おり雲がかかり、いつもに増して暗い。山間の木々は青に照らされたかと思えば、光を遮られて黒いヴェールを被る事を繰り返した。



「ふむ。辛うじて見える明るさだな」



 アクセルは、シボレッタ村を離れた位置から監視した。コエルが外部と連絡を取っている事は確実で、今はその接点を見つけ出そうとしている。


 ここ何日か、休みなく監視を続けている。だが手がかりは掴めていない。そのため、今夜はアクセル1人ではなく、頼もしい助手を連れていた。



「ヒィィっ! アクセルさん、動かないでぇ!」



 掠れた悲鳴をあげるのは、連れのサーシャ。アクセルに抱きかかえられた格好で、両腕を強く巻き付けている。形相は虜と言うよりも必死のものだ。


 それもそのはず。2人は今、村郊外の木々の中でも取り分け高い木に登っている。更には、幹の先端に立っているのだから、落ち着いてなどいられない。


 サーシャは一瞬、下の方を見た。地面が遠い。手違いで落下したなら死を免れない。そう確信するだけの距離が、愛おしき大地とは離れていた。



「静かにしてくれ。叫び声で気取られるかもしれない」


「そんな事言ったって、怖いんだもん! 監視なら下でも良いじゃない!」


「地上では、グレイウルフどもの横やりが入るだろう。村人に見つかる可能性もある。だから高い場所が適切だ。山全体を見渡すことも出来るしな」



 不意に、2人のもとに夜風が吹いた。サーシャには、ヒュオオと耳を打つ音が、死神の呼び声にでも思えてしまう。



「あぁ無理、ほんと無理。こんな事なら手伝うなんて言わなきゃ良かった……!」


「聞いてくれサーシャ。お前のことは必ず守り通してみせる。だから今だけでも、私を信用してくれないか?」



 サーシャの間近に、アクセルの引き締まった顔がある。普段の立ち振る舞いからトボけた印象を抱きがちだが、精悍で、美しい顔立ちである。


 こうなるとサーシャは直視できない。青ざめた顔は赤く染まり、視線も遠くの空に向けた。



「そこまで言うなら、どうぞ。お好きなだけ、気の済むまで……」



 シュキシュキ、ステキ、ダイシュキィ!



「頼むぞ。村の事はサーシャの方が詳しいだろうからな。助言に期待している」



 それから2人は、夜風に揺さぶられながらも周囲を監視した。雲の流れは速く、月に触れた側から離れ、遠ざかってゆく。その間も状況に大きな変化はなく、徒労の時間は続いた。


 やがてシボレッタ村の家々から明かりが消え、暗闇が更に濃くなる。残された灯りは、通りのかがり火か、酒場くらいのものだ。ほとんどの村人は寝床に潜り込み、夢見心地である。



「アクセルさん。さすがに寒くなってきたよ。ちょっと休憩しない?」


「ふむ。今宵の風は辛かろう。お前だけでも一度地面に降ろして……おや?」



 アクセルは遠くの森で、鳥が飛び立つのを見た。数羽まとまって、暗い空を泳いでいく。



「サーシャ。あの辺りは何だろう?」


「鳥が飛んだ所だよね。街道からは遠いし、水場が有るわけじゃないし。ただの森だと思う。蛇とか、動物から逃げたんじゃない?」


「いや違う。よく見てみろ、小さな光も見える。あれは松明かランプのどちらかだ」


「じゃあ人が居る? こんな夜中に?」


「行ってみよう。掴まれ」


「行くってどうやって……ヒィッ!」



 サーシャは恐怖のあまり硬直した。アクセルが木の天辺から飛び降り、凄まじい速度で落下したからだ。


 死ぬ死ぬ死んじゃう、こんな雑なプロセスで。サーシャはすかさず犬死を覚悟したのだが、当然そうはならない。


 アクセルは落下しながら木の幹を蹴って、横に飛ぶ。それからも近くの幹を蹴って別方向に飛ぶ。それを何度も何度も繰り返しつつ、落下エネルギーを少しずつ減らしていく。地面に着地した時は、物音すらたたなかった。



「アワワワ。生きてる……アタシ生きてる……」


「静かに、サーシャ。相手に気取られるぞ」



 アクセル達は、茂みの向こう側を覗き込んだ。二頭立ての幌馬車が見える。幌は内側からランプで照らされる事で、半ば透けており、自ずと発光しているかの様でもある。


 2人の目を惹いたのは、幌の内側よりも外面だ。側面に大きく、黒いインクで円形の幾何学模様が描かれており、円の中心には真っ赤な宝石らしきものが埋められている。



「何だろうか。幌に描かれている模様は。魔法陣のように見えるのだが」


「あの黒い絵の事だよね? アタシも知らないな。大きな馬車でたまに見かけるかな。高そうな馬車とか」


「きっと恩恵があるのだろうな。さもなくば、そういう趣味だ」


「趣味って事は無さそうだけど……」



 停車した幌馬車から、男達が数人現れた。総勢3名。頭から暗い色のローブを被っているため、容姿の区別はつかなかった。


 更に、物陰から新たに男が現れ、4名になる。その男は旅装の3人とは違い、軽装だ。普段着のようで、ズボンにウールの羽織物という姿だ。顔は見えないものの総白髪が闇夜に目立ち、それは目印とも成り得る。他人に対して関心の薄いアクセルでも、引っかかる何かを覚えるほどだ。



「あの白髪男。どこかで見たような……」



 疑問を晴らすよりも先に、状況が動き出す。男たちは、盗み聞きするアクセルの存在など知らず、商談を開始した。



「我らは閣下の使いだ。約束の品はあるか?」


「もちろんだとも。用意しているよ。ただし重たくてな、お前さんらで運んでもらおう」


「チッ。人使いの荒いジジイだ」


「ワシはあくまでも受け渡しが役目。力仕事までは任されておらんよ」



 ローブの男たちは悪態をつきつつも、付近の闇へと消えた。そして再び馬車のもとへ現れる。3人がかりで運ぶのは石像だった。以前、アクセルが魔獣と交戦した際に見掛けたものである。



「あんなものを、どうする気だ?」


「馬車の中に入れたね。あれが約束の品なのかな」


「記憶が確かなら、あれは魔獣の犠牲者だったような……」



 運び入れるのは1体だけではなかった。2体、3体と続いた。いずれも石像で、若い男女に初老の男と、バラバラである。それらを積み込んだ頃、ローブ姿の1人が言った。



「おい。15歳くらいの少女像はどこだ?」


「それは手違いがあって用意できない。手紙を送ったはずだが、伝わっていないのか?」


「そんな話は聞いていない」


「ともかく、その少女像は無理だ。17歳の娘なら、近々用意すると聞いている。次回それを納品させてもらおう」


「閣下は16歳未満をご所望だ。手違いなど許されん。どうにかして納めろ」


「出来ないものは出来ない。その答えは変わらんよ」


「そうか。今の言葉、後悔するなよ」



 ローブの男は、残りの石像も積み込むように命じた。4体、5体とランプに照らされては、幌馬車の中へ消えていく。


 そして6体目も同じ結末を辿ろうとした。石像は男で、30歳にも満たない若者だ。両手で頭を抱えて、煩悶とする表情である。アクセルは、誰かに似ていると思うが、すぐに閃かなかった。



「なぜだろう。どこか既視感が……」


「……父さん?」


「どうした?」


「父さんだ! 見間違いじゃない!」


「待て、サーシャ!」



 アクセルの静止を聞かずに、サーシャは1人駆け出した。そして一直線に、変わり果てた姿の父を抱きしめた。僅かな温もりさえない、冷たい石の感触がある。しかし間近で見たなら確信は更に強まる。顔も背丈も、着ている服の全てが、記憶と一致するからだ。



「父さん! 会いたかった、ずっと会いたかったよぉ!」



 涙混じりの再会だが、状況は最悪だ。ローブの男が1人、サーシャの首を片手で掴んでは、強く握りしめた。その所作には、命を命と思わぬ乱雑さがある。



「おい、何だこのガキは?」


「見られたな。面倒になる前にブッコロしとくか」


「待ってくれ。その子にはワシから言って聞かせる。だから手荒な真似は勘弁しておくれ!」


「ダメだな。世の中には知っちゃいけねぇ事なんて腐るほどある。知っちまったら殺されても文句言えねぇ。それがルールだよ」



 ローブの男はサーシャの首を絞めつつ、腰の剣を抜いた。刃を高らかに掲げるのは、怯えさせる為だ。泣き顔を好む性質(たち)なのである。



「さぁてお嬢ちゃん。そろそろ死んじまおうか。遺言くらい聞いてやるが?」


「返してよ……アタシの父さんを……!」


「おう。この状況で、まだそんな口がきけるのか。クソ度胸だけは褒めてやるよ。最期の言葉も感動的でなぁ!」


 

 中天に向けられた男の剣は、月光を浴びて怪しく光る。しかしそれよりも遥か上、凄まじい速度で飛ぶ姿があった。アクセルだ。彼は、一同の視線がサーシャに向けられた隙をついて、音もなく躍り出たのだ。


 無警戒な男たちにアクセルの拳が襲う。腹や脇、みぞおちを打たれると、3人ともその場に蹲った。


 アクセルはすかさず、地面に落ちた剣を手にすると、それを白髪頭の老人に突きつけた。



「大人しくしろ。血を見たくなければな」


「誰かと思えば、先日の……。いやはや、強いと聞いていたが、ここまでとは。まるでおとぎ話の武神のようだな」


「そう言うお前は、雑貨屋の店主か」


「あぁそうだ。雑貨屋のシナロスだよ、剣士アクセルさん」


「剣聖(仮)だ」


「ともかく話をしようじゃないか。誰にも言えなかった、死に損ないの懺悔話だ。なぁに、逃げも隠れもせんよ」



 シナロスはアクセルに背を向けて、切り株に腰を降ろした。丸みを帯びた後ろ姿は、酷く小さいもののように見えた。


 一方でアクセルは、残り3人の男に近寄った。全員が気絶している。男たちの両手足を、しなやかな雑草できつく縛り上げて、地面に寝転がす。それから重たい足取りでシナロスの方へ歩み寄り、向き合う位置に立った。


 無言のままで立ち尽くしていると、不意に冷たい風が駆け抜けた。アクセルは胸の奥まで冷える想いだ。それはシナロスも同感なのか、凍てついたように身動ぎしない。


 どれだけ押し黙っていただろう。長いような、短いような時間が過ぎていく。アクセルがようやく口を開いたのは、不安げなサーシャが、彼の背後に寄り添った頃である。



「まさか、お前とこんな所で会うとはな。何かの間違いであって欲しい」



 シナロスは、微かに首を持ち上げて答えた。



「ワシもだよ。お前さんとは、しがない店主と有能な働き手の関係でありたかった。やはり世の中、悪事は長続きしないように出来ているのだな」



 まるで他人事のように言い放ち、嘲るように笑うと、一旦は口を閉じた。それから咳払いの後、ついに懺悔の時間が始まった。


 自分はコエルの手下であると。かつては子供を、そして今は、石像と化した人間を売り飛ばしていると。

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