第42話 ヘンダー・デン・マルセル
──ヘンダー・デン・マルセルは孤独だった。
ゼルバーの父、ヘンダーはマルセル伯爵家の次男として生まれた。
大半の貴族家次男と同様に、物心ついた時から家庭教師達に教養を叩き込まれて育つ。
長男が跡を継げなくなった時のため、次男も領主となれるよう備えるのがこの国の常識だ。
朝から晩まで勉強漬けな日々の中で彼は、そこはかとない疎外感を覚えていた。
親の注目が跡取りであり、ヘンダーよりも勉強のできる兄にばかり向かっていたからだ。
両親は兄弟に差をつけているつもりはなかったが、無意識に表れる些細な言動の差異を、子供の繊細な感受性は拾い上げてしまう。
『ち、父上、母上っ。今日の試験で満点を取りました!』
『まあ、頑張りましたねヘンダー』
『よくやった、その調子で勉学に励むのだぞ』
『私も今日試験を受けたのですが、この結果なら王都の貴族学院でも合格は確実だろうと言われました』
『そうか! 我が伯爵家から王立学院に合格者が……。うむ、だが油断して怠けるでないぞ。ぬか喜びにさせてくれるなよ!』
自分は二番目だ。彼はいつしかそんな思いを抱くようになっていた。
もっと褒められたくて、認められたくて勉強を頑張っても、与えられる賞賛はどこか兄のおまけのよう。
両親の意識の中心はいつも兄だった。
不満ばかりが募る毎日に転機が訪れたのは五歳の頃。
属性適性の検査を受けた日のことだ。
──ヘンダー・デン・マルセルは天才だった。
彼は第二等級という、並外れた地属性適性を示した。
希少属性の第二等級ともなれば、それこそ十数年に一人の逸材である。
その日から彼の日課には魔技の稽古が加わった。
新たな魔技を覚える度、周囲は彼を誉めそやす。
それは両親も同じだった。
領主のスペアではない、大魔導師になり得る才を持つ我が子の成長を、心の底から喜んだ。
そのことに気をよくしたヘンダーは、ますます魔技の修練に励むようになった。
魔導学を本格的に学び出したのもその頃である。
父が伝手を使って他領から誘致した魔導師が、付きっ切りで魔導学のいろはを教えた。
魔導の知識が増える度に両親は賞賛し、それを受けてヘンダーは一層に魔導学への熱意を燃やした。
そうしてコウリア魔導師学園の初等部に上位の成績で入学した彼は、親元を離れ学園都市コウリアに遊学。
けれど、そこで問題が起こる。
魔導師として成長することで周囲から承認を得て来た彼は、魔導の実力を第一とする歪んだ価値観を形成していた。
他の学生と度々衝突し、いつの間にやら『能力は高いが性格の悪い厄介者』という評判に落ち着いてしまう。
そんな周囲からの評価は落伍者の戯言と切り捨て、ヘンダーは魔導学の精進に励んだ。
授業にも自習にも真剣に取り組む彼は成績が良く、そのことも彼の孤立や増長に拍車をかけていた。
やがて初等部を卒業し高等部一年生になると、各々でテーマを決めて研究を行うようになる。
その成果発表の場でヘンダーは〈地染め〉の原型となる魔技体系を発表し、嘲笑を受けることになった。
それまで見下していた者達に自身の研究成果をこき下ろされたことで、彼は大層怒り狂った。
肉親の訃報を受け、彼がマルセル領に帰郷したのはその数日後のことである。
──ヘンダー・デン・マルセルは愚かだった。
実家に帰ったヘンダーを待っていたのは、次期領主となるための日々だった。
領主であった父と後継者のはずの兄がハグレの襲撃で殺され、隠居中だった祖父が暫定的に領主をしているが、それをずっと続ける訳にはいかない。
またアクシデントが起こらないとも言い切れず、可及的速やかに領主を継ぐ準備を整えることが望まれた。
五歳で魔導師の才を見出されてから疎遠になっていた貴族として厳しい勉強や人付き合い。
表面上はそれを大人しく熟しつつも、心の中では常に学園への憎悪が燻っていた。
自身の研究で復讐をする機会を窺っていた。
そして二十歳になり、領主の地位を継ぐとようやく研究再開の目途が立つ。
政務に精を出すその裏で、実際は何よりも研究を優先していた。
領主になってから少しして、ヘンダーは結婚する。
相手は近領の領主の娘で、早く世継ぎが必要だったヘンダーと、病弱な娘の婚姻が決まらず困っていた近領領主とで利害が一致した形だ。
結婚後も変わらず貴族の仕事と魔導の研究にばかり注力した。
同じ家に住んでいながら妻と口を利くことは滅多になく、長男ゼルバーの出産に耐え切れず妻が亡くなったと
遺された長男に対しても初めは興味を示さなかった。
自分がそう育てられたように、世話や教育は他の者達に任せて自身は政務と研究に没頭。
そんな態度が変わったのはゼルバーの属性適性が判明してから。
奇しくもゼルバーにも地属性への適性があった。
ヘンダーには及ばないが第三等級、魔導師や魔技使いとしてやって行くに充分な適性だ。
「ゼルバー、お前はコウリア騎士学院に行き、そこで主席になれ」
その日から、ヘンダーはそう言い聞かせるようになった。
魔技使いに不要な諸々の教育もやめさせた。
己を追い出した魔導師学園に息子を入学させる価値はない。
だが自分の研究は正しかったのだと証明したい。
故に学園と同じく難関校である騎士学院にてゼルバーをトップにさせ、それにより自身が学園の人々より優れていたという証明にしようと、そんな愚か極まりないことを考えたのだ。
けれど、その計画は第一歩から頓挫する。
ゼルバーが初等部の入学試験に落ちたのだ。
天職が『ウッドマスター』であるのにヘンダーが地属性魔技の習得を強要したから、というのが要因としては大きかったのだが、そのようなことにはお構い無しにヘンダーは怒り狂った。
とぼとぼと帰って来たゼルバーは、その日から半ば虐待じみた厳しい修練を課されるようになる。
その頃に付いた最も深い傷は癒え切らず、今も痕が彼の体に残っている。
父がゼルバーにとって唯一の肉親でなければ、とっくに嫌っていただろう。
とはいえ、魔導師として高い実力を持つヘンダーの指導と、そんな父の期待に応えたいゼルバーの限界以上の努力により、彼はみるみる成長していった。
木属性魔技をある程度使わせだした、というのももちろんある。
そうして高等部への編入試験に合格。息子を送り出し間もなくして、ヘンダーも最終実験に取り掛かる。
研究所で秘密裏に育て、使役していた魔物達を森に放つのだ。
蟻種、蜂種、蛾種の進化体を一体ずつと、荷運びのためのワームを数体だ。
中でも蟻種、蜂種、蛾種の進化体には〈地染め〉の他に、魔石に干渉することで強制進化も施していた。
おかげで、彼らは白金級に近い実力を持っていた。
また、同種族支配能力の強度も他の個体より格段に高い。
そんな彼らに下した命令は二つ。
隠れ潜むことと、群れを拡大させること。
だから魔物のリーダー達は人知れず勢力を増強して行った。
群れ集めの影響で他の進化体は配下を奪われ、けれど支配能力を受け付けないほど魔力抵抗の高い者は孤立してしまう。
そういった者は異変から距離を取るため偏魔地帯の浅部に出、結果としてハグレが頻発したのだが、それはまた別の話。
翻って現在、マルセル伯爵は自身の研究所に居た。
学院生達が領都にやって来たときから最悪の事態に備えて撤収準備は進めており、〈地染め〉ワーム三体という過剰戦力で迎え撃てた、と伯爵は自身の周到さに満足している。
上機嫌に自分が研究所に居ることまでバラし、しかし彼らはそれを知っていながらここには来れないだろう。
だからこそじっくりと脱出のための最後の確認を行っていた伯爵。
それも終わり、後は蜂の群れと共にこの領都から離れるだけである。
──ベゴンッ。
研究所の扉が吹き飛んだのは、そんな時だった。
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