第5話 コウヤ村は生殺し

 ここがコウヤ村だよ。森に囲まれた草原の中、ひっそりと佇む集落の近くで、アマンダは告げた。


 アクセルは寂しさに似た感覚を覚えた。郊外に広がる畑には、豊かにも金色の稲穂が実る。手入れはされているが、刈り取りの途中であった。誰かが野良仕事する姿は見えなかった。


 そして村の内部に足を踏み入れても、人の気配は極端に薄い。傾いた木造家屋からは物音もせず、井戸の傍も無人。村の中であるのに、むしろ遠くの森で鳴く鳥の声がうるさい程だ。



「ここに人が住んでいるのか?」


「失礼だな。まぁ、言わんとしてる事は分かるけどさ」



 アマンダは肩の上から降りると、左足をかばう仕草で歩き出した。向かう先は高台の屋敷で、一際立派な造りをしていた。村長宅だと言う。村人のほとんどが、今はここに集まっているとも加えた。


 石垣の上に平屋の家屋、庭には小さな雑草が散見される。そこでは子どもたちが数人ほど集まり、大人しく座り込んでいた。誰が喋るでもなく、無言のまま、ただずっとアリを眺めているのだ。



(ひどく生気に欠けている。駆け回る元気すら無いのか)



 アクセルがそんな想いで見つめていると、1人の少年がこちらに気づく。そして表情を一変させ、満面の笑顔を浮かべた。



「あっ! アマンダ姉ちゃんが帰ってきた!」


「ほんとだ! 姉ちゃんだぁ!」



 甲高い叫びが続くと、あれよあれよと言う間に、辺りが子供たちの笑みで埋まる。ついさっきまで見せた、無機質な顔とは別人のようだ。



「ただいまマティス、シェリル。あぁ、他のみんなもありがとう、ただいま!」



 熱烈な歓迎。それはすかさず質問攻めに変わる。



「ねぇねぇ、どこまで行ったの? 泉まで行けた?」


「ごめんよ、小滝の辺りでヘマしちゃってね。だから薬草は手に入らなかった」


「それは、残念だね……。でも姉ちゃんが無事で良かった! みんな心配してたんだよ?」


「そうだよね。勝手に村を出ちゃったのは、良くなかったって反省してるから。この人に助けられなかったら、今頃どうなっていたか」


「そういや、そこのお兄ちゃんは誰? 旅の人?」



 その質問をキッカケに、皆の視線がアクセルに向いた。


 アクセルはしばらく呆けていたのだが、問いかけるような眼差しを見て、ようやく理解した。自己紹介を求められていると。



「私はアクセルという。このアマンダという娘とは、滝の傍で知り合った」


「へぇぇ、凄そうな剣を持ってるね。旅の剣士とか?」


「神精山(しんせいざん)を降りてから、旅を始めた。今はマジソン団に身を寄せている」


「ま、マジソン団!?」



 辺りの気配は一変した。アマンダは周囲の子どもたちを急かし、屋敷の中へと押しやった。そして落ちていた棒切れを拾い上げ、身構える。自身が細腕という不利を気にも留めず、闘志を剥き出しにして怒鳴った。




「親切な旅人かと思えば、まさかアイツの手下だったとはね。何のつもりだ。どんな魂胆で近づいた!」


「何をそこまで怒っているのか、分からん。説明しろ」


「分からんだって? どの立場でモノを言ってんだ!」



 怒声が轟くと、辺りは一層静まり返った。村人たちは屋敷の中で息を潜め、成り行きを見守った。勝ち気なアマンダは、唸りながらアクセルを睨みつけた。


 殺伐とした空気に染まる一方だった。しかしそこで、杖をつく音が鳴ったことで、いくらか和らいだ。



「静まりなさい、アマンダよ。その御仁に、危うい所を助けられたのだろう。果たして、そなたは恩を仇で返すような、薄情な娘だったかな?」


「ジイジ、出しゃばるなよ。つうか寝てなって、病気なんだからさ」


「今日は気分が良い。それに、村は危機に瀕しておる。のうのうと寝てなど居られんよ」



 杖つきの老夫は、覚束ない足取りでアクセルの方へ歩み寄った。そして両手を掲げる事で、敬意を露わにしながら言った。



「これまでの非礼について、心よりお詫び申し上げます。私はコウヤ村を束ねるロージーン。どうか我らの切なる願いに、耳を傾けてはくださらんか」


「ジイジ! そいつは奴らの仲間だぞ、さっさと追い返しちまえ!」


「アマンダ。人を肩書で見るな、魂を見よ。この御仁は連中と違う。佇まいから感じぬか? 威張るでも、へつらうでもなく、只そこに在る。何と清らかな事だろうか」


「買いかぶりすぎだろ。アタシには、年上女に地獄みてぇなシゴキを受けて10年くらい経ったような顔に見えるよ」



 あまりにも具体的な指摘に、アクセルは腹をくすぐられた気分になる。


 思い起こされるのは神精山での記憶だ。明けても暮れても修練だった。血豆を潰し、浅傷だらけになり、筋肉の限界を超えても繰り返される研鑽の日々。そして色とりどりに蘇る師匠の顔。良い、美しい、綺羅びやか最高だぜヒャッホウ目線ください。


 その時ばかりは、自ずと頬がほころんだ。



「笑った、今笑ったぞ! 絶対何か企んでる!」


「もう良い。ともかく、お前は口を挟まぬように。話はワシから申し上げる事にする」



 こちらへどうぞと、震える手が奥を示した。アクセルに断る理由もなく、ゆるりとロージーンの後に続いた。


 屋敷の中は薄暗い。ランプの類は無かった。ただ、明り取りに開けた穴から、多少の日差しが降り注ぐのみだ。


 しかし陰気に感じられるのは、貧弱な光源だけが理由ではない。通路を行く間、誰かの咳き込む声が休み無く聞こえてくるのだ。数は1人や2人で留まらない。いくつも重なるので多勢だと思えた。看護する村人たちが、タライを片手に忙しなく駆け回る姿から、事態の重さがうかがえた。



「腐臭病(ふしゅうびょう)?」



 この村は流行り病に侵されていた。もう半年になるとロージーン。シワだらけの手が白湯を用意し、テーブルに置いた。くすんだ色の陶器からは、ほのかに湯気が立ち上った。



「はい。咳が止まなくなり、やがては腹が腐るという病です。手厚く看病を続けておりますが、1人、また1人と倒れております。おかげで畑仕事もままなりません」


「それは不治の病か?」


「いえ、薬湯が効きます。しかし村の周辺には生えておらず、樹海の奥地まで出向く必要があります。アマンダも、この惨状を見るに見かねて、村を勝手に飛び出したのでしょう」


「マジソン団は、村人を見つけ次第に連れ戻すよう言っていた」


「惨たらしい事です。なぜか村を離れる事を禁じられております。もしかすると、病で我らが死滅するのを待っているのやもしれません」


「それがマジソン団の狙い?」


「推察しただけです。こんな寒村に、そうまでする価値があるとも思えませんが、他に理由も見当たらず」


「なるほど。しかし病気の感染を待つだなんて、随分と回りくどい。滅ぼすつもりなら、攻め寄せるなどして直接手を下すだろうに」


「そこが解せません。もしかすると、別の理由があるのかもしれません。しかしマジソン団のせいで、我らが窮地に陥ってる事は事実。更には月に一度は訪れる行商人の足も途絶えております。おそらくは、連中が追い返しているのでしょう。我らが着実に干上がるように」



 ロージーンは、くたびれた口に白湯を含んだ。すぐに大きな咳を繰り返し、器を倒してしまう。


 この老体も病の身か。手元の陶器に目を向けては、揺れる波紋を眺めた。そんな時である。部屋の引き戸が勢いよく開き、アマンダが顔を見せたのは。



「連中の狙いはアタシだよ。たぶん間違いない」


「ゴホッ。アマンダ……急に何を?」


「前に、手下共から言われた事がある。親分はお前を欲しがってる、だから親分の女になれって。そうしたら、村の状況はもっと良くなるって……!」


「そのような話、なぜ黙っていた」


「言えないよ。アタシを連中に突き出されるかと思って、怖かったから。でも、もうそんな贅沢は言ってられない。アタシが犠牲になれば、薬草を取りに行けるようになるかも……」


「やめなさい。お前を生贄にするような真似は出来ん。皆が悲しむ」


「だからって! このままじゃ皆死んじまうだろ!」



 その言葉に、ロージーンは顔を伏せた。それからは、曲がった背筋を伸ばしてアクセルの方を向いた。その瞳に宿す光は、消える寸前の炎のようにも見える。



「旅のお方。どうか、我らをお助けくださいませんか。可能な限り、お礼をご用意いたしますので」


「私がか?」


「ここから大人の足で一昼夜ほど行った所に、『精霊の宴』と呼ばれる泉がありましてな。そこにのみ生える、キショーダネ草を持ち帰ってはいただけませんか。マジソン団に与(くみ)するお方であれば、探しに行くのも難しくはありますまい」


「それを為すべき理由がない」


「貴方様の義侠心に、清廉さに縋(すが)りたい一心です」


「衰えた獣は、打ち捨てられたまま死ぬ。弱きものは強きものに食われる。それが自然の摂理だ」


「確かに、それも在り方の1つです。しかしながら、我ら人間には情というものがございます」


「獣にも情はある。子を害されれば怒り、強敵相手には怯みもする。人間だけが特別、とはどういう了見か」


「返す言葉もありません。全ては我が身の可愛さから……」



 ロージーンが言いかけるも、机が音を立てて叩かれた。傍にはアマンダの紅潮した顔も見える。



「さっきから黙って聞いてりゃ、随分と冷たいんだね。困ってる人を悪びれもせず見捨てるとか。剣聖だなんて名乗る割に、ケチ臭い生き方してんだな?」


「称号は仮のものだ」


「細かい話はどうだって良い。アンタも剣士なら、ちょっとくらい力を貸してくれよ。その腰の物は飾りかよ?」


「腰の物……?」


「剣の方だよバカ!!」


「この剣はおいそれと抜けない。差し迫った状況になるまでは、封じておく必要がある」


「あぁそうかい。よっぽど大きな志を持ってんだね! 鞘ん中で錆びついてねぇと良いな!」


「錆びるものか。これは師匠より預かりし、天下無双の名剣でな。錆つくどころか、血や脂すらも……」



 アマンダは最後まで聞こうとしなかった。そして力任せに引き戸を閉めて、去っていった。


 言葉をつないだロージーンは、悲しそうに眉尻を下げるばかりだ。



「不躾な振る舞いを申し訳ありません。あれは実の母が、例の病に侵されてましてな。それで気が立っているのです」



 アクセルは不愉快とは思わず、ただ黙って頷いた。そして協力する気も無い。遂には要望には応えないままに、村を後した。もちろん一人きり。見送りなど無かった。



「それにしても、マジソンは一体何を考えているのか……」



 考えるべきことは多い。その中でも、マジソンの狙いが気になった。村を監視する事も、回りくどい手段に徹している事も、どこか不自然に感じられたのだ。



「ともかく、本人に問いただしてみよう」



 薄暗い森の中、荒れ果てた旧街道を駆けた。しかし、普段に比べて精細さを欠いた。時おり、茂みの枝につっかかる等して、かなり手間取ってしまう。


 自覚できる程度に不調だ。何やら胸が疼く。木々の間を駆け抜け、孤狼を追い越す間も治まるどころか、和らぐ気配すら無かった。



――ちょっとくらい力を貸してくれたって良いだろう!



 怒りと悲哀に満ちた言葉が頭から離れない。まるで、隣で延々と罵られる錯覚すらあった。何が引っかかったのか分からず、珍しくも困惑した。


 強者がこの世を支配する。それは道理であり、師匠ソフィアから繰り返し聞かされた言葉だった。しかし、別の言葉も聞かされた気もしていて、それは胸の痛みに直結した。



(一体、何を教わったのだろう……)



 アクセルは記憶の蓋を開き、脳裏にありありと思い浮かべた。神精山で過ごした日々を。



――美味いから熱いうちに食え。しっとりチャーハンだぞ。何故手を付けんのか、まさかパラパラ派じゃないだろうな? 両手を怪我して食えんだと? 仕方ないな、口を開けろ。すぐに食わせてやる。


――寒くて眠れないのか。仕方ない、一緒に寝てやるからそこで寝転がれ。ハァ? 師匠は柔らかくて温かい? 貴様がガキのうちだけだぞ、大人になったら一緒に寝てやるものか!


――ご褒美に膝枕!? 貴様はいつになったら乳離れするんだ! 仕方ない、少しだけだからな。何、肌がスベスベしてて気持ちいい? 不埒な事を考えたら承知せんぞ!



 蘇るのは見当違いなものばかり。結局はチャーハン舌になったのみで、答えは見当たらない。しかも空腹を覚えたことで、何を追求すべきだったかも忘れてしまう。小エビと卵のチャーハン、山に戻れば食べられるだろうか。思考の脱線は激しく、ついには本筋に戻れなくなった。


 そんな失態を体現したアクセル。そして今しがた、迂闊にも失敗を重ねてしまった事に気づく。



「うむ。どうやら迷ったらしい」



 行けども行けども森ばかり。旧街道からも外れた事で、進むべき方角すら見失った。空を見上げれば、陽は既に傾きだしていた。不運であるのは、アクセルの自然科学に対する理解度がイマイチだった事だ。



「あちらが、東か西のどちらかだな」



 そこそこ致命的な台詞を吐きつつ、アクセルは闇雲に走り続けた。


 するとその時、前方に重症と思しき人の背中を見た。長い木の枝を杖代わりにする、ブカブカの革鎧を着た小柄な男。クライナーである。



「お前は新入り……! 止まれこの野郎、さっきはよくも見捨てやがってゲフゥ!」



 アクセル、すぐには止まれず体当たり。あくまでも目測を誤っただけで、悪意のある一撃ではない、決して。



「済まない。うまく止まれなかった」


「ンギギギ。この野郎、後で絶対シメてやる。覚悟しとけ……」


「そんな事より道に迷った。砦はどこだ?」


「アァン? んなもん、あそこの吊り橋渡って坂を登った方だろうがよ」


「吊り橋の先だな、分かった」


「おい待て! オレぁ怪我人だぞ、肩くれぇ貸しやがれ!」



 アクセルは、わめき声を置き去りにしつつ、砦へと急行した。



「マジソンに何か用事があった気がする。何だったか。チャーハン? 膝枕? いや違うか……」



 そうだった質問だ。コウヤ村を追い詰めている理由を聞きたかったのだ。アクセルはようやく腑に落ちた気分になり、すっきり爽快といった面持ちになる。


 ともかくアクセルは幸運だった。マジソン側の言い分を聞ける事も、筋肉の暑苦しい膝枕を回避出来た事も。


 

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