第13話 サーシャと夜道を
茂みから顔を覗かせたアクセルは、レンガ造りの家々がひしめき合うのを見た。朱色の壁に夕日が差し込む事で、更なる赤みを引き出している。木々に囲まれた数十もの家屋は、時間帯もあってか、中々に見応えがあった。
「大きな街だな。これまでで1番だろう」
「シボレッタは街じゃない、村なんだよ。街っていうのは、もっともっと大きいって聞いたことあるよ」
サーシャの顔は、依然として重たい。一応は安全を約束できる場所へと、辿り着いたにも関わらずだ。アクセルは何か不吉なものを感じつつも、斜面を降ってゆく。
降りた先は村の裏手だ。狭い路地裏では、猫のアクビが出迎えた。邪魔したなと一言だけ告げて、大通りへと向かう。方々を照らすかがり火の明るさから、道を踏み外す事もなかった。
やがて村の中央までやって来た。そこは大きな井戸があり、酒場や食堂、宿屋まで軒を連ねるので、夜更け前でも賑やかだ。むしろ仕事上がりの村人達が、こぞって集まっている様子である。
「さて、サーシャよ。ここまで来たなら、お互い問題ないだろう。家に帰ると良い」
「アタシは、その、帰る所が……」
「どういう事だ? ここがお前の村ではないのか?」
尋ねる間、アクセル達に通行人から視線を浴びた。そして小声で「あの衣装」やら「なぜこんな所に?」といった独り言も聞こえてくる。
目に映る村人たちは、茶色やカーキのチュニックだとか、ローブ姿が多い。サーシャが着るような純白は1人として見掛けない。これは身分か何かか。アクセルが乏しい知識から考え込み、立ち尽くしていると、鋭くも騒がしい声を聞いた。
「僕の事をバカにしてんのかなぁ? 早馬まで走らせて命令したのに、聞いてないんだからさぁ」
「滅相もございません、ギルゼン様。我々は確かに『生贄』を用意し、山に置き去りにしたハズです」
「どこにも居ねぇじゃん。魔獣も、小娘もさぁ。これはメキキ家もナメられたもんだなぁ。こんなクソ田舎で骨折り損とか。父上にはたんまりと報告しなきゃならないなぁ!」
「これは何かの間違いでございます。急ぎ調べてまいりますので、今宵はどうか、村一番の宿でお寛ぎを……」
声は除々に近づいてくる。それに従い、サーシャの体も震えだし、目に見えて硬直してしまう。
一体どうしたことか。アクセルが首を傾げていると、不意に怒号が聞こえた。声をあげたのは、先程までギルゼンに平謝りを繰り返した、小太りの中年男である。
「サーシャ! こんな所に居たのか!」
男は腹を窮屈そうに揺さぶりながら、こちらへと駆け寄った。そしてアクセルの前は通り過ぎて、震えの止まらないサーシャの肩を掴み、激しく揺さぶった。
「こいつめ、役目を放り出して逃げるとは恩知らず! 覚悟は出来てるんだろうな!」
「ごめんなさい、違うの! ごめんなさい!」
激しく詰(なじ)る光景を、アクセルは違和感とともに受け止めた。想定したものとは大きくかけ離れていたからだ。
ワーイ、サーシャネェチャンダ! タダイマ、ミンナ! ワーイワーイ!
そんな結末を迎えるものだとばかり考えていた。しかし現実はどうか。男に生還を喜ぶ気配は一切ない。それどころか、サーシャの手首を掴み、引きずろうとする素振りさえ見せた。
「さぁ来い。ギルゼン様の前で釈明しろ! 全ては自分が逃げたせいだってな!」
立ち去ろうとする2人を、アクセルは先回りして止めた。男はアゴ先で「退け」と合図するが、アクセルの剣を目にした事で、怒気がトーンダウンする。語尾も僅かに穏当なものとなっていた。
「な、何だよアンタは。急いでるんだ、退いてくれ」
「随分と不穏だ。何者だ、人さらいか?」
「違う、私はコエル。この村のまとめ役だ!」
「村長と言うやつか。ならば何故サーシャを乱暴に扱う。せっかく死地から助け出したというのに」
「うるさいな。他所者には関係ないだろう! ともかく退かないか!」
押し問答を繰り返すうち、アクセル達は頭上から声をかけられた。遠慮など無く、諍(いさか)いに土足で踏み込むような気軽さがあった。
「なんだか楽しそうな話してんねぇ。僕も混ぜてよ」
そこには、宿屋の窓から顔を覗かせるギルゼンの姿が見えた。そして間もなく宿屋入り口から、尊大な男がやって来た。背後には、従者と思われる2人も控えている。
アクセルは珍しい事だが、眉間にシワを寄せて出迎えた。しかし、かがり火を頼りにする暗さだ。ギルゼンに気取られたりはしなかった。
「もしかしてさ、そのガキが逃げた生贄かい?」
「左様でございますギルゼン様。この度は我らの不手際にて、貴方様の完璧な作戦に水を差してしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
「どこか話がおかしいなって思ってたよ。そしたら、なるほどね。余計な邪魔が入ったという訳だ。つまり、村の連中には落ち度がなかったと言えるね」
「あ……ありがたきお言葉。このご温情、村を代表して御礼申し上げます」
「まぁね、僕は優しいからさ。今回の件は不問にしといてやるよ」
村長を名乗る男は、深々と頭を下げた。ギルゼンは、さも当然といった顔つきで受け流し、絡みつく視線をアクセルに向けた。
「さてと、また会ったな貧民剣士。お前の差し金で魔獣退治が滞ったぞ。どうしてくれる?」
「私は、名も知らぬ少女の命を救っただけだ。他意はない」
「へぇ……なるほど、なるほど。英雄にでもなったつもり? ちっさな正義感を満たせて満足? おめでたい奴だね」
「救える命を救ったまで。なぜ詰られなくてはならない」
「あるよ、大有りだよ。お前が邪魔をしたせいで、討伐計画が狂ってしまったからね」
「そこだ。さっきから何の話をしている。説明しろ」
ギルゼン達の言い分としてはこうだ。近頃、シボレッタ村の周囲で魔獣が暴れるようになった。生業に多大な影響が出ており、状況は悪化する一方だ。そこで村中の金をかき集めて、冒険者ギルドに討伐を依頼した。そしてギルゼンたちが引き受け、村へとやって来たという経緯だった。
アクセルはちょうど、そのタイミングで訪れた事になる。
「そういう訳さ。僕たちはこれから討伐をしなきゃならない。正式なプロセスを踏んだ、正・式・な・依頼なんだからね」
「ならば戦ってこい。それが役目なのだろう」
「言われなくてもやるさ。でもね、誰かさんが生贄を連れ戻しちゃったろ? おかげで大誤算さ」
「生贄とは、サーシャの事か?」
「名前なんて知らないけど、そうなんだろうよ。作戦としてはこうだ。生贄が魔獣に食われてるところを、僕たちが一斉に襲いかかる予定だった。それで群れのリーダーを倒せたらお終い、だったのにねぇ……」
「囮をさせるつもりだったのか? こんな、いたいけな少女に?」
「勘違いするなよ。僕は別に人間のガキを指定してない。子羊や子牛でも良かった。大人より肉が柔らかいからね。そんな『エサ』を準備しろと、早馬で命じたのさ」
ギルゼンの薄ら笑いが村長コエルに向く。続きはコエルが、咳払いの後に繋いだ。
「我らの暮らしも楽ではない。牛も羊も価格が年々高騰している。出しうる物の中から最も安価なものを、生贄として差し出したに過ぎんよ」
「では、この娘に価値がない、とでも言いたいのか?」
「孤児だ。病で両親を失った、行き倒れ寸前の子供だった。このような日に備えて、役に立つかも分からん小娘を、今まで食わせてきた」
「それがお前たちの理屈か?」
「そうだ。感謝される事はあっても、恨まれる筋合いはない。私が助けねば、とうの昔に野垂れ死んでいたのだからな」
アクセルの脳裏に鋭い痛みが走る。それはコウヤ村で感じたものと似ているが、その実は全く別物。胸の底が冷えていくような、不快感の塊であった。
思い返せば、コウヤ村は様相が違った。流行り病で身内が倒れゆく間、汗水流して看病し、時には危険を冒してまで薬草を探し求めた。女も子供も、大切な人の為に決死の覚悟で挑んだものだ。そして一大事となれば、村人総出で動こうとする連帯感もある。
そこには熱い想いがあった。眺めるだけで、微かに触れるだけで燃やされてしまいそうな、凄まじい情念があった。互いを思いやり、手を取り合う様には羨望すら感じてしまう。それを知るからこそ、シボレッタの対応が気に食わない。
アクセルはこみ上げる感情を抑えながら、自然と声も低くして告げた。
「コエル。ここの暮らしも楽ではないと言ったが、あれを見よ」
アクセルの指差す方は酒場だ。夜闇を押し返す程の灯りと、静けさとは無縁な高笑い。ひっきりなしに焼かれる肉が山を成し、酒樽も壁一面を埋めつくす。とても窮地に陥ったとは思えぬ光景だった。
「酒場だ。あれがどうした?」
「皆が皆、酒食を愉しんでいる。その裏では、1人の少女が食い殺されようとしたのに」
「難癖をつけるな。我らは皆、資産を目減りさせた。今日明日は困らなくとも2年、3年後には困窮しているかもしれん」
「下手をすれば、サーシャは今宵の内に命を落としていたぞ」
「しつこい奴だ! そのガキにはせいぜい、3千ディナ程度の価値しか無いんだ。いちいち絡むなよ! もっとも、ちゃんと『仕込めば』高値がつくかもしれんがな、クックック」
鼻につくほどの嫌悪感。それを嗅ぎ取った瞬間、アクセルは駆け出した。もう良い、殺す。首をねじきる。頭をかち割る。腹を引き裂く。何でも構わない。この場で命を踏み潰してやるべきだ。
低い姿勢から踏み込む。握った拳を、緩んで太った腹にお見舞いしてやろう。そうして腰を捻り、一撃を食らわそうとした瞬間だ。アクセルの眼前を火球が通過した。火はレンガの壁を焦がしただけで、追撃はない。明らかに牽制のものであった。
「今のは、魔法か……?」
アクセルは視線だけを巡らすと、ギルゼンの配下に目が留まる。ローブ姿の男は魔術師で、杖を片手に身構えている。実力のほどは分からないが、狙いは正確だと言えた。同時に、やはり手練なのだと察する。
膠着して静まり返る中、ギルゼンだけは薄笑いを変えないままに言った。
「あのさ、その村長は僕たちにとって依頼主なわけ。せめて仕事が終わるまでは、手を出さないでくれるかな?」
「私には関係ない」
「おいおい、正義を振りかざす割には、考え方が雑だな。そこのガキを救っても、魔獣に苦しむ村は放置するって? 酷いねぇ。村の中にも罪無き子供は大勢居るのに、そいつらが食い殺されても平気だって言うんだ」
「ならばサーシャを救い、魔獣も退治する」
「それはダメだ。もうギルド経由で依頼は成立してて、支払いも受けた後だ。今さら横取りされるのは……」
「金は要らない。報酬は、そうだな」
アクセルは静かに指を差した。正面から、やや下がる。それは、乱れた青い髪の少女への向けられた。
「あ……アタシ……?」
「報酬は、サーシャに自由を与える、という事にしよう」
「アッハッハ! こいつは傑作だ、褒賞もののバカだ! まさかグレイウルフ討伐の見返りに、小汚いガキを自由にするだって? そんなの、おとぎ話でも聞いたこと無い!」
「笑っていないで答えろ。約束できるか?」
「良いよ良いよ。僕としちゃ、生贄で死ぬ予定だったガキがどうなろうと、知ったこっちゃない。最終的に魔獣が居なくなって、達成報酬が貰えたら十分なんだから」
「では決まりだな。サーシャの身柄はこちらで預かる」
「信用無いんだねぇ。別に構わないけど」
アクセルは数歩、コエルの方へ歩み寄った。彼は青ざめつつも、いまだにサーシャの手首を掴んだままだ。
まだ怒りの冷めきらないアクセルは、鋭く睨み、殺気を浴びせかけた。明瞭なイメージを浮かべた分、生々しい殺気が辺りを覆い出す。
コイツヲ クラエー! ヤメロ ナニスンダギャーー!?
「ひっ……ひぃ!?」
「話は決まっただろう。サーシャを渡してもらおう」
コエルの手が離れたと見るなり、サーシャを奪還。長居は無用とばかりに、急ぎ立ち去ろうとした。そんな最中、背中越しにギルゼンの嘲笑う声を聞いた。
「一応釘を刺しておくけど、逃げようだなんて考えるなよ。そんな素振りでも見せたら最期。僕の手下達が黙っちゃいないよ」
アクセルは答えずに、村の夜道を進んでいった。困惑顔のサーシャを連れて、見知らぬ村の中を、道の続くままに。
こうして、成り行きで命を救い、成り行き任せに請け負った仕事。これは出会いだった。後に固い絆で結ばれる2人は、少し苦い出来事をキッカケに、互いの縁をつむぐのだった。
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